#10C 誰でもない誰か



ルア君と一緒に中華屋さんを訪れた。ルア君の元気な姿をおばさんに見せてあげたいのと、ルア君自身が行きたいって言ったからだ。



それと、もう一度あの場所に行ってみようと思っている。あの公園の社の前で寝てしまって、その夢の中に現れた声の主の言ったとおりにルア君の脳腫瘍は完治したし、そうなるとわたし自身の死もきっと将来的に訪れるのだと思う。



もう一度話を聞かないといけないな。



それが終わったら病院にお金を払いに行かないといけなくて、なんだか忙しい。一応、どれくらいになるか分からなかったから、立夏さんにもらった100万円をATMで下ろしてきた。すみません、いったんお借りします。あとで口座に戻しますので。



「中学生のときに連れてきてくれたの覚えているよね?」

「覚えてるよ。たしか、ハルはホームルーム委員で学園祭のアンケート集計してたんだよな」

「うん。それで唐突に夕飯食べるの付き合えって」

「そうそう。1人で夕飯食べても寂しかったし、ハルを誘っちゃったんだよな」

「今さらだけど、なんであのとき蒼空ちゃんじゃなくてわたしを誘ったの?」

「あの流れだったら誘うのはハルじゃん。おつかれさま、的な」

「そっか」



単純な理由だったのか。当時のルア君にしてみればわたしなんかに興味がないのは当たり前だし、こればかりは仕方ないことだよね。そこに恋愛的な感情がないことは分かっていたけれど。



「でも、ハルと話しているときは楽しかったな」

「えっ?」

「フィーリングは合っていたんだと思う。つい最近まで僕は子どもだったから、ホントに好きになるべき相手を見誤っていたんだと思う」

「……それは仕方ないよ。誰を好きになるべきかなんて、自分でコントロールできないもん」



中華屋さんの引き戸をガラガラと開けて中に入ると、おばさんが「いらっしゃい」と洗い物の手を止めてこっちに振り返った。



「え!? 鏡見君? あんた病気治ったの!?」

「おばさん、ごめん。心配かけて」

「いいんだよ。驚いたねぇ〜〜〜もう大丈夫なのかい?」

「うん。もう大丈夫だと思う」

「陽音ちゃんに感謝するんだよ? 本当に陽音ちゃんは大した子だよ」



思わぬところで褒められて、わたしは恥ずかしくて俯いた。人に褒められ慣れていなくて、面と向かってそんなことを言われるとどうしても恥ずかしくなっちゃう。



「それで、食べていくんだろ?」

「おばさん、今日はレバニラが食べたいです」

「わかった! 陽音ちゃんはレバニラだね。鏡見君はチャーハンでいいんだよね?」

「……うん」



ほどなくしてレバニラ定食とチャーハンを持ってきたおばさんは、いきなり「2人とも恋愛が成就したんだね」と言って笑った。



いやいやいや。まだなにも言ってないからね?

なんで分かっちゃうかな。本当にびっくりするんだけど。



「わたしそんな顔していました?」

「おばちゃん、相変わらずだなぁ」

「見れば分かるわよ」

「まるで占い師じゃないですか……びっくりしますよ」

「若い頃は年嶽さまで巫女やってたのよ? 今はこんな身なりだけど、昔はあたしだって噂の巫女さんで通っていたんだから」

「おぉ……すごいっ!」

「おばさん、そういうのいいから。ハルも真に受けないの。巫女さんと昔はキレイだったアピールはなにも関連がないからね?」



巫女装束を着ている人ってなんだか魅力的な気がする。神々しくて触れたら罰が当たりそうで、だからこそ惹かれるのかな。



「現世で結ばれる人はあらかじめ決まっていてね。他の誰かと付き合っても、運命の強制力が働いて別れちゃうわけよ。結局決まった人と結ばれちゃうのが運命。なにかを得るためには犠牲を払わなくてはいけないのよ。で、陽音ちゃんの犠牲はきっと看病していた苦労ってわけだ。春亜は大病。うん、理にかなってるじゃない。あんた達は運命で結ばれているよ。あたしが保証する!」

「そんな後からなんとでも言えるじゃん」

「ルア君失礼じゃないかっ! それにロマンチックじゃない! 運命って素敵な響きじゃんか。あぁ、素敵なお話。おばさんありがとうございますっ!」



はいはい、そーですか、と言ってルア君は拗ねた。



わたしは運命なんて考えたこともなかった。いや、運命で結ばれてるっていう決め台詞を使ったことはあったけれど、自分自身では信じたことはない。好きな人を振り向かせる最終的な方法は努力でしかないと思っていたから、運命なんて言葉で片付けられるのは好きではなかった。



でも、よく考えれば、人を好きになる感情自体に運命が紐付けられているとしたら……。人と人の縁に近い考え方で、神社の縁結び的な発想かもしれない。なんて思った。

運命で繋がっているなんて第三者から言われば、やっぱり嬉しいじゃない?



「おばちゃんさ、蓮根音羽の話をしたらしいじゃん?」

「あぁ。蓮根音羽ちゃんね」

「その蓮根音羽って子……心当たりがないんだけど?」

「えぇ!? あの音羽ちゃんだよ? やっぱり病気の後遺症があるんだね?」

「いや。僕だけじゃなくて……ハルもまったく覚えてないんだよ」

「間違いなく、あんたらと同じ年だよ。蓮根さんトコの子だろ? 間違いないよ?」

「……おばさん、わたしも覚えていないんです。あれから気になっちゃって」

「嘘でしょう? だって……海に落ちたのは鏡見君、あんたもだよ?」

「……は? あれ……そんなこと……あった……?」

「あと……確か……早月さんとこの子と鈴木さんだったかな。とにかく4人海に落ちたんだ」

「鈴木さん……って下の名前は分かりますか?」

「うーん……なんだったかな。そこまでは覚えていないわね。それで、蓮根音羽ちゃんを覚えていないっていうのは……どういうことなの?」



ルア君はスプーンを持ったまま固まって考えはじめた。一緒に落ちたのが早月蒼空ちゃんと鈴木……鈴木はもしかしてわたしのこと? でも、そんな記憶ないよ。

もし、わたしも海に落ちたとして、蓮根音羽ちゃんのことを覚えていないのはすごく違和感がある。



「蒼空に訊いてみよう。蒼空なら覚えているかも」

「でも、連絡取れないんでしょ?」

「あれは事故だから。誰が悪いわけでもないよ。調べてもどうにかなるわけではないだろう? きっと、ショックで忘れてるんだ。今さらそんなことやめておきな」

「なんかすごく引っかかってるんだ。だから、蒼空に訊くだけ訊いてみよう」



おばさんにお礼を言って(今回はちゃんとお金を支払って)、店を後にした。



ルア君に断って、中華料理屋さんのとなりの公園に立ち寄った。この前はこの社の前で気を失ったんだった。それだけならわたしがなんらかの理由で(たとえば貧血とか)倒れて夢を見ていた可能性もあるけど、ルア君の脳腫瘍が小さくなったのだから因果関係は間違いなくあると思う。



「ルア君、わたしね、ここの小さい神社にお願いしたの」

「……うん」

「ルア君の病気が治りますようにって。だから、お礼をしなくちゃいけないなって」

「そうだったんだ。分かった。僕もちゃんとお礼を言うね」

「うん」



お賽銭箱に10円玉と5円玉をあわせて入れて、この前と同じように手を合わせた。けれど、セピア色の景色に変わることもなければ、古びた町に変わることもない。予想通りなにも起こらなくて拍子抜けした。横を見るとルア君はまだ手を合わせてお礼をしているようだった。



『運命に抗わないこと。あなたの代償を支払わなければ、またあなたの最愛の方の命は危険に晒されます。ゆめゆめ忘れないでください』

「あなたは誰なんですかッ!」

「ハル……?」

「たしかに……ルア君を助けてくれたことは感謝します……けど」



いや。望んだのは自分なんだから、文句を言うのは筋違いっていうものだ。神様はルア君を救ってくれたんだから、今さら代償に文句を言うのは違う。



『ふふふ……言っていませんでしたが、あなた方3人の代償を合わせると……1人しか生き残れませんね。のは誰なのか。ふふふ……あはははははは!!!』

「え……どういうことですかッ!?」

「誰かいる? ハル?」

「神様……じゃない……誰なの?」



『誰でもない誰か、とでも言っておこう。妾が名乗ったところで認識もできなければ名を聞くこともままならぬ。汝、跪け。あの娘が生を永らえるよう請うた時から汝らの命は我が手の内。絶望せよ。そして跪き、さらに乞うのだ』



誰でもない誰か、の美しくさえずるような女性の声が不気味な男の声に変わっていく。なんんなの。誰なの。やめて。怖い。怖いよ。



あまりの恐ろしさにわたしは膝を付き、動けなくなった。



「ハルいったいどうしたの? 大丈夫?」

「ルア君助けて。怖いよ。怖い。どうしよう、わたし……」

「ハルなにがあった? 話してくれないと分からないって」



本当に神様なの?

神様って……そんなに無慈悲なの。絶望をしてすがるものが神様しかいないのに、代償を求めるの? たとえそれが試練だとしても、命を取るのが神様のすることなの?

乗り越えることが不可能な試練を与えるのが神様なの……?



よく分からないけど、わたし達を苦しめて喜んでいるように見える。



抗う術がないわたしは……従うしかないの?

たしかにルア君を助けてくれたことに感謝はするけど、その代償はまるで——その愛を天秤にかけているようで……踊らされているようで。



「イヤだッ!! わたしは死にたくないッ!!」

「ハル!?」



ごめん。ルア君にすべてを話すわけにはいかない。ルア君は『誰でもない誰か』の声が聞こえていないんだと思う。訳のわからないわたしの行動を見ておかしくなったと思ったのかもしれない。ルア君はひざをついて、うずくまるわたしを思いっきり抱きしめた。



「ハル……よく分かんないけど、ハルは僕が守るから。だから、話してくれないかな? ハルがどんなんでも、僕はハルを受け入れるから」

「ルア君……わたし」



死んじゃうなんて言えないよ。



『お前ノ御饌みけをモッとよコせ。お前のヨウな穢れナき心の者ノ魂は美味なリ』



目を開くと真っ赤な空とセピア色に染まる、あの町だった。恐ろしく不気味な光景がただただ広がっている。あのときと同じだ。風が吹いて雪が舞っている。神社だと思っていた建物は朽ちていて、屋根は傾いている。ところどころすすけていて、細くよじれた針金のような煙が空へと昇っていく。



よく見ると町のあちこちが燃えていて、煙が上がっていた。



『考えが変わりました。やはり、ここでどちらかの命をいただきましょう。あなたに選ばせてあげます。あなたか或いは彼か。選びなさい』



「え? ルア君……ッ!?」



朽ちた神社の境内けいだいにルア君が横たわっていて、わたしは慌てて駆け寄った。ルア君は……死んでいない。息をしている。良かった。



「どっちもイヤ。わたし達を元の場所に返して」

『それはできません。ほら、選びなさい』



ルア君の命を救ってもらったときもそうだった。この『誰でもない誰か』は同意がなければなにもできないんだ。つまり、困窮している人間に甘い声でささやき、同意を得てから代償という名前の御饌とやらを受け取っているんじゃないのかな。



つまり、同意や選択をしなければなにもできない。もし、この予想が当たっているとしたら、うまく誘導して助かるかもしれない。



「ならわたしから提案をするわよ」

『あなたに発言する権利などあるはず——』

「いえ。この状況下ではわたしは死ぬことはないし、ルア君の病気が再発したとしても時が動いていないこの場所では命の取りようがない。違う?」

『……ふふふ。あはははははッ!! この妾に申すというのか。面白い。言ってみよ』

「わたしとルア君を元の世界に戻しなさい。それと、わたしの命を取らないって約束してほしい」

『汝は思い違いをしておる。一度同意した代償を取り消すことはできない。汝は間違いなく死ぬ。これは変えられない』

「なら、わたしはここから一歩も動かない」

『それも思い違いをしておる。動かなくてもよいぞ』



周囲の景色が突然歪んで、渦を巻いていく。息ができない。苦しい。意識が遠のいていく。



『汝、命を捧げよ。さもなければこの男は完全に消滅する。どの世界からも抹消されて、誰からも認識されなくなるのだ。の者を愛し、愛されて命を捧げよ。さすれば、彼の者の命は救われよう』



わたしが……死の運命から逃れたら、ルア君はみんなから忘れられちゃうってこと……?

わたしも忘れちゃうってこと……?

そんなの絶対にイヤだ。ルア君がいなくなって、しかもそれを忘れちゃうくらいなら……死んだほうがマシだッ!!




『さあ、代償を支払うときだ』





ふと気づくと、桜が咲いていた。




なんで……なんであの桜まつりに?

わたしは時を超えた……?




そんな馬鹿なこと……あるはず……。





わたしは愕然としてしばらく桜の木の下から動けなかった。







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近況に少し解説も書いていますのでチェックしてみてください。

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