5

「『阿修羅』に襲われた近隣に住む未成年の子というのは、じゃあ」


 羊の問いに、木村刑事が頷いた。


「暴行を受けるのは女性ばかりだと思ったかい? 確かに彼女の遺体にも、精液が残されていた……が、君たちに話す時、僕ァあえて性別には触れないように、慎重に言葉を選んだつもりだ」

『阿修羅』のその厳つい見た目や低い声で、羊も、今の今までさっぱり気がつかなかった。しかし、事実がそうなのであれば色々と話が変わってくる。


 たとえば第二の殺人の後。

 あの時、木村刑事が羊たちの前に現れて、事件のあらましを色々と話してくれた。思えばあの時から、警察はこの矛盾を疑問視していたのだろう。すなわち、『阿修羅』は実際には女性だったが、発見された遺書では何故か性別が逆転している。あの時点でカマをかけられていたのだ。中年の刑事が涼しい顔で肩をすくめた。


「さて、沖田君のいう通り……仮に由高教授が犯人だったとしよう。しかし彼女は『阿修羅』を殺し、腕や両足まで切り落としている。同性の体だ。いくら夜分とはいえ、太ももの付け根から切り落としておいて、性別にすら気づかないというのは少々無理がある」

「……っ」

「ここでもう一度発見された遺書を読んでみよう。


……【相手は巨漢でしたが、酔っ払っているのか、彼を殺すのにそれほど苦労は要りませんでした。】……


 ……どうだい? おかしいと思わないか? この遺書が事実なら、何故教授は『阿修羅』を男性と断定しているんだ? 本当に教授が犯人だったら、そんな風には書けないはずだ」



 ふと気がつくと、警察に連れられ、風音ほか女子組がそばまでやって来ていた。おおよその内容は既に聞かされていたのだろう、不安げな顔で部屋の中を覗き込もうとする蓮や英理奈と、羊は目が合った。


 そういえば……一番最初に『阿修羅』と邂逅したのは、確か女湯で、英理奈が覗きの被害に遭った時だった。


 冷静に考えて見ると、あれだけ無残な屠られ方をした死体を発見後、すぐに切り替えて裸体を覗きに行こう……なんて奇特な輩がいるだろうか? いや、世界中探せばそんな奴も1人くらいはいるのかもしれないが……あの時『阿修羅』は、別に覗きに来たんじゃない。もまた、死体を見て動揺し、気を鎮めようと風呂に入りに来ていたのだろう。


 そうだ、その時確か由高教授もいた。彼女も同じく風呂上がりだった。あの時教授は死体を磔にした後だったのだ……彼女は自分に着いた返り血を洗うために……。


「……つまり、少なくとも遺書を作ったのは教授じゃあない。影で動く共犯者の存在がこの事件を複雑にしていたが……同時にそのせいで矛盾を生んでしまったようだね」


 沖田は能面のように表情を失くし、しばらく押し黙ったままだった。


「沖田……」


 羊は沈黙の学友を促そうと沖田に一歩近づいた。それが不味かった。


「うわっ!?」


 突然、沖田はバッグのショルダー部分を外し、羊の首に巻きつけ後ろから羽交い締めにして来た。


「うぐ……ッ!?」

「きゃあっ!?」

「荒草君!」

「動くな!」


 悲鳴と怒号が部屋の中で爆発する。羊を人質に取られてしまい、扉の前に大勢集まった警察も近づくに近づけない。木村刑事が慎重に、諭すように両手を掲げた。


「やめるんだ……沖田君。ここにはもう逃げ場なんてない」

「いやぁ……やめてぇ!」

「沖田……!」

「沖田君……」


 首に巻きつけられた紐は緩むどころか、ますます力強くなってくる。酸欠状態になった羊には声も出せなかった。何とか振りほどこうと暴れてみるが、その小柄の何処にそんな力が隠れていたのか、沖田はビクともしなかった。


「沖田君……やめて。こんなことしたって何にもならないわ。お願いだから落ち着いて」


 緊迫した人混みの中から、黒上風音が声を震わせながら沖田に語りかけた。


「お願い……もうこれ以上罪を重ねないで。沖田君の気持ちは……貴方も親の事情や、生まれ育った家庭環境に振り回されて来た。その気持ちは良ぉく分かるわ。そりゃ私だって」

 風音は声を詰まらせた。

「私の親は警察官だったけれど……わ、私だって、それが嫌で嫌でたまらない時、あったわ。『呪い』のように感じたこともあった……だけど、だけどね沖田君」

「…………」

「私ももう、変わろうと思うの。恨んだり羨んだりするばかりじゃなく……カエルの子はカエルかもしれないけど、同じカエルなんて一匹もいないでしょう? 人間だって同じ。見て……これ」

 そういうと風音は、ポケットから貝殻で作られた首飾りを取り出した。


「レオナちゃんからもらったの。お守りなんですって。あの子も変わろうとしている……きっと変われるわ。生まれがどうとか、親がどうとか、そんなことで人は何も、誰にも自分を決めつけられたりしないわ」

「沖田……」

「沖田君……」

「ゴホッ! ゲホッ……!」


 気がつくと、肺に酸素が流れ込んで来て、羊は拘束を解かれていた。沖田は、その場に立ち尽くしたまま、ポトリと紐を床に落とした。


「『阿修羅』を……」

「……?」

「『阿修羅』を殺したのは、お袋じゃねえよ」

 沖田は水滴のように、ポツリポツリと言葉を零した。


「あの人が見つけた時は……既に腕も足も千切られた後だったそうだ。俺もそう思う。だってあの時、母さんは刃物すら持ってなかったんだ」

「…………」

「いるんだよ」


 床に倒れ込む羊を見下ろし、沖田は静かにそう言った。


「あの島には……本物のカミサマが。俺は、俺たちはあの仮面に」


 ……その後の言葉は、上手く聞き取れなかった。警察が怒涛の勢いで雪崩混んで来て、沖田はたちまち床に押し潰されてしまった。大勢の足に揉みくちゃにされながら、羊は、床に転がった仮面と目が合った、ような気がした。


 それから一週間後。


 炎天の下、逃げるようにゼミ室に駆け込むと、そこに黒上風音がいた。ゼミは無期限休止になっていた。フィールドワーク先で教授は殺され、ゼミ生が殺人犯として逮捕された。前代未聞の猟奇殺人は人々の耳目を集め、マスコミによる連日の取材も、ようやく落ち着いて来たところだった。


「あら。久しぶり、荒草くん」

「黒上さん……」


 羊は広々となったゼミ室を見回した。風音カミカゼだけじゃない。カラマリも、キテレツもエースも揃っている。それに……何故か立花さんも。


「久しぶり。荒草クン」

「た……立花さん……!」


 羊の幼馴染・立花照虎が風音の横で笑みを浮かべていた。羊は思わず身を強張らせた。


「ちょうど皆さんと、貴方のことを話していたのよ」

「へぇ……っ!?」


 女性陣が一斉にクスクス笑い出すのを見て、羊は背中にどっと嫌な汗を掻いた。女の人のあの、意味深なクスクス笑いって、どうしてこう胸を掻き毟られるんだろう?


「今回の事件、まだまだ未解決の謎がたくさん残ってると思ってね。色々と、のご教授を願おうかと、私が呼んだのよ」


 風音が凛と背筋を伸ばし肩をすくめた。風音が、立花さんと仲良さげに並んでいる姿は、羊の心を意味もなく不安に陥れた。


「たとえば第二の事件……『阿修羅』殺しの時。どうしてあの時先生は、わざわざ仮面を取ろうと思ったのかしら? 持ち出す理由なんて、特にないじゃない」

「それは……」

「まさか本当に、仮面に呪われていたとでもいうの? いくら何でも……」

「そんなことより!」


 不意に立花さんが立ち上がり、ツカツカと羊の元に歩み寄って来た。羊は何時ぞやの、ヤマタノオロチの夢を思い出していた。


「羊君、貴方、頭の中に何人かんですってね??」

「はぁ!?」

「ケッタイなことね。どういうことなの? 今は誰のことを想っているのかしら!?」

「ち……違うよ! そうじゃない、そういう意味じゃなくて……!」

「聞いたわよ? 貴方たち、女子にあだ名を付けてたんですって?」


 立花さんがげに怖ろしき笑みを浮かべた。羊は思わず後ずさろうとしたが、いつの間にか女性陣に囲まれていた。


「私のことは、じゃあ何て呼んでたの?」

「あ、それ私も聞きた〜い」

「俺も俺も」

「私も……気になります!」


 羊の顎から、ポトリと汗が滴り落ちた。まさに鬼門だ、と羊は思った。真実が、必ずしも人の救いになるとは限らない。事件が終わっても、夏はまだまだ、始まったばかりだった。


〈了〉

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