#21B ハルとデートの日。



鏡に映ったのは紛れもなくハルだった。どこかの水の中……おそらく海だ。海で溺れて沈んでいるんだ。衣服を着たまま水に入ることなんて……あるか?

たちの悪い冗談だと思いたい。



「……この鏡やっぱりなんかおかしいよ」

「なあ、ハルに一つ聞きたいことがあるんだ」

「わたしに?」

「うん。ハルはなんで僕が時を渡ったことを知っていた? 僕の家に訪ねてきたときに、わたしも時を渡ってきた、みたいな言い方したよね?」

「あ……ほんとうだ。あのときはなんで……。記憶がなくなっちゃってあんまり覚えていないんだけど、多分……そう思い込んでいたんだと思う」

「そのハルがこの鏡を持っていたってことは、やっぱり前の世界でなにかあったって考えるのが自然じゃない?」



そして、僕が時——世界線を渡ったことをハルに話したということになる。極力、人前でそういう話をするのは避けたいと思っていた。現に今もそう思う。言うことによって、なにかとんでないことが起きそうな気がしているからだ。昔、映画でそういうのをみたことがある。



ため息をつきながら、ハルは曇ってなにも映らなくなった鏡を持ち上げた。隅々まで調べていると「あっ」となにかに気づいたように声を出す。なにか見つけたのかッ!?



「こんなことしてる場合じゃないよっ! 時間もったいないじゃん。服買いに行かなきゃ。鏡調べて一日終わっちゃったら。今日こそ裸のお付き合いだからね?」

「それは……まずいね」



鏡をタオルに包んで、とりあえずバッグにしまい込んだ。少し気味が悪いから視界に入れたくない。まして、ハルを勝手に溺れさせるなと鏡に苦情を言いたいくらいだ。




今日は電車に乗って水戸まで出かけようって話になった。高花駅に向かうのにあえて裏路地を通っていく。大通りを通っていくと人目について、僕が盛大に独り言を話しているように見えるのが嫌だというハルの意向を尊重したのだ。



高花駅の南口に通じる裏路地は旧道で昔は栄えていたらしいけど、今はそんな面影はない。飲み屋さんが多くて、中にはプレハブのスナックとかがあって独特の雰囲気だ。



「こういう雰囲気結構好きかも。苔が生えているお店とかなんかいいよね〜〜」

「……そうなの? 汚いだけじゃん」

「あ、このラーメン屋さんとか絶対おいしいよ」

「え。まだ営業してるとか……僕……一応地元民なのにはじめて知った」

「昔……ルア君に連れて行ってもらった中華屋さんもこんな雰囲気だったなぁ」

「あぁ、そういえば行ったよね。中学の頃か。おじさん亡くなっちゃって店なくなっちゃったけど」

「そうだったんだ……こっち帰ってきたら絶対に行きたいって思ってたのになぁ」

「ハルと二人で出かけたのって、あれの一回きりだったよね。本当に懐かしいなぁ」

「わたしね、アイドルになろうって思ったの、あれがきっかけだったんだ」

「そうなの?」



そんな話したっけ?

うろ覚えだけどアイドルの話なんてしなかったような?



「うん。それで転校するとき特急の中で、ぜってぇ有名になってルア君を迎えにいくぜ、って泣きながら意気込んでいたからさ」」



ハルはけらけらと笑って、中学の頃の僕たちの思い出を語りはじめた。そこまでハルと遊んだ印象はないけれど、転校するって聞いたときは発つ電車の時間が分からなくて、始発から改札前で待っていた。やっぱり友達が離れてしまうのは寂しいと思っていたから。



そんな話をしながら歩いていると鳥居が見えてきた。神社があることは知っていたけど、通りかかったのは何年ぶりだろう。年嶽神社としたけじんじゃと書かれた鳥居は木造で朱塗りされていない。



「うわぁ。神秘的。薄暗いけど木漏れ日がキレイ」

「パワースポット的な?」

「うん……えっとぉ……としごく神社……?」

「としたけ、ね」

「あれ、この紋……どこかで見たことあるよ?」

「え? これ?」



鳥居の柱に紋が彫られていて、ハルはジーっとそれを見ている。神紋っていうんだと思う。家紋的な紋章で、神社でよく見られる丸い紋のことだ。



「うーん、思い出せない。ま、いっか」



電車に乗って水戸に行き、アウトドアのお店に行きたいというハルの要望に応えてタクシーで向かうことに。お店は駅から少し離れた場所にあって、このあたりでは割と有名なショップだ。本格的な登山グッズからキャンプ用品、それに衣服も多く取り揃えてあり、幅広い商品展開だからこそいろいろなお客さんがいて混み合っている。



ハルはアウトドアのTシャツとパンツが欲しいらしく、しばらく棚を眺めている。



「こんなに静かに買い物したのって、中学生以来かも」

「あぁ、そうだよね。こんなところに夢咲陽音が現れたらみんな驚くもんね」

「うん。いつもマネージャーさんにお願いして買ってきてもらうか……あとは忍者みたいに目立たないようにしてササッと買うとかだから、落ち着いて選ぶこともできなくてさ」



ハルはTシャツを一枚取って、「どう? これ似合う?」と訊いてきた。サイズ的にはSなんだろうけどハルはあえてLサイズを選んだ。ビックシルエット的に着たいんだろうな。と想像する。



「このシャツならルア君とシェアできそうじゃん?」



全然ビックシルエットじゃないじゃん。っていうかTシャツってシェアするもんなの……。まったく理解できないし、なんだよその理由ってツッコミを入れたい。

っていうか、女子ってあえてメンズのTシャツを買うのが主流なの?



「えっと……意味わかんないけど」

「彼氏の大きめの服を着る恋人に憧れてたんだぁ〜〜〜〜」

「……普通に自分のサイズの買って?」

「じゃあさ、ルア君お揃いの買お? うん、それがいいよ」

「恥ずかしいって。それと僕はハルの恋人じゃないからね?」

「ちっちっちっ! ルア君勘違いしてないかい? たとえわたしとTシャツペアだとしても、誰も認識しないからわたし達だけの秘密は守られるのだよ」

「確かに……!!」



ってなんか論点がズレていないか?

合理的かどうかはさておいて、ハルは僕の肩にTシャツを合わせてサイズを確認し、自分の欲しい柄のTシャツをサイズ違いで2枚ずつカゴに入れていく。さすが100万円も持っているとなると豪快に買い物をしていくなぁ、って感心している場合じゃない。



「僕の分はいいって。服は十分あるから」

「わたしと一緒の服はイヤなの……?」

「嫌とかそういうのじゃなくてさ……もったいないじゃん」

「……じゃあいい。パタゴリラの服はちょっと高いから戻す……ノースファイスだけにする」

「十分高いって……Tシャツに6千円は……」

「100万円もあるのに? 100枚買ってもまだおつりくるのに……」

「その思考回路がまったく理解不能だって。どういうこと?」

「いいもん。どうせルア君はわたしとおそろいはイヤなんでしょ。わたしはただ、少しでもルア君と楽しく毎日を送りたいだけなのに」

「拗ねないの」

「拗ねてない」

「拗ねてるじゃん」

「拗ねてない。ただ、ルア君がわたしと恋人ごっこするのがイヤみたいだから悲しいだけだもん」

「……恋人ごっこってどこかで聞いたな。いや、それよりもTシャツだけじゃなくて買うものいっぱいあるんだから」



結局、Tシャツを僕の分と合わせて20枚もカゴに入れて……他にジョガーパンツとハーフパンツ、レギンスも何枚か購入した(僕がセルフレジで買ったんだけどね)。

買い忘れたって、さらにロングとミニのスカートを合わせて4着も追加購入したわけで。大丈夫なのか、これは。お金ちゃんと計算しているよね!?



次に向かったのは……駅ビル隣の総合百貨店の中にある下着屋……だった。とにかく僕は店の前で待っていると伝えたけど……。



「ルア君、ちょっと来てっ!」

「無理だって……」

「いいからいいから」



強引に店に引きずり込まれて上下セットの下着を手にしたハルは、自分の身体に合わせてみせた。真紅の色合いは確かに悩殺的だけどハルのイメージではないような……。っていうかなんか透けてない? いや透けてるよね? 下着の意味まったくないよね? なんなの?



夢咲陽音の写真集の水着姿を思い浮かべてしまった。でも、もしかしたらそのギャップがいいっていう場合もあるかもしれん……。うーん。



「じー……エロい妄想してたでしょ」

「し、してない」

「これは似合わないよね、って訊こうって思ったんだけど、ルア君の反応見たらさ」

「……な、なに?」

「わたしにこれ着せたいんでしょ? ルア君の頼みなら仕方ないねっ! 購入けてーい、 いえーいっ!」

「ば、ばか、なに言ってんの……なんで僕が……。そんなの希望するわけ」

「あ、じゃあ、このTバッ——」

「ぜったいダメ。それだけはダメ。ハルのことだから買ったその日に僕に見せようとするじゃんか」

「うん。大当たりだよ。君は鋭いね。よっ名探偵」



したくないのに、ハルの下着姿を妄想してしまうばかりか、実際にこれから付けるであろう下着をカゴに入れている姿を見ると……自分が変態なのだと自覚したのであります。こればかりはどうしようもありません。切腹して詫びを入れます……。



「はい、ルア君お願い」

「!?!?!? なんで……?」

「だって、わたし認識されないから買えないじゃん」

「ふぁっ!? ぼ、ぼ、僕が買うの……な、な、なんで、む、無理」

「ほら、がんばって。ちゃんと背中押してあげるから。勇気だして!」

「…………マジで無理」

「じゃあいい。毎日なにもつけないで裸にTシャツで寝ろっていうんだね? わかったよ。君の言うとおりにするよ。ついでに、外出は誰も見ていないことをいいことに、わたしを生まれたままの姿で歩かせるつもりなのね……ふっ、どうせ、わたしは君の奴隷さ……好きにするがいい」

「な、なんという妄想力……ぼ、僕はそれでも……」

「いっぱいイジメてくださいね……ご主人さま……ハルネはルア様の物です……」

「あああああああああもうッ!! 分かった」



レジに持っていくと店員さんに不審に思われながらも(だって店員さんが犯罪者を見るような目をしてたよ?)、なんとか買えた……苦難を乗り越えて、マジで全米が泣いた。

いや……よく考えたら、はたから見たら女性物の下着ショップで独り言を言っている男がいたら通報案件であって、こうして無事に店から出られたこと自体奇跡だ。



ちなみにハルはとなりで僕の顔を見ながら「がんばれ青年」とかなんとか言って笑っていた。でも買ったあと「よくがんばりました〜」って背伸びして頭を撫でてくれた。ハルって優しい。



って、優しくないからッ! 全部小悪魔ハルの策略じゃないかっ!!

諜報機関も真っ青な精神的拷問じゃないかっ!!



次にドラッグストアでメイク道具やら消耗品を購入して帰宅することに。



家に帰ったのは結局午後8時過ぎで、あたりは暗くなっていた。アパートに帰って暗い部屋をハルは颯爽と歩いていく。暗いんだからもっと慎重に、と言おうと思った矢先、ハルは何かにつまずいて「痛ッ!」と泣きそうな声を上げた。だから言ったのに。



「なにこれ〜〜〜もう~~~小指強打しちゃったじゃん」

「そんなつまずくものなんて……あ」



部屋の電気を点けて確認すると、ハルがつまずいたのはボストンバッグに入れておいた鏡だった。床になんて置いたかな? たしかテーブルの上だったはず……?

ハルは涙目になりながらタオルに包まれていた鏡を取り出し、テーブルの上に置いた。



「ここのでっぱりが痛かったの。この鏡め! あれ」

「どうした?」

「この紋章……神紋だよ。えっと、昼間見た……年嶽神社の神紋と同じだと思う」

「え?」



ネットで検索するとハルの言うとおり、間違いなく年嶽神社の神紋が鏡の上部に刻まれていた。





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