#22C わたしは見返す。アイドルとなって絶対に(前編)
浮気現場を目撃してしまった。
春亜くんと蒼空ちゃんは絶対に付き合っている。だって、あんなに仲良さそうに話していたんだから間違いないよ。
引っ越し業者さんに荷物を入れてもらい片付けを終えて、外に出たらなんだかにぎやかなんだもん。そしたらさ、お祭りしているじゃない。顔を隠してこっそり行ってみたら意外とバレない。やったぁ。春亜くんと会えるかも? なんて期待して会場に行くと……ちょうどスタジオスパーブのステージの時間帯だっていうじゃないの。
ルア君って呼んでいいかな。あの頃は楽しかったなぁ。
思い出すのは少し陰鬱だった中学生の頃の痛みと甘酸っぱい記憶。小学生の時のルア君は大勢の中の友達の一人だったけど、なぜか薄っすらとしか覚えていない。仲が良かったはずなのに、あまり記憶がないの。けれど中学生の頃は席がとなりだったこともあってよく覚えている。
*
中学生の頃、たまたま一学期にホームルーム委員になってしまい、学園祭のアンケート集計に戸惑い放課後帰れないでいた。わたしのとなりで偶然にも居残っていたルア君が「ハル、大変だろ」って声をかけてくれたのがはじまりだった。
「え、い、いいよ……ルア君に手伝ってもらったなんて知られたら大変だもん」
「? なにが? だってこのアンケート誰一人まともに書いてないじゃん。これを集計しろっていうのがおかしい話だし」
もし蒼空ちゃんにでも見られたら大変っていう思いが一番強かったのを覚えている。蒼空ちゃんはスタイルがよくてオシャレで、学校一カワイイってみんな言っていた。そして、横のつながりが強くカースト最上位に君臨する女神で、その女神の一番のお気に入りが鏡見春亜くんだもん。わたしがルア君と二人きりで話していたなんてバレたらどうなるか分からない。
「大丈夫だから……」
「ハルさ、疲れない?」
「えっ?」
「いつもみんなに気を使って、HR委員だって押し付けられて引き受けたくらいにして。みんなやりたくないんだと思うよ?」
「わたしは……そういう役回りだから。大丈夫だよ」
「本人がいいっていうなら仕方ないけど。ま、どのみち僕は手伝うよ」
「なんで……。だから大丈夫って、」
「この前、数学のノート抜けてたところ貸してもらったじゃん。貸し借りはこれで帳消しってことで」
「……別にわたしは」
「っていうことだから、はやくやっちゃおうぜ」
机を移動させて並べて、アンケート用紙を振り分けていく。ルア君は手際が良くて、まともにアンケートを書いていない生徒(男子も女子も)にメッセージを送りまくって、回答を得て書き込んでくれた。これは、わたしには絶対に真似できないことだ。
「ふぅ~~終わった。よし、ハル、なにか食って帰ろ!」
「え……わ、わた、わたしと?」
「だって、もうこんな時間だし。お腹すかない?」
「ま、まだ5時だし、おうちに帰って……」
家に帰ってもどうせ一人で、母親はろくに夕飯を作らずにスマホばかりだし、父親は外食をして帰ってくるのは深夜だ。両親は顔を合わせれば喧嘩ばかりで、家に帰っても自炊するしかないわたしにとって、ルア君の誘いは魅力的だった。でも。
「それに、ルア君と一緒のところ誰かに見られたら……」
「あー……ハルにとっては……迷惑だよな、ごめん。僕そういうのよく分かんなくて」
「えっ? ち、違うよ? わたしは、迷惑とかじゃなくて。その……ルア君はわたしみたいなのと歩いていたら……イヤじゃないのかなぁ~って」
「なんで? ハルと歩いていて? あぁ、僕は彼女とかいないし気にしなくていいよ? それよりも、確認していなかった。先に確認すべきだよね」
「へ? な、なに?」
ルア君は机に肘をつけて前のめりになってわたしに少しだけ顔を近づけてきた。近い、近いって。ドキドキしちゃう。あのルア君がわたしの半径50センチ以内に入っているんだもん。緊張しちゃうよ。
「ハルって彼氏いる?」
「いるわけ……ないよっ! 見たら分かるでしょ」
「分かんない。ハルってメガネ掛けてるから目が小さく見えるだけでさ。それと長すぎる前髪。ちょっとメガネ外してみ?」
「え……ヤダよ。見えなくなっちゃうじゃん」
「いいからいいから」
ルア君はわたしのメガネのフレームを両指でつまんで外した。それで「ごめん」って言って前髪を上げてしばらくじーっと見ている。いったいなに……?
「ハルって……やっぱり……メガネないほうがいいんじゃない?」
「そ、そうなの……?」
「うん。あと髪切りに行ったら?」
お小遣いがほしい、なんてお母さんには言えなかった。お父さんとは時間が合わなくて話すらできない状態だから難しい。だから美容室なんて行けない。伸びっぱなしの髪の毛は長いとあまり気にならなくなるのだから不思議。ボサボサなのはいただけないから、一応毎日
わたしはルア君からメガネを取り返して、前髪を手ぐしで直して顔を伏せた。そうでもしないとルア君を直視できなかった。距離が近すぎて。
「うん……今度ね」
「で、なんの話だっけ……?」
「ご飯を食べるとかなんとか」
「ああ、そうそう。お互いにいないんだからいいじゃん」
「でも……ルア君には蒼空ちゃんがいるし」
「え? 蒼空? 蒼空がなにか関係ある?」
「……いや」
ルア君本人は蒼空ちゃんのことをまったく気にしていないのが痛いというか。蒼空ちゃんがルア君に猛アプローチしているのを周りは知っているのに、当の本人はまったくその気持ちを受け止めようとしていない。気づかないのは鈍感なのかなぁ。いや、そういうレベルじゃないと思うよ。なんだか神がかっているような、絶妙なタイミングで蒼空ちゃんは間が悪いし、ルア君はルア君で蒼空ちゃんをかわしちゃうの。
この前なんて、給食が出ない日にルア君がお弁当持ってくるの忘れちゃって、蒼空ちゃんがそれに気づいて、自分のお弁当を分けてあげようってルア君の席に持っていったら……。ルア君が突然体調不良(熱発)で保健室に行って早退して、学園ラブコメ展開にはならなかったのよね。そういうのがずっと続いていて、蒼空ちゃんが気の毒。
いや、熱発したルア君も気の毒ではあるけどさ。
「実はさ、毎日一人で夕飯食べているから寂しいんだよね」
「えっ?」
「いやさ、ハルに言うのもどうかと思うんだけど、僕って今の家族と血がつながっていなくて」
「え……?」
なんかここに来て重い話題を語りはじめた……。ルア君のそんな話聞いたことないし、たかがとなりの席のわたしに聞かせる話なの?
「小さい頃、両親が死んじゃったからさ。おばさんの家に引き取られて。あんまりよく思われていないのかな。一応、資産相続はしたから夕飯食べるくらいの金はあるけどさ。なんていうかそもそも母親とおばさんの折り合いが悪かったみたいで」
「そうだったんだ……知らなかった。ルア君って明るいからそういうのとは無関係だって思ってた……」
「ごめん。だから時間大丈夫なら付き合ってほしいなって。奢るから」
わたしと同じで家庭に問題がある……。そうか、屈託のない笑顔の裏で、悩みを抱えていたんだ。知らなかったよ。それなのにわたしは自分のことばかりで。自分は不幸だとか、自分は両親のせいでなにもできない、とか。
陰険だ。わたしは陰険すぎる。それじゃ……ダメだ。
ルア君のようにならなきゃ。
「うん。じゃあ、どこに行こう?」
となりの席になって話すようになってから、ルア君は優しい人なんだなって思っていたけど、話しているとそれだけじゃなくて、不屈というか芯の強い人なんだって思っていた。今の話でなんとなく思ったのは、不幸を知っているからこそ他人を傷つけるようなことをしない人だと思う。痛みを知っているのかな。子どもながらに、そんな気がした。
自分が不幸だからって他人を攻撃していい理由にはならない。それは当たり前だけどみんながみんなそれを理解しているわけじゃない。わたしの両親がその典型で、自分が不幸なのは浮気をした夫のせいだと母は毎日のように父に強く当たっている。母や父がご飯を用意したことはここ1年で2、3回しかない。あとはすべてわたしが作っている。
浮気をした父が絶対的に悪いんだけど……。自分はこんなにも不幸だから、っていうのが母の口癖。そのケンカを目の前でずっと見せられて、小学生の頃から育児放棄されているわたしはいったいなんなのって思うけど、それを口にすると母はまた機嫌が悪くなるからあまり言えない。言える雰囲気じゃない。
あんたはあの人のやってきたことが分からないの? 母親の苦労を知らないなんて親不孝ね。
もううんざりだった。
ルア君……鏡見春亜くんは違う。自分の境遇によって痛みを知っているからこそ、他人に優しくできる。
実は、お祭りで彼のステージを何回か見たことがあった。素人のわたしが見ても分かるダンスは努力の結晶で、わたしのような気弱では決して手に入らない、芯の強さを持つ彼だからこその実力だと思う。
蒼空ちゃんがルア君を好きなのがよく分かる……いいな。羨ましいな。
わたしも生まれ変わったら蒼空ちゃんのようになりたいな。好きな人に堂々と好きって言える性格と、最強の武器である『幼なじみ』という関係性。
こんな人と付き合えたら、わたしは何も望まないよ。
今日も優しかったなぁ。ありがとう、ルア君。
「ファミレスが一番だよね」
「うん、いいけど……目立たない? ルア君って意外と目立つと思うよ?」
「そう? なら……駅ナカまで行く?」
「いやぁ……もっと目立ちそう」
中学生二人でファミレスもなかなか大変そう。補導されてもイヤだし。
「なら、行きつけのお店あるから」
「……うん」
学区内だけど下草は学校から少し離れていて、あまりうちの生徒はいない……と思う。ルア君のお家はこのあたりらしいけど、それは詳しく聞かなかった。
連れてきてくれたのは中華料理の食堂で、ご主人とルア君は知り合いみたいで、わたしにもすごく良くしてくれた。チャーハンを大盛りにしてくれて(絶対に食べきれない)、「彼女連れてきたのか?」ってからかわれて、ルア君は全力で否定していた。お店でルア君と色々なお話をしたけれど、わたしは自分の家庭環境の話は口にしなかった。ルア君の性格だとわたしを本気で心配してくれるだろうし、そうなると……なんだかもっと親密になっちゃう気がして……少しだけ怖かった。
だって、ルア君と仲良くなっちゃったら……絶対に蒼空ちゃんに睨まれるし、第一気が引けるよ。それにさ……蒼空ちゃんが可哀そうじゃない?
「気をつけて帰れよ。それと春亜」
「うん? おっちゃんなに?」
「お姫さまはちゃんと守れよ。かわいい子は危ないからな」
「なんの話? 大丈夫だって」
「チューボーには分かんねえだろうけど、世の中あぶねえんだよ」
「はいはい。ちゃんと送るって」
「え? いいよ。一人で帰れるし」
でも、ルア君はわたしを家の前まで送ると言ってきかなかった。
「ハル……今日みたいに困ったことあったら言ってな?」
「大丈夫だよ……わたし、そんなに困ることあんまりないから」
「そっか。ならいいけど。あと夕飯付き合ってもらっちゃったけど、大丈夫? 親に怒られない? なんだか強引だったよね。ごめん」
「大丈夫だよ。謝らないで。わたしもちょうど今日はご飯一人だったから」
「うそつけーっ! そんな偶然あるかって」
「あるし」
「ないし」
「あるったらあるの。だから……」
「? ハル?」
「寂しいときは言って? 蒼空ちゃんに怒られちゃうかもだけど。わたし、夕飯はいつでも付き合えるから」
「蒼空か……蒼空はさ、彼氏いるんじゃないかって思うから」
「えっ!?」
蒼空ちゃんに彼氏がいるなんてこと……絶対にない。蒼空ちゃんはルア君のことしか見えていない。ただ、他の男子が言い寄ってくるだけで、ルア君以外の人と付き合っているわけ……。
そういえば……確かに一度だけ蒼空ちゃんがとなりのクラスの男子と仲良さそうに歩いているところを見たことがあった。そのときは、男子のほうがしつこく迫っているんだと思っていたけど……もしかして違う?
まさか。そんな。蒼空ちゃんはルア君のことが大好きなはず。疑っちゃダメ。可哀そう。
「分からないけど、いないんじゃないかな?」
「……どっちにしても、僕じゃ釣り合わないじゃん?」
「そんなこと……ッ!」
そんなことない。ルア君はすごく優しくて、がんばり屋さんで、わたしみたいなミジンコにも相手をしてくれて。蒼空ちゃんと釣り合わないなんて、まったくないよ。そう口に出して言いたかったけど、言える勇気がなかった。
だって、となりの席になったときから……ルア君のこと考えると顔が火照ってくるし。もしこの感情がルア君にバレたらイヤだもん。それに、ルア君のことは絶対に好きになっちゃいけない……これは絶対だ。絶対によ? ハルネ分かっているよね? 自分にそう言い聞かせている。
でも……わたしは蒼空ちゃんには悪いと思いつつ、またルア君とこうして二人でお話できるならしたいって思っていた。本当に悪い子でごめんなさい……蒼空ちゃん。
「また付き合ってくれる?」
「……うん。あ、でも、みんなには」
「内緒にしておく。僕とハルの秘密ってことで」
「うん……ありがとう」
「こっちこそ付き合ってくれてありがとうな」
「ル、ルア君」
「ん?」
「あ、あの……ありがとう。ごちそうさまでした」
「いや、いいって。じゃあ、また明日」
「うん、明日」
家まで送ってくれたルア君を玄関で見送って、わたしは深呼吸をしてから玄関のドアを開いた。まだ胸がドキドキする。少しだけ息苦しい。顔が熱い。小学生の頃から知っているはずなのに、なんでとなりの席になって少し話したくらいで……こんな。
わたし、ルア君のことを……。
蒼空ちゃん、わたし悪い子だよね。
蒼空ちゃんの気持ちを知っているのに。ごめんね。
ごめんなさい。
翌日、登校すると……昇降口で学校中の生徒がわたしを見て笑っていた。
その視線がまるで刺さるように痛くて。今すぐ引き換えして家に帰りたかった。
ヒソヒソ話が聞こえてきた。
「あいつだよ。鈴木陽音。蒼空ちゃんを敵に回してタダで済むと思ってんの」
「きっしょ」
「っていうか、誰あいつ?」
「1年2組のメガネだよ。なんだっけ、えーっと。ほら蒼空が言ってたやつ」
「あぁ。ウジメガネ?」
「そう、それ」
わたしは……どうしたらいいの?
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