4.新しい家族と



 孤児院は子供を閉じ込める城だと思った。


 城はロイクから教えてもらった。大体すごい貴族が住んでいるのがそういうのらしい。小さいお城がこの孤児院のようなやしきのことを指す。ここの邸も相当大きいと思うけど。

 閉じ込めていると思ったのは、盗賊や獣も何もかもを通さないように見えない壁で覆い隠していたから。それにこの敷地の外に出られるような自由を俺たちは持っていないから。


 ここにいる大人はロイクとマーガレットおばちゃんとガーベラ姐さんの三人だ。

 ロイクの使用人である二人は近所に住むお節介な奴らと似ている。だけどロイクのことを『父さん』と呼ぶ奴もいれば『先生』と呼ぶ奴もいる。もちろん俺やフィーのように『ロイク』って呼ぶ奴もいるけど、大体近所のおじさんとか、親戚の兄ちゃん程度の感覚で呼んでるんだと思う。だけど自分にとってのロイクがどんな人間かいまいちピンと来ていないから俺にとってはただのロイクだ。

 それでもロイクは命の恩人だ。人族だから五感や肉体の一部を強化できるらしいけど、魔力は少ないからほんの一瞬しか使えない。だけどその一瞬でアイツは自分とフィーのことを救ってしまった。

 孤児院はロイクの持っている領地の隅っこにあるらしい。あんなお貴族様よりはいい人がいるのにどうしてうちの両親はこの領地に逃げなかったのだろう。それとも知らなかったのだろうか。村の掟とか色々あるのは分かっていたし自分も長老から聞いていたけど、今となっては分からない。


 最近フィーの体調が悪くなる日が多くなった。元々混血だから仕方ないとはロイクも言うが、俺が知ってるフィーは強い女だ。当然俺よりも強い。

 もしかしたらフィーはロイクも倒せるかもしれないと思ったこともあったけれど、それをフィーに言ったらそんなのやだと言われた。ゴリラだと言ったの未だに根に持っているのだろうか。

 俺はフィーを守りたい。だけど強いフィーが好きだ。それを言ったらきっと「守らなくてもいい。それにお姉ちゃんだから強いんだよ」と返すだろうから、自分が強くなれるまで絶対に言わないと決めた。


「あの人ね、その女の人がなんでも出来る人なのに蜂から庇ったの。それでね、その人なんて言ったと思う?」

「さあね」

「俺は君が一瞬でも傷付くのは見たくないだって。かっこいいなーって」


 最近、フィーは自分が見る夢の内容を話すようになった。


 その人は普通に空を飛べるし、動物と会話もできるし、どんな大怪我をしても一瞬で治すことが出来たらしい。まるで誰かの記憶をみているみたいだと言っていた。

 でも名前はわからないらしい。しかもその夢は視界に靄がかかっているようで、その人の髪の毛が自分と同じ色でとても長いことと、その相手である男は魔法も使えない白髪の人族であることしか分からなかったようだ。その二人の組み合わせがフィーとロイクを重ねるのでイライラする。

 所詮夢の話だろうと思ったが、彼女が魘される日は大体その誰かの記憶の夢を見るのである。その内容を自分は慎重に彼女が魘される原因を探していた。


「お前、男に興味あるの?」

「ウォルのそういうところ嫌い」

「それはどうでもいいだろ。このゴリラ」


 見た目には無頓着なのに誰かにいっちょ前に恋愛感情を抱いてる。そいつよりもかっこいい男になりたいと思うも、その相手が恩人なので頭の中がぐるぐるになる。

 この前、身長を測るときに背伸びしていたのがばれてしまい、「がんばれチビ」と周りから言われ悔しかった。そんな自分を差し置いてフィーはぐんぐん伸びるので、どうすれば自分の身長が伸びるのかロイクに聞けば、「そんなのほっとけば伸びる」と言われた。

 自分が巨人みたいだからって下に見ているような気がしてまた悔しくなった。思い出すだけではらわたがちぎれる。


「ていうかその人、何でもできるとかすごいよなー」


 空を飛んだり、リナリアの魔法みたいに腕がなくなってもすぐに復活したり、フィーの魔法みたいにぽんぽん手のひらから果物や花を出したり、自分の魔法のように湖の水を操れた。まるで絵本の女神みたいだと思った。


「でもあんまり魔法を使ってるのは見たことないかも。ずっとあの人は大好きな人のことを見てる」


 その言葉に昼間の時間帯のフィーの行動を思い出し、また虫の居所が悪くなった。

 彼女は文字の羅列が苦手なくせに(自分も嫌いだけど)一つ年下のリナリアのようにロイクの書斎に入り浸っている。


「なんでその人が、その相手のこと好きだってわかるの」

「いつも見てるから。それに外に出ることはあっても、人気のない森の中ばかりで、あ、木の洞穴ほらあなにベッドがあった!」


 木の中にベッド。木の洞穴は昔秘密基地を作ってフィーと遊んだことがあるが、二人で身を縮めて入るのが精一杯だった。


「それ人は入るのか?」

「とても大きな木だよ。村の秘密基地よりも大きいの。その人はいつもそこで目が覚めるの。でも小屋の中にもベッドはあるのにおかしいよね」

「昼寝をするためにあるんじゃないのか?」

「ううん。薄暗いし、隠れてるみたいだった」


 試しに落書き帳に鉛筆で絵をかいてもらったが(下手だったけれど)、まるで熊が冬眠するための穴みたいだった。


「いつ寝てるんだその人」

「わからない。でもいつもその人は寝てないの。でも起こしてもらってるんだ。その男の人に」

「その二人はとーちゃんとかーちゃんみたいな感じじゃないの?」

「それもわからない」

「なんだそりゃ」


 結婚するときその夫婦は革製のチョーカーを付ける習慣がある。

 チョーカーを作るのは男の役目で、男は十歳の時に親からチョーカーの作り方を教わる。その材料である獲物を狩るところから。

 そしてそのチョーカーに着けるチャームに自分の魔力を注いでその染まった魔力の色で誰の妻なのかという目印にするのだ。

 自分は親から教わる前に孤児院に来たし、自分の魔力の色がどんなものなのかわからない。

 もしかしたらロイクが教えてくれるのかもしれないけれど、なんだかロイクから聞きたくない気分だった。


「だって、髪の色しか知らないんだもん。その人のこと」

「鏡は?」

「ない。それに最初はいろんなものがぼんやりしてたのがだんだんはっきり見えるようになってきたけど、人の顔がよく見えないの」


 人の顔が良く見えない。夢の中がぼんやりとしているのはすぐにわかる。けどどうして彼女は魘されているのだろう。


「その人って、――」

「また二人でいちゃいちゃしてるのか!」


 歳の近い男子たちは俺と一緒に遊ぶ仲間だった。普段ならいつも一緒に庭で遊んでいるが、成長と共に男子と女子で一緒に遊ぶことはなくなるらしい。

 なので自分とフィーが同郷であることを知っててもからかう奴はいた。中央にいるルークはいわゆるガキ大将だ。

 一つ上ということもあって自分が来たばかりの頃は世話になったけど俺とフィーの仲をからかうような奴だとは思わなかった。


「してねーよ!!」

「してないもん!ウォルと話して何が悪いの?」


 否定してもニヤニヤとこちらを見てくる。


「昼間からこそこそと」

「男女の睦言」

「そして二人は……!」

『きゃー!!』


 あぁまずい、フィーが魔力をメラメラと出してる。近くに置いてあった花瓶の花が一気に成長したと思えばすぐに枯れてしまった。


「わー!フィーが怒ったー!!」

「ゴーリラ!!」

「こらー!!」

「落ち着けフィー!!」


 孤児院内が一気に騒がしくなる。追いかけっこが始まったと小さい子供たちがからかってきた奴らと一緒に走り出した。玄関の前まで行くとアルバイトから帰ってきた年上達とバッティングし、いつの間にか鬼はフィーと年上たちとウォルになる。

 そして年上たちとフィーの体力に敵うものは少ないのであっという間に鬼が増えた。


「おねえちゃん!あっちにルークがいるってネズミさんが!」

「ありがとネネ!」


 フィーと自分と猫のネネがそちらに向かい上を見上げるとルークが天井に張り付いていた。重力の魔法だ。


「ぜってーネネだろ魔法ずるいぞ!」

「何も壊してないもん!ネズミさんに探してもらっただけだもん!!おにいちゃんも下に降りてよ!!」

「やなこった!」


 外は雨なので空間の湿気は十分あるから魔法は使える。自分とフィーは目を見合わせ、お互いにうなずいた。


「「はい、タッチ」」


 自分はルークの周辺の湿気を水に変え、フィーは手のひらから蔦のような植物を出してルークの体を巻き付けては一気に下へ叩き落した。


「フィー体から草出るとかありかよ!!ウォル雨だからって有利になるのずるいぞ!!」

「「だって何も壊してないし」」

「はいタッチ」


 水と蔦に絡まれたルークはその場から動けず、ネネにあっさりと鬼にされた。


「くそぉおおお!」


 外は雨なので中庭や外に出る子供たちは流石にいない。遊ぶ際に書斎のある離とロイク、ガーベラ姐さんとマーガレットばあちゃんの私室に入ってはいけないという暗黙の了解があるのでもちろんそこにはいない。

 子供たちはどっかんどっかんとベッドの下や部屋にあるクローゼットの中身をひっくり返していけばどんどん見つかった。

 いつの間にか隠れている子供は三人になり、その中には自分らをからかった男子もいた。フィーは「姉弟だから違うもん」と呟く。

 純血の狼と混血の竜はどう見ても姉弟には見えないのに何を言っているのかと反論しようとしたが、それは状況を察した年上が機転を効かせてくれていた。


「残りはどこだ?」

「においもしないね」

「ほんとだ」

「誰がいないの?」


 最終的に孤児院にいる子供全員が集まって参加しているらしく、総出になって離以外の部屋すべてをさがし、残りの子供を探した。

 その間にどうして追いかけっこを始めたのか事の発端の説明をウォルとフィーは年上たちに話した。室内なのでいつの間に追いかけっこからかくれんぼになっているので走る必要がなくなったのだ。


「ん?」

「エリカどうした?」


 ウォルと同じ水の魔法を使う十二歳の魔族の少女がきょろきょろと見渡す。本人曰くハムスターらしい耳もぱたぱたと動かした。


「なんか動いたような……」

「気のせいじゃないのか?」

「いや、おかしいな。一瞬湿気が動いた気がする」

「湿気?」


 孤児院は雑種というのが理由で捨てられたりすることがあったりするので混血率が高い。彼女もフィー同様に片目が赤くなる。

 自分の魔力の量が少ないことを舐められたのかと睨みつけた。


「アンタの魔力不足は前から知ってるからいつも湿気を感じ取れないことはわかってるわよ。それよりも鼻は?」

「ほかのにおいが混じってなんとも……」


 雨だから外はすぐに消えてしまうが湿気のある部屋はすぐに匂いがこもる。なので一気に色んな奴が行き来した部屋はわからなくなるのだ。


「てか残りの鬼じゃない子って誰だっけ?参加してるの全員よね?」

「え?じゃあリナリアは……」

「あの子もさっき参加してたわよ。体力ないくせにすばしっこいからすぐ逃げたけど。じゃああの子か」


 てっきり書斎にいるのかと思ってたのにいつの間に参加していたのか。リナリアは見つけていない。ふと混じった匂いの中に嗅ぎなれない匂いを感じそれをたどっていった。


「アイツだ……」

「え?」

「ウォル見つけた?」

「しー」


 ウォルは部屋からひょっこり顔を出したフィーに人差し指を口の前に出し、静かにしろとサインをする。

 かなり散らかってしまったので扉も引き出しも開けっ放しになっている。どさくさに紛れてその物影に隠れてしまったのだろう。ウォルは足を忍ばせにおいの元をたどり、開けっ放しになっているドアの裏側に顔を覗けば、両膝を抱えて丸くなった黒髪の頭が見えた。


「みぃーつぅーけぇーってぇ!!」


 振り返った彼女はうげえと苦い顔をした。灰色の目がはっきりと見えた。

 こんな顔をする奴だとは思わなかったがタッチしようと手を伸ばす前に後ろからげんこつを叩かれる。振り向くとロイクがすがすがしいほどの笑顔で見下ろしていた。


「ろ、ロイ……」

「ルーク、レオ、ミザエル、ウル、フィア。事の発端を起こしたお前たちは片づけた後書斎に来なさい。リナリア。お前は様子を見に行ったんじゃなかったのか?」

「え、えへへ……」


 誤魔化すように笑う彼女は水色の瞳になる。その瞬間彼女の何かが混ざったような匂いは消えてしまった。

 それについて何故誰も気付かないのだろうか。ほかの子供たちはそれぞれの部屋に向かい片付けを始めた。


「なぁ」

「な、なに?」

「お前のそれは何の匂いだ?」


 リナリアは何のことだか分からないようで、首を傾げた。

 こんなに匂うのに何かを振りまいているようには見えないし、素振りもないけれど、初めて会った時からそのなにか隠してるような、出来るくせに何も出来ないと言っているみたいなそんな顔が気に食わない。


「私には分からないけど…………どうしてそんなに、私のこと疑ってるの?」

「そりゃあ……」


 信用出来ないから。ころころ変わる瞳の色が気に食わないから。フィーにくっついて来るから。あのフィーの脚を……いや、それは違うんだ、あれは……。

 また彼女の目が怪訝そうな、悲しそうな顔になる。


「…………フィーの脚なら、私は何もしてない」


 ただ治しただけだと言ってはふいとそっぽを向いた。気に食わない。それに聞きたいのはそっちの事じゃない。


「違う、俺は」

「ねぇ、二人ともどうしたの?」


 フィーが後ろから声をかける。フィーの目の前でこの話はしたくない。きっとみんな気付いてないのだ。リナリアが父と慕うロイクも、年上達も。

 フィーは完全に鈍感なので一番分かってない。

 自分はなんでもないとつぶやく。気にしないようにしていたのにリナリアは埋めていたものを掘り返すようだ。


「もし、何かあるなら、それはきっと……『私』じゃない」


 もう一度聞き返そうとしたが、彼女はフィーと一緒にどこかへ行ってしまい、自分はロイクに捕まってしまったので探すことはできなかった。



―――



 昔から外の人が来ると家に母親と一緒にいるように言われた私は、孤児院に来てからその理由が分かった。

 私のこの姿はどの動物にも当てはまらない珍しいものだったからだ。

 後で知ったことだけど、私がロイクと一緒に外に出るとこをウォルは反対していたらしい。だけど自分は喜んで外に出ることを望んだ。

 だけど私のせいで守ってくれていた人が死ぬのは嫌だ。弟が、ウォルが死んだら自分は一人きりだ。色々分かってから後悔した。


 いつしか誰かの知らない記憶が夢として見るようになった。

 それをウォルに話せば喜んで聞いてくれたけど、見る夢はだんだんはっきりとしているのに、段々見る内容が恐ろしいものになってくる。

 男の人が覆いかぶさってくる。酷いことを言ってくる。その瞳の奥には白髪のあの人はいない。


 夜。やはりその夢で眠れなくなった。本当は部屋から出てはいけないのだけれど、ゆっくりと扉を開けて廊下に出た。

 夜の孤児院はとても冷たくて寂しい。

 風もなく、賑やかな昼間と違って夜は音がない。そして音がないのに耳がとてもざわざわして気持ち悪かった。

 コツコツと踵の爪を鳴らして歩けば自然と耳鳴りもなくなった。階段を降りて中庭の入り口まで向かうと、昼間は雨だったのに晴れていたおかげで草花は月明りに当たってきらきらと輝いていた。ドアノブに手をかけようとすると肩に手が乗せられる。


「この時間に家出か?」

「ロイク……?」


 起こしてしまったのだろうか。とても目付きが悪い。それに寝巻姿は初めて見た。長い髪もいつもはひとつに束ねているのに今はそれも解いている。月明りに反射したその髪の色は透き通るようでとても神秘的だった。


「家出じゃないよ。外に出て見たかっただけ」

「眠れないか」

「……うん」


 来いと言ってロイクはフィーの手を引く。誰かに手を引かれるのは夢の内容を思い出し少しだけ怖かったけど、その綺麗な白髪を見て少しだけ楽になった。


「…………部屋から出たの怒らないんだ」

「お前が魘されているのは知っていたからな。ウルには嘘を言っているんだろ?」

「話してることは嘘じゃない」


 「そうか」と返される。そっちから聞いてきた癖にどうでもいいと言われた気分だ。辿り着いたのは食堂奥の台所だった。

 彼は手を離すと食料庫からミルクを出した。


「座って待ってろ」

「う、うん……」


 キッチン近くにあるテーブルの椅子に座る。

 彼は慣れた手で小さな鍋にマグカップ二杯分を注ぎ、焜炉コンロに火をつけた。魔力石によって発火されるその熱は微々たるもので、ゆっくりと温められた。

 普段は薪に火をつけるのに、魔力石なのはきっとすぐに消すことが出来るからだろうか。いやそう言えば火種はガーベラ姐さんの魔法がほとんどだった。


「砂糖はいるか?」

「い、いらない」


 そうかと彼は温まったミルクをマグカップ二つに注ぐと一つには砂糖を入れてはかき混ぜた。


「お砂糖、好きなんだ…」

「苦いのが好きになれないだけだ」


 ミルクは苦くないと思うと反論しようと思ったがやめた。砂糖が入っていない温められたミルクは口にした途端ほっとする。


「おいしい……!」

「それは良かった」


 そう言って彼は自分のも口にする。彼は昼間はずっとコーヒーばかり飲んでいるから甘党とは思わなかった。


「苦いの嫌いなのに昼はコーヒー飲むんだね……」

「あれの方が頭が冴える」


 この孤児院で一番砂糖を使うのは彼だろうと言うくらい彼は甘いもの好きらしい。そう言えばいつもおやつの時間、彼が飲むのはコーヒーではなく紅茶で、マーガレットやガーベラはあまり食べないのにロイクは子供たちと共にお菓子を食べてた。


「ロイク……」

「なんだ?」

「奥さんってどんな人だったの」


 リナリアから偶に聞いた話では綺麗な人だったと聞いている。混血で身体が弱かったらしい。年上のみんなは口を揃えて仕方なかったんだと言う。


「強い女だったよ」

「混血なのに?」

「体は弱いさ。そうだな、彼女はいい『母親』だった」


 いい母とはどういうものだろう。けどロイクにとってショックで家出するくらい好きな人だったんだろう。彼の顔を見て少しだけ胸の奥がモヤモヤする。

 自分はあまり母親との思い出がずっと同じ絵本を読み聞かせてくれた事しか覚えていない。


「私のお母さん、ずっとお父さんと一緒だった」

「…………」

「だから、お母さん死んだ時お父さんが泣いてたの」


 私より、たくさん。

 父親が泣いていたせいで自分は脚が痛くても泣けなかった。よく放置されたけど、私は父も母も大好きで、ウォルもウォルの両親も自分が生まれた時から大好きだった。

 ただあの時は泣けなかっただけで、ウォルもきっと泣かなかった。


「愛していたなら不幸があれば泣いて当然だが、お前はなぜ泣かない」

「……ウォルが寂しがり屋だからだよ」


 自分の枕元にいた彼はきっと自分が居なくなることを恐れていた。

 だから自分はウォルと一緒に生きて行くつもりだ。孤児院から離れても、ずっとそう決めていた。


「泣くのを我慢しても、今すぐ大人になんかなれないぞ」

「それでも私はなりたい」


 ならなきゃ自分はどこにも行けない。ウォルも守ると決めていた。

 なのにどうして彼はそんなに寂しそうな顔をしたのだろう。

 ロイクは私の頭を撫でた。こういう時だけ優しくなるのはなんだかずるいと思う。


「もう。ベッドに戻れ。日付も変わる頃だ」

「はーい」


 飲み干して空になったグカップをロイクに渡し、二階にある部屋まで送られる。部屋の前で立ち止まりロイクはまたフィーの髪を撫でた。


「おやすみ。フィラデルフィア」

「おやすみなさい」


 彼は自分の額にキスをする。いつも自分より小さな子供たちにするキスだ。分かってるのに少しだけドキドキした。

 眠るまでそばにいてやろうかと問われたが、他にも一緒に寝ている子供はたくさんいるので断った。それにいつもと違うロイクが目の前にいると眠れる気がしなかった。

 自分のベッドの中に潜り込み、目を閉じればいつしか深い眠りにつく。



―――



 わたしの春は来たのだろうかわたしは森の動物達に囲まれながら眠っていた。


 暗く冷たい。この空間は時間はずっと止まっていた。

 涙を流しながらずっと木の洞穴の中で眠るようになったのはいつだろう。

 どうせまたわたしのことを置いていくのに。


 朽ち果てる彼を見るのは何度も見てきたのに、朽ちていく彼を見るのがつらくて、何度も会いに来てもらうために呪いをかけたのに、彼のその顔を何度も見てきたのに、彼はいつしかわたしを憎き人間にしようとしている。

 そのたびにわたしは彼のことを殺した。でもわたしには彼しかいない。何度も彼のことを求めておいて殺すなんておかしいことでしょう。でも彼は私のもとに帰ってくる。それだけはちゃんとわかっていた。だって私の大事な人なのだから。


 だから早く帰ってきて。わたしのあなた……。


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