第二章 死門

1

 ……視界の向こうが、赤く染められて行く。

 

 少女は、仮面に着いた二つの覗き穴から、その様子を見つめていた。糸で釣られた人形のように、少女の右手がつう、と天井に向け掲げられる。ガラササマが、右手を振り上げたのだ。ガラササマの動作に合わせて、少女も右手を上げる。少女は神の中にいるのだから。小さなその掌には、鋭利な刃物が握られていた。


 瞬間、肉を切り裂く鈍い音。


 引き裂かれた胸から鮮血が噴水のように噴き出して、周辺を止めどなく濡らした。足元は瞬く間に真っ赤に染まった。返り血を浴びるのも御構い無しに、少女は……ガラササマは……獲物の心臓目がめて、刃物をグリグリと押し込み続けた。肉が粘土のように重く、掻き分けるには骨が邪魔だった。空いていた左手で剥き出しになった肋骨を鷲掴みにし、強引に押し広げる。しかし中々丈夫なもので、骨はビクともしなかった。


 それで、叩き割ることにした。


 平たい槌の部分で、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も。骨を叩き割る。


 一撃を加えるたび、痺れるような痛みが走った。それでも手は止めない。砕けた石のように、骨の欠片がそこら中に散らばった。それでも儀式は終わらない。


 滴り落ちた汗で、仮面の中は蒸れていた。少女は息苦しさを感じた。変なの。私はとっくに、ガラササマに捧げられたはずなのに。神は、汗などにはお構いなく、無我夢中で獲物の身体を掘り進んでいた。


 目当ての心臓は、獲物はとっくに動きを止めていた。即死だったのだ。動脈と静脈に刃を当て、丁寧に切り取って行く。心臓を抉り出す。


 ……今夜やることはそれだけではなかった。


 どれほどの時間が経っただろうか? やがて刃物は背中を貫通し、獲物の胸にぽっかりと大穴が開いた。


 これでいい。


 空洞のできた獲物をしばらく見つめ、やがて少女は、ガラササマはそれを担ぎ、ズルズルと運び始めた。


 極楽浄土の装飾が施された門の前を、仮面の少女が、血まみれの神が見上げた。神は今天主堂の中にいた。ガラササマが嗤った。少女はその時、硝子が砕けるような音を耳にした。それがガラササマの嗤い声だと気がついたのは、しばらく経ってからだった。


 少女も笑った。ガラササマが嬉しいと、私も嬉しい。

 生贄の少女は神と同化を果たしていた。


 やがてガラササマは獲物の手首を天門の内側に、釘で打ち付け始めた。反対側も同じように。昆虫採集の標本のような。何処ぞの救世主のような。丑三つ時の藁人形のような。妖精の顔が潰れ。天使の羽が折れ。天国への扉が、その内側が赤黒い血で汚されて行く。


 少女は今一度動かなくなった獲物を見上げた。だらんと垂れた首は、虚空を彷徨う両の瞳は、もはや光を失い、何も映してはいない。少女はその場で跪いた。両手を合わせ、捧げられた供物を前に、静かに祈りを捧げる。


 ……痛くなかったかしら?


 怖くなかったかしら?

 でも……大丈夫よね。

 ガラササマはきっと、この島をお守りくださる……。


 気がつくと少女は歌を口ずさんでいた。祈りの歌だ。外の壁を、やってきた嵐が激しくノックし始めた。


 第一の死体が、天国パライソの門に磔にされた──……。


 

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