3.幸せな夢と悪夢


///



 空を飛ぶという感覚はとても気持ちが良かった。

 鳥のように下を見ては人間達が見る事はできない景色を眺めながら雲の中に飛び込む。

 遠く、遠くまで空を飛び、わたしはこの海の向こうを目指した。

 この島を出よう。そして遠くまで旅をしよう。昔聞いたことのあるタイリクというのはどんな場所なのだろう。この体は何でもできる。何処にだって行けるのだとどうして今まで気付かなかったのだろう。


 島の外を出ること自体、難しいことではなかった。海に出て、わたしはタイリクを目指す。その為に私は速度を上げて先へと進んだ。

 だけどそれは叶わなかった。身体はなにか透明なモノにぶつかり、その痛みでわたしは気が遠くなる。

 目の前に何があるのだろうか。



////



「……――っ!――フィー!起きろ、フィラデルフィア!!」

「っ!?」


 ウォルはフィーのことを揺すり起こすと飛び起きた。

 周囲はロイクの書斎だった。いつから眠っていたのだろうか。確か読んでいた絵本がとてもつまらなかったのは覚えている。実際に足元には読みかけの絵本が無造作に落ちていた。


「……ウォル?」

「なんだよ……心配した」

「どうしたの?」


 なんでもないと床に座るウォルはたまに過保護になる時がある。

 一度自分が木登りをしてその時引っかかった枝で大怪我したことがあったが、その時以来だったろうか。いや、もっと前にも何かあったような気がするが思い出せない。


「……お前悲しくないの」

「何が?」

「…………」


 そのまま彼は視線を下にして黙りこんだ。何に対して悲しくないのかを聞いているのかはフィーでも分かる。

 村丸ごと燃やされ、両親が死んでしまった。孤児院に来たばかりの頃は色々環境が変わって思い出す余裕が無かっただけで、あの記憶が悲しくないとは思ってない。

 生活が一変してしまったから、その実感が湧かないだけだ。


「そりゃあ……今も夢みたいだけど……生まれた時からずっとあの村にいたのに、いきなり大きな家に住むことになって、ロイクとか」

「もういい」


 ウォルは不満でもあったのか不機嫌な顔をして書斎から出ていこうとした。その背中を見てフィーは彼の手を引いた。


「ウォルがいなくなったら、私は一人だよ?」


 自分の弟がいなくなったら自分は一人きりだ。孤児院を出てもきっとウォルとは姉弟なのだとフィーは思っている。

 ウォルもきっと自分がいなくなったら悲しむに決まっている。ウォルはフィーの手を握り返した。


「……絶対にお前の前からいなくなったりしないから」


 その言葉にフィーは安堵し、握った手を引き寄せてはウォルを抱き締める。

 ウォルは突然のことに藻掻くが、フィーは持ち前の馬鹿力でウォルのことを思う存分抱き締めた。


「おい、フィー!!」


 ウォルの声は照れているのか苦しんでいるのか判断しづらい。フィーはきっと照れているのだろうと判断しもっとぎゅっと強く抱きしめた。

 そしてウォルの方は自分の目の前にいる相手に顔が青ざめた。


「仲良くするのは構わんが、場所を考えろお前ら」

「あ、ロイク」


 先程まで書斎にいなかったロイクを見るとフィーはウォルを抱き締めていた腕を離す。ロイクは二人の顔から視線を下に降ろすと床に落ちている本が視界に入りそれに顔を顰めた。


「うはぁ……っこの馬鹿力!!ゴリラ!!あばらが折れると思ったわ!!」

「なにさ!ウォルのクセに、この犬耳パーカー!」

「服なんて関係ねーだろが!それに俺は犬じゃねえ狼だ!この露出狂!」

「……ろしゅつきょ?なにそれ」


 知らない言葉にフィーは首を傾げる。ウォルは顔を赤らめて「年上たちに聞けばいいだろ!ばーかばーか!!」と無知な彼女を罵倒した。

 その際にウォルファングの獣の足が床に落ちていた本にぶつかり、足をもたつかせると今度は別の本を踏みつける。

 それに所有者であるロイクは良い気がしない。


「お前ら仲がいいな」

「「よくない!!」」

 

 二人は揃ってロイクに反論するも、やたら優しい笑を浮かべたロイクに揃って顔を見合わせる。こんなに優しい顔になるロイクを見るのは初めてだった。


「ここの出入りは自由だ。基本的にはな……だがここは俺の書斎でもあり、静かに本を読む場所でもある。お前達に何があったのかは聞かん。この屋敷の外にはシールドを張っているから別に孤児院の中で大暴れしても構わん」


 あ、これ本気で怒っている。


「だが喧嘩をするなら他所でやれ。本を傷ませることをするな」

「「ごめんなさい……」」


 その後使用人のガーベラからは改めて書斎の使い方を指導された。ここにある本は貴重なものが多いらしい。それでもロイクは子供たちを信用して書斎の出入りを許しているのだから丁寧に扱って欲しいということも言われた。

 だが二人はしばらく書斎への出入り禁止を下されるのだった。



―――



 遡ること数分前。


 ロイクは竜についての文献はなかっただろうかと、書斎にある先代が集めた書物を片っ端から見ていた。

 竜人族や竜について調べるのであれば王都の学院にある書物の複写を依頼をすれば手っ取り早いのだろうが、現在王都は混乱状態でそれどころではないらしい。


 以前学院に複写依頼をしたところ、こんな時でも国とは関係のない文献を依頼するなんて呑気な家だな。どうせ領地の税で儲けているのだろうからこの学院に寄付金でも寄越せという余計な言い分が含まれた断りの手紙が送られてきた。

 国立の学院が皇族という後ろ盾もいない状態で、生意気なことを言うなと返事を返した。もちろん断りの手紙はすぐに暖炉の火にくべてやった。

 ダメ元だったが仕方ない。この家にある本をもう一度見るしかないと思い、ウォルファングから聞いた話も含めて久しぶりに書物を総点検していた。


 この書斎として使われているはなれはロイクの祖父が建てたものだ。

 これまで集めてきた書物を補完するために専用の建物なので暖炉も水も通らないシンプルな建物だが、書物を保管するのに適した構造になっている。本に光が直接当たらないようになっているが天井にも窓があり、その光が中央の書斎に届くようになっているため昼間はそう暗く感じない。

 離を作るほどたくさんの書物をかき集めることができたのは、カレンデュラ家が知識を求める性質が強い傾向にあったからだろう。ロイクも幼少期から書斎の本を夜遅くまで読んでいたものだ。


「火傷をする度に竜に近づく一族か……」


 火傷を負ったところは治療すれば元の状態に戻るはずなのに、ウルの話によれば彼女の頬も足も火傷という大怪我をしたから肌が鱗になったのだと訴える。

 村が襲われる前はただ角が二つ生えているだけで、彼女の母親を見なければ種族は山羊ヤギかなにかかと思われていたらしい。そうなると彼女の母親も生前酷い火傷を負っていたことになるが、その話までは幼いフィアとウルも知るはずもなかった。


 この書庫は竜に関する文献があまりにも少ない。魔族は狼、獅子、兎などの哺乳類。蛇、トカゲ、ワニなどの爬虫類。鷹、文鳥などの鳥類。両生類、数は少ないが海沿いの地域には魚類もいる。大体は大陸に行けば見ることのできる脊椎動物がほとんど。

 だがどの文献にも竜という存在はあの女神の存在が確信されるよりも遠い昔には絶滅していると書かれている。この国が統治する島は例外なのだけれど。


 ロイクはその場で読み漁ってい見ているものの、本棚周辺は暗い。書庫の役割を持たせるために作ったせいか、天井からぶら下がっている灯りも弱い光しか放たないようにしている。祖父は長時間光に当たれば本が傷むことも鑑みたのだろう。近いうちにカレンデュラ領にある図書館と同じ照明に取り換えようかと思考を巡らす。あちらは建てた際に本が痛みにくい照明を採用していたはずなので。

 本を数冊取り二階にある自分の仕事場に戻ろうと進めば、その先では新入り二人が逢瀬の真っ最中だった。二人のやりとりが気になったので様子をうかがうことにした。

 生まれた時から共にいる相手だ。気の知れた相手と二人きりの空気を壊す気はない。同郷同士の孤児はこの孤児院でも珍しくないのだ。だがあの二人は姉弟を演じているように見えた。


 彼女の方が昼寝をして魘されていたのを彼が起こしていた。彼女が魘されていることは同室の子供達から聞いていたがこれほどとは。必要なら医者に睡眠薬を作らせるか。


「ウォルがいなくなったら、私は一人だよ」

「……絶対にお前の前からいなくなったりしないから」


 二人にも未だ形容しがたい愛があるらしい。

 だが、本を散らかしたままにさせることは気に食わない。そろそろ説教しに行ってもいいだろうか。



―――



 新入り二人が書斎から退散した後、これでルールを守ってくれればと願いつつ、机に先程取り出した本を置いては上から一冊ずつ内容の確認をはじめる。


 魔法が生まれた後に派生した魔術とは別に、【呪い】というものは魔法が生まれる前から存在していた。

 昔は魔力ではなく贄を使った【呪術】がよく使われていたらしく、現在もまじない程度に使う者は多くいる。呪詛目的で使うのは稀だ。

 だがその贄として使うリソース代償が大きかったり、そのリソースが簡単に見つかる素材ではなかったりと色々と面倒であるため、魔力をリソースにした魔術の方が効率がいいのだ。


 ではなぜ呪術が使われたのか、それは各々の魔法の属性が違うので戦の際に色々と不便が伴う場面が多くあったからだ。

 そこで魔力をリソースにした魔術が開発された。最初は呪術の応用だったが、違う属性の魔力をリソースにすると使えないだけでなく意図しない事象が発生することもあり大変危険で、実際に死亡例があった。

 そのため属性の違う魔力をあくまで同じエネルギーとして使えるように変換させなければいけない。そこで魔術陣が作られた。それは文字列だったり、円形の幾何学的な図だったりと様々なものだった。

 それがいつしか道具に発展し、魔力で切り替えが出来る姿隠しのマントだったり、魔力の量で容量や重さが変わる鞄だったり、魔力だけの力を発砲できる銃もそうだ。魔術が施された道具は魔術道具という呼び名で区別され多く使われるようになった。


「ねぇ、お父さん。こんなのがあった」


 カレンデュラ家の方針で書斎での読書を推奨している。テーブルの真上にぶら下がっている明かりを灯しては子供たちは自分の元へ来たり、自ら選んで本を読むこともあった。

 人族の少年が自分に一枚の紙を差し出す。どこかの本に挟んであったのだろうそれは、魔術陣が描かれていた。


「懐かしいな、こんなのがあったのか」

「それなあに?」

「過去の失敗作だよ」


 十年以上前に作った失敗作がこんなところにあるなんて思わなかった。これは自分が子供の時に妻の魔力をどうにかして抑えられないかとかけたものだ。

 確か彼女から魔法を奪えば彼女の体質は改善されるのではないかと思ったのだ。今思えば恐ろしいことを自分は考えたものだが、結局彼女の魔力をごっそり持っていかれ気絶寸前まで追いやってしまい失敗に終わったのだが。


「それでなにをしようとしたの?」


 興味を持ったのか書斎にいた子供たちがぞろぞろと集まる。その中にいたリナリアが興味津々にその魔術陣をちょいちょいと指でつつかせて覗き込んでいた。


「何も結果をなさないぞ。ただの砂粒になって消えるだけだ」

「どうして砂粒になるの?」

「さあな。少し魔力を注いでみろ」


 リナリアはその魔術陣に手をかざして手に魔力を集中させる。ロイクの予想通りターコイズ色の砂が現れるだけで砂はリナリアが触れると指先に吸い込まれるように消えてしまった。


「奇麗だ……」

「何も役に立たなかったがな」


 他の子供たちはそれだけかとつまらなそうにその場から退散していった。たまに彼らに見せる魔術は光が飛び出るような派手なモノなのでつまらなかったのだろう。

 しかしリナリアは飽きずその場に残り砂粒をいじっていた。


「母さんを治そうとしたんでしょ?知ってるよ。父さんが魔術でどうにかしようとしてたの」

「俺が言ったからな」

「母さんも言ってたよ」

「そうか」


 リナリアは自分の妻であるダリアの死をもう受け入れているように見える。

 砂粒をつまんだ途端砂が消えていく。ふと彼女の瞳が水色から灰色に変わった途端その砂粒は消えなくなった。リナリアが握っても砂が消えない。


「お母さんがお母さんで良かった」

「それはダリアも喜ぶな」

「うん。お父さんもお父さんで良かった」

「それは光栄なことだな」


 本心な筈なのにその瞳はとても冷たく見える。

 消えなくなったターコイズブルーの砂は彼女の手からさらさらとこぼれ落ちた。


「お父さんは…――――――が邪魔?」

「邪魔なんてあるか」

「約立たずでも?」

「当たり前だ」

「魔法が、使えなくても……?」

「……あぁ」


 彼女は何を確かめたかったのだろう。

 よかったと言って彼女は、こてんと頭を傾けたと思えば水色の瞳をぱちくりさせては砂を弄りはじめた。今度こそ砂粒は彼女の手に次々と吸い込まれていった。


「この砂ってなんだろうね?」

「……きっとお前の一部だろうさ」


 リナリアの動きを見てロイクは少しだけこの魔術について考える。

 ついでにリナリアのことについて再度調べ直さなければいけないなと感じたのだった。



―――



 フィーとウォルが孤児院に来てから三ヶ月が経つ。ここ数日は雨の日が多い。

 今日も孤児院の周辺はしとしとと周囲を囲うシールドを無視して降り注いでいる。天井のない筒状だから当たり前かと思いながらフィーは窓の向こうの景色を見つめた。

 雨の日の孤児院はとても退屈だった。いつもはウォルを含めた男子たちと一緒に遊んでいるのだが、外に出られない雨の日はとてつもなく退屈である。

 ロイクならかまってくれるだろうかと思ったが、書斎で何かを読み書きしているように見えるので邪魔をしたくない。かといって読書は活字が多い本が多いので眠くなる。


「リナ……」

「どうしたの?」

「ロイクって怖いね……」

「それでもお父さんは優しいわよ?」

「……うん」


 最近ロイクに説教をされたばかりなので怖い。

 リナリアは書斎から拝借しただろうその小さな体に合わない重そうな分厚い本を膝に置いて読んでいる。規則によれば離から本の持ち出しは禁止ではなかったのか。なんやかんや言っておいてロイクはリナリアに甘い気がする。

 リナリアがロイクの本当の娘ではないのは他の子供たちも同じだが、リナリアは魔法の授業や読み書きの授業は免除されている。彼女がいつからこの孤児院にいるのか分からないが、問題なく本は読めるし魔法もフィーの脚を治してくれるくらいにコントロールはできていた。


「リナリアって頭いいよね…」


 眼鏡越しに映る水色の瞳は灰色なのか判断しづらい。眼鏡も魔術道具らしいからレンズに色が入っているのだろう。


「そうかな。私、計算は得意じゃないよ。運動できないし、体も強くないから……」

「そうなんだ」


 混血でもないのに珍しいとフィーは思ったが、フィーは混血なのに体は丈夫だ。この前孤児院の二階の窓から中庭へと飛び降りては問題なく着地すれば、他の子供も真似するからやめろとロイクに怒られたのに。

 リナリアは読書に熱中しているから構ってくれない。かと言って自分も読書ができず退屈すぎて段々眠気が襲ってくる。小さい子たちも寝てるし一緒に昼寝くらい許してくれるだろうかなんて思いながら近くで眠っている小さい子達の隣に寝そべった。

 こんな時は大体、不思議な夢を見る。

 遠い遠い、自分を許してくれた人との物語を。



―――

///



 今までわたしが暮らしていた場所とは全く正反対の場所にいた。

 閉じ込められていたのは変わらないけれど、あんな寒くて冷たい場所に閉じ込められるなんて初めてだった。

 どうしてこうなったんだったか。確かわたしを育ててくれた親を殺した人を自分が殺したからだったか。そもそもわたしに両親なんていたのか。

 わたしの何が悪かったのだろう。わたしは村の人たちを守るためによそ者達を殺しただけだ。村人たちからたくさんの者をもらったからその恩返しをしたかっただけだ。


 今度は轟々と炎が火の粉をまき散らしている。それはとてもきれいだと思うくらいわたしは今の状況に疲弊して、諦めていた。

 わたしは今生まれた時から共に暮らしてきた同じ村の者たちから、辱められ磔にされて炎で焼かれている。もうこんな都合の悪くなったわたしは用済みなのでしょう。さっさとわたしを殺しなさい。

 死後の世界なんて想像できないから、わたしがここで灰になってもどうなるのか分からないけど。


 段々のどがカラカラになる。焼かれているのだから当たり前だけれどなんだか様子がおかしい。

 息苦しいし熱いのに、わたしだけ焼かれていない?おかしい。足元を見ると、磔にしている木材は焼かれているのに、わたしの脚は火傷一つ何もなかった。いや、炎で肌が爛れてきてもすぐに元の状態に戻っていた。どういうことだ。私は本当に化け物だったのだろうか。


 いや今更何を言っているの。わたしは神だと崇められている時点でもう既に人間ではない。

 ならわたしはこのまま焼かれたら何になるのだろう。村人たちは火傷一つない私に戸惑っている。

 だけど炎を絶やすなと彼らは枝や油を私に向かって投げては燃やし続けた。


 いやだ、このまま永遠に炎に焼かれ続けるなんて嫌だ!!


///

―――



「逃げなきゃ!!」

「フィー!?」


 リナリアは驚いた顔でこちらを見ている。水を張った洗面器とタオルを持っていた。そして時間差で頭から濡れたタオルが落ちる。今自分が医務室にいることに気付いた。

 周辺を囲っている布は仕切り用のカーテンではなく洗濯したシーツがカーテンレールに引っ掻けて干してある。外はまだ雨音が聞こえていた。

 しかし自分の体を見ると、上半身だけ一糸纏わぬ状態だ。それに全身汗だくだ。


「フィー、いきなり起きてびっくりしたわ。無理しないで眠ってて頂戴な。体は拭いてあげるから」

「マーガレットさん……?これって」


 すぐ隣にはリスの魔族であるマーガレットが丸眼鏡をかけなおしてこちらに体を向けて座っている。

 彼女は立場上ロイクの使用人だが、ロイクが生まれる前から孤児院で子供達の世話をしているらしく、彼女はみんなのおばあちゃんのような存在だった。

 自分の記憶を遡ろうとしたが、見覚えのない人族たちの顔と炎を思い出して頭痛がした。


「フィー起きたか?いきなり熱が出て大変だったんだぞ」

「ちょっとウォル!今は――」

「ウォル、私そんなに寝ちゃってたの?」


 リナリアの咎めも気にせず医務室に入ってきたウォルはフィーの恰好を見て顔を赤くした。被ったままだったフードをさらに深く被り、後で来ると言ってはすぐにその場から離れていった。


「どうしたんだろうねウォル」

「フィー、あなたその恰好を見られて平気なの?」

「え?だってウォルだし」


 フィーは別に気にしていない。同郷の幼なじみに何を恥ずかしがるものがあるのか。

 二人は呆れた顔をした。実際フィーの選ぶ服はショートパンツやノースリーブだったり薄手のモノが多い。ウォルから露出狂と言われても仕方がないかもしれない。

 その格好の所為で風邪をひくのだと説教しに来たのだろうが、親の心子知らずならぬ弟の心姉知らずである。


「あのね、フィー」


 マーガレットがフィーに説教しようとしたとき、またばさりと部屋干ししていたシーツがめくられた。


「起きたかフィラデルフィア。よかった。後で医者を呼ぼうかと思っていたが」

「父さん!」

「あ……」


 様子を見に来たロイクがフィーの恰好を見ては失礼。とその場から離れた。バタンとドアが閉まる音が遠くから聞こえた。

 リナリアとマーガレットがフィーを見ると、顔を赤らめ体を隠して硬直していた。それを見てマーガレットは苦笑するのだった。



―――



 自分が風邪を引くなんて何年ぶりだろうかと思っていたが、案外自分が寝込むこと自体そこまで珍しいことではないなと考え直す。

 フィーは気怠くなった体を寝返り壁に背を向けると、暗闇の中見慣れた少年がベッドの隣に置いてある椅子に座っていた。お互い夜目は効くからその相手はすぐにわかる。


「……いつからいたの?」

「ついさっき」

「私を心配しなくても私は死なないよ……」


 シーツの中を手繰り寄せてウォルはフィーの手を握った。

 生まれた時から共にいたのだ。実の弟でなくても彼がこうして寝る前にここに訪れる時は何かに心配している時であるということである。

 フィーの母はあまり体が丈夫ではなかったのでフィーがウォルの家に泊まることが多かった。今は昼間でないと互いの部屋を出入りをすることは出来ない。彼がこうして自分の枕元に来るのも久しぶりだ。

 彼はフィーの手を掴んでは離さない。フィーはその手を握り返し、寂しがりやの弟の為に違う話をしようと思った。我ながらいいお姉ちゃんではないだろうか。


「……私ね、夢を見るの。自分じゃない誰かの思い出みたいな夢。その人、神様みたいにいろんなことができるみたいなんだ」

「それが、お前がいつも魘されている理由?」

「……多分」


 昼寝の度に起こしに来たのはそのためだったのだろうか。ウォルは空いている手でフィーの鱗が付いた頬を撫でた。


「お前が、そうなるのは当たり前だと思ってる」


 ウォルはきっと村のことを言ってる。

 違うよ。と否定しようにも彼にとって自分は悪い子だ。そんなことを否定したところで彼はきっと信じてくれない。


「でもね、私その夢の続きを知りたい。あの人ね、人間が嫌いって言ってるのに大好きな人がいるみたいなんだ」

「フィー」

「……私、そんなに魘されてた?」

「あぁ」


 自分のことじゃないのだから怖いのは一瞬だ。魘される程の夢ではない。

 だけどどうしても気になるのだ。そのキラキラと輝いて見える暮らしのその先にいるきっとその目の先にいる誰かの姿は一体どんな人なのだろうかと。


「それでもフィーはフィーだ」

「あなたのお姉ちゃん?」


 少し嫌そうな顔をしていたが、同郷の幼馴染だけでは二人を繋ぎ止めるには弱い気がした。お互い一緒にいられるなら、姉弟であろうとなんでもよかった。


「……今は俺の姉ちゃんでもいいよ」

「弱いもんね」

「病人に言われたくない」

「弟はお姉ちゃんに逆らえないんだよ」


 実際ウォルはフィーよりも魔力は少なく体力もない。それにウォルは不機嫌になり触れていたフィーの片頬をつまんだ。


「今に見てろ、フィーよりもでっかくなって強くなってやるからな」

「いひゃいよほぉる(痛いよウォル)」


 いつもの生意気なウォルになった。それにフィーは安堵してくすくすと笑う。村にいた時のことを思い出しふと眠気が襲ってきた。


「眠いや……」

「いいよ寝ても」


 彼の手が離される。その名残惜しさに甘えてまたフィーはウォルの服の袖をつかんだ。

 また彼が自分から遠くなる気がしたから、姉だと宣言したばかりなのに姉らしくないわがままをウォルに言う。


「ウォルも、一緒にここで寝ようよ」

「……もうそんなガキじゃないって」


 一緒のベッドで眠っていたあの時がとても懐かしく遠い記憶のようだ。もう目の前の弟は先に大人になっているように見えた。


「いなく、ならないでね……私の、ウォル、ファング……」


 力が尽きる前に自分の本心を吐露してフィラデルフィアは眠りについた。

 掴まれていた袖も力が抜けたのか、だらんと落ちた。


「フィーがいなくなったら、俺は一人だよ」


 力の抜けた手を握り直す。彼の言葉は目の前の彼女に届かなかった。



―――



 目の前の彼は私が目を瞑って開けばすぐに死んでしまうくらいとても弱々しかった。

 弱いのに蜂から私を守ろうとしたり、弱いのにたまに来る賊を追っ払おうとしたり、弱いのに進んで重いものを持とうとした。

 そして弱いからこそ私に人殺しをさせないようにしていた。


 もう手遅れなのに、わたしはこの島で一番人を殺した化け物だよと何度も言っているのに、何度も庇って私を守った。

 今思えば私が彼に呪いをかけたのが悪かったのかもしれない。彼は必死に何度生まれ変わってもわたしを人間にしようとした。

 それをわたしは馬鹿みたいねと笑うのだ。そんな日々がとてもかけがえのないものだった。それが永遠に続けばいいなと思った。


 そう思っていたのに。


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