第26話 ねぇ、アナタのお名前なんてーの? ①









 せわしない音楽の中、めまぐるしく動く画面にアタシの頭はぐるりぐるり。

 テスト勉強でもこんなに頭を使った事はないわ。きっと頭からはモクモクと白い湯気が出ているはずだ。

 すぐ隣では、知り合ったばかりの同級生も同じ感じなのかな。疲れましたと言いたげに、項垂れてしまっていた。

 今日はじめて入った男の子の部屋。机の隅っこに立つ、片腕のないロボットから目を逸らし逸らし。モニターで見た時刻表示はもう少しで11時といったところ。


「あの、左クリックで決定です」


「わーってるってば、こうでしょ」


「ですから、それは右クリック」


「う、うっさい! 知ってるっての」


 返事だけは一人前。あっぷあっぷと目を回しながらもカチリカチリ。アタシは必死になってパソコンのマウスを鳴らす。

 どうしてこうなったんだっけ。

 家を出て、コンビニまではサイコーの一日だったはずなのに。そう、この家に近づいてからおかしくなったんだ。

 この家の玄関をくぐる事になった時から今というこの時まで、次から次に巻き起こるそれこそコントのようなドタバタ。

 アタシはさ、ただ同級生の家を見に行っただけなのに。それだけなのに、――テレビでしか見ないようなでっかい御屋敷に、なぜかこっちの個人情報を知りつくす目の覚めるような美女。

 犯罪者と疑われたアタシと、向かいの家に住む美人で料理上手なお母さん。

 二階から降りてきたあの同級生。パパとは違う異性の部屋。地味だけど高価なお人形さん。バタバタと音を立てて倒れていくロボット達。

 ちゃんと説明しろって言われてもムリね。だってアタシ自身がよく理解できてないんだもん。

 もちろん、ちょっとくらいは自業自得な部分もあるけれど、今日のはドタバタが過ぎる。

 そんな息もつけないあれやこれやの末、なにがどうしてこうなったのか――終いにはこうしてパソコンと睨めっこしてるんだから、メチャクチャすぎてお手上げだ。


「――はっや」


 アタシが決定ボタンを押すとすぐ、目の前でド派手な音が鳴った。どうも、この対戦相手はこれっぽっちもアタシを休ませる気がないらしい。

 今回も、あっという間。

 こっちがヒーヒー唸りながらも頑張って、ようやく自分の番が終わり。やった、これで休めるとほっと一息ついたってのに、待ちくたびれたと言いたげに、――相手の陣地へと敵がドカン。

 ゴツゴツとした岩で出来た怪物に、わぁ、と変な声が出ちゃった。強そーな敵が登場だもん、イヤになる。


「やっぱ握ってたか」


 ほら。隣ではブツブツと独り言が始まった。敵が出るたび、毎回こう。

 もう少しすれば、また大忙しに決まっている。すぐに『それでは頑張っていきましょう』って感じで、アタシにあれやこれやと命令してくるのだ。

 まだルールを憶えきれてないわけだから、それこそわかんないことだらけなのに、たまに質問とかを織り交ぜてきて、『前のターンと同じ動きをしてみましょう』とかマジやめろ。

 憶えてるわけネーじゃん。ナメんな。

 自分でお願いしたんだもん、文句なんて言えやしないけど、――家庭教師とかこんな感じなのかな。

 学校の授業でさえあれほどキツいのに、マンツーマンってこんなにしんどいのかとマジでビビった。

 お世辞にも勉強出来るタイプじゃないからさ、これが、ホント疲れるのなんの。

 何度、やーめたって言いそうになったことか。いつものアタシなら、とっくに投げ出していてもおかしくない。

 でも、そうはいってもやっぱりあの子の笑顔がチラついて、お姉ちゃんスイッチが入ってしまう。

 それに、当然だいたいは不正解で、なぜダメなのかという説明をこんこんとされちゃうわけだけど、……たまに正解を出すと、なんかメッチャ褒めてくれるのよね。

 そこが落とし穴というかなんというか、ミョーに嬉しくて、それでいて悪い気はしなくって、たぶん褒めるのが上手いのよね。アタシもアタシでチョロいのよ、次こそは当ててやるって、バカな頭使って一生懸命考えちゃってさ。


「これなに? 強いの?」


 ねぇどうなの。今もまた、アタシは画面を見つめたまま、声だけを飛ばす。

 あー。と、隣からは意味深な声。


「普段はそうでもないですけど、タイミング的にバッチリですね。今出されるとかなり厄介かなぁ、いや、手札的にはそうでもないか」


 アタシの質問に、またもや曖昧な言葉が返ってくる。

 だからどっちなの。『はい』か『いいえ』で答えてくれなきゃわからない。

 さっきからずっとこう。ことあるごとに難しい顔で唸ってさ、うっとうしいわね。なによ、言いたいことはハッキリ言えばいいじゃん。

 それに、きっと無意識なんだろうけど、たまにアタシの手を覆うようにしてマウスを操作しては過剰に狼狽えちゃって、スミマセンだのゴメンナサイだのペコペコしちゃってさ。

 だから、別にかまわないってっば。

 手と手がぶつかったみたいなもんでしょ、なんとも思いやしないわよ。

 むしろ、その度に真っ青に怯えた顔を見せられるほうがアタシ的には傷つくんですけど? なんかこっちがいっつも怒ってるみたいっていうか、アンタに対して怒った記憶ないんだけど。どういうことよマジで。


「すみません」


 モヤモヤとしているアタシに何を感じたのか、またもや謝ってくるもんだから、あのさぁ、だから何がスミマセンなのか。

 その愛想笑いを貼り付けた困り顔に、溜息が出た。

 男のくせに。なんて言うつもりはないけどさ、たかが同級生を相手に情けない。きっと小さい頃からこういう性格なのだろう。このままムキになっても変わりそうにはないのだから、とりあえずこっちがいったん落ち着こう。

 ついさっき、お姉さんが持ってきてくれた麦茶に口をつける。

 キンと冷えて美味しい。ここまで冷たいと、なんだかさっきまでのカッカした頭を冷ましてくれているみたい。


「――あのさ」


 そういえば。

 何がきっかけか、いや、この麦茶がきっかけならアタシらしいわ。ふと、お姉さんの言葉を思い出す。


「さっきのアレってどういう意味?」


「どういう意味とは?」


 質問してんのはこっちなんだけど。まぁ、いいや。

 アタシのほうも言葉が足りないッチャ足りないし、ホント、隣でこうも何のことだか意味わかんないって顔されれば、もういいよ。諦めが勝って聞く気も失せる。

 それに、無駄にイライラするくらいなら、どーでもいいことで楽しく会話した方が良い。

 アタシはグラスの中の氷をストローで回す。汗をかいたグラスに、氷の音が涼しい。


「お姉さんと、あんまり似てないね」


「……よく言われます」


「ふーん……」


 ハハっと小さく愛想笑いらしきモノが聞こえ、……急に静まりかえる部屋に、――え、それだけ?

 ちょっと待ってよ。楽しい会話をしようゼ。

 僕のお姉ちゃん美人でしょとか、自慢の姉なんだとか、もっとこう、あるんじゃない? お願いだから黙らないで、話を膨らませて欲しい。

 別に、イケメンじゃないからダメだとか、そんなヒドい事を言いたいわけじゃないのに、それなのに、なんだろうこの雰囲気は。

 もしかして地雷だった? お姉ちゃんは美人なのにね~的なイヤミを、小さな頃から言われ続け傷ついてきたタイプ? ゴメン! 悪気はこれっぽっちもない。

 たま~にこういう間の悪い事を言ってしまう。

 パパは素直なのも魅力だからって庇ってくれるけど、ママは頭がパーなだけだと一蹴する。そんなアタシの悪いクセ。

 あーやっちゃったわ。いったい今日何度目のゴメンだろうか。イヤな感じだ。オロオロするばかりで空気が重い。

 隣で麦茶を飲む、アイツのストローがズゴッと音を立てた。


「とまぁ、それは置いといて」


 我ながら、苦し紛れの一言だと思う。でも、


「お姉さん、すっごい美人だけどけっこう強烈じゃん」


 無言が続くと気まずいから。なんなら、さっきの軽率な発言がどうにか消えてくれないだろうかという願いも込めて、ちょっとだけ話題を変えてみた。


「美人?」


「でも、男子ってああいう美人なお姉ちゃん、ケッコー理想なんでしょ」


 いつぞやの、妹の見ていたアニメの中に確かそういう内容のものがあった気がする。


「こないだ、そーいうアニメ見たよ」


 アタシは努めて平常心を貫く。


「あー、」


 よし、食いついた。

 アイツはなにか心当たりがあるのだろう。タイトルらしきものを呟いて、少しだけ笑みをこぼした。


「何でも出来る美人の姉と、何をやってもダメな弟のヤツですよね?」


「そ!」


「確かに、あの姉は良いです。内容はどっかで見たヤツって一部ネットでは酷評されてましけど、僕的には作画も良かったし、声優もイメージどおりで最高でした」


 アニメの話題だから、ワンチャン食いついてくるだろう。そう読んだアタシはエラい。

 よーし。饒舌な言葉に押されてこのまま消え去れ。数分前のバカ丸出しなアタシの発言!

 まぁ、その姉ってのが、勉強は出来るしスタイル抜群だし、無自覚にエロいし、そのくせ自分ではその美貌に気づいてないし、異常なまでに弟を溺愛してるしで、あまりにも弟にとって都合の良すぎるお姉ちゃんだったから、そんな女いねーよって笑っちゃったけどね。

 もー、うるさい。って隣で見てた妹に言われたけど、


『こんだけ美人な女の子、とっくに彼氏が出来てるって。弟の入る隙間なんてないない』


『でも、すっごい美人で優しいけど、ずっと彼氏居ないヒトいるよ?』


『あはは、ムリムリ。一日だって男子達が放っとかないよ。第一、こんな可愛い子が普通に暮らしてるわけないって。とっくに女優かアイドルにスカウトされてるわよ』


 アタシがあんまりにもお腹抱えて笑うもんだから、妹は、『もー、だからいるってばー』って、抗議のつもりか、アタシを指さして騒いでたっけ。

 だけど、ゴメンね妹よ。お姉ちゃん間違ってた。アンタの言うとおり、美人ってのは居るとこには居るもんなのね。

 なんなら、すぐ近所の同級生の家に居たわ。

 むしろ、あれだけの美人、そうはいない。それに、強烈とは言ったけど、カマトトってのは言葉が悪いかな? 男に媚び売ってる感じもなくて、アタシ的には好印象。


「――ただですね、間違っても我が家のアレを美人とは言いません」


「はぁ?」


 なによそれ。


 いきなり声がマジなトーンになったと思えば、コイツの目は節穴か?

 それともなに、やっぱりアニメやマンガのキャラクターには敵わないって事? 萌え~って事なのか?

 よくわかんないけど、……彼女が美人でないのなら、美人という言葉がその力を失うまであるわ。

 それとも、これが男女での考え方の違いってやつ?

 アタシなら、自分にあんなチョー美人のお姉ちゃん居たら嬉しくてたまんないけど、やっぱり男子目線では違うのかな。


「それに、強烈というか、アレはバカですね。言動が意味不明なこと多いんで。こないだだって――」


 だから自分の姉だろうに。続くアイツの酷評に、ふーんとアタシはストローを加えたまま返事をした。


 ……意味不明、ね。


 ついさっき、隣の同級生が苦々しく言い放ったその言葉。

 アタシから言わせりゃ自分に降りかかった今日一日のあれやこれや、そっちのほうが意味不明なんだけど、まさに今、アタシが妙に気になって仕方ない、この同級生に聞きたいことがソコだった。

 あの時、麦茶を理由に部屋へ入ってきたお姉さんが、アタシに向かってニッコリ微笑んだ、その時の言葉。


『くれぐれも私は中立だからね。いや、それはウソになるかもしれないな』


 あきらかにまだお姉さんが話している途中だったのに、食い気味にアイツが『さっさと出て行けよな』なんていうもんだから、


『せいっ』


 ――目の前で、アイツの尻めがけバシンと飛ぶ真っ白な足。


 その勢いと音。伝わって来る威力に、ひゃっと、また変な声が出ちゃった。でも、何あれ。あれが足なの? ハーフパンツ越しでもわかる、クッソ長いしチョー細い。

 透き通るような白い肌といい世界中の女子高生が羨ましいとヨダレを垂らす、そんな美の結晶からの一撃に『ぐえッ!』短い声の後、辛そうに悶えるクラスメイトの顔。


『……とにもかくにも、私の助力なんてモノには期待しないようお願いするよ』


 突然の一方的な姉弟ゲンカを目の当たりにして、ドン引きするアタシに向けた、最後のあの笑みはいったいどういう意味だったんだろう。

 その理由を知りたいけれど、当の弟からは何も聞き出せそうにはない。


「――ってちょ! めっちゃ攻撃してきたんだけど!」


 さっきまで相手は攻撃の一つもしてこなかったのに、なにかきっかけでもあったのか。パソコンからの音楽が変わったと思ったら敵はとたんに攻めの姿勢。

 持っていたコップを落としそうになる。

 なんでよ! ようやく一息つけると思ったらすぐにコレだ。ちょっと待ちなさい、急になんなのよ。アタシはキャーッと悲鳴一発、大パニック。


「まぁ、そう来ますよね。そこは右のヤツでブロックに入りましょう」


「みぎ! 右、みぎ……右ってクマ死んじゃうじゃん!?」


 アタシの陣地には、ゆらゆらとキュートに揺れるクマが。

 こんなに可愛いのに、この子にいったい何の恨みがあるというのか。

 確かに、クマを出したその時に、アイツはまだ今じゃないと言ってたけれど、それでもその言葉を押し切ってムリヤリ出したアタシの可愛い子。それなのに、


「あ、え、はい。でも、壁にしないと」


「それなら隣のマッチョなのでよくね!? キモいし!」


 カワイイを殺すなんてとんでもない。コイツは鬼か。それにマッチョのほうが防御力高そうじゃん。その筋肉は飾りかって話よ。


「能力的にそいつは生きてると次に繋がるんで、ここはクマで」


「だからヤだって言ってんの!」


「負けますよ。――クマでブロックです」


「負けっ、……くぅう、やだぁ……」


「いいからブロックです」


 またもやアイツの手がムリヤリにカチリ。「あっ! なにすんのよバカッ!」アタシの手の上で左クリックを強行した。







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