#01A-B ハルの軌跡




見覚えのある公園……随分と賑やかな場所だった。あれ、わたしは確か、あの『誰でもない誰か』と話をしていて……。なぜ桜まつりの会場にいるんだろう。蒼空ちゃんの浮気現場を目撃したあの日と同じ光景が広がっている。



ルア君は……ルア君はどこに行ったんだろう。早く探さなきゃ。人が多すぎて見当たらない。出店の前をひとりひとり、確認しながらルア君を探していると……。



ルア君が蒼空ちゃんと楽しそうにチーズドッグを食べていた。自撮りなんてしちゃって、いったいルア君はなにしてんのよ。だって、蒼空ちゃんは浮気をしているんだよ?

身を持って経験したのに、なんで今さら蒼空ちゃんと楽しそうにしてるの?



わたしのこと好きって言ったのに……なんでだよ……。



ルア君の前に立って、サングラスとマスクを外した。

でも、ルア君はわたしを一瞥しただけで何の興味も示さない。それどころかガン無視してわたしの横を通り過ぎて歩いて行っちゃった。



「今の人、なんだか夢咲陽音に似てない?」

「んなわけないじゃん。ルアってバカ?」

「は? 似てるか似てないかって言ったら似てるじゃん」

「こんなところにいるはずないじゃんって言ってんの」

「いや、だから」

「似てる人もいないって。あんなかわいい子いたら有名になってるわよ」

「あー……」



わたしはその場に座り込んで……両手で顔を覆って泣いた。ひと目を気にせずに大泣きした。



ポッキリと心が折れてしまった。



ルア君を必死に看病して、それで自分の命を掛けてルア君の病気を治した結果がこれなんて……。もういいや。東京に帰ろう。



ルア君と蒼空ちゃんが一緒にいたとしても、今の状況をくつがえせるような余裕がわたしにはなかったし、今まで築き上げてものが瓦解していくような絶望感に打ちひしがれていた。それくらい、わたしにとって、時が戻ってしまったことは辛い事実だった。



そうして東京に戻り、アイドル活動をして時は流れて夏になった。



梅雨の時期あたりからかな。目に余る行動をするファンが増えてわたしの個人情報がネットに流出しているなんてマネージャーが教えてくれたのは。その後警察に相談してもなんの解決しなくて、ストーカーと化したファンがわたしの周りをうろついた。



頭によぎるのは、『誰でもない誰か』の言葉。暴走する愛憎の刃によって、わたしは殺される。今こうして考えると、きっとわたしは近くに殺されるんだろうって思う。これでルア君が助かって、幸せに生きられるならそれでいいや。



もう、わたしは疲れたよ。



ルア君と結ばれたとしても、どうあがいても殺される運命からは逃れられないし、わたしの死を知ったルア君は悲しむくらいなら……。蒼空ちゃんと仲良くやっているのかな。気がかりなのは、蒼空ちゃんに騙されていないか、蒼空ちゃんは浮気をしていないか、ってことかな。



ある日の新宿。



わたしは打ち合わせ場所に向かって通りを歩いていた。炎天下の中、汗を拭きながら進んでいくと、目の前に季節外れのナイロンジャケットでフードを被った男がわたしの行く手を阻んでいた。



ああ、やっとそのときが来たのか。これで楽になれる……。



目の前に現れたストーカーは予想どおり手にナイフを持っている。



「ゆ、ゆゆゆ、ゆめさ……き、はるねッ!!!」



瞳を閉じてわたしは死を覚悟した。マスクとサングラスを外すと、周囲の人たちがざわざわして集まってきた。野次馬がいようが関係ない。



すべてを受け入れる覚悟を決めて。わたしは突進してきた男に刺される。



熱い……熱いよ。お腹が熱い。苦しい。こんなに痛いなんて……。息が吸えない。視界が霞んで地面についた顔がアスファルトで焼けていく。生ぬるい血が唇にまで流れてきて、泣きたくないのに涙があふれる。悲鳴や怒号が遠のいていく。あぁ、これで終わりか。



ルア君は今ごろ……どうしているかな。

ルア君ともう一度だけお話したかったなぁ。




気づくと再びセピア色に染まる町に戻ってきて、わたしはようやく解放されたことに安堵した。ここはもしかしたら死後の世界だったのかな。もうルア君と会うこともできないなら、このまま消滅しても構わないや。



『代償は終わっていない。愛する者を愛し、愛されている状態でなければ代償は成立しないと言っただろう?』



『誰でもない誰か』の声が響く。そんなの……わたしはちゃんとあなたの声に従って殺されたじゃないか。それで終わりのはずなのに、なんでそれ以上に苦しめたいの?



「そんなの屁理屈じゃないの……」

『犬死したところでなにになる。妾に見せるべき悲劇は「愛と別れ」。その悲しみこそが御饌となるのだ』

「それじゃ……ルア君は……わたしの死を乗り越えなくちゃいけないじゃない……そんなの……あなたはいったい何がしたいのッ!? わたしは……もう……」

『なら死ねばいい。汝も……彼の者も。朽ちて死ねばいい。彼の者の未来を見せてやろう』



次にまばたきすると、目の前にルア君がいた。声をかけても反応をしない。それに少しだけ大人になった顔をしている。ルア君の視線の向こうには……。



え?



蒼空ちゃんと葛根とかいう男がホテルに入っていくところだった。



「ルア君……ねえ、ルア君」

「…………」



ルア君はわたしのこと見えていない?

わたしの存在を認識できていないんだ。



ルア君は沈痛そうな面持ちで歩いていき、ふと気づくと年嶽神社の階段で急に驚いた顔をしてキョロキョロと周囲を見回していた。えっと……なにに驚いているんだろう。周りに誰もいないし、特に変わった様子もない。



ルア君は鳥居の下の階段で硬直していて、通りの向こうからはトラックが蛇行運転をして近づいてくる。



「ルア君ッ!! 避けてッ!!」



わたしは慌てて近寄ったけれど、すでにトラックはルア君にまで到達していて……。ルア君はトラックの下敷きになってしまった。



『これが汝の干渉しなかった、ある世界線の行く末よ。もし汝が代償を支払う気があるなら彼の者の時を今一度戻そう』

「……ルア君のことを思って……わたしは……」

『代償を支払うか?』



ルア君はやっぱり蒼空ちゃんに騙されていたんだ。焦燥して絶望したまま事故に遭ってしんでしまっていた……。そんなのってないよ……。

言いなりになるしかないじゃない……。



「……はい」



もうどうすることもできない。こいつは……悪魔だ。

人の悲しみや絶望を喰らう悪魔だ、絶対にそうだ。




再び目の前がグルグルと回って、気づくと再び桜の木の下に立っていた。







また……この場所。

人生で3度目の時渡り。もう辛い。あのまま死ねたらどんなに楽だったのか。なんて考えるようになっていて、『誰でもない誰か』の代償を回避できないわたしはルア君と結ばれる資格なんてないんだ、って悲観的になっていた。



でも、わたしがいなくちゃ……わたしを好きになってもらわないと、ルア君の未来が絶望で塗りつぶされてしまう。

もう一度……もう一度、ルア君を振り向かせてみせる。どんな方法を使っても。

ルア君のことは……心の底から好きだ。



蒼空ちゃんから奪ってでも、ルア君を振り向かせて。

そうだった。漠然とした死を悲観して、好きな人と一緒にいることを躊躇することは間違っているって、あのとき決心したじゃないか。



あの『悪魔』の言葉に惑わされるところだった。



桜まつりの会場の公園を歩いているとほどなくして、ルア君を見つけた。でも、なんだか様子がおかしい。前回の桜まつりのときのルア君は蒼空ちゃんと楽しそうに話していたのに、今はまるで……まるで失恋でもした後のような顔をしている。そんな顔のルア君を見たくないよ。



もしかするとルア君は、なにかの拍子に蒼空ちゃんの浮気を知って……。それで蒼空ちゃんに嫌気が差したとか?

とにかく、ルア君に接触しよう。ルア君はわたしのことをまだ認識していないはずで、そうなるとわたしも久々の再開を装わなくちゃいけない。



って、こんな忙しいときにスマホが鳴っている。



電話が掛かってきた。スマホをポシェットから取り出すと、『引っ越し屋さん』とディスプレイには表示されている。



えっと……どういう状況?



「もしもし?」

「あぁ、えっと夢咲さんですか? お部屋に引っ越しの荷物入れておきました」

「え? 引っ越しですか?」

「はい。書類にサインをいただきたいのですが、いつ頃お戻りになりますか?」

「……すみません。なにかの間違いでは?」

「え? いや、さっきまでご在宅でしたのに突然いなくなってしまわれたので……」

「ごめんなさい。ちょっと混乱していて。自宅はどこでしたっけ? 迷ってしまいまして」

「あぁ、そういうことでしたか。高花駅の北口のドラッグストアの向かいです」

「分かりました。すぐに向かいます」



北口のドラッグストアの前って言われてもよく分からないよ。っていうか、意味分かんないんだけど、なんでわたしは引っ越してきているんだろう。高花市に引っ越してきたのは、ルア君が病気にして看病をするためだったけれど……。



うーん。よく分からないな。



おそらく時渡りをしたときの世界は毎回違くて、そのときそのときで設定が違うんだろうなって思う。



部屋に帰る前に駅ナカで男性用の下着とスウェット、それから着替えを何着か買っておく。ルア君の看病をしていたからルア君の体型は把握しているし、今のわたしなら的確にルア君の服を買うことができる。



なんとか今日、部屋に誘い込んで……迫るしかない。焦っちゃダメだけど……ルア君が死んじゃうあんな光景を見たら焦らないほうがおかしいって。今でも胸がドキドキしていて、少し——いや、かなり怖い。



色々なことが起きすぎていて混乱をしているけど、やっぱりルア君のことが好き。

それは未来永劫変わらないと思う。



一度深呼吸をして、思考をリセットしよう。

以前の陽音に戻らなくちゃ。がんばれ、わたし。



服を買い込んでドラッグストア前のマンションに入った。騒がしいから、おそらく最上階あたりだと思う。



玄関の扉が開いていて、引越し業者さんがいるところがわたしの部屋で間違いない。そして、サインをして帰ってもらう。



ルア君に会ったとして、なんて言って部屋に招き入れるか……。普通に誘惑して招き入れたら……ただの変態って思われるじゃん。だからといって、他の理由が見当たらない。女の子が男の子に部屋に来てほしい理由は……?



えっちなことがしたい……ってだ・か・らッ!!

そうじゃなくて。



うーん。



守ってもらいたい。

何から?



わたしはほんの数時間前(感覚的にはそう)にストーカーに刺されて死んだんだった。なら、ストーカーが怖いという設定を付して(いや、実際に怖いよ。今でも思い出して身体が凍りつくくらいに)……。それをあえて隠して(ストーカーが怖いとストレートに言うと警察呼べば? ってなって終わる可能性が高い)、なんだか怖いから来てほしいというふうにすれば……。



嘘はつきたくないけど……それしかない。ルア君が蒼空ちゃんと付き合っちゃうかもしれないんだから時間がない。なんとかルア君の心を一気に引き込むにはそれしかない。



それと、蒼空ちゃんに会ったら一発かましてあげないと。また蒼空ちゃんを潰すしかない。申し訳ないけど。



そうして桜まつり会場に戻ると、ルア君が公園の隅にいるところを発見した。




「あっ! 鏡見春亜君……ルア君だよね?」




こうしてわたしはルア君と再会して……ルア君を部屋に招き入れることに成功したわけ。



けれどその夜、『設定』のはずのストーカーがテラスに現れた。

ルア君を引き止められずに部屋に残されたわたしは、テラスに人影を見て物音を聞いて……。思い浮かべるのは、この世界に来る前の世界で刺した男の存在だった。



あの男がここに現れたとしたら……。まだなにも始まっていないのに殺されるのはイヤだ。それにあの痛みを再び経験するのは……イヤだ。イヤ。死にたくない。



助けて。



ルア君に電話をして……。ルア君の言うとおりに警察を呼ぶと、警察よりも先にルア君が駆けつけてくれた。



でも、テラスにもどこにも人の気配はないってルア君は見回ってくれて。警察もすぐに来てくれて、巡回を増やしてくれると言ってくれた。



いったい……あれは誰だったんだろう……?











————

☆をありがとうございましたーーーっ!

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これは世界線B(描かれていない)と世界線A(第一章のハル視点)です。

本当は10万字くらいいけるのですが、割愛しました。

また振り出しに戻るはイヤでしょう?

なので一話に凝縮しました。

近況に少し解説を入れています。チェックしてみてください。

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