8-B 『いがみ合う両家』


「お嬢様のお見合いは、いつも危険と隣り合わせですよね」


 いつものようにイヴ・ヴァネルの髪を結いながら、マリーがため息交じりにそう切り出した。


「くじ運が悪いというか、なんというか。――このまま続けていたら、そのうちに村一つくらいは滅ぼしそうな気がします」


 大袈裟ね、とイヴは笑い飛ばす。


「いくらなんでも私の縁談に、村一つ消し飛ばすほどの影響力はないわよ」


「だったらよろしいのですが」


 マリーは半信半疑な様子である。これに対しイヴは、『とにかく近頃はあまり危ない目にも遭っていないし』と言いかけたのだが、そこである記憶が蘇り、開きかけた口を慌てて閉じた。


 バツが悪そうに視線を彷徨わせるイヴの横顔を眺め、マリーが顔を引き攣らせる。


「あの、お嬢様? 何か思い出したのですか?」


「えっと、その――村が滅んだという話ではないの。ただ、いがみ合う両家の争いに巻き込まれたことはあったなって」


 控えめに切り出すと、マリーは『うへぇ』と女の子にあるまじき色気のない声を出した。


 そんな訳でイヴは、いがみ合う両家のもとを訪ねた、とある日の出来事を語り始めたのである。




***




「ある土地に、代々いがみ合っている二つの名家があったの」


 緑深い場所に建つ、隣り合った二つの屋敷。その奇妙な佇まいを思い返しながら、イヴは続けた。


「実名を出すと差し障りがありそうだから、ここでは仮にA家、B家としましょうか。――A家、B家の領地は隣り合っており、元々は境界線の引き方で揉めて、月日がたつにつれてどんどんこじれていったらしいわ」


「そんなことってあるんですね。名家ならば庶民と違って領地も広大でしょうに。それでも揉めるってことは、他人が自分より得をするのが嫌なんでしょうかね?」


 自分が認識しているラインよりも、境界線がこちら側にずれ込めば、自分の土地が狭くなる。すると自動的に相手の土地が広くなるわけだ。所有する土地が狭くなることよりも、それにより相手に負けたような感じがするのが嫌なのではないか。


 ――『人はだれかと比べることで、不幸になっていく生きものである』――マリーはそんなことを思った。


「人の業の深さ、ってやつね」


 イヴは物思う様子で視線を彷徨わせた。


「仲が悪いのだから、互いに相手を避けて暮らせばいいものを、彼らは古い屋敷を取り壊し、わざわざ領地の境界線近くに新居を建てた。あんなに広大な土地があるのにも関わらずね。だから両家の建物は、二つ仲良く並んでいたの」


「地獄じゃないですか。もう嫌な予感しかしません」


「二つ並んだ家は、規模、間取り共にとても似通っていた。互いが互いを意識するあまり、そうなってしまったのでしょうね。――まるで双子の家だった。何も知らずにあの光景を見たなら、すごい仲良しさんねと思ったはずよ」


「そりゃそうですね。仲が悪いのに、家がお揃いって、どうかしていますよ。――それでどちらとの縁談が持ち上がったんですか? A家? それともB家?」


 まさか両家とじゃありますまいね? というようにマリーが眉を顰めて問うので、イヴは困ったように小首を傾げてしまう。


「どちらとお見合いしたかは一旦置いておいて、A家、B家がそれぞれどんな方たちだったのかを、先に説明しておきましょうか。――A家のあるじはヒョロリと背が高く、B家のあるじはでっぷり太った小柄な男だった。私の縁談相手として名前が挙がったのは、それぞれの当主の息子たちで、年の頃はどちらも二十代前半だったかしら」


「それぞれ親御さんに似た容姿ですか?」


 マリーの問いに、イヴは首を横に振ってみせた。


「いいえ、どちらもまったく似ていなかった。なんだか両家のご子息とも、不思議なことに、兄弟のように似通っていたのよ。中肉中背で一見大人しそうで、顔も特に特徴がなくて。一度顔を見ても、すぐに記憶から消えてしまいそうな、ぼんやりした感じ。特別人が良さそうでもないし、身の毛がよだつほど下卑ているわけでもない。何を考えているのか分からないような、掴みどころのない人たちだった」


「それって加点すべき魅力がないような」


 大人しいというくくりであっても、謙虚で控え目なタイプと、他人に無関心で何事にも反応が薄いタイプとでは、大きな違いがある。前者は人から好かれそうだが、後者はどうだろう。――お嬢様の口ぶりからして、A家とB家の子息は、どうやら後者であるらしいとマリーは察した。


「そうかもしれないわね」


「考えてみると、両家はずっとバチバチやり合っているわけですよね。その縁談が上手くいって嫁いだとしても、明るい未来なんて見えないのですが」


「まったくよねぇ。どうして伯母さまはこんな話を寄越したのかしらと、私は不思議で仕方なかったわ」


「だけどそれは、いつものことでは?」


 伯母さまの仲介能力の欠如ぶりは、マリーにもすっかり筒抜けになっていたものだから、この言い草はまだ手加減したほうなのだろう。もしもマリーがそのものズバリ本心を吐き出していたなら、『あのオバサンの目は、はっきりいって節穴ですよね』くらいの辛辣さになっていたはずである。


 それはまぁともかくとして、問題はA家とB家だ。イヴは難しい顔になり、話を続けた。


「さすがにこのレベルの縁談を寄越すのは、私もどうかと思ったわ。なかなか相手を決めない姪っ子を懲らしめるために、イロモノ案件を押しつけてきたにしたって、ちょっとね。――これはあとで分かったことなのだけれど、A家とB家が揉めているせいで、地元の住民が迷惑をこうむっていたらしいの。公爵家の伯母さまは仲裁役として、なんとか問題を治めなければならない立場にあった。そこで解決のために白羽の矢が立てられたのが、アルベールだった。つまり私に舞い込んだこの縁談は、アルベールに現地調査をさせるための、隠れ蓑だったのよ」


「なるほど」目から鱗というように、マリーが瞬きする。「確かに『調査をする』と大々的に宣言して、ヴァネル伯爵家の従者が乗り込んで行くと、いらぬ波風が立ちそうです。けれど縁談というていで滞在するなら、相手の屋敷にも立ち入ることができますし、あちこち見て回っても不審に思われない」


「そうなのよ。伯母さまは賢いことを思いついたものだわ。縁組のために身辺調査が入るのは、自然な流れではあるものね。そんな訳でアルベールは、私とは別行動を取ることになり、一日早く前乗りしていたの」


「珍しいですね。アルベールさんがお嬢様のそばを離れるだなんて」


 マリーは意表を突かれたように顎を引き、微かに眉根を寄せている。


「そうね。――当時はそういった事情が伏せられていたものだから、彼を伴わずに相手の家に入るのは少し不安だった。私は侍女のリーヌを伴い、とりあえずA家――背が高い当主の屋敷に滞在することにした」


「実際にお会いしてみて、どうでした?」


「早速、ひと悶着起きたわ」


 あの馬鹿馬鹿しい騒ぎを思い出したイヴは、はぁと重い溜息を吐く。


「A家のご当主はすっかり上機嫌で、玄関口で私を迎えると、不自然に大きな声で歓迎の意を示し始めた」


「それって隣家へのアピールですね?」


 その大人げないやり口に、マリーは渋い顔だ。


「ええ、そのとおり。すると案の定、隣の屋敷からでっぷり太った当主が息子を引き連れて出て来てね――『お嬢さん、そんな陰気臭い家に入るのはおやめなさい! あなたが笑いものになりますぞ!』――そんなふうにB家の当主が大声で怒鳴るので、私はとても不愉快な気持ちになったわ。互いに喧嘩するなら、もう勝手にどうぞって感じだけれど、無関係の私まで威嚇してくるなんて、下品な人だと思った」


「まったくですねぇ。B家に行かなくてよかった」


「ところが、よ。この悪口にカッとなったA家の当主が、青筋を立てながら、目の前でがなり始めたの。――負け犬のデブだとか、聞くにたえない汚い言葉を並べてね。影の薄い子息はそれをいさめることもなく、薄ら笑いを浮かべて、こちらに近寄って来た。そして『冷えますから、中へどうぞ』と、慣れ慣れしく私の手を取ったの」


 聞いていたマリーの顔に嫌悪感が浮かぶ。


「うわぁ、感覚が麻痺しているのかしら? 怖がらせてすみませんとか、不快な出迎えになってしまって心苦しいとか、そんなふうに恐縮するくらいなら、まだ更生の余地はありそうですけれどね」


「本当よ。この品のないいがみ合いが、ここでは日常茶飯事なのだと思ったら、正直ぞっとしたわ。一度嫌悪感を抱いてしまうと、子息の薄らぼんやりした風体も、なんだか気味悪く感じられてね。――どうやったら角を立てずに、この手を振り払えるかしらと考えていたら、そこへタイミング良くアルベールが現れたの」


「やっとご登場ですか」


 マリーはなぜかほっとした様子である。


「不思議なことに、彼は森のほうから徒歩でやって来た。森のきわで振り返って、誰かに別れの挨拶をしていたようだから、きっと領民に案内を頼んで、周囲をぐるりと視察してきたのでしょうね。彼は玄関前にいた私に近寄ると、流れるような動作で、A家の子息に握られていた私の手をすくい取り、『遅くなってすみません、お嬢様』と素敵な声で謝ってくれた」


「ほんと遅すぎですよー。それで?」


「邪魔をされた形のご子息はむっとした様子でアルベールを睨んでいるし、私は前途多難だと思ったわ。早く帰りたかったけれど、来たばかりなのに『じゃあこれで』というわけにもいかない。アルベールはアルベールで――」


 イヴはふと言葉を途切れさせてしまう。一拍置き、少し混乱した様子で眉を顰めた。


「……思い返してみると、彼もちょっと態度が悪かったわ。まるきりA家のご子息を無視して、挨拶すらしなかった。あちらも機嫌を損ねてしまい、『従者風情が生意気じゃないか』と嫌味を言い出して。それでもアルベールは虫でも眺めるように、冷ややかに相手を一瞥しただけだった」


「おやまぁ、なんていうか、アルベールさんらしくありませんねぇ。いつもなら初めは礼儀正しくなさるでしょう? ちょっと泳がせておいて、最後には全力で叩きますけれど」


「確かに彼はあの時、少々ピリついていたわね」


「――もしかして、お嬢様が許可なく異性に触れられたからでは?」


 マリーの見解を聞き、イヴは呆気に取られてしまった。あまりにありえなくて笑みが零れる。


「まさか! そんな馬鹿げた話ってないわ。だって、ただ手を握られただけよ」


「そうでしょうか? アルベールさんはたったそれだけのことでも、不快に思われたのでは?」


 マリーがさらにぶつぶつ呟いているが、当時のことを思い返していたイヴは、よく聞いていなかった。ふぅと息を一つ吐き、話を再開する。


「応接間に通されると、ご子息が私のすぐ隣に座ろうとしたので、アルベールがそれをいさめて、そこでもまたひと悶着あって。もう散々だったわ。ご子息はカンカンになって『使用人は北の使用人区画に行っていただきたい』と喚き出してね。さすがにこれはと口を挟もうとしたのだけれど、どういう訳か侍女のリーヌがずいと前に進み出て、私の耳元で囁いたの。――『お嬢様、伯母さまから今回は上手く治めるようにと指示を受けております。なるべく揉めないでください』と。私はそれでぐっと言葉を飲み込んで、とりあえず言うとおりにするよう、アルベールを部屋から出すことにした」


「彼がよく従いましたね」


「それもリーヌがなだめてくれたわ。彼女は機転を利かせて、部屋にいた年かさの女中を捕まえると、『なんぴとたりとも、お嬢様には指一本触れさせませんよう、見張りをお願いいたします。公爵家の伯母さまから特別に可愛がられているご令嬢ですので』と脅しをかけてから出て行ったの。――A家の人間にはあからさまに言わないと意味が通じないみたいだから、このくらいでちょうどよかったんだわ。おかげでご子息は私の隣に座るのを諦め、渋々ではあったけれど、紳士らしい距離を保ってくれた」


「彼のお父さまはどうされていたんです?」


「玄関の外で、まだののしり合いを続けていたわ」


 イヴは疲れたように眉尻を下げた。対し、マリーはぎょっとした様子である。


「えっ、まだやっていたんですか?」


「がなり合いはずっと続いていたのだけれど、さすがに飽きたらしく、やっとご当主が応接室に入って来た。『あの無礼者め、今度屋敷に火をつけてやるからな』と悪態をつくので、腹が立った私は、『お友達が火災の被害に遭われたことがあるので、そういう心無い言葉は聞きたくなかったです』と言ってやったの。さすがにバツが悪そうにしていたわね」


「それでやっと喧嘩も治まったのですね?」


「ところがよ。一息つく間もなく、外から猟銃をぶっ放す音が響いて、そうしたらまた当主がカッとなって、『撃ち殺してやる!』と怒鳴って、応接室を飛び出して行ったの」


「もう何が何やら」


「私もびっくりしてね。その場から動かないご子息に、『お父さまは隣人と撃ち合いをするつもりでは? 止めなくていいのですか?』と言ってみたのだけれど、彼はヘラヘラとしまりのない顔で笑い、『この程度は日常茶飯事なんですよ。弱い犬ほどよく吠えるというやつでね。あっちが空に向かって猟銃をぶっ放して、うちの親父も同じことをやり返して、それでおあいこ、終了です。ラッパを吹くのとなんら変わりはないですよ』なんて言うんですもの」


「呆れた」


「そのあとA家の当主も猟銃を空に向かって撃ったらしく、さっきより近い位置で銃声が響いた。それからまた怒鳴り合いが始まり、また長いことやり合ってから、ふたたび当主が戻って来たわ」


「ずっとそんな調子だったのですか?」


「A家のご子息はいつものことだと言っていたけれど、ところがその日ばかりは、いつもどおりでは済まなかったのよ。――だってね、考えてみて? いつもは互いが罵り合って、平行線のまま優劣がつくことはない。だけどその日は『ヴァネル伯爵家の令嬢』という勝利のトロフィーが、A家のほうに存在したのよ。それを見てB家の当主はどう思ったのかしら?」


「それで焦った?」


「溜まりに溜まった憎悪、鬱憤、そして出し抜かれるかもしれないという焦りが爆発したのでしょうね」


 イヴは一旦言葉を切り、気が重そうに先を続けた。


「周囲が突然騒がしくなって、屋敷の西側から火の手が上がった。どうやら外に積んであった薪に火を点けられたらしいの。幸いボヤ騒ぎで済んだけれど、互いの財産を脅かすような直接的な暴力に晒されたのは、その時が初めてだったみたい。もしも建物に燃え移っていたなら、被害は甚大だったはずよ。アルベールが部屋に飛び込んで来て、彼らにこう告げた――『当家のお嬢様が滞在している時に、このような事件が起きたこと、伯爵家は重大に受け止めています。相応の報復があると覚悟してください』――そうして彼は私の手を引き、その不愉快な屋敷をあとにした」


「途中ヒヤっとしましたけど、大事に至らなくてよかった」


 ほっとした様子のマリーを、イヴは複雑な表情で眺める。


「馬車の中はまるでお通夜のようだったわ。アルベールは私に不快な思いをさせたと反省しきりだった。別に彼のせいではないのに。私は空気を変えたくて、リーヌに顔を向けて、『銃声がして、さぞびっくりしたでしょう』と言ってみたの。そうしたら彼女は苦笑いを浮かべて、『アルベールがすぐに外へ様子を見に行こうとしたので、流れ弾に当たってはいけないからと、その場に引き止めるのに必死でした。結果的にボヤ騒ぎが一段落するまで、彼がずっとそばにいてくれたので、こちらは安心でしたけどね』と答えた。リーヌに引き留められて身動きが取れなかったアルベールは、それでも私の安全を心配して、じりじりしながら部屋で待っていたみたい。そうこうするうちに火の手が上がったものだから、さすがにこれはもう――ということで、私を連れ出しに来てくれたのですって」


 いかに万能なアルベールとて、放火があった際にリーヌと小部屋に押し込められていたのでは、あの惨事は防ぎようもなかったのだろう。


「むしろアルベールさんはよく我慢なさいましたよ。伯母さまからの圧力があったにせよ。――まぁ、あっという間の出来事で、止めようもなかったのでしょうけど」


「ところがね、話はこれだけでは終わらなかったのよ」


「えー、でもそんな気はしていた!」


 マリーの叫びに、イヴは苦笑を漏らした。


「その晩、私たちは近くの町で一泊したのだけれど、朝になるとA家とB家で不幸が起きたと大騒ぎになっていたわ」


「もしかして火事以外に何かあったのですか?」


 ボヤ騒ぎはA家で起こったので、A家とB家で不幸が起きたという表現はおかしい。そんなことを考えながらマリーが尋ねると、イヴの返答は想像を超えていた。


「縁談を潰されたA家の当主は激高し、その日のうちに猟銃を担いで、B家に乗り込んだそうなの。B家の当主を撃ち殺したところで、B家の子息が応戦。そこに助太刀に入ったA家の子息が、さらに銃を撃ち――すべて終わってみれば、屋敷には死体が四つ転がっていたらしいわ」


「お家(いえ)断絶ですね」


 まぁ、そうなる予感はしていましたけど。マリーはすっかり疲れた様子で、肩を落とした。




***




 ――さて、時計の針は巻き戻り。猟銃惨殺事件が起きたあくる日、一人森を歩くアルベールの姿があった。一行はA家を退去したあと、近くの町で一泊することになった。これはイヴが宿泊先の宿で寝入っている最中の話である。


 彼は森の外れの小屋を訪ね、玄関口に出て来た番人に礼を述べた。この森番は前日、付近を案内してくれた人物である。


 熊のように大柄なその男は、『どうぞ上がってください』と勧めてくれたのだが、アルベールはすぐに帰るからと丁重に断りを入れ、ポケットからあるものを取り出した。


「――これをお返しします」


 それはなんの変哲もない一箱のマッチだった。森番はそれを複雑な顔で見おろし、強張った声で尋ねる。


「お役に立ちましたでしょうか?」


 元々このマッチを目の前の端正な青年に貸し与えたのは、ランタンに火を灯すためだった。しごくまっとうな理由から青年に渡ったこのアイテムが、実は重大なことに使われたのだと森番の男が気づいたのは、すでに手遅れなところまで事態が進んでからだった。


 それゆえの先の台詞である。――男はマッチの使われ方について、アルベールを責めなかった。それどころか、役に立てたかと気遣いさえした。それが森番の、ひいてはこの町の住人大半の本心だった。


「ええ、とても」


 アルベールもその意図を汲み、静かな声で答える。


 ――いがみ合う両家の喧嘩騒ぎは、いつだって茶番劇のまま、お遊びを越えることはなかった。それが崩れたのは、あのボヤ騒ぎがきっかけである。


 いつもとは違う展開になったことで、あれらの芝居じみたかけ合いが、不意に現実味を取り戻した。相手がどこまでやるか分からない、そう疑い出した途端、均衡が崩れたのだ。


「これでやっと平和になります。カッとなってすぐに銃を撃つおかしな人間が近くにいては、子供たちが伸び伸び暮らせませんから」


 そんなことを繰り返していれば、いずれ何かの間違いが起きていたかもしれない。流れ弾に当たるようなことがあってはたまらないと、住人たちはずっと気が気ではなかったのだという。


 アルベールは労わるように男を見つめてから、小屋をあとにした。来た道を戻りながら、


「アリバイ工作は、別に必要なかったのに」


 彼はポツリと呟きを漏らした。


 ――『火点けがあった時、彼はずっとそばにいてくれた』と言い張ったリーヌの、いつになく真面目な、あの義理堅い顔。それを思い出し、アルベールはそっとため息を吐いたのだった。




***


いがみ合う両家(終)


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