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「良いか? 公平なるじゃんけんの結果……これは公平なるじゃんけんの結果だ。俺はに行く。お前はカミカゼに玉砕アタックしてこい」

「分かった」

「その代わり、お前には砂浜の方を譲ろう。この天気じゃ星は見えないだろうが、さざ波の音、蟹、白い砂の上に続いていく二人の足跡……最高にロマンチックだぜ」

「蟹?」

「俺は反対側、山の麓に行くからよ。あくまで偶然を装って、俺たちはそれぞれ二人っきりになる。それがお互い出会っちまったら……まぁダブルデートなんてのもあるんだろうが……先ずは基礎だ。何事も基礎を疎かにしてはいけない。基本が大事なんだ」

「なるほど」

「そう! 偶然! 偶然出会ったってのが大事なんだ。運命めいたものを感じるだろう? 朝になったら、カップルが2組成立してるって作戦だぜ……じゃあ、アディオス!」


 情熱の国・スペインの挨拶が長崎の空に響く。それからアディオス沖田は颯爽と闇の中へ駆け出して行った。ひとり取り残された羊は、民宿の方を振り返った。部屋にはまだ明かりが付いている。昼間より風が強い。空には暗く厚い雲が広がり、今にも雨が降り出しそうだった。


 民俗博物館の帰り。


 羊は沖田に呼び出され、作戦の雨天決行を告げられた。表向きはフィールドワークだが、彼にとって目的はあくまでであった。女性陣を真夜中デートに誘うのだ。


「良いか? もし俺たちが今回の夏旅行で一人の女性を取り合い、男同士が醜く争った結果、殺人事件にまで発展したらどうする? 俺はそんな青春はごめんだ。ここは公平なるじゃんけんで行こう」

 ということで沖田は住吉麻里に、羊は黒上風音にアタックすることになった。女性陣からすれば、まさに良い迷惑である。


 羊も正直そこまで乗り気ではなかった。そもそも旅行の最後の方ならまだ理解わかるが、2日目で玉砕覚悟のアタックをかけるなど、正気の沙汰じゃない。もしフラれたら、残りの5日間全部気まずいじゃないか! 殺人事件も嫌だが、傷心の夏旅行も出来れば御免被りたかった。


 悪友には適当に言い訳して……「ごめんごめん。探したんだけど黒上さん見つからなかったんだよ。ほんっと申し訳ない」……部屋に戻ってミステリィ小説の続きでも読もう。そう思っていた羊は玄関の扉を開けた。そこでばったり、彼は黒上風音に出くわした。


「あら、荒草くん」

「あ……黒上さん」

「こんばんは」


 黒上風音はちょうど露天風呂から上がったところだった。白い肌をほんのりと紅く染め、全身から湯気を漂わせている。洗い立ての黒髪。鼻腔を擽る石鹸の香り。淡い水色の浴衣が、実に良く似合っていた。羊は金縛りにあったようにその場に立ち尽くし、思わず彼女に見惚れていた。廊下には他に誰もいない。2人きりだった。


「もう寝るの? 良い湯加減よ」

「え? あー……その」

「ちょうど良かった。ねえ荒草くん、私キミに聞きたいことがあったんだけど……」

「え?」


 不意打ちで体を寄せられ、羊はとうとう本格的に金縛りにあった。大学内でもナンバーワンと名高い美少女・黒上風音の整った鼻筋が、すう、っと羊の顔に近づいてくる。彼女から発せられる熱気が、揶揄うように羊の表面を撫でて行った。


「な、なに……!?」

 彼は自分の声が裏返るのが分かった。

「あなたって……」

「良い加減にせんか!」

 風音が何か尋ねようとした、その時だった。


 玄関の奥、廊下の角から轟くような怒鳴り声が聞こえてきて、羊も風音も飛び上がった。驚いてそちらに向かうと、ロマンチックとは程遠い光景が飛び込んできた。


 何十畳もある大広間に所狭しと、大勢の男たちが赤い顔をしてたむろしていた。喧嘩でもしていたのだろうか? 中には羽交い締めにされた老人の姿も見えた。その片手には一升瓶が握られている。


 羊と風音は目を合わせた。どうやら今夜ここで宴会が行われていたらしい。酔っ払った男たちの熱気で、羊は咽せ返りそうになった。


「ワシが何年、いや何十年この島でやってきたと思っとる! 貴様のような小童の出る幕ではないわ!」

「親父、もうやめろよ」


 泥酔した老人の怒鳴り声が廊下まで響く。それを必死に羽交い締めにして抑えているのは、あの沼上丈吾だった。ということは、老人の方が丈吾の父親……八十八島の村長ということか。羊は廊下の角から、思わず首を伸ばした。


「出て行け! この島から出て行け!」

「おやおや、この島は貴方の領土か何かですか? 全く、とんだ独裁者だ」


 一方老人とやり合ってるのは、こちらは30代半ばほどの、中肉中背の男だった。にやにやと人を食ったような笑みを浮かべ、何やら老人が怒っているのを楽しんでいるように見える。


 何よりその出で立ちに羊は目を見張った。男はまるで神父か何かのように、全身真っ白なローブに身を包み、真夏だというのに白い手袋、白いマフラーに白のニットキャップまで装備していた。


 頭の天辺から爪先まで、全身白で統一した謎の男。


 確かにこの地方は元々北風が強い。さらに夏とはいえ海辺の近く、風は夜になるにつれさらに激しさを増してきている。薄着では少々の肌寒さを感じるとは言え、それに付けても目の前の男は、明らかにまともな格好ではなかった。


「何? あいつ……」

 風音もさすがに眉をひそめた。先ほどから、全身白づくめの男に、老人が顔を真っ赤にして怒鳴っていた。


「貴様のような悪魔にゃ、島に入り込む隙間もないわ!」

「気に入らないものはみんな悪魔ですか。やれやれ。ここは潜伏キリシタンの島でしょう? 数百年に渡り迫害されてきた貴方がたが、表舞台に立った途端、我々を迫害しているとは。こんな皮肉がありますか、これが貴方がたの信じる神の望む事でしょうか」

「何をォ!?」

「一つ教えて差し上げましょう。もう貴方の時代は終わったんですよ」

 中年男性の方も、これまた一歩も引かなかった。真っ向から老人に噛み付いていく。


「今度の選挙で勝つのはだ。この島を本来の形に取り戻す。中央の顔色を伺い、外圧には屈してばかり。もううんざりだ。貴方がたのやり方が間違っていたから、島はこんな風になったんじゃないですか」

「舐めるなよ小僧! ワシらは強い絆で繋がっておる! ワシが声をかければ、村ん者はみんなワシに投票して……」

「公職選挙法違反を自白してくれてるんですか? これは有難い。しっかり録音させてもらいましたよ。フフ……」

「待て! どこに行く!?」

「出て行けと言ったり、行くなと言ったり、支離滅裂なお方だ。失礼。これから用事があるんでね……」

「話は終わっとらんぞ! おい!」

「親父!」


 白装束の男が不敵な笑みを浮かべ、踵を返した。怒鳴り散らす老人たちを置いて、優雅に階段を上がって行く。騒動が終わっても、羊はしばらく呆気に取られたままだった。今のは何だったんだろうか?


「荒草くん」

 風音に肩を叩かれ、羊はようやく我に返った。


「此処じゃどうも騒がしすぎるみたい。ね、外行かない?」

「あぁ、うん……え?」


 目を丸くする羊に、風音がいたずらっぽくほほ笑んだ。


「これも公平なるじゃんけんの結果、よ」

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