#03C改 同棲生活のはじまり




僕が誰なのかは分かった。



いつもそばにいてくれる女の子が説明してくれた。つまり、僕は脳の病気を患い、手術は成功したけれど記憶が戻っていないらしい。

とはいえ日常生活には支障なくて食事もトイレも入浴も問題はないし、たとえば小学校のときの算数を忘れているかといえば、答えはノーだ。



でも、人のことになるとまったく思い出せない。僕は誰と関わりがあったのか。すっぽり記憶が抜け落ちてしまっている。



「退院できてよかったね。今日は寒波が来ていてさ、外は寒いんだよ? 夕飯はすき焼きでも食べよっか」

「うん。あの……」



それにしてもかわいい子だなぁ。まるでアニメの中の美少女が現実世界に現れたような容姿で、なんでそんな子が僕のことを気にかけてくれるんだろうって思う。夢咲陽音という子はアイドルだったらしい。だもん、カワイイわけだ。



しかし、夢咲陽音は突然引退宣言をして芸能界から幕引きを図った。その理由は分からない。



「君は僕のなんなの?」

「だ〜か〜ら〜。わたしは君の運命の人。記憶が戻らなくてもわたしは諦めないから」

「そうじゃなくて。話を聞いたかぎりでは恋人でもないみたいだし。えっと、中学校まで友達だったけど、転校して……半年前くらいに再会して、それで甲斐甲斐しく毎日お見舞いに来てくれるってなんだか……」

「なんだか?」

「僕にとって都合が良すぎるような……まるで」

「まるでエロゲのヒロインみたい?」

「エロゲって……ぶっ!! あははは……」

「それともどこかのラブコメの負けヒロインみたい?」

「君、おもしろいね。いや、そうじゃなくて、まるでお嫁さんみたいだなって」

「……そうだよ? 結婚していないだけでルア君のお嫁さんに違いないけど?」

「だから、ウケを取りに来なくていいから」

「笑わせてるわけじゃないんだけどなぁ。ま、付き合っていないことは確かだよ。友達以上恋人未満ってやつ?」



こんな子と結婚をしたら、そこで運を使い切って死ぬんじゃないかって思う。あぁ、だから僕は仲良くなったから大病を患ったのか。これで結婚をしたらきっと死ぬと思う。だって、考えてもみなよ。顔よし、性格よし、それでいて話していて楽しいと来たら、人生の運をそこで全部使っちゃっていても不思議じゃないよな。



「あ、ちょっと電話掛かってきちゃった。ごめん、掛け直してくるね」

「うん」

「もう少ししたら看護師さんから退院後の説明があるから、それまでには戻るね」

「大丈夫だよ。僕ひとりで聞けるって。子どもじゃないんだから」

「はいはい。ルア君は大人でちゅもんねぇ〜〜〜」

「そこ、バカにしない」

「ごめんごめん。じゃあ、行ってくるね」

「うん」



陽音さんが出ていって、僕はベッドから立ち上がって伸びをした。聞くところによると僕は秋に脳腫瘍で倒れて、手術をしてここまで回復をするのに3ヶ月ほど掛かったらしい。今までの記憶はところどころジャンプしていて、もう12月だというんだから驚きだ。



病室のドアがノックされた。



「はい、どうぞ」

「ルア、具合どう?」

「あぁ、えっと……蒼空さん? だっけ?」

「そう。早月蒼空。今日退院だっていうからお見舞いに来たんだけど」

「うん。ありがとう」



早月蒼空さんも割と毎日お見舞いに来てくれる。陽音さんとはあんまり仲が良くないのか、鉢合わせしないようにタイミングを見計らって来てくれるんだけど、一度だけ顔を合わせて険悪な雰囲気になって思わず苦言を言ったことがあった。



『病室でケンカするのやめてくれる? 頭痛くなるから』



それからは二人とも僕の前で言い争わなくなった。なんで仲が悪いのか僕には皆目見当がつかないけれど、人それぞれ合う、合わないがあるから仕方ないのかな。



それにしても、陽音さんといい、蒼空さんといい、なんでこんなに美人が僕の周りにいるのか、理解に苦しむ。蒼空さんは陽音さんみたいなカワイイって感じより、どちらかというとキレイな感じかな。少し冷たそうなイメージを持っているけれど、僕には優しくしてくれる。



「ねえ、退院後はどうするか決めているの?」

「えっと……陽音さんが言うにはすでに部屋は借りていて、陽音さんが面倒見てくれるって。ひとりで大丈夫って言っても、あんまり信用されていないみたいで」

「そう。あのね、もしルアが良ければあたしと一緒に暮らさない?」

「え? いや、さすがにそれは……悪いというか」

「遠慮しなくていいのよ? 陽音と一緒にいるよりもいい暮らしできるし、あたしはあなたの幼なじみだからルアのことはよく分かるの」



そう、蒼空さんは僕の幼なじみなんだってさ。こんな美人が幼なじみで親切にしてくれるんだから、やっぱり運は使い果たしているんだと思う。病気になる前の僕はいったいどんな生活をしていたんだろう。自分がどうやって生きてきたかの記憶は多少残っているけれど、誰とどんな関係だったか、どんな会話をしていたのか、人間関係にまつわる記憶はすべて消去されているみたいで思い出せないんだよな。



「まいったなぁ。蒼空さんまでそう言ってくれるのはありがたいけど。陽音さんと先約しているし。うーん。なんでそんなに親切にしてくれるの?」

「それは、ルアのことが好きだからでしょう? だって、あたし達は恋人だったのよ?」

「そうなのかなぁ。陽音さんの話では、僕は誰とも付き合っていなかったって聞いたけど?」

「陽音が嘘ついているのよ」

「しかも、その言葉これで何回目? その都度、陽音さんが否定しているから違うんじゃないかって思うんだよね」



蒼空さんと僕が付き合っていた事実があるなら、僕のスマホに写真の1枚や2枚残っていてもおかしくない気がする。けど、蒼空さんとどこかに行った写真や2人で撮った写真は残っていない。ダンスをしているときの写真は残っているけど、それが恋人かといえば……違う気がする。むしろ、陽音さんと撮った写真は残されていて、それを見るとなんだか切ない気持ちになる。



陽音さんと僕はどんな関係だったか分からないけど、陽音さんは恋人ではないときっぱり断言した。でも、スマホには2人で撮った写真が残されている。ディスティニーリゾートに2人で遊びに行くような仲だったみたいだから、きっと親密だったんだと思う。

すごく楽しそうで、僕はきっと……陽音さんのことが好きだったんじゃなないのかな。



ディスティニーシーから帰ってきて、しばらくして中華屋に行った後、となりの公園で倒れたらしい。陽音さんがいなかったら死んでいたかもしれないんだって。すぐに救急車を呼んでくれたおかげで助かったんだとか。担当の看護師さんがそう言っていた。



「そんなんことないわよ」

「蒼空さんって、僕のなんなの?」

「だから幼なじみだって言ってるじゃない」

「そうじゃなくて、その……幼なじみとかじゃなくて、もっと具体的な関係性?」

「だから恋人だってば。春にあたしが告白をして付き合ったんじゃない」

「嘘だよね? それはないと思う」

「……どうしてそう思うの?」

「いや、だって、恋人だったら陽音さんは近寄ってこないと思うから」

「あの子がちょっかい出してるだけよ? わずらわしいでしょ?」

「陽音さんは……そんな子じゃないと思うんだけどなぁ」

「猫かぶってるのよ」



そう言われちゃうと分からなくなっちゃうけど、猫をかぶるような人だったら僕の記憶障害を利用して、関係性を訊かれたときに蒼空さんみたいに『恋人だよ』って答えると思うんだよなぁ。スマホに2人で撮った写真がごまんとあって、いくらでも証拠になるのにそれを言わないとなると陽音さんは誠実なんだと思う。



「まあ、なんでもいいけど、僕はしばらく陽音さんにやっかいになると思うよ。陽音さんには申し訳ないけど」

「……そう。ねえ、ルア」

「うん?」

「キスしてもいい?」



蒼空さんはイスから身を乗り出して僕に顔を近づけた。この人ってよく分からないなぁ。なんだか少し怖い。なんでそんなに僕に接したがるんだろう。その容姿なら僕じゃなくても他にいっぱい良い人見つかる気がするんだけど。



「ごめん。蒼空さんとはそういう関係じゃないって思う。幼なじみは分かったけど、それ以上の関係じゃないよね?」

「そんなことないわよ?

「僕のこと好きって言ってくれるのは嬉しいんだけど、その理由聞かせてもらえないかな?」

「どういうこと?」

「僕を好きな理由だよ」



やみくもに好きって言ってくる人は、なにか裏があるんじゃないかって思っちゃうんだよな。僕の財産を狙っているとか(財産なんてまったくない貧乏人だけど)、僕を踏み台にして繋がりたい人がいるとか(覚えていないけど、陽音さんの話では交友関係まったくないと思う)、好きと見せかけて復讐したいとか(こればかりは身に覚えがありません。記憶がないだけに)。



「顔。情けなさそうに見えて意外と男気あるところ。ダンスがうまいところ。なぜかモテるところ」

「……漠然としすぎてない?」

「はぁ。きっかけはね、小学生のときに海に落ちたことがあって。そのときにね、海に沈んでいくあたしの手を握って引っ張り上げてくれたの。そのときからかな」

「……そんなことあったの?」

「覚えていないでしょうけど。まるで、あたしと陽音をひっぱりあげてくれたんだよね。大しけで波が高かったのに、沖合からあたしと陽音を泳いで浜辺まで戻ってきたんだから先生も驚いていたよ」



なるほど。僕は火事場の馬鹿力で2人を救ったってことか。でも、陽音さんは何も言っていなかったなぁ。



「それがきっかけ?」

「そう。ルアとっていうきっかけがそれ」

「つながりたい?」

「うん。それが理由じゃ納得いかない?」

「いや。そんなことないよ。でも、気持ちは嬉しいんだけど、やっぱり僕は蒼空さんと住むわけにはいかないよ。気持ちは嬉しいけど」

「どうしても?」

「うん。悪いけど蒼空さん、僕は蒼空さんのこと考えられないかな」

「分かった」



蒼空さんは立ち上がり、「また連絡するね」と言って背中を向けて病室を出ていった。



タイミングを見計らったように陽音さんが「ただいま」と帰ってきて、イスに腰掛けた。



「聞いてた?」

「ごめん。盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど、入りづらくて」

「いや。全然。蒼空さんって前からあんな人?」

「どうだろうね。でも、ルア君のことになるといつも自分を見失っちゃうっていうか」

「そっか」



やっぱり変な人だ。それに怖い。



退院後は通院をしなくちゃいけなくて、その予約を取って薬の説明と会計を済ませて帰宅となった。



今まで一人暮らしだったから、同居人がいるとなるとなんだか不思議な気持ちになる。それに部屋も広くて、ちょっと気を使いそうだな。



「なんだか、この部屋、はじめて引っ越してきた感じがしないんだよね」

「あー……分かる。僕も何回も来ているような感じするよ。ま、僕の場合記憶障害だから説得力ないんだけどね」

「はいはい、自虐的になっちゃダメだよ」



引っ越しの荷物はまだ片付いていなくて、2人で少しずつ整理していくことにした。



「あ、ルア君見て、雪がちらついてきた」

「どうりで寒いわけだよね」



クリスマスまであと少し。引っ越しの荷物の片付けをしながら同時にクリスマスの飾り付けもするって陽音さんは楽しそうだった。グラスファイバーが青く光るクリスマスツリーも買って、片付けそっちのけで2人肩を並べて眺めた。



「キレイだなぁ。ルア君、退院おめでとう。きっと辛いこともいっぱいあるけど、がんばろうね」

「辛くないよ。痛いとことかどこもないし?」

「そっか……わたしもがんばるから」




わたし



その言葉の意味を知ったのは、ダイニングテーブルに置かれたたくさんの薬を見たときだった。僕の薬ではない。陽音さんの薬だ。

スマホで調べると、ある病気の薬のようだった。



陽音さんは……心臓病を患っている。



夢咲陽音というアイドルは引退をした。その理由が今——分かった気がした。






——————

☆をありがとうございました。また面白いと思った方は☆をタップorクリックしていただけるとありがたいです。

近況は本日お休みいたします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る