#18A 僕はここにいる。ハル気づいて/蒼空の約束の時



ふと目を覚ますと隣にハルがいた。だけど、なんだか様子が変だ。ベッドも違うし、天井の高さも違う。インテリアもすっきりしていて、部屋がやけに広い。良い匂いがする。

この場所に見覚えがあるぞ。これは……間違いなくハルの部屋だ。



「ハル?」

「……もう……こんな時間……起きないと」



僕のほうを向かずに気だるそうにベッドから立ち上がって服を脱ぎ始めた。いや、待て待て。いくら僕に気を許しているからといって、目の前で着替えするのはどうなの?

生着替えを見るわけにもいかず、僕は慌てて部屋を飛び出してダイニングチェアーに座った。なんだか頭がぼーっとする。昨晩のこともあまり覚えていない。僕はなんでハルの部屋にいるんだろう?



着替えたハルがリビングに入ってきたけど、なぜか顔は暗いまま。いつもの明るいハルはどこにもおらず、まるで周囲の空気が淀み沈んでいるようだった。僕の向かい側に座って、ハルは髪をかきあげながら俯き、突然泣き出した——え、なんで?

僕、なにか悪いことした? ハルを傷つけるようなことした?



あれ……もしかしてハルの言葉を真に受けて、触ったり、キスしたり……しちゃった?

でも、それは随分前のことのような気がするし。そもそもなんで僕はハルの家にいるんだ……?



「ハル、どうした?」

「……ルア君……会いたいよぉ。会いたい。どうしたらいい? 心がグチャグチャだよ」

「あのぉ……」



目の前にいるんですけど?

っていうか、全然視界に入っていない?



えっと……僕はなにをしていたんだっけ。確か、東京に行くから会いたいってハルに言われたところまでは覚えている。けれど、その先の記憶があんまりない。スマホを持っていないから、スケジュールアプリを見ることもできないじゃん。どこかで落としたのかな。まいったな。



それとなんだか暑くないか。まだ5月(もうすぐ6月だけど)なのにこの暑さは異常気象もいいところだ。30度超えしていない?

時計の針は正午を回ったところで、日付は……は?



8月10日!?



また飛んだ!?

でも、今回は死んでいない……いや、待て。死んだのかもしれない。記憶がないということはどこかで死んで、その脳内データが吹き飛んだ?

気持ち悪ッ!!



それに僕のことをここまで無視するなんて、ハルにしては珍しいと思う。いくら僕がなにかをやらかしたとしても、よほどのことじゃなければ笑って許してくれそうな気がするし……それとも取り返しのつかないことをしてしまったのか。やっぱり無意識のうちに……寝込みを襲ったとか?



それにしても外が騒がしいな。いったい……。



カーテンの隙間から外を覗くと……とんでもない数の人で溢れかえっていた。カメラやマイクを持つ人達がアリのように群がっていて道を塞いでいる。いくら田舎だからといって、これはあまりにも迷惑……え? ワイドショー?



マスコミ!?



「ハル? おい、ハル!?」

「…………」



ダメだ。なんの反応もない。この状況下ではハルも身動きが取れないだろうし、どうやって生活していくつもりだ?

ちょっとテレビを点けてみるか。マスコミがなにを狙っているのか分かるかもしれない。



リモコンでテレビの電源を入れるとワイドショーが流れて、夢咲陽音のことを取り上げていた。



……K氏(鏡見春亜で鏡見のKか?)の死亡との関連について。K氏は夢咲陽音さんの身代わりとなって死亡した……つまり恋人だったのではないでしょうか? 夢咲さんが記者会見を開かない限り続きますよぉ〜〜これは。でも、傷心中でしょうし、無理強いはできませんよね?

いやいや。やっぱり人気絶頂のアイドルですから、そこは責任があると思うんですよね。

殺される一ヶ月前にSNSに投稿された動画との因果関係だってあるわけですし、こういっちゃなんですけど……夢咲さんの不注意が原因でしょ?



一旦CMです。



そして、ご覧のスポンサーの提供でお送りしますの背景は僕のダンスをしている動画が流れて……え?

僕は……ハルの身代わりとなって死んだ?



それに好き勝手言いやがって。ハルの気持ちを考えろよ。ハルは……こんなに落ち込んでいるっていうのに。



「な、なんで突然……テレビ……ついたの?」

「ハル、僕だ、僕がっ!」



リモコンを手にしてハルはテレビの電源を落とした。ハルは僕を認識していないんだ。理由がやっと分かった。僕は死んでいてこの世に存在していない。だから、ハルから認識されないし、おそらく他の誰からも認識されない……つまり僕は幽霊になってしまって、この先ずっと孤独だ。目の前にハルがいるのに言葉を交わすこともできないなんて……。これは考えただけでも想像を絶する地獄だ。



ハルは少し痩せてしまったようだった。この環境を見るかぎり当然といえば当然だな。どこにいても心休まる場所はないだろうし、僕が身代わりになって死んでしまったばかりにハルは心を痛めている。僕からすればハルが助かって本当に良かったと思うけど、当の本人にしてみれば言葉にならないくらいに辛いだろうとは思う。そう考えるとなんだか申し訳ない。



僕は立ち上がり、ハルの後ろに立って肩に触れた。これが正しい行動かどうかは不明だけれど、なぜか温もりを感じてもらえるような気がしていたからだ。自分でも理由が分からないけど……。ハルがいつかしてくれたような気がしたから。だから僕も。



「え……」

「ハル、僕はここにいる」

「気のせい? なんだか肩に」



反応している? 

もしかしたら、ハルは僕を感じてくれているのかもしれない?



「もしかして……ルア君?」

「うん、そう。ハル、気づいて」

「そっかぁ。近くで見守ってくれていたんだね」



いや、幽霊じゃないかもしれない。そういうスピリチュアルな感じじゃないぞこれ。自分の手首触ると脈があることに今さらながら気づいた。ってことは生きていると思うんだよね。認識されないだけで。



え?



じゃあ、それってなに……?

なんで脈あるの?

もしかして僕たちの幽霊に対する認識が間違っていて、実は幽霊にも血が流れているとか? え? マジ? ってそんなわけないし。


それは幽霊っていうよりもクリーチャーじゃん。キモい。



「ありがとう」



なんとかハルに僕の存在を気づかせる方法はないだろうか。テレビを点けることができたということは物を動かすことができる。つまり、ペンを持つことはできる。もうそれしか思い浮かばない。なにか紙はないかな……あ。



ハルの手帳……覗くつもりはないけど……ごめん。



ハルの手帳には……5月のスケジュールには僕が泊まりに来た日、それから僕とビデオ通話した内容とか、どんな感じだったとか、びっしり書き込まれていた。「もう少しの辛抱だからがんばろー!」なんて誰かの似顔絵からの吹き出しの中に書き込まれている。



少ししか一緒にいられなかったけれど、僕と会った日から僕との思い出が溢れ出ていて、それは5月末のある日まで続いていた。

その日以来スケジュールは空白で、なにがあったのか想像するまでもない。



ハルは……こんなにも僕を……。



不覚にも涙がこぼれてしまった。ハル、ごめんな。




ハルの手帳を勝手に開いて見ちゃったことは素直に謝る。そして、メモのページに勝手に書き込んだことも土下座する。だから、なんでもいいから気づいてほしい。




『ハル、僕はここにいる』




「え……?」

『眼の前にいる。けれど、ハルから僕のことが見えないみたい。春亜より』

「待って……ウソでしょ?」

『ウソじゃない。スマホ貸して』



ハルのスマホを借りてメモアプリで打ち込むと、ハルは驚き固まった。おそらくハルの目には勝手にスマホが浮かんで文字が打ち込まれているように映っているんだと思う。うん、なかなかのホラーだな。



「ルア君……幽霊なの……でも嬉しい。来てくれたんだね」

『幽霊じゃない。脈がある』



僕はハルの手をつかんで、僕の手首に指を当てる。すると……。



「嘘……見えないのに脈がある……なにこれ……」

『でも、僕はここにいる』

「うわぁぁぁぁぁぁぁん、ルア君のばかぁ」



なぜ罵られたか分からないけど……とにかくハルは大号泣しながら僕のいないほうの空間を抱きしめた。いや、僕こっち。




ふとテーブルの隅にあったメイク用の鏡から視線を感じたけど、気のせいか……?







祠の扉を開いたのはいつぶりだったろうか。はじめてかもしれないし、2回目かもしれない。雨が降りしきるなか、こんなことをして自分でも滑稽だ。えぼし岩の上に立つ祠の木材は不思議と朽ちていなかったものの、ヒンジは錆びついていた。



ギギギと音を立てて扉を開くと中には鏡があって、あたしはこれをいつか見たことがあったのを思い出した。

小学生の頃だっただろうか。鏡に映るのはあたしの顔。なんだか鏡の中の自分の顔はひどく疲れ切っていた。




『ルア〜〜〜ハル〜〜〜〜今なら渡れるって』

『待てってソラ〜〜〜〜そっちはぜったいにぃぃぃ怒られるって』

『そうだよぉ〜〜〜ソラちゃん危ないよぉぉぉ』



あたしは持ち前の運動神経で岩から岩へと飛び移り、引き潮で現れていた参道を駆け出した。春亜と陽音があとを追いかけてくる。まるで鬼ごっこをしているようだった。その後を誰かが追いかけてくる。名前は……ええっと……忘れてしまった。女子生徒だったけど、なぜか名前を思い出せない。



『みんな待ってよぉ〜〜〜〜』



女子生徒が転んでしまい、優しい春亜は振り返り戻って女子生徒を立たせた。おさげ頭の女子生徒は「ありがとう」と気恥ずかしそうにお礼を言っていたのを思い出す。



『なにこれ。神社がある〜〜〜! 見て、ルア、ハル、これこれ』

『おぉ、なんだか小さい神社だなぁ』

『ふたりともダメだって。神様のバチが当たっちゃうって』

『ハルは臆病だな』

『はぁはぁ。みんな待ってよぉ〜〜〜』



あたしは好奇心で祠の扉を開けてしまった。中には曇った鏡がおいてあって、紙垂しでと御札がベタベタ貼ってあったのに驚き、慌てて扉を締めたのを記憶している。



そこから記憶がない。波にさらわれてあたし達4人は海に落ちたのだろう。気づくと砂浜に寝ていてちょうど救急車が到着したところだった。水をいっぱい飲んだけどみんな無事だった。



あたし達は奇跡的に助かって、全員九死に一生を得た。



あたし達3人はそれぞれ病院に連れて行かれて念の為検査をして、それからすぐに親が迎えに来て帰宅した。病院で学校の先生にはこっぴどく怒られて、帰ってからは親には死ぬほど怒鳴られた。



「なんで忘れていたんだろう」



今再び祠の扉を開くまで忘れてしまっていた。その理由は分からないけれど、今まで誰も話題にしなかったし、あたし達も誰も覚えていなかったのだと思う。春亜も陽音もなにも語らないし、事故のことなんてすでに頭にないのかもしれない。



『機は熟した。約束の時だ』



声と同時に突然大波が轟音とともにあたしを挟む込むように押し寄せて、逃げることもできずに飲み込まれてしまった。グルグルと回る視界の中で、身体が溶けていくような感じがした。



あたしはきっと死ぬのだろう。そうか、あたしは何回も……。



あたしはみんなを助けたい一心で……くらい水の中で……。そうかもう。



あれから10年が過ぎたのか……。






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