2-B 『幼馴染に求婚した男』


「政略結婚に関する心得って何かしら?」


 イヴ・ヴァネルはいつものように髪を整えてもらいながら、髪結いのマリーにそんな問いかけをした。


 マリーは問うようにお嬢様を見つめ、小さく首を横に振る。


「お嬢様らしくない。世間一般の心得を学んで、従順に実践するおつもりですか?」


「――ああ、今日は真ん中分けにしてくれる?」


 指示を出してから、鏡に映ったマリーに悪戯な笑みを向ける。それは少年が昆虫を採った時のような得意げな顔にも見えたし、角度を変えれば不思議なことに、酒の席で殿方相手に、今宵限りの誘いをかけているような顔にも見えた。


「皆が皆、私との縁談に乗り気ではないってことよ」


 こちらが政略結婚のつもりならば、当然のことながら、相手にとってもそれは同じなのである。相手がイヴのステータスに魅力を感じている場合、その縁談は前向きなものになるだろうが、その男性が何かほかに譲れないものを持っていた場合は、縁がなかったということになるだろう。


「お嬢様を気に入らない男がいたんですか? それはとんだ大馬鹿者ですね」


「あら、そう言ってもらって、悪い気はしないわね」


 イヴが気取った様子で頷くもので、その小悪魔じみた仕草を見て、マリーは思わず吹き出してしまった。


「それで? 一体どんな縁談だったんです?」


「――これからあなたに語って聞かせるのは、『幼馴染に求婚した男』の話よ」


 イヴは物思う様子で視線を彷徨わせてから、とある縁談の顛末について語り始めた。




***




「伯母さまがお相手に選んだ男性は、二十代半ばの、爽やかな容貌の方だったわ」


「良さそうな方じゃないですか」


 マリーがブラシを動かしながら、鏡越しにイヴの瞳を見つめる。


「そうねぇ……」


 イヴは遠い目になりながらも、肩を竦めてみせる。


「お見合いは当家の庭園で行われた。私にとっては慣れた場所だったし、天気も快晴で、白いテーブルクロスが陽の光に映えて、状況としては悪くなかったと思う。それで少し雑談したあとにね、その男性が改まった調子でこんなことを言い出したの。――『申し訳ないのですが、実は、僕にはすでに心に決めた女性がおりまして』と」


「なんとまぁ」マリーは思い切り顔を顰めた。「まぁでも、考えてみれば、素敵な男性がフリーでいるって、実際のところあまりないかもしれませんね」


「それは世の摂理ね」


 感心したイヴは深く頷いてしまう。


「話を聞いてみると、彼は幼馴染の令嬢と結婚したいと考えていて、ちょくちょく彼女の家に通っているとのことだった。私は正直でよろしいわ、とそれを聞いた時に思ったの」


「正直に打ち明けてくれたから、誠実だと?」


「ほかの女性に熱烈に恋しているのに、嫌々私と結婚されてもね。あらかじめ意向を伝えて、この縁談を壊してくれるなら、そのほうがずっといい気がして。とにかくね、彼は『政略結婚をするつもりはない』のだと、大変申し訳なさそうに、けれどきっぱりと言い切ったの。よほどその幼馴染が好きなのね、と私は感心してしまったわ」


「純愛ですねぇ」


 マリーが茶化すようにニヤリと笑う。


「――だけどアルベールは怒っていた」


 イヴがぽつりと零したその呟きに反応し、マリーは真顔に戻った。


「え? そうなんですか? でも、アルベールさんは喜びそうですけどね?」


 どうして彼が喜ぶのだろう? イヴは訝しく感じながらも、状況を説明する。


「紅茶をサーヴしていた彼がピクリと動きを止め、お相手の男性を冷ややかに眺めおろしたのが分かったので、私は少しヒヤっとしたのよ? ――あとで聞いたらね、『ほかの女性に夢中な男が、お嬢様との縁談を形だけでも受け、恥知らずにも同じテーブルに着いている状況が、まさしく悪夢でした』と言っていたわね」


「それはいくらなんでも潔癖すぎでは?」マリーが苦笑を漏らす。「そのお相手は世間一般の常識に照らし合わせると、純粋な部類に入るかと思いますわ。だって、想い人がほかにいても政略結婚を受け入れ、条件の良い相手と結ばれる、それって意外と普通のことですものね。――まぁお嬢様には、そういった従順さは似合いませんけれども」


 イヴは口元に笑みを乗せ、鏡越しにマリーと視線を絡ませる。


「私もそう思う。それでね、その男性に『だったら彼女にプロポーズしたらよろしいわ』とアドバイスをしてみたの。そうしたら、『すでに何度もしているのです』と彼は答えた」


「それじゃあ、どうしてくっついていないのでしょうか?」


「彼の話では、お相手の親戚筋が強硬に反対しているとのことだった。口うるさい彼女の叔父が出しゃばって、『この結婚は絶対に認めん!』と断固突っぱねていたらしくて」


「叔父さま、ですか?」


「令嬢のお父さまはすでに亡くなっていらして、その叔父上が何かと口を出していたらしいわ」


「あらら、それは面倒。だけど、どうして叔父さんは結婚を認めないんです? その男性、お嬢様の結婚相手として名前が挙がったくらいですから、身分も高く、理想的な結婚相手だったのでは?」


「そうなのよ、私もそこが不思議だったの。令嬢よりも男性のほうが身分は上だから、お相手の親戚筋は諸手を挙げて賛成してもいいはずだった。――叔父上はどうしてこの縁談を邪魔しようとしたのかしらね?」


 イヴの出したクイズはあまりに難解で、マリーは眉根を寄せて考え込んでしまった。


「普通は、姪っ子が幸せになれるならと、結婚を認めますよね? それを邪魔するというのは、叔父には何か後ろ暗い秘密があったんじゃないですか? ――たとえば、姪っ子の資産を食い荒らしていて、彼のように賢い男性が家族になってしまうと困る、とか」


「なかなかにサスペンスフルな展開ね」


 この予想が気に入ったようで、イヴはにこにこと笑った。


「どうです? 正解ですか?」


 尋ねるマリーは『いい線、いっているでしょう?』と自信たっぷり。


「残念、外れ。でも、ちょっと惜しいわね。――後ろ暗い事情があったのは、なんと、令嬢の母親のほうだったの!」


「ええ? そうなんですか?」


 マリーは目を真ん丸くして驚いている。答えを聞いても納得できなかったらしく、難しい顔で視線を彷徨わせたあとで、『やはり謎過ぎるわ』と溜息をついている。


「お見合いが終わってから、アルベールが私に言ったの。――『令嬢の親戚筋は、私がなんとか説得します。彼は幼馴染の令嬢と結婚する。これでこの話は終わりです』と」


「アルベールさんがそう言ったなら、きっとその叔父上は瞬殺ですね」


「ええ、瞬殺だった」イヴは謎めいた笑みを浮かべた。「アルベールがどんな手を使ったのかは分からないけれど、男性の希望どおりに、あれよあれよと二人の婚約が調ったようだわ。男性は本当に幸せそうで、『早く結婚したい』と語っていた」


「めでたし、めでたし、ですね」


 マリーは先ほど耳にした『令嬢の母親に後ろ暗い秘密が』という話を、すっかり失念していた。そのため話が上手く行きすぎて、少しつまらないと感じていたくらいだった。


「――この話にはまだ続きがあるのよ」


 だからイヴがそう言い出した時には、マリーは前のめりになって話に食いついていた。


「待っていました! 早く聞かせてくださいよ、お嬢様」


「後味のいい話じゃないわよ?」一応そう断りを入れてから続ける。「実はね、結婚を目前にして、彼は馬車の事故で亡くなってしまったの」


「おやまぁ」


 そうきますか。人死にが出たとは、さすがに穏やかではない。マリーはきゅっと眉を顰め、『お気の毒に』と小さく呟く。


 イヴは気鬱な様子で、夜の気配のする瞳を微かに揺らした。


「馬車には令嬢の母親も同乗していたそうよ。亡くなったのはその二人と、御者の計三名」


「えっ? 将来の義母と彼、二人きりで馬車に乗っていたのですか?」


「そうなの。実はね……彼と令嬢の母親は、つき合っていたんですって」


「はぁ? あの、今、なんておっしゃいました?」


 マリーが素っ頓狂な声を出す。


「だからね、年の離れた二人は、熱烈な恋に落ちていたの。彼が足しげく幼馴染のもとに通っていたのは、彼女の母親と逢瀬を重ねるためだったのよ。互いに肉欲に溺れていたのね」


「うへぇ」


「だけど世間体を考えれば、彼と令嬢の母親が結婚するのは、ちょっとばかりマズい。そこで二人は考えた。娘のほうと結婚すれば、世間的にも自然な流れに見えるだろうし、母親が同居したとしても、別に怪しまれないだろう、とね。――つまりね、彼は令嬢の母親とずっと一緒にいるために、娘との結婚を隠れ蓑(みの)にしようと考えていたのよ」


「最低! じゃあ叔父上はそれを薄々勘づいていて、反対していたわけですね」


「だけど二人の火遊びを放置していたのだから、やはり同罪だと思うわ」


 イヴは冷ややかに言い放った。


「母親はずっと娘を虐げてきた。それで反抗されたこともなかったから、なんでも言いなりにできると考えていたのね。だけど娘だって、彼女の血を引いている」


「どういうことです?」


「令嬢は母親の前では従順なふりをして、猫を被っていた。けれど外ではだいぶ奔放に遊んでいたみたい。彼女には性質の悪い恋人がいてね。――彼の職場はなんと、馬車の修理工場だったのよ」


「まさか」


「事故の直前、男性は馬車のメンテナンスを、ある業者に頼んだ。その業者を紹介したのは、幼馴染の令嬢よ。彼女は『知り合いが勤めている業者だから、割引がきく』と言って勧めたらしいわ。そうして愛欲に狂った恋人たちは、命を落とすこととなった」


「お気の毒、というかなんというか。それって、自業自得ともいえますよね」


「確かに彼らの死は、自業自得だったかもしれない。だけど巻き添えを食った御者は、本当にお気の毒だったわ」


「あ……」


 マリーは初めて、馬車事故の犠牲になった、名もなき御者に思いを馳せることとなった。――確かにとってもお気の毒だわ。ご家族の悲しみは、それはそれは大変なものだったでしょう。


「令嬢と恋人は後日殺人罪で捕まり、死罪となった。これで正義は果たされたわけだけれど、御者のご家族は、稼ぎ手を失って大変だと思ったの。アルベールもその点は気にしていてね。彼と相談して、ご遺族には匿名でお金を寄付させていただいたわ」


「――ご冥福をお祈りしましょう」


 イヴとマリーはなんとなくしんみりして、御者が安らかに眠れるよう、心を込めて祈りを捧げた。




***


 幼馴染に求婚した男(終)


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