第25話 やりました……。やったんですよ! 陰キャが必死に! その結果がこれなんですよ! ④











 それからしばらくの間は静かなもんで、彼女は自由気ままに僕の城を練り歩きスマホのシャッターを切っていく。終いには、……え、なにがそうさせたの? 控えめだけどご機嫌な鼻歌が聞こえてきた。

 彼女が値段を聞いては気分のままにフィギュアを動かすもんだから、――高いモノは極力避けてるようにも見えるけど、安いからとぞんざいに扱っていい訳ではない。――追いかけるようにその全てを元の位置、規定の向きに戻し、


「あっ! これ知ってる!」


 ふいにガチャリと金属音。

 その聞き覚えのある音に、ゆっくりと、ただしさっきの珍行動な前例があるからな。まーた、わけの分からんことをしていないとも限らない。

 警戒しつつも声の方へと顔だけを向ける。


「ヤバ! 懐かしすぎてウケる! 日曜の朝やってたヤツだ」


 僕の苦虫を噛み潰したような顔はドコ吹く風。彼女はとっくに美少女フィギュアに飽きたのか、今度はロボット玩具のコーナーへと興味を移していた。

 そこには幼少期から毎年集め続けるロボの群れが。これも、僕こだわりの並びで数段に別けて飾ってある。

 そのちょうど胸の高さにあるひとつに、彼女は目を輝かせていた。

 ロボの腕を恐る恐る動かして、そのたびに関節のクリックがカチリカチリと音を立てる。

 ようやく自分の知っているものに出会えた喜びか、それとも当時の記憶を懐かしんでいるだけなのか、彼女は感嘆の声と共にどんどんと並んだロボ群に眼を滑らせていく。


「これとか小学校に上がる前にやってたよね。うっわ、チョー見てた」


 次は一番下の段。めざとくなにかのロボットを見つけたのだろう。

 さっきまでとは違う弾むような別ベクトルの声色に、これもオタクの特性なのだろうね。自分の趣味を相手も好きであれば、単純に嬉しい。


「その辺にあるのは、ちょうど10年くらい前のシリーズですね」


 僕の口は、軽快に言葉を紡ぎはじめてしまう。


「もうそんな前か~。メッチャ好きだったな~」


 一瞬、オシャレにキメた女子高生が特撮モノを見ている。そんな想像の中の彼女に激しく違和感を覚えたが、――そうだよな。この子だって同世代。

 今の姿で想像すればおかしくもなるが、当時はまだまだ小さいんだ。幼少期なんて、男子も女子も見てる番組はそう大差ない。なにもおかしいとこなんざないさ。


「わわっ!」


 慌てたような声の後、彼女はカラカラと笑い声を上げた。どうやら玩具に搭載されたバネ仕掛けのミサイルが飛んだらしい。


「焦ったー。スッゲー飛ぶじゃんこれ」


 最近はめっきり見なくなったギミックだが、昔はポピュラーな装備である。一見、子供騙しなようで、意外と勢いよく作動するのでなかなか遊びごたえはある。

 彼女も、それがなんともお気に召したようだ。だが、


「どこ飛んでいきました?」


「え? あ、えっと……あっれー? 神隠しかな? 居なくね?」


 非常に紛失しやすいのが困りもの。すぐに探すが鉄則だ。

 現代の玩具に実装されなくなったのはこの辺にも理由があるのかもと僕は常日頃考えている。


「あったあったラッキー」


 彼女は拾い上げたミサイルを手に、なぜか得意げにピース。こちらに向けての渾身のドヤ顔が眩しくて、おっと危ない危ない。

 どの顔もイヤミなほどにキレイなのが目に毒だ。脳と心臓がまたもや勘違いを起こしてしまいそうになる。


「こういうのってマジで見つかんないときあるよね。靴下とか、片方だけ消えたりとか、スッゲーへこむ」


「ですね」


 靴下と比べられてはだいぶ貫目が違うわけだけど、彼女の言いたいことはわかる。片方になった靴下の行く末もこのミサイルも、有るのと無いのでは見栄えも違えば価値も違う。

 今回は、足下に転がっていたからすぐに見つかり事なきを得たけれど、これがマジでミサイル一発の捜索に小一時間かかることがありえるのだから要警戒。

 彼女の言葉ではないけれど、ホント神隠しにでも遭ったのかと疑ってしまう事はザラだ。


「こーいうのも高かったりすんの?」


 ミサイルを元の箇所に装填する様があまりにも不器用で、おいおい、待ってくれ。間違っても力で強引に行くんじゃないぞ。


「ピンキリですけど、それは高い部類ですね」


 なので、もうちょっとこう、射出部の溝や形に合わせてそーっとそーっとお願いしたい。


「え、高いの……ヤバ」


「そう、なかなかヤバいっす」


 彼女は短く息を漏らし、明らかに躊躇した素振りを見せ、


「まかせた」


 困ったような、それでいて恥ずかしさも含んだ妙な顔で、控えめに笑うとミサイルを渡してきた。

 僕の中での傍若無人さの目立つ彼女像とは違い、潔いまでの聞き分けの良さにいささか戸惑いもしたが、これはこれで願ったり叶ったりである。喜んで任されよう。

 その際、ミサイルだけ渡してくれればいいものを、彼女の細い指が僕の手を大胆に掴んでくるもんだから、何年ぶりくらいだろうか。久しぶりに女子の手に触れたもんだからドギマギとしてしまう。

 まったく、気軽なお触りは陰キャ的にはNGだとなぜわかってくれないのか。

 ただ、もちろんそんな僕のキモさなんて彼女は気にもしない。


「アタシ、ぶきっちょだからさー」


 壊したらヤだもんねと、そのまま同級生の少女はおさげを揺らし、別のロボットへと興味を移していく。

 僕はドッコイショとしゃがみ、先程のミサイルを丁寧に装填。少しだけホコリの乗った部位が目に付いたから、息を吹きかけ飛ばす。


「ってゆーかさ、安いのとかあんの?」


 なんとなしな彼女の声に、隣のロボを袖口で拭いながら、ハッと、僕は小さく鼻で笑ってしまった。

 何を言うかと思えば、愚問だな。僕のコレクションに安いモノなどありはしない。

 そもそもが、この子達を金銭に換算しようとしていること自体、低俗の極み。

 先だってのフィギュアの話辺りから、――話に乗った僕も悪いけど――ちょこちょこ引っかかっていたけれど、いいかい、おもちゃってのは買うのではないのだよ。家に来てもらうものなんだ。

 言うなれば、購入とはそのおもちゃに対し『僕と一緒に暮らさないか?』とプロポーズしているにも等しい。コレクションを手に入れるという事は、それくらい神聖な行為なのだ。

 それを何が高いだの安いだのと、かーっ、ヤだねぇ。コレだから現代っ子は。

 誰かの決めた多数決な流行にばかり敏感で、個々が活きていない。

 モノの価値は他人が決めるんじゃない。自分自身で決めねばならんってのがわかっていない。

 他人が見れば二束三文でも、僕から見ればお宝。

 自分で欲しいと思って集めたものはすべからく価値のある代物だよ。同じ重さの金にも匹敵するね。

 ったく、初歩の初歩だよキミぃ。あぁ、やれやれだ。

 僕がもう少しキモいオタクなら、水気を含んだネチャっとした小気味の悪い笑みのまま、小一時間ほど一人語るコースに突入していたぞ。


「やっぱ高いのばっかでしょ」


「いや、」


 と、……まぁ、何も知らない同級生に、キミはわかっちゃいない、なっちゃいない。そう先輩風吹かせながら口うるさく言いたいところではあります。

 ありますが、だ。


「もちろん安いのもありますよ」


 腹の中限定だったけど、それでも持論を意気揚々とのたまった手前、力の限り手のひらが大回転してしまうなと反省せざるをえない。……実際は、オタクってヤツは自分のコレクションを相場に換算するの大好きなんですよね。

 オタクをこじらせればこじらせるほど売るという行為をしなくなるのだけど、日頃、劣等感に塗れて息をしているわけだから、たまには優越感に浸りたい。

 ポスターしかり、タペストリーしかり、フィギュアしかり。

 僕はこんなにも高価な物を持っているんだ。

 これなんて、今はこんなにも相場が上がったんだぜ。

 僕の見る目はやはり正しい。などなど。

 機会さえあれば、自慢してマウントを取りたい。そんな毎日の中だ、おのずと日々の相場の変動には敏感で、しっかり把握もしている。

 結果、そういう売り買い的なバイヤー目線で見れば、悔しいかな。自慢のコレクション群もピンからキリってのが本音なわけですよ。

 ただ、今は控えめでも、のちのち値段が急激に上がるものも少なくはない。

 特に、この手の特撮系の商材は、基本的に本放送が終わると再販はかからない。

 全部が全部そう言い切れるかと言えば別だけど、十年も経てば定価を超えるのはほぼ確定。たまにある、子供をナメ腐った代物でなければ、たいていの価値は付く。


「これは安い?」


「その一帯は現行のシリーズですから、まだお手頃ですね。でも、たとえ今はそれほどでも、大切に扱えば金額は後から着いてきますから」


 しゃがみ込んだまま、彼女が次から次に動かしたロボットをもとの体勢に戻し、――だからこそ持ち主としては、あまりこれらを雑に触って欲しくはないというのがある。

 だけど、ヘタに注意して万が一にも険悪な雰囲気になると考えれば、今みたいに彼女がご機嫌でいてくれた方がマシだからね。

 そもそも子供向けのロボット玩具はそう簡単に壊れるようにはできていないし、百歩譲って、ベタベタとメッキ部分に触れなければ無問題か。

 へー。と、少女の声が聞こえた。そしてまた別の場所で鳴る関節のクリック音。


「さっきのお人形さんもビックリしたからさー、ヤベーねオタク趣味って」


「そうですn――」


 どれどれ。次は何を見てるのかなと小さな溜息を零しつつも目を向けて――僕はこの日二度目となるだろう。


「っとぉ!!」


 勢いよく、顔を背けた。

 盛大に首の骨を鳴らしつつ、きゃー!! と、危うく僕は叫びかけてしまった。


「これたしかさ~、黄色が女の子だったっけ~」


 確かに下の方は見づらい。でも、しゃがめば充分に見える高さには作ってある。それなのに、……なにがどうしたらそうなるのか。


 ――油断した、あぁ油断した、油断した。(五七五)


 あれほど警戒していたというのに、油断してしまった。

 無理に動かした首がズキズキと痛む。すぐにでも顔を正面に向け、酷使しすぎた首をねぎらってやりたい。

 だが、スマン。今しばらくの辛抱だ、堪えてつかーさい。なんせ、

 床へとしゃがみ込んだ僕の隣。そのすぐ目と鼻の先に、それはあった。


「内容は全然覚えてないけどね~」


 彼女が何か話しているが、――ところがどっこい、今はそれどころではない。なんせ、なんだあれは。なんなんだ。アレはいったいなんだった?

 すぐに目を背けたからまじまじとは見ていないが、あれは……そうだよな。あれだよな。

 ピンク。まん丸としたピンク。


 ――そこには、形の良い桃がフリフリと動いていた。


【尻】、臀部。ヒップ。今風に言えば、Hey Siri! といったところか。やかましいわ、ボケ。

 ゲキ寒のボケに対する、セルフつっこみ。現場における、僕の混乱のほどを誰かに受取って欲しい。


 ……まるで、ひなたぼっこ中のネコが、ぐーっと伸びをしたような体勢に近い。


 両膝に手をついて眺める姿勢のせいで、立ち位置的に『それ』が堂々と僕の顔に向けて突き出されていたのだ。

 しかも、何度も言うが、今日はなんだってそんな格好してんだよ。

 けっして大きくはないが形の良いまん丸としたお尻が、ショートパンツ越しにハッキリとその姿形を見せて、それが僕の顔の真ん前でフリフリと左右に揺れ……


「よいしょっ!!」


「きゃッ!?」


 僕は、かけ声と共に自分の頭部をゲンコツでセルフ強打。

 名付けるなら、そう。【煩悩退散パンチ】といったところか。

 鈍い音がした。距離を取らねばと立ち上がりはしたが、グラングランと視界が揺れ、同時に、短くだけど可愛い声も聞こえた気がする。

 まず間違いなく、突然の奇行に彼女は驚いただろう。隣の男子が、いきなり自分で自分の頭を殴ったのだ。

 ちょっとしたコブくらいは出来るかもしれない。それぐらいの勢いと威力はあった。

 だけど、なんのこれしき痛いが痛くない。矛盾だらけの感想だけど、脳裏に焼き付いたお尻の形に、――ダメだ、思い出すんじゃないよ。暴走したとあっては言い逃れできない。

 僕というヤツは、何処まで行っても、しょせんは男子高校生というわけだ。自分のリビドーを制御できていない。

 たかがお尻のひとつ、顔の前にあっただけ。その程度の事で、こうも狼狽えてしまう自分が情けない。

 女子の尻なら、今まで何度も見てきただろう。

 主にゴリラのモノで、風呂上がりに下着姿で練り歩く羞恥心の欠片もない野性。そのたびに怒りと共に吐き気を催してきたはずだ。それなのに――


「うそ……だろ……」


 ふと、とある謎が解けたと感じた。

 きっかけは頭に走るこの激痛か、はたまた瞼の裏に残るこの桃色の芸術作品か。

 それは長年の疑問。自分自身ですらも解明できずにいた、己の根幹へと通ずる一種のブラックボックス。

 自分としてはもしかしてそうなのかもくらいにしか考えてはいなかったが、いや、違うな。ここは、目を背けていたと言う方が正しいのか。

 集めていたフィギュア、歴代の推しキャラ、どれをとっても如実に物語っているというのに、コレが若さ故の過ちか、はたまたエゴか。

 認めたくなかったのだろう “それ” が、今ついに白日の下にさらされた。


 ――僕の部屋には、スレンダーなフィギュアが多い。


 それなら僕ってヤツは細身が好きなのか? ――否。

 それとも未成熟なつぼみが好きなのか? ――それこそ否だ。

 ここまで来てジタバタする意味はない。こうなれば、もはや認めるしかあるまいて。


 ……決して大声では言えない己が性癖。


 数多ある派閥の中で、男性諸君にとって、いまだに論争や諍いの続くトップクラスにセンシティブな内容。

 身の危険を感じるが、それでも認めよう。

 世間に漏れれば、他派閥の過激派にどんなヒドい目に遭わされるか分かったものではないが、それでもあえて認めよう。

 やはり僕は胸派ではない、足派でもない、メガネは無いより有ったほうが良い、その他諸々を抑えての、それこそ熱狂的な、


 ……熱狂的なお尻派なのかもしれないと。


 女性諸君にとってはただのセクハラまがいなくだらない話だろう。

 だが僕ら、未来に生きる大和男子にとっては至極重要な、それこそこのネタでどんぶり飯を3杯はいけるくらいの激アツな話題なのだ。

 もちろん、彼女にヒドいことはしない。するつもりもない。

 それ故の、全力ゲンコツだったのだ。

 良い尻だ。完璧な美だ。でも女性の感情や意見を無視して、それこそムリヤリってのは絶対にダメだ。

 たまにラブコメで起こる、読者を曇らせる行動ナンバーワン(僕調べ)だ。

 男として、美人を目の前にすればしかたない。大なり小なり当然の行動だとどこかで誰かが言ってはいたが、そんな三大欲求で動くヤツが、何を隠そう僕はもっともキライなんだ。

 そういうヤツが出てくると、ストーリーに湿度が増して、悲しみが増える。

 どの作者も、全ての作品をハッピーエンドにするばかりではない。

 ストーリー上、良かれと思ったその展開に、胸を焼かれ、脳を焼かれ、いっそ殺せと苦しみもがいた経験は自分自身一度や二度ではない。

 僕の場合は、それにプラスしてキナコの一件もある。


 今思い返してもアレはキツかった。地獄だった。――中学の時、僕にとどめを刺したあのウワサ。

 それは、突然だった。


『どうやらキナコが、日曜日にイケメンとデートをしていたらしい』


 その時の僕の気持ちたるやだ。

 あぁ終わった。すぐに頭へと浮かんだ言葉はこれだけだった。

 これこそ、自分史に残るおぞましい記憶ベストワンだろう。

 しかもその場面を見たというヤツが幾人も出現したのだから、もはやそれはウワサではない。れっきとした事実なのだと思い知らされた。

 脳を焼き、胸を焼いた苦しみの記憶。今思い出しても当時の抗った感情の残滓か。胸の奥がチクリと痛む。

 結局、熱を帯びた感情も、その後の時間がある程度にまで冷ましてはくれたけれど、――ようやく自分の気持ちに気づいた時期だったんだ。キナコに距離を取られて、しかたないと僕も距離を取って、でもバレないようこっそりと目で追い続けた、そんな後悔の日々のど真ん中だ。

 たまに合う一瞬の視線に一喜一憂し、自分なりにキナコの手助けになればと行動もした。これ以上嫌われるのが怖いからさ、表だって動くことはしなかったけれど、僕なりのアピールを精一杯し続けた、そんな頃だった。

 ジタバタしたさ、それこそクソキモいレベルで足掻いた。

 きっと、混乱もあそこまで行けば狂気に近いのかもしれない。

 どういう発想からその行動に行き着いたのか、ホントバカだよな。すぐさまガー君を呼んでキナコの相手探しだもんな。


 ……ほんとキモいよな。こんなやつ嫌われて当然だよ。


 キナコの想い人を知ってどうするんだ。

 アイツの恋愛に、キモくてオタクなただ近所に住んでるだけの、そんな男がどう絡もうというつもりなんだ。そんなチャンスなんて、最初からありはしないだろうに。

 今考えても、ただの空回り。無様だよな。脈なしな事なんざとうの昔に分かってるのに、滑稽だよな、ホント。

 まぁ、当時の僕がどこまで考えていたかなんて知るよしもないけれど、その頃の僕はだれにもこの恋心を明かしてはいなかったんで、止めるヤツがいなかった。ブレーキ役がいなかったんだ。

 だから、そこから先は、どん詰まりまでのアクセルべた踏みノンストップ超特急な大暴走。

 今も昔もイケメンと言えば僕の中ではガー君しかいない。

 類は友を呼ぶというし、ウワサでは相手のイケメンは同じ中学のヒトではないというじゃないか。年上みたいだったなんて話もあったし、その頃すでに高校生だったガー君なら、その相手に心当たりがあるかもしれない。だもんな。

 あぁやめてくれ。その記憶は僕に効く。クリティカルが出る。致命傷だ。

 これこそ黒歴史だろう。

 たまに思い出すが、その度に羞恥のあまり死にたくなる。

 よくある中二病と双璧をなす学生時代の恋愛失敗談というヤツだ。僕の場合はキモオタ兼非モテだから余計に滑稽さに磨きがかかって、あぁ死にたい。

 このときも、確か、『ガー君の周りって、イケメンばっかりだろ』だったかな、我ながらなんという意味不明な話の切り出し方だと思う。

 ただ、ガー君はどこまでいっても良いヤツだからさ、少しだけ怪訝な顔をしたが、すぐにニコリ。『俺の知り合いにカッコ悪いヤツはいないよ』だもんな。

 僕の方を見ながらのその言葉に、ガー君の言うカッコイイは見てくれじゃなくてヒトとしてって事なのだろう。

 隣に座るどっかのゴリラがそれ聞いて、今アタシ、あらためて彼に惚れ直しました的な、クソメンドーなトキメキ顔していたのはとりあえず見ないことにした。

 しかも、『まだキナちゃんとケンカしてるんだって?』なんて、僕の恋心はとっくに見透かされているのか、……たぶんガー君のことだ。いくつか意図するところはあるだろうけど、だとしても一見アクロバティックな話題の方向転換かと見せかけて、僕の質問に隠された芯の部分、それを的確に突くのはやめてもらいたい。

 それに、


『キナちゃんと、日曜だったかな? 街でばったり会ってさ、お茶しながら話を聞いたけど――』


『――別に、ケンカなんてしてないよ』


 あれはケンカじゃない。キナコが一方的に僕に対しての付き合い方を変えただけだ。理由は分からないけれど。

 一番、聞かれたくない事柄だった。話したくないものだった。たとえガー君といえど、唐突に出た話題に、怒りが湧いた。

 いや、ただの八つ当たりか。それともいじけてるだけか。誰であろうとそれ以上僕の口から言葉は出ない。

 僕の声色と、顔色。雰囲気がどこか分かりやすかったのか、ガー君の言葉を遮るようにして話を切った僕に、彼はちょっとだけ困ったように笑った。


『あのなぁ。キナは、』


 なぜかいきなりゴリラが口を開いたけれど、『ちぃちゃん』すぐさまガー君に制止されたのはなんだったのだろう。そして、


『今度、誕生日だろ? 欲しいものとかある?』


 確かにあと半月ほどで僕の誕生日だけど、急にどうしたのだろう。


『出来れば、女子中学生が買えるくらいの金額だと嬉しいな』


 なぜ女子中学生なのか。ガー君いわく、僕の趣味は軒並み高額だからほどよい加減を言ってもらうためらしい。


『……別に、ガー君はセンス良いから何もらっても嬉しいけど』


 この言葉に嘘はない。むしろ中学に入ってからこっち、なぜか毎年ふたつずつもらっているのだから――当の本人の話では、いつもふたつまでは絞れるけど、ソコから先が選べないからふたつになるらしい――余計に申し訳ないとすら思っている。


『もしかすると、今年こそは自分で渡そうって決意したどっかの女子中学生がさ、何が良いのかって悩んでるかもしれないぜ?』


 一ヶ月前から毎週のように土日を潰してさ、困り顔でいろんな店を見て回ってるとか、もしそうなら可哀想だろう。なんてガー君は笑っていたけれど、与太話なんてらしくないな。そもそも、どこの誰だよそいつは。

 100パーそんな変なヤツ存在しないだろうからいいけどさ、知らないヤツからのプレゼントとか僕はちょっと怖いぞ。

 もしキナコからなら、それこそ震えるほど喜ぶけれど、先だっての某イケメンとのデートの話がある。

 直近の日曜に彼氏とデートしてたヤツが、ただの近所に住む程度の同級生に、そこまで必死に誕生日プレゼントなんて選ぶはずがない。

 その時の、自分から出た深く大きな溜息は忘れない。

 あらためて考えてみると、そうなんだよな。

 アイツには彼氏がいるんだ。親しげだったって言うヤツもいたし、本当に良いヒトと巡り会ったのかもしれない。本来なら良かったねと、喜ぶべきところだろう。

 それなのに。

 せっかくキナコは今幸せなのに、アイツにとって僕の今やろうとしている事は迷惑以外のなにものでもない。

 僕はその時ようやく理解したんだ。

 そしてこれでもかと完膚なきまでに打ちのめされたね。やっと芽生えた恋心はそこでようやくモノの無残に打ち砕かれた。

 そんな僕だからわかる。知っている。

 抉れて爛れた心の傷は、簡単には塞がらない。長い間、ことあるごとに思い出しては、そのたびに心を腐らせていくのだ。

 だから、僕は誓っている。絶対に女の子を傷つけない。

 しかも、こちらは彼女に想い人がいることを知っている。キナコの時と同様に、目の前の同級生も、一生懸命に恋をしていることを知っている。

 相手側の感情は、そりゃ、合ったこともないからさ、どう足掻いても読めやしないけれど、もしすると順調に時を重ね、キラキラな両片想いをこじらせているのかもしれない。

 もしそうなら、なんと素晴らしいことか。まさにラブコメの王道だ。

 最近は、マンガやアニメにおいての純粋なラブコメが減った気がする。時代がそうさせるのか、年々その手のジャンルが衰退しているようで、ひとつまたひとつと名作が完結していくばかり。

 その割には一向に増えない新作ラブコメというジャンルに、なぜなのかと悲しみを募らせる日々が続くなか、――突如として目の前に舞い降りたのが彼女のラブストーリーだ。

 不器用な少女が、意中の相手に振り向いてもらうため努力する。

 ここまでは見事なまでに僕の妄想なのだけど、こんなにまで見目麗しい同級生だ。もちろん性格だって――うん。

 ちょっと難があるくらいがラブコメヒロインには必要だ。

 そりゃ、いくつかの山あり谷あり紆余曲折はあるだろうけどさ、きっと彼女は相手の心を掴むはず。

 その過程を、ラブコメ好きの僕だから声を大にして言える。そういう話を一ファンとして間近で見聞きしたいだけなんだと胸を張って言える。

 僕の届かなかった初恋を、つかめなかった恋心を、キナコや彼女は手にしたんだ、つかもうとしてるんだ。

 だからこそ、そんな最高のストーリーに、どうして間男が割って入ることが出来ようか。

  僕は彼女を手助けするだけの舞台装置。そんなモブが、これからのふたりにちょっかいかけようなど、無粋もここに極まれり。

 とくにこれといって取り柄のないしょうもない僕だけど、かっこ悪いことぐらいは知っている。

 僕の場合はもとからダメで横から奪われたわけでは無いけれど、だからこそ、その時の地獄を知ってる僕だから、アニメやマンガにおけるチャラ男やモテ男のような、そんな心を無くしたモンスター。もとい本能で動く猿のような、そんなあっち側の人間にはなるまいと、そう心に決めているのだ。

 それに輪をかけて、今は階下に例のゴリラが構えているという、とんでもなシチュエーションだ。

 もしかすると今もあの閉じた扉の向こうで息を殺して聞き耳を立てているかもしれない。

 そんな中、僕がひとたび獣になってしまったとあれば、先に待つのは一方的な殺戮ショー。

 そこまでいかずとも、何かやったら一発即死。

 見たぞ聞いたぞと、弾かれた鉄砲玉のように飛び込んでくるだろう。そして、やっぱりやったか。いつかやると思っていたぞと、鬼の首を取ったように、嬉々として僕の事を腕力を持って断罪するだろう。

 それならば、たかがゲンコツの一発。この程度の痛みで思いとどまれるのなら、それこそ力の限りである。悪しき心よ消え去れ、痛みと共に。


「……き、急になに。ビックリすんじゃん」


「すみません。蚊がいたんで」


 彼女は、バネ仕掛けのように立ち上がりちょっとだけ後ずさり。

 こんな時期に蚊? まだ早いっしょ。と、彼女は僕の突飛な行動を間違いなく訝しんでいることだろう。


「あのさー、急に大声出したりとかヤメてよ。アタシもわりかし騒がしいほどだけど、ちゃんと時と場所くらいは弁えてんだから」


「す、すんません」


 どこかムッとした顔で、彼女の機嫌はどうやら斜め。

 不意打ちとはいえ、僕なんかに驚かされたのだ。それが彼女の癪に障ったのだろう。

 でもさ、そんな目をされましてもですね、アナタのお尻があまりにも魅力的で、百点満点の造形美で、たまらなくキュートで、……なんて言えるわけもないだろう。僕は、無言を貫くよりほかはない。


「今度からは、マジで気をつけてよね。ビックリすると寿命が縮むのよ? 知らないの?」


 彼女はまるで年下の弟でも諫めるかのように、眉尻を上げ、僕に剥けて指を差した。

 まさか、彼女のような今風の女子に、こうもド正論で説教されるとは思ってもいなかったけど、確かに驚くと寿命が縮むってのは聞いたことがあるし、そのせいでこの子の貴重な一生が削れてしまったのなら謝罪してもしきれない。

 でも、今日のこの一件に対しては、僕は自分の出来る最善の回避行動を取りました。これだけは胸を張れる。


「……ん?」


 ……それよりも。


 僕は、ふたり落ち着きを取り戻しつつある部屋で、とある事に気がついた。もとい、――それはなんだと、戸惑ってしまった。

 僕に向かって突き出された少女の細く長い人差し指、その握り混んだ左手に、なにやら見慣れたものが見えるのだが……。


「え、なによ。なんか文句あんの?」


 僕はいまだ、ご立腹ですよと言いたげな彼女の顔を見て、次に、その左手に視線を動かした。

 釣られるように目を動かした彼女の手には、


「「あ」」


 ……それは、約10年前に放映された特撮もの。当時、その変形機構の素晴らしさから同年のおもちゃ大賞を総ナメにした一品。


「あの、……それ」


 彼女の手にあったのは、その――ロボットの腕だった。

 さっきまで彼女の触っていた玩具の右腕。おそらくは、僕が驚かせてしまった拍子に、勢いよく捥いでしまったのだろう。

 まさか、ウソだろ。――ちょっと前に偶然目にしたリサイクルショップでの光景がフラッシュバックする。

 仲の良い店員が『いいの、入ってきましたよ』ドヤ顔で、その表情が、流石にコレは持ってないでしょとマウントを取ってきたように見えて、……なーんだと。

 僕はカウンター気味に勝ち誇ったんだ。


『いやー、流石に箱付きの完品しか持ってないですね』


 その日その場所でショーケースに飾ってあったのは、状態こそ良かったが、箱なしの現状品。まさかと驚く店員に対し、どうだ参ったかと、鼻高々とマウントを取り返したんだ。

 その時の値札には確か、一、十、百、千、ま、……う、うぐぐ。どうしたことだ、本能がストップをかけているのだろうか、思い出したくないとでも言いたいのか、急に目の前が遠のいて見え始め……。


 一瞬で、僕の部屋を静寂だけが支配した。


 そんな水を打ったような静けさの中、ポツリと一言だけ。

 彼女が、今にも消えてしまうかのような小声で、


「……高い?」


 いかんせん、同世代のお財布事情は似たようなもの。

 それを鑑みても、10年前に販売終了しているのだ。各家庭のあれやこれやで毎月のお小遣い額にいくらかの差違はあるだろうけど、レア度でパンプされたあの金額が、目の前の子にとって、安いだなんてあろうはずがない。

 僕の雰囲気と、その顔色にただならぬものを感じたのか。二、三、口をパクつかせると、みるみるうちに顔から血の気をなくし、――彼女はゆっくりと回れ右。

 ポニテを揺らしながら、さっきまで居たロボット棚の前に音も無くしゃがみ込み、


「き、気のせいじゃないかな~って……」


 自分の身体で隠すように、ガチャリ。ガチャリ。

 ちょうど彼女の背中越しでよく見えないのだが、……僕にとっては聞き慣れたその音が、何かをそこで少女が行っていることを伝えてくる。


 ……ちょっ、このっ、なんで、どうなってんのよコレ……。


 続けて聞こえた声からは、消え入りそうな声量とはうらはらに相当な焦りの感情も伝わってくのだが、


 ……マジお願いだから、今だけでもくっついて。マジで。


 この子、まさかとは思うが、この土壇場に来てまでどうにか証拠隠滅を図ろうとしているのか。ウソだろ、まだ、逃げ切れるとでも考えているのだろうか。


「だ、だってアタシ、なんにも触ってないし。そうよ、なんにも壊してな――ひぃいい!」


「っ!」


 ――それもまた、突然だった。


 声を殺し、息を殺し、焦りを隠し、まるで何事もなかったかのように平静を装うと努力する少女だったが、それを台無しにするかのように、唐突に、ロボット棚のほうからけたたましい音が鳴ったのだ。

 さっきまで彼女が口にしていた言い訳も、「ウソーっ!!」今度は引きつった叫びに代わる。


 ――あの子の身体の向こう側。


 とっさに身を乗り出すようにして見ると、――彼女のいる位置から奥まで。距離として2メートルちょっとか。数にして3シリーズ、8体ほどのロボが見事なまでにドミノ倒しになっていくじゃないか。

 お、おい。おいおい。おいおいおい!! 何やってんだ!


「待って待ってマジ待って!!」


 きっと、腕を元どおりにしようと足掻いた結果、天性の不器用さか、それともラブコメヒロイン然としたドジっ子なのか。

 何かの拍子で、隣のロボに手か腕か、身体のどこかが勢いよく当たってしまったのだろう。

 一度バランスを崩したロボットはそのままバッタバッタと次から次。


「ちょっ! どいてください!」


 倒壊を抑えようにも、ただでさえ小さな空間だ。

 今日ほど部屋の狭さを憎んだことはなかったね、同級生の男女が二人、決して太ってるわけでない、むしろ痩せ型の二人が大渋滞。

 彼女の身体がジャマでそこまで行くことが出来ない。

 順番に倒れていくロボットの群れ。はじめこそ1体、2体と、彼女もしゃがんだ体勢からそれこそ全身を使って腕を伸ばしたが、


「マジ無理だから! ムリムリムリムリムリぃぃっ!!」


 ……少女の悲痛な叫びも空しく、最終的に、そんな端まで手が届くわけもなく。


 あ、……ああ、……あああ……。


 こうなったら、……もうダメだ。どっかのバトルマンガのような呻き声しか出てこない。

 目の前で、一番端のロボがイヤな音と共に倒れた。同時に、


「ぐぇぇぇ……」


 ベシャッっと力尽き、道路で干からびたカエルよろしく、諦めを告げる断末魔。……ついには床の上で、彼女は右手にひとつ、左手にひとつ。救えたロボを両手にし、残りを見殺しにした後悔か、伸びきったまま寝そべるように果てた。

 そのとき、僕はどうしてたかって?

 そりゃ、手が届きそうで届かない、なにひとつ救えやしない。そんなもどかしさを噛みしめながら、自分の城が音を上げただただ無情に崩れていく様を呆然と見てたさ。


 ――蒐集は一生、されど亡くすのは一瞬。


 それらを手に入れたときの涙と努力と喜び。出会えた幸運に感謝したあの頃を思い出し、諸行無常とはこの事か。その儚さに、呆然と立ち尽くすより他なかった。


 またもや訪れた静寂に、今度もイヤな雰囲気が積もっていく。


 しんと静まりかえった部屋の中で、最後に、床の上で動けなくなったピンク色のカエルが、


「……ごめんなさいぃぃ」


 ひーん。と、弱々しく鳴いた声だけが、どこかもの悲しく、そして、やけに遠くに聞こえた。










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