第2章 恋に憧れ

#変わらない故郷


サーカス団の馬車は湖を離れ草原を走る。

「次はなんていう街に行くの?」

アリシアがウィルに聞いた。

「この湖に来たってことは行き先変わったのかな…?リーガルに聞いてみる」

ウィルは立ち上がり、まだ少し痛む右足を引きずりながら飼育小屋のカーテンを開ける。

足元にあったリボンのスティックで客車の窓をつつく。

ガラっと窓が開き、シエルが顔を出す。

(…なぁに?)

シエルが小声で話す。

(リーガル呼んで)

ウィルソンも小声になる。

シエルの顔が引っ込む。

「どうしたウィル」

リーガルが窓から顔を出す。リーガルは小声じゃない。

(次はどこの街に行くの?)

「ぁー、次は"リザベート"って街だ。もう10年近く行ってない。街並みも相当変わっただろうよ」

えっ!リザベートって僕の故郷じゃない?!

(…わかった。ありがとうリーガル)

ウィルソンはカーテンを閉め、アリシアの隣に座った。

サーカス団の馬車は草原を抜け、砂ぼこり舞う更地を進む。

「…次に行くのはリザベートの街だって」

「リザベートってウィルが昨日話した?」

「そう、僕の故郷…」

ウィルソンは浮かない表情だった。

「ウィルのお母さまに会える?」

「…わからない。昔、屋敷を追い出されてから1度も帰ってないから…」

「…そう…。私はすごく楽しみ!旅してるって感じ!」

「そっか、良かった」


___ガクン!っと馬車全体が揺れて止まった。


「っ危ね!静まれ静まれ!」

操縦席に居たマイルは先頭の馬をなだめる。

「いって!なんだ!?」

客車の壁に頭をぶつけネルソンが飛び起きた。

「うお!」「なに?!」

リーガルとシエルも一瞬跳ね上がった。

飼育小屋に居たウィルはアリシアの肩を抱き寄せた。

「っ!…大丈夫アリシアちゃん!?マリッサ!」

「うん…だいじょうぶ…」

「ぶふーん!」(私は大丈夫。なによいったい!)

サーカス団の乗る馬車が斜めに傾いている。

客車の左側の車輪、飼育小屋の左側の車輪共に地面の窪みにはまってしまった。

「まーたはまったのかオンボロ馬車!」

ネルソンがぶつぶつ言いながら外へ出る、リーガルも後を追い、馬車の左側に向かう。

停まった馬車の数百メートル先には"リザベート"の看板とゲートがもう目の前に見えたのだった。

一歩手前の更地でサーカス団の馬車は窪みにはまってしまった。

シエルが飼育小屋に顔を出す。

「左側の車輪が窪みにはまったみたい!リザベートはすぐそこだから、2人は先に降りて歩いて!ネルソンに見つからないように!」

「あ、うん。わかった!行こうアリシア。マリッサまた後でね」

ウィルはマリッサの鼻に触れ、アリシアと共に馬車を降りた。

シエルがマリッサを外に誘導する。

マイルも操縦席から左側の車輪の方に向かう。

「姉さん!」

「はいよ!」

「俺たち3人で馬車を押すから合図したら馬たちに鞭打って!」

「OK!頑張れ3人とも!」

リーガル、ネルソン、マイルの3人は馬車の車体に背中を付けた。

ウィルソンとアリシアがこっそり馬車を離れる。

シエルが2人に「早く!」と口パクをし、手で追い払う。

「いくぞ!せーのっ!」

3人で力を合わせ馬車を押す。が、車体が動いただけで車輪はまだ浮かない。

「っがー。無理じゃね?」

ネルソンだけ手を離し、早くも弱音を吐く。

「無理じゃねぇチビネクタイ!」

「早く押せチビネクタイ!」

力を入れ続ける2人が怒鳴る。

「っ!くそ。覚えてろ…。ふっ!」

ネルソンが力に加わる。

少し車輪が浮いた。

「今だ姉さん!」

シエルに合図を送る。先頭の馬に鞭を打つ。

2頭の馬が同時に動き出し、車輪が動いた。

窪みから車輪が抜けた。

「よし!」

マイルとリーガルが同時に手を離す。

「っがふんッ」

手を離すのが遅れたネルソンが顔から地面に倒れた。


3人が馬車を押している隙に静かに街を目指し歩くウィルソンとアリシア。

「すんすん…。パンの匂いがする」

アリシアが目を瞑り匂いを嗅ぐ。

ウィルソンも気が付いた。

「…バターと小麦粉の焼ける匂いだね」

"リザベート"の街のゲート前の道なりに民家が8軒ほど並ぶ小さな村があった。

2人は匂いのする方へ歩く。

すると大きなガラス窓の民家の屋根に"メリルベーカリー"と書かれた看板が下がっている。

「パン屋さんだ!入ろぅ?」

アリシアがウィルソンの手を引っ張り、パン屋の中に入る。

_________


「よし!車輪が外れたぞ」

「良かったわ」

「ありがと姉さん」

3人は馬車を引っ張り出すことに成功し喜んだ。

ネルソンは地面に突っ伏したままだ。

「お疲れさんチビネクタイ」

「早く乗れチビネクタイ」

アリシアがネルソンを"蝶ネクタイのおじさん"と呼んでいたのを文字ってあだ名にしたようだ。

「……」

ネルソンは黙って起き上がる。

シエル、リーガル、ネルソンは客車へ。マイルは操縦席に乗った。

マイルが馬に合図を送り、無事に馬車が動きだした。

____________


「いい匂い…美味しそう」

「そうだね」

店内にはあんぱんやフランスパンなどさまざまパンが棚に飾られている。

「…いらっしゃいませ…」

店の奥から女性が出て来た。

「………ウィル…ソン…?」

「え…」

奥から出て来た栗色髪の女性が僕の名前を呼ぶ。

「…ウィル?…知り合い?」

アリシアがウィルソンの顔を覗き込む。

「……ぃや…」

「ほら~、やっぱりウィルソンだぁ」

女性がウィルソンに駆け寄る。

「…僕を知っているんですか?」

「知っているも何も~、あなたのお母さんだも~ん」

「えっ!うそ!」

この人が僕のお母さん!?

30代前半だろうか、ほんわかした雰囲気の女性がとろーとした表情で僕の顔を見つめる。

「この人が夜話したお母さま?」

アリシアが聞く。

「いや…この人は違う…。本当に僕のお母さんですか?」

ウィルソンは女性に聞く。

「そっかぁ…。覚えていないのも無理ないわね…。あなたがお父さんと出て行ったのは2歳になる前だもんねぇ」

「…ぉ…お父さ…ん…?」

「あなたのお父さんは"ダグラス•ウィンターズ"で私は"メリル•ウィンターズ"」

"ウィンターズ"は確かに僕の苗字で、お父さまの名前は"ダグラス"だ。じゃぁこの人が本当に僕のお母さん…。

「こんなに立派な男の子になったのねぇ。もっと顔を良く見せて…」

ほんわかした女性が優しい声で話しかけ、ウィルの顔に手を添える。

「ねぇ~、やっぱりウィルソンだぁ。お父さんにそっくりな高い鼻。あなたは目の中にホクロがあるのよ?知ってたぁ?」

それは僕も知らなかった。

本当の母親で、育ての親でなければ気付かないような特徴まで知っている。

「こんなに大きくなって帰ってきて…お母さん会えてとっても嬉しいわ…」

ほんわかした表情で女性は微笑んだ。

「お義母さま!私!アリシア•クラーベル8歳です!宜しくお願いします!」

隣でアリシアが挨拶した。

女性がアリシアの方を見る。

「あら~、16年振りに会ったのにもう彼女の紹介?モテるのねぇ」

「…か…かの…じょ…」

自分で"王子さま"とか"大切な人"とか口にするが、やっぱり他人から言われると嬉し恥ずかしい。

女性はアリシアに目線を合わせ話す。

「私も16歳の時にこの子を産んでいるから、赤ちゃんを見られるのは8年後かしらぁ?」

「ぁ…ぁか…ちゃ…」

ぷしゅー、と床にへたり込む。


「あの…それでこの店はお母…さんの店ですか?」

まだお母さんと呼ぶには抵抗がある。

「ここは私の実家で、もう働けなくなった母の後を継いで、私がパンを焼いているの」

「そう…ですか」

物心付いた時からお菓子が好きなのは母親譲りだったのか。

「僕は今サーカス団でピエロをしています。会えて良かったです。…お母さん」

「あなたには似合っているわ、そんな気がする」

「今からリザベートに向かので、これで失礼します」

「…ふえ…」

床にへたり込んでいるアリシアの手を引き、起き上がらせる。

「たまには帰ってきてパンでも食べに来てねウィルソン」

母は手を振り見送った。


#


ウィルソンが村のパン屋で母親と再会していたその頃、馬車組は…。


「ぁー、疲れたー」

ネルソンが客車の中で何やらグダグダ言っている。

馬車は村を抜け、"リザベート"の入り口ゲートへ差し掛かる。

ピピューィ、と甲高いホイッスルが鳴る。

「おっと!止まれ止まれ」

マイルが馬に指示を送り制止する。

「っ!今度はなんだ!」

ネルソンが客車の窓を開ける。

ゲート前の小屋に保安官が立っていた。

「こらこら!馬車でこの街に入る時は駐車料をここで払うんだ!」

保安官は小屋の壁にある注意書きの看板をバンバン叩く。

「あーすいません…。見えてなかった…。いくらですか?」

マイルが保安官に謝り、値段を聞いた。

「1台1000Gな」

「1000G!?港町の売り上げなんてほぼ0だから手持ちなんか無いぞ!」

ネルソンが客車の中で慌てる。

「えぇー、1000Gも持ってないのー?しっかりしてよ団長ー」

「俺っちたちも手持ちは無いよ。カッコいいところ見せてよ団長ー」

2人がネルソンをからかう。

「えー…、そんなこと言われても…ぁ、そういえば…」

ネルソンが何か思い出した。

港街を出る時、ジニーに小銭の小袋返されたっけ。

ネルソンは客車の座席に小銭をばらまく。

小銭を数えると1030G入っていた。

「よし!これで入れるぞ!ほら保安官さん!」

ネルソンが保安官に1000G払う。

「ふー、かぁくいい団長!」

「いいぞ団長!」

(まぁ、港のショーでチップは貰ったけどな)

(だって次の街で買い物とかしたいじゃん?)

「よし!通って良いぞ」

保安官から許可が降りた。

「ありがとうございます」

マイルは馬に合図を送る。

リザベートの街に入ることが出来た。


ウィルソンとアリシアがパン屋から出てきた。

ゲートを出発するサーカス団の馬車が見えた。

「行っちゃった…見失わないの?」

「リザベートに停まるのは解っているからすぐ探せるよ」

10年以上移動を共にした馬車なので、どんな場所に停めるかも検討はつく。

湖に浸かってから2時間程経っただろうか。

足首にあった青アザは消え、痛みも少しずつ引いている。やっぱりあの湖はすごい。

まだ少しチクチク痛むが普通に歩けるようになった。

アリシアはずっと手を繋いでくれている。

2人は徒歩で街に入るので保安官には止められなかった。

リザベートの入り口ゲートを抜けた。

昔の記憶が正しければ、こちらのゲートは南側で、北側ゲートの先は林道が続いていたはずだ。

(昔は分からなかったけど母親の実家がすぐ近くにあったんだなぁ)

とウィルソンは心の中で思った。

道を歩いて右側の丘の上に塀で囲われたレンガ造りのお屋敷があった。その手前が昔よく遊んだ秘密の原っぱだ。

「…帰って…きたな…」

ウィルソンはボソッとつぶやく。

「懐かしい?」

「うん…すごく…懐かしい…」

こちらからみると丘の地層が丸見えだった。

良く見ると崖下は整備され、石の階段が設置されている。昔のように雑木林を抜けなくても原っぱに行けるようになっていた。

「あの丘に…上がってみよう」

ウィルソンは丘の上を指差した。

「うん」

2人は手を繋いだまま石階段を登る。

丘の上の原っぱは昔のままの姿で残っていた。

あの白樺の木も…。

「…ぁ」

白樺の木が2本立つ間に。

「…にぃさんの…お墓だ」

正方形の御影石のお墓。中央には"R.I.P-D.W"の文字。

ウィルソンはしゃがんで手を合わせる。

「ただいまにぃさん…遅くなったね…」

涼しい風は頬を撫でる。


「…どなたですか?」

背後で女性の声がした。

ウィルソンは立ち上がって振り返る。

パサッ…と女性は持っていた花束を落とした。

「…ウィルソン…坊っちゃま…ですか」

幼い頃に聞いた懐かしい声の女性は震えていた。

「…マリー…」

マリーは走り出し、ウィルソンに抱き付いた。

「ウィルソン坊っちゃまぁ!ご無事で良かったぁ!心配しておりましたっ!ずっと!」

マリーはウィルソンを強く抱きしめ涙を流した。

「あの時の私はまだ未熟で…、あなたをお守りすることが出来ませんでした!本当にごめんなさい!」

そんなことないよ。あの時マリーにはちゃんと守ってもらったよ…。

ウィルソンはマリーの肩と頭に腕をまわす。

「ただいま…マリー」

幼い頃は優しくて大きな女性だと思っていた。

今では僕の方が大きくて、こんなに小柄な女性だったんだな。

なんにも昔と変わらない、優しいままの"ボクの大好きなメイドさん"だよ。


「会えて良かったね!ウィル」

アリシアは隣で微笑んだ。

「ぁ…アリシア。マリー、紹介するよ。この子はアリシア。僕と一緒のサーカス団仲間だよ」

「ちゃんと…サーカス団に入れたのですね…良かった…」

「はじめまして!アリシア•クラーベルです!ウィルから話は聞いています!お菓子作りの先生!」

アリシアは元気に挨拶する。

「まぁ、先生だなんて…。ありがとう坊っちゃま。アリシアさん」

マリーは涙を拭いて優しい笑顔に戻った。

「お母さまは?お屋敷に居る?」

ウィルはマリーに聞いた。

「ぁ…奥さまは…4年前に病気を患い亡くなりました…」

「…そっか…」

もう一度会って話してみたかったな。

「でも…奥さまは…最後まで坊っちゃまのこと心配しておられましたよ…。酷い別れ方をしたこと謝りたいって…」

「……そう。…でもそれが聞けて良かったよ…。ありがとうマリー」

「いいえ…そんな、私はこの屋敷に仕えるメイドですから…。ダニエル坊っちゃまのお墓もお守りしないといけませんから…」

雑木林には真っ直ぐの道が出来て、屋敷の塀の壁が見える程整備されていた。

「ぁ…そうだ。今サーカス団の皆とこの街に来ているんだ。今週はこの街で公演をするからマリーも観に来てね」

「はい…。楽しみにしています。坊っちゃま」


ウィルソンはアリシアと手を繋ぎ、石階段を降りて行った。

マリーは1人空を見上げる。

「…奥さま…立派になられましたよ…。観てますか…ダニエル坊っちゃま…」


#縮まらない距離


サーカス団の馬車は赤レンガ造りの2階建てのホテルの前に泊まっていた。

「あ!サーカス団の馬車!」

アリシアが馬車を指差した。

「そうだね、もうホテルの中に皆入ったのかな?」

ウィルは飼育小屋を覗く。

「やぁ、マリッサ。後でお土産買ってくるからね」

(今度はちゃんとバナナね!バナナ!)

「うん、わかった」

(おれは付いて行くー!)

リズがウィルソンの肩に飛び乗った。

「はいはい…」

ウィルは飼育小屋のカーテンを閉めた。

「……動物とおしゃべり出来るの!?すごいかわいい!」

アリシアが興奮していた。

「あれ?…言ってなかったっけ?」

昔話の途中、いつアリシアが眠ったのか気付かなかっただけかな?

ウィルソンは右腕を伸ばし、アリシアの顔の前に出す。

リズが肩から指の先まで降りてくる。

リズがしっぽでアリシアの頬を撫でた。

「ふふっ、くすぐったい」


客車からシエルが降りてきた。

「も~!チェックインまだ~マイル…。ぁ、ウィルにアリシアちゃん。追い付いたわね」

「なに!ウィル?」

ネルソンが出てきた…。

「お前なんでここに居る!怪我した足は?」

「ずっと飼育小屋に乗っていたわよ!それに怪我した足は、リモエイド湖で治したわ。あんたはいびきかいて寝てたけど!」

シエルが代わりに説明してくれた。

「蝶ネクタイのおじさんひどい!こんなに優しいウィルを置いて行こうとするなんて!」

アリシアが続いて怒った。

「ん?なんだよこいつ」

「この子はアリシアちゃん!港街で私が入団許可したわ」

「はぁ?そんな勝手な…」

「まぁまぁ、そんな怒るな団長」

リーガルが降りて来てネルソンの肩に手を置く。

「こんな可愛らしい子が看板娘なら、お客さんも増えますよ!」

「…そうか?」

「ん?私は看板娘にはなれないってか?お?」

シエルが腕を組み、リーガルを睨む。

「ぁ…、いや~美人なお姉さんが居て俺っちも元気出ちゃうわ~はは…」

リーガルは誤魔化してホテルの中へ入って行った。

「まぁいいわ。ほらウィルもアリシアちゃんも中に入りましょ!私も早くベッドで寝たいわ」

シエルがウィルソンとアリシアの背中を押す。

「べー」

アリシアがネルソンに向け、舌を出す。

「んな!」

ネルソンは1人取り残された。

ホテルの隣は駐在所だった。

「ん?」

ネルソンは壁の掲示板を見た。

掲示板には"逃走犯ダグラス•ウィンターズ"と顔写真の付いた貼り紙があった。

「ウィンターズってウィルソンの…。それに確かこのリザベートって……へ~」

ネルソンが何やら思い付いた。

ネルソンはホテルに入らず、市街地へ消えて行った。


ホテルに入ったサーカス団一行。

マイルは気を遣い、男女別で隣同士で2部屋用意してくれていた。

各自馬車から荷物を運び、部屋に置いた。


女子部屋組では…。

「ねぇ~、一緒に入らないの~」

2日振りのお風呂。シャワーを浴びるシエルがバスルームからアリシアを呼ぶ。

アリシアは脱衣所で戸惑っていた。

(だってお母さん以外の人とシャワー浴びるの初めてなんだもん!)

「…ぁ、…失礼…します…」

バスルームの扉を開け、中に入る。

浴室内は湯気が充満。うっすらシエルの肌が見える。

「あぁ、いらっしゃい。身体洗ってあげよっか」

シエルはシャワーを止め、アリシアに近寄る。

「ぁ…はぃ…」

(…やっぱりシエルお姉ちゃん大きい…。女の子同士だけどのぼせそう…)

アリシアはバスチェアに腰掛ける。

シエルが床に膝を付き、ボディソープを手に取り泡立てる。

柔らかい胸がアリシアの頭に乗る…。

「…どうしたらそんなに大きくなれるの?」

アリシアがシエルに聞いた。

「え?あぁ、私ミートパイが好きで良く食べるのよ。鶏肉のパイね。あといっぱい寝てたらおっきくなってた」

「えっ!マジですか!」

「マジマジ。きっとあなたもこれからおっきくなるわよっ!」

「ふえ!」

シエルはアリシアに後ろから抱き付き、ボディタオルでアリシアのお腹を洗った。


男子部屋組では…。

「足の具合は大丈夫か?」

マイルがウィルソンに聞いた。

「うん、補助なしでも歩いて平気なぐらい治ってきているよ」

「へぇ、やっぱりあの湖すげぇんだな。アリシアちゃんがずっとお前と手を繋いでくれていたからまだ痛むんだと思ってた」

「アリシアちゃんはずっとそばにいてくれるね…。とっても良い子だよ」

「まぁ、年の離れた女の子と一緒に歩いているんだ。疑われて通報されないようにな…」

「ぁー、あるかもね。気を付けるよ」

言われてみれば、どう見ても兄妹には見えないもんなぁ…。

「あれー、どこやったっけなぁ…」

リーガルがカバンに手を突っ込み、何かを探している。

「なに探してるのリーガル」

ウィルソンはリーガルに聞く。

「あぁ、俺っち愛用の髭剃りだよ。"これであなたもイケてる男肌"ってな!」

「…ぁ…そぅなんだ…」

「おっ!あったあったぁ」

リーガルが髭剃りを見つけたようだ。

リーガルがバスルームに向かう。

「一緒に入る?」

チラッとこちらを見る。

「えっ!」

「キモいぞおっさん!」

「くくく…冗談だ」

リーガルは脱衣所に入っていった。

「あぁ、1階の売店で飲み物買ってくるけど…何が良い?」

マイルはベッドから立ち上がる。

「ん~、レモンティーかな」

「OK。待ってろ」

マイルは部屋を出て行った。


少し経って、コンコンとノックの音がした。

ウィルソンは部屋のドアを開けた。

「ぁー、ウィルソン•ウィンターズだな。一緒に来てもらうぞ」

「…えっ?」

2人の警官がドアの前に立っていた。


#


サーカス団が泊まる赤レンガのホテルにオレンジ色の夕日が差す。


女子部屋組では…。

シャワーを浴び終わり、2人はベッドに座る。

シエルがアリシアの髪をドライヤーで乾かす。

「この服本当に貰っていいの?」

「えぇ、私にはもうぴちぴちで小さいから、アリシアにそのTシャツあげるわ」

「うん!ありがとうシエルお姉ちゃん」

胸元に"Love"と書かれた黒のTシャツは、アリシアが着ると首元や袖が大きく開いている。

胸のところの布は確かに引っ張られて伸びている気がする。

シエルはシルク素材の上下紺色のパジャマ姿だ。

「はい。もういいよー」

アリシアの髪を乾かし終わった。

アリシアはぴょんとベッドから降りる。

コンコン、と廊下の方で音がした。

「隣のお部屋?」

アリシアは女子部屋のドアを少し開ける。

「ぁー、ウィルソン•ウィンターズだな。一緒に来てもらうぞ」

「…え?」

「…な…かの…違いじゃ………」

隣は男子部屋だ。男子部屋の前の廊下に警察官が2人立っているのが見えた。

ウィルと警察の人が何かしゃべってる。

「…ウィル?」

警察官2人の間にウィルが入り、廊下を歩いていく。

アリシアは廊下へ出た。

「ウィルー、どうしたの?」

「ぁ…なんか…、ちょっと行ってく……」

警察官に連れられ階段を降りて行った。

「シエルお姉ちゃん!ウィルが警察の人に連れていかれちゃったー」

ベッドに座るシエルを呼ぶ。

「は?なにそれ!」

シエルは慌てて廊下に出る。

「階段降りて行っちゃったみたい…」

シエルが男子部屋に入る。

バスルームでシャワーの音がする。

ガララッ!

「わお!なんだよ」

リーガルが慌てて股関を隠す。

「ウィルが連れて行かれた!」

「…は?」

___________


シエルはアリシアと一緒に1階へ降りた。

アリシアだけ先に玄関を出た。

「あとそれと……リーガルにはコーヒー牛乳か」

売店に買い物途中のマイルが居た。

「マイル!買い物はあと!ウィルを一緒に探して!」

「え?ウィル?」

マイルは商品を棚に戻し、シエルに駆け寄る。

「警察に連れて行かれたって!」

「は?なんで!」

「知らないわよ。またネルソンじゃないの」

「ぁ…マジかよ」

双子姉弟は外へ出て辺りを見渡す。

アリシアの姿も見当たらない。

「どっちだ?!」

「私は北の方!あんたは南の方を探して!」

「はいよ!」

ふた手に別れてウィルの行方を探す。

___________


少し時間を戻して、アリシアはというと。

「ウィル…どっちに行ったのかなぁ」

ホテルを出たアリシアは辺りを見渡す。

南門ゲートの方に向かい警察官が歩いている。

よく見るとウィルも間に居た。

「あ!いた!」

アリシアはショルダーバッグを肩に掛け、走って警察官のあとを追い掛ける。

ウィルを連れた警察官が南門ゲートを通り過ぎた。

「あれ?そっちってパン屋さんの方?」

ゲートを抜けた警察官は村にある1軒の民家にウィルを連れ、入って行くのが見えた。

「あ、待って!」

アリシアは必死で追い掛けた。

_________


そして双子姉弟。

南の方を探しに行くマイルは…。

少し奥には昼間入ってきた南門ゲートがある。

「さすがに街の外には出ないだろうけど…」

ホテルの隣の駐在所は閉まっているようだった。

「なんで誰も居ないんだよ…。くそ~、全然わかんねぇ!もっとあっち__ガフッ!」

「きゃっ!」

走り出そうとしたマイルが誰かとぶつかった。

「あぁ、ごめんなさい!大丈夫ですか?」

マイルは倒れ込んだ女性に駆け寄り、手を差しのべる。

「…はぃ、こちらこそ申し訳ありません。よそ見をしておりました…」

あずき色メイド服姿の女性はマイルの手を取り立ち上がった。

「メイドさん…ですか」

マイルは女性に聞いた。

「ぁ、はい。丘の上のウィンターズのお屋敷でメイドをしております」

「ウィンターズって…ウィルの苗字と一緒だな」

「ウィル?ウィルソン坊っちゃまとお知り合いですか?」

「ウィルソン坊っちゃま?」

_________


北の方を探しに行ったシエルは…。

「ウィル…、アリシアちゃんも…どこよ」

黒Tシャツを着た少女も警察官に捕まったというウィルもどこに行ったのか検討もつかない。

シエルは市街地の方に向かうことにした。

コンクリートで舗装された坂道を登っていく。

坂道沿いには観光客向けのショップが並ぶ。

ジュエリーショップに目が行った。

ショーウィンドウの棚に一際目立つダイヤのネックレスが…。

「うわー、めっちゃ綺麗!…おっと」

冷静を取り戻すシエル。

「あとでまた観に来よう!」

坂道を登るとT字路で別れていて傾斜になっていた。

シエルは更に坂道を登る。すると目の前の坂道の先に見慣れた蝶ネクタイが立っていた。

「あー!ここに居たなネルソン!」

シエルは走ってネルソンに近づく。

走ってくる足音に気が付いたネルソンは、

「ん?あぁシエルか。今ここに…」

シエルがネルソンの胸ぐらを掴む。

「ホテルに警察呼んだのあんたか!?いくらウィルのことが気にいらないからって警察巻き込むことはないでしょうが!」

シエルは強く怒鳴った。

「俺はあのホテルに指名手配犯の息子が居るって言っただけだ!」

「…指名手配犯?」

「この屋敷。ウィルソンの家みたいだぞ」

2人が立つ目の前に、大きな門と庭が広がった屋敷があった。

「大きなお屋敷ね…」

「ウィンターズの屋敷。ダグラス•ウィンターズはウィルソンの親父さんで、ここはウィルソンの"実家"ってことだ」

「あんたそれを調べていたの?」

「まぁな。ウィルソンをどうしろとかは警察には指示していない」

てっきりネルソンが嘘の情報でも警察に垂れ流したのかと思った。

「それより、警察がどこに犯人を連行するのか知らない?」

「あー、南門ゲートの手前の村って言っていたような…」

「村?…マイルが探しに行った方か!」

シエルは急いで来た道を戻る。

「……なんだ?」


シエルは急いで坂道を下りる。

リズワルドの馬車が停まるホテル前。

シャワーを浴び終わったリーガルが外に出てくるところだった。

「リーガル。あんたも一緒に来て!」

「お?…おぅ!」

南門ゲートに向かう。


#


シエルは南門ゲートの保安官に話を聞くことにした。

受付台にバン!と両手をつく。

「おじさん!犯人を閉じ込める牢屋とか近くあるの知らない?!」

シエルは小屋の中で椅子に座る保安官に話し掛けた。

「ぁ?…なんだ、牢屋がどうしたって?」

保安官は椅子から立ち上がり、シエルの前に立つ。

「急になんだお嬢さん!そんな聞いてどうするんだ…ょ…」

「お願い!急いでるの!教えておじさん!」

シエルは紺色のパジャマ姿で第2ボタンまで外れている。受付台に手を付いた状態は、自然と谷間を強調。保安官の目線からは絶景だった…。

「………っ。この小屋の道路向かい。あの家の地下だよ」

保安官はすぐ近くの民家を指差す。

「ありがと!」

シエルは保安官に礼を言い、走っていった。

「サンキュー保安官さん!」

リーガルが追い付いてゲートを抜けた。


指示された民家の前。

「この家の地下?…どうして」

「…はぁ、はぁ…やっと追い付いたぁ…」

リーガルも民家前に到着。

2人は民家のウェスタンドアをくぐる。

民家を入るとバーカウンターと酒瓶がズラリと並ぶ棚は目に入った。

カウンターには人は居ない。

「ぁ、シエルお姉ちゃん。」

右側からアリシアの声がした。

「あぁ、良かったアリシアちゃん見つかって…」

「1人でよく入れたな偉いぞ」

シエルはアリシアを見つけて安心した。

リーガルはアリシアを褒めた。

「この下から警察の人の声がするよ?」

アリシアは地下に繋がっているであろう階段を指差す。

「行きましょ」

__________


ウィンターズ家の屋敷前に居たネルソンは…。

入り口の門の柵の看板には「庭園内ご自由にどうぞ」の文字。

「…入って良いのか…」

ネルソンは門をくぐり庭園に入る。

「"ウィルのことが気にいらない"…か…。おれが言葉足らずなんだな……」


……………


「それじゃダメだウィルソン!そんなんじゃショーには出してやれないぞ!」

「はい!」

パシン!と地面に鞭を打つ音が、稽古場のステージに響く。

「もう一回だ!もう一回!」

「はい!」

リズワルドサーカスの本拠地である宿舎兼稽古部屋。

ウィルソンがリズワルドに入団してから1週間が経つ。

団長の"ゴードン"がウィルソンに綱渡りの稽古をつけている。

2メートル高さの台の上に、ウィルソンが重さ10kgのダンベルを持って立っている。

ピンと張られた5cm幅のロープと、台と台の距離は10m。

平衡感覚の持続力を伸ばす稽古だ。

この稽古を始めて3日目、最初のロープの距離は3mスタートだった。

「見てよ姉さん!あの小っこいの、もう10mだ」

「なかなかやるわね」

観客席で稽古の様子を見ている双子姉弟、シエルとマイルがこそこそ話している。

ウィルソンはロープに右足を乗せ、深呼吸。

ふっ、と息を止めロープを渡る。途中ロープを渡るスピードを緩めるとバランスを崩してしまう。

スピードを保ったままロープを渡るウィルソン。

10mのロープを渡りきり、無事反対側の台に右足を乗せた。

「あわっ!」ドスッ!

台まで渡りきったは良いが、ダンベルを地面に落としてしまった。

「よし!今日はこれぐらいで良いだろう。また明日だウィルソン」

団長の低い声は身体の奥に響く。

「ありがとうございます団長さん!」

ウィルソンはゴードンに頭を下げた。

ゴードンは何も言わず稽古部屋を出ていった。

ウィルソンが台の上でへたり込んだ。

緊張の糸が切れたように力が抜けた。

「あんたすごいわね!もう10mやってるの!」

「まだ始めて3日だろ?」

双子姉弟がステージに上がってきた。

「ぇ?…ぁ…まぁ…ね」

疲れすぎて声が出ない。

「…どうした?」

「なによ、しっかりしなさい!」

シエルがウィルソンの腕を引っ張る。

ウィルソンは立つことが出来た。

「私は"シエル•クラーク"9歳。で、こっちが弟の"マイル•クラーク"。私たち双子の姉弟なの。よろしくねウィルソン」

シエルはウィルソンに自己紹介をした。

「ぁ、うん。団長さんからお話だけ聞いてたよ。赤い髪の双子って」

「へぇ、団長が俺たちのこと話すんだ…」

「分かっていたならそれで良いわ。夜ご飯食べに行こう!」

「うん」

3人は稽古部屋を出ていく。

……「…あの双子も、父さんも…。あんなに楽しそうに……、ウィルソンか……」

___________


次の日、また稽古部屋。


昼過ぎ。

白銀のオオカミが教えてくれたクロヒョウの"レオン"と稽古することになった。

「クロヒョウ…。オオカミさんが言っていた…」

台車に乗った黒い檻の中の漆黒の毛並みのヒョウがウィルソンを見ている。

稽古部屋の照明の反射で整った毛並みがキラキラ輝いて見える。

(初めて見る顔だな…、よろしく坊主)

「はい。お願いします、"レオン兄貴"さん」

(どこで聞いたか知らないが…、懐かしい呼び名だ…)

ウィルソンの両足には5㎏の重り。

「準備は良いかウィルソン」

「はい!」

ゴードンが檻の扉を開け、レオンが飛び出す。

「遠慮はいらないぞレオン…。はじめっ!」

"サーカス団の動物と心を通わせ、信頼関係を築け"という新たな稽古が始まった。


#


昼過ぎの稽古部屋。

クロヒョウのレオンとの稽古が始まった。

丸いドーム状の稽古部屋の中央には、正方形のステージがある。地面は全面芝生のグラウンド。ステージを丸く囲うように客席のベンチが並ぶ。

5kgの重りを両足に着けたウィルソンは芝生の上に立つ。黒檻から出てきたレオンは10mの間隔を開け待機。

「はじめっ!」

団長は合図と共に地面に鞭を打つ。

レオンが走り出す。

ー「レオンに追い付かれると引っ掻かれるらしいわよ?ファイト!ウィルソン!」

「えぇー…、これからお稽古なのに…」ー

稽古が始まる前、シエルとの会話を思い出す。

レオンに追い付かれないように必死に走るウィルソン。

だが足には10kgの重り。

そう簡単に速く走れない。

10mのハンデなんてすぐに縮まる。

レオンがすぐ後ろまで来ている。

ガルルゥと喉を鳴らすレオン。

「あぁっ!」

ウィルソンは足がもつれ、その場に転んでしまった。

地面に手を付いたまま後ろを振り向く。

レオンが飛び掛かろうと後ろ脚を蹴りジャンプ。

「いやだ!」

ウィルソンは頭を伏せ、手で頭を守る。

…………。

…あれ?…何も起きない…

(ふっ、まだまだだな坊主)

レオンの声が耳に届く。ウィルソンは顔を上げた。

ウィルソンの目の前でレオンの前脚が止まっていた。

「…ぁ……。ふぅ…」

ウィルソンはため息を付いた。

「ガハハッ!大丈夫かウィルソン」

団長が笑ってウィルソンに声をかける。

「…ぁ…大丈夫…です。団長さん」

ズボンのポッケからお手玉が転がった。

(ん?そりゃぁなんだ?)

レオンがお手玉について聞く。

「え?……あぁ。このお手玉は…にぃちゃんから貰った、ぼくの宝物だよっ!」

ウィルソンはお手玉を手に取り、レオンの顔の前に差し出した。

「ぁ?…あいつ。レオンと会話しているのか」

団長はその様子をステージの上から見ていた。

(にぃちゃんからの…お手玉か。お前とそっくりな臭いだな。あと炭と土)

「炭と…土?」

(あぁ…あれだ。人間が文字を書くのに使っている)

「えんぴつ?」

(あぁ、その臭いだ)

「にぃちゃんお勉強してたからだね」

(そうか。大事に御守りにしておけ)

「はい!レオン兄貴さん!」

ウィルソンはにこっと笑った。

「おい!ウィルソン!今日はもう終わりだ」

「えっ、もう?……はい!」

ウィルソンは立ち上がり返事をした。


_________


稽古の後、2階の団長室にて。

「先週入ったウィルソンって坊主はすごいぞ!成長が早い!」

団長室のロッキングチェアに深く座り、息子のネルソンに話をしている。

「2か月後。ライザ達が遠征から帰ってきたら、すぐウィルソンを遠征に出してみても良いかも知れんぞ!」

リズワルドサーカス団は半年毎にメンバーを入れ替え、馬車で各地へ遠征に向かう。

移動型のサーカス団である。

現在遠征に出ている組が帰って来たらウィルソンを馬車に乗せ、遠征に参加させようという団長。

「そんなにすごいの?ウィルソンって」

ネルソンが父に聞く。

「あぁ、あのレオンとものの数分で打ち解けるんだからな。俺でさえ半年掛かったんだぞ」

ゴードンは右手の軍手を外し、手の甲の引っ掻き傷を眺める。

「お前も遠くから観ているだけじゃなく、ウィルソンと話してみたらどうだ?」

「えっ!?…ぁ、わかりました…」


___________


1階食堂にて。

夕食の時間。ウィル、シエル、マイルの3人は食堂の長テーブルでご飯を食べていた。

「えっ、あんたお菓子作り出来るの?」

「うん、クッキーとかパンケーキとかお屋敷のメイドさんと一緒に作るよ。マリーっていうの」

「パンケーキ!食べたい!」

シエルが右手にスプーン、左手にフォークを持ちテーブルをガンガン、とつつく。

「今度僕たちに作ってよ」

「えっ?1人で作ったことないから…」

「おーぃ、ウィルソーン」

リーガルがご飯を食べている3人の元へやってきた。

「はい。リーガルさん」

「あぁ、リーガルで良いよ。"ウィルソンは来週から飯炊きのアイラさんと一緒に料理してみろ"って団長からの伝言だよ」

「飯炊き?」

「え?来週からウィルソンの作るご飯食べれるの?!」

シエルがワクワクしている。

「まぁ、そういうことみたいだね。ウィルソンは来週から飯炊き係だよ」

「すごいじゃんウィルソン!」

「えぇ~…、ぼくにできるかなぁ」

ウィルソンは戸惑った。

食堂の前の廊下で立ち尽くすネルソンが…。

(……父さんも皆も、ウィルソン、ウィルソンって…僕って、息子だよな?…団員だよな?…どうして…みんな…)


••••••••••••••••••


「この屋敷がウィルソンの実家か」

ネルソンは庭園へ入り屋敷の中を窓から覗き込む。

「ん?」

屋敷と塀の間に、奥に道が続いている。

正門から玄関扉までの石畳とは材質が違うようだ。

「行ってみるか…」

ネルソンは屋敷の奥へ続く道を歩く。

___________


太陽が山へ姿を隠し、月が顔をだす。

遠くの空にオレンジ色がうっすら見える。

「このお墓がウィルの兄さんの…」

「はい、"ウィルソン坊っちゃまの兄"でダニエルのお墓です。」

マリーの案内でダニエルのお墓に手を合わせるマイル。

「俺にも双子の姉が居るんです。俺たちも7歳の時に親に見捨てられて…、途方に暮れていた時に当時の団長にサーカス団に招いてもらったんです…」

マイルはダニエルのお墓の前にしゃがみ、マリーに昔の話を話す。

「リズワルドサーカス団っていうのは身寄りの無くした子供たちを保護する施設みたいなもんで…。希望を無くした子供たちに夢を見せて"世界はもっと広いんだぞ"って教えるために各地を旅するんです…」

「お優しい団長さまなのですね…」

「はい…とっても…優しいんです。でも2年前に亡くなっちゃいましたけど」

「そうですか…"皆のお父さん"みたいな素敵な方…。お辛いでしょうね…」

「ウィルが一番つらいと思います。団長に入団した直後から付きっきりで指導してもらっていたので…。でも泣かなかったんです。ウィルソンは…」

「実は私…。さっきウィルソン坊っちゃまに旦那様の今の状況を話していなかったんです…。傷付くかと思ってしまって…」

「しゃべっても大丈夫ですよ。あいつ、強いんで。俺が保証します」

「本当に、優しい方々と巡りあえて…良かった。安心しました。お話聴かせて頂いてありがとうございます。マイルさん」

「いや…そんな」

優しい声ですごく丁寧な女性だ。ウィルがいつもこの人の事を自慢したい気持ちが分かったよ。


ガサガサっと背後で音がする。

「えっ!」「なんですか!」

辺りはもう真っ暗で月明かりで人影が見える程度。

「いって!トゲでも刺さったか…」

「ん?その声。ネルソンか?」

「お?マイルか?いや~1人で入ってきて正直心細かったんだよ~」

ネルソンがこちらへ走って来ているようだ。

「あれ?マイルお前1人?シエルは?」

「シエル?見てないけど……」

「あの、初めてまして私メイドの____」

「うわっ!びっくりし_____ぁが!」

ネルソンはマリーの存在に気付かず、周りも見ずに後退りをし、足を滑らせ丘の上から姿を消した。

「ネルソン!」「そんな!」

「_____っあー、あぶね…。死ぬかと…思った。」

ネルソンは運良く、崖の途中に生えていた木の枝にワイシャツの襟が引っ掛かり止まっていた。

「お待ちください!今屋敷からロープを持って参ります!」

「大丈夫か。すぐ助けるからな」

「は…早く頼む…苦しい…」


_________


少し時間を戻してウィル追跡組。

階段を降りていくシエル、アリシア、リーガル。


「…だから、僕はこの街に12年振りに帰ってきて、父親の状況も分からないですよ」

「12年間一度も連絡を取らずにか?他に何か隠している家族とか居るんじゃないのか?」

牢屋に入れられ、ウィルが警察官に問い詰められていた。

「ちょっと待ったぁ!そこに居るウィルソンは父親の事件とは無関係よ!」

「ウィル!怪我してない?」

階段を降りてきたシエルとアリシアが警察に詰め寄る。

「なんだお前たちは!」

「2人とも!どうしてここが…」

ウィルが反応してくれた。

「俺っちたちはウィルソンの仲間ですよ。警察官さん」

「リーガルまで…」

「どうしてこんな所にまで連れて来たの?ホテルで話けば良いじゃない!」

シエルが警察官に聞く。

「犯罪に関わる話はここで話す決まりなんだよ!」

「ウィルは何も悪いことはしないわ!」

アリシアも怒ってくれた。


「ごめんくださぁい。お夜食のロールパンお持ちしましたぁ…」

向かいのパン屋のメリルが階段を降りてきた。

「ぁ!ウィルのお母さん!」

「「お母さん?!」」

シエルとリーガルが反応した。

「やぁ、メリルさん。いつもありがとう」

警察官がメリルからパンを受け取る。

「お母さん!お父さまについて何か知らない?」

ウィルが牢屋の中から母に聞く。

「お父様ぁ?お父さんならお家に居るわよ?」

「「「えぇー!!」」」


#


赤レンガ造りの街並みと商業の街リザベート。

今から25年前、リザベート政府は観光と商業の発展に力を入れるため、街の景観が崩れると市街地の中心部にあった「リザベート刑務所」を廃止。

リザベート郊外の"ハインズ"という村の一画を政府の所有土地とし、その民家の地下に刑務所の新設及び収容者の移送が行われた。

その2年後、元リザベート刑務所の建物を買取し、"ダヴィンチスーツ"のアパレル会社を立ち上げたのが"ダグラス•ウィンターズ"の父である前社長の"ジーク•ウィンターズ"である。

しかし、リザベートの街に"ダヴィンチスーツ1号店"を開業して2年後、ジーク•ウィンターズが逝去。25歳の若さでダグラスが経営を引き継ぐことになったのであった。


そしてウィルソンが連行された刑務所では…。

パンを届けに来たメリルの衝撃の一言にびっくりする一同。

「お父さまがお家に居るって?」

ウィルソンは母に聞く。

「えぇ。あっ、お家って言ってもこの隣じゃなくて、"キルト"にね。ウィルソンが生まれた所よ」

メリルはほんわかした落ち着いた声で話す。

「あれぇ?ウィルソンは何でそんな所に入っているのぉ?…あっ!もしかしてアリシアちゃんに早速"夜のお誘い"したとかぁ?」

「「はっ!?」」

リーガルと警察官がウィルソンを、アリシアとシエルがメリルの顔を見る。

「!!っそんなことしてないよお母さん!!」

「そうよ!ウィルはしないわよ。確かにアリシアちゃんは"ウィルソンLOVE"だけど」

すかさずシエルがフォローに入る。

「!…………くはぁ」

アリシアが顔真っ赤になって床にへたり込む。

「おぉっと、大丈夫かアリシアちゃん」

リーガルがアリシアを起き上がらせる。


「メリルさんどうして隠していたんですか!」

警察官はメリルに聞く。

「隠すっていうかぁ、聞かれなかったしぃ。それに離婚もしてるから他人なんじゃないの?」

「情報を知っていたなら教えて頂ければ良かったんですが…」

呆れた口調で話す警察官。

「じゃぁ、ウィルの父親をここに連れて来ればウィルは解放してくれるのね?!」

シエルが警察官に聞く。

「交換条件ですか?必ず連れて来れる保証はありますか?」

「…それは…」

確かに、途中で逃げられたら終わりだ。

「それじゃぁね。ウィルソンとアリシアちゃんでお父さんを迎えに行ってもらいましょうよ」

メリルが提案する。

「それで誰かがここに残るの。そうすれば何とかしてでも連れて帰ってくるんじゃないかしらぁ」

だいぶブッ飛んでることをまったりと口にするメリル。

「メリルさん…あんまり捜査のことには…」

「お願い。ダメなら私も責任取るから」

「お母さん、そんな約束したら…」

「大丈夫、そんな気がするわ…。あなたもアリシアちゃんもお仲間さんも…顔を見ていたら分かるもの…。信頼してるんだなって」

「……分かりましたよ。では誰を残すんです?」

警察官が母の説得に応じたようだ。

「私が残るわよ!あとリーガルも!」

「!俺っちもかよ…。まぁ、わかったよ」

「決まりね!さぁ、ウィルを牢屋から出して!」

警察官は留置室の鍵を開け、ウィルが外に出る。

「じゃぁ、代わりに2人が入るんだな」

留置室の扉を開けたまま、シエルとリーガルを留置室の中へ手招きする。

(頼むわよウィル)

(わかった)

すれ違いざまに小声で話す。

シエルとリーガルが留置室に入る。

警察官が鍵を閉める。

「ほら!行くよアリシアちゃん」

「……ぁ、あはい!」

ウィルソンがアリシアの手を引き階段をあがる。

「街からの夜行バス21時最終だから急いでねぇ」

メリルが手を振り見送る。

「はぁい、おかあさま!」

アリシアが手を振り返す。


「行ったみたいねぇ」

安堵のため息をつき看守机の椅子に座るメリル。

「本当に大丈夫ですかメリルさん」

警察官がメリルに聞く。

「大丈夫。私の息子ですから。それに…お仲間さんたちにウィルソンのお話聞きたいし!」

「あぁ、そうですか…」

いつもお世話になっている分、警察官もメリルには甘いようだ。

___________


階段を上がり外へ出たウィルソンとアリシアが南門ゲートをくぐる。

外はもうすっかり日が落ち、月が顔を出していた。

「この街にはバスがあるのね。私は漁船にはいっぱい乗せて貰ったけど、バスには乗ったことない!楽しみ!」

「そうか。お父さんは漁師だったね」

「うん。私泳ぎは得意よ!ウィルが溺れたら助けてあげるね!」

「わかった。ありがとう」

頼もしい言葉で元気付けてくれているのかな。

本当に優しい女の子だ。


「ネルソン!」「そんな!」

「大丈夫か!今助けるからな!」

丘の上から聞き慣れた声が聞こえてきた。

「ねぇ!あれ蝶ネクタイのおじさんじゃない!」

アリシアが指差す。

ネクタイが崖の途中で木の枝に引っ掛かり止まっていた。

「大変だ!アリシアちゃんここで待ってて!」

ウィルソンは石階段を上り、丘の上へ急ぐ。

ネルソンは崖下8mの高さの所で宙吊りになっていた。落ちたらただでは済まないだろう。

「マイル!今手伝うから!」

階段下からマイルに叫ぶ

「お!なんだウィル居るじゃねぇかよ。頼む!ネルソンが!」

ウィルソンがマイルの隣に駆け寄る。

2人は地面に寝そべりネルソンに手を伸ばす。

が、もう少し長さが足りない。

「くそっ!もう少しなのに!ネルソン腕を上に伸ばせるか!」

ネルソンが恐る恐る左腕を上にあげる。

マイルが前に乗り出す。ウィルがマイルの背中に右腕を回し、地面から生えた木の根っこを掴む。

ネルソンの手をマイルは掴むことが出来た。

「よし!掴んだっ!右手も上げて俺に掴まれ!」

ネルソンの右手はマイルの手首を掴むことが出来た。

「よし!上げろ!」

ウィルソンの左手がネルソンの手首を掴む。

2人は力を合わせ、ネルソンを引き上げることに成功した。

3人は息を切らし地面にへたり込む。

「…ぃや~、あぶねぇ。悪いなマイル。ウィルソン…」

ネルソンは感謝を口にするが軽く聞こえた。

パシッ! ウィルがネルソンの頬を叩く。

ウィルソンはネルソンの胸ぐらを掴む。

「しっかりしろよ!お前が死んだら誰がサーカス団を守るんだよ!」

「ウィル…」

「マイルだって今僕がここに居なかったら、一緒に落ちていたかも知れないんだぞ!へらへらしてんじゃねぇよ団長なんだから!ふらふらするなよ!お前は団長なんだから!」

「………なんだよ、何も知らないくせに…」

「知ってるよ誰よりも!お前のお父さんは誰よりも家族思いで!息子の悪口は絶対言わない。入団した仲間にはたっぷり愛情を注ぐんだ!知らないのはお前の方だ!入団したら僕たちは家族なんだ!お前が死んだら皆悲しむんだよ!わかったかバカ息子!」

「…もういい。ありがとうウィル」

マイルが優しく止めた。

ネルソンは正座をし、地面に両手をついた。

「…………ごめん…なさい」


ー「なぁウィルソン…。俺の息子のネルソンは、人に甘えるのを恥ずかしがるヤツなんだ…。だからお前だけでもあいつのそばで…、味方で居てやってくれな…」

「団長…。わかり…ました…」ー


「良かった…無事で…」

ウィルソンは安堵のため息をつく。

「ウィルが言ってることは本当だ。俺もシエルも、リーガルだってネルソンが居なくなったら寂しいさ。団長の息子だからじゃない。俺たちは家族なんだ…入団した時から」

マイルがネルソンの肩を擦りながら優しい口調で話す。

「…あぁ…俺だって…、父さんのように優しい団長になりたいさ…」

ネルソンが地面に頭を着けたまま話す。

「ウィルソンの足の怪我だって、治ったら迎えに行こうと思っていた…。次の街に行って公演に参加出来ないんじゃ、もっと辛い思いするのはウィルソンだろ?」

「ネルソン、お前…」

ネルソンの言葉にマイルが反応した。

「じつはさっき…、足の怪我が治ったって話を聞いて安心したんだ。飼育小屋に隠れていたのには驚いたけどな…」

ネルソンは顔を上げ、少し恥じらいながら本音を話す。

「俺の言葉が足りなかったんだ…。本当にすまない…」

「なんだよ…素直に言えば良いじゃねぇか水臭い」

「そうさ、僕たちの間に隠し事は無しだから」

「…ウィルソン…」

「ここの丘の上から…僕の兄さんは落ちて死んだんだ……。大事な人を同じ場所でまた失くすのはごめんだよ…。本当に、良かった無事で」


ねぇネルソン、団長だって息子が病気になったら飛んで駆けつけるんだ。大事にされて無いとか仲間外れだなんて、そんなことないよ。


マリーがロープを手に持ったまま、こちらを見て微笑んでいる。

アリシアも階段を上がって来ていた。


#


ウィンターズ家の屋敷の丘の上。

月明かりが原っぱを優しい照らす。

月明かりの明るさに目がだんだん慣れて来た。


「ネルソンさんとおっしゃるんですね。申し訳ありません。私があなたを驚かせてしまったせいですよね…」

マリーが3人の元に歩み寄り、ネルソンに話し掛ける。

「私はウィンターズ家の屋敷でメイドをしております。マリーと申します。」

「え!あぁ…いや、俺の不注意なんで、こっちこそすいません」

「ウィルもマイルさんもおじさんも無事で良かったぁ」

アリシアも駆け寄ってきた。

「あ!さっきの小っこいのか。ていうか俺はまだ17歳だ!おじさんって呼ぶなネルソンだ」

「小っこいのじゃなくてアリシアよ」

ふん、とお互いそっぽを向いた。

「ごめんよアリシアちゃん心配掛けて」

ウィルがアリシアに話し掛ける。

「3人とも仲直り出来たみたいね。そんな時はこれよ、"みなとまちのパイ~"」

アリシアは肩に掛けていたショルダーバッグから港街でウィルが配ったお菓子を取り出した。

「あ、それウィルが作ったお菓子じゃん」

マイルが反応した。

「ん?なんだそれ」

ネルソンも反応した。

「僕が港街で配ったお菓子だよ。カバンに入れていたんだねアリシアちゃん」

「そうなの。シエルお姉ちゃんが持たせてくれたの!」

「姉さんが」

「ちょうど3つあるから3人で食べてもっと仲直り、ね!」

「ありがとうアリシアちゃん」

「俺もまだ食べてなかったんだぁ」

ウィルソンとマイルがアリシアからお菓子を受け取る。

「ウィルソンの…作ったお菓子…」

ネルソンが渋る。

「食べてみろよ。お前ウィルの作ったお菓子今まで食べようとしなかっただろ」

マイルがネルソンにお菓子を勧める。

「ぉ…おぅ」

ネルソンがお菓子を受け取る。

「はい!せーの!」

「「「いっただっきまぁす」」」

3人同時にお菓子を噛る。

「…こんなに美味いのか…ウィルソンのお菓子…」

「やっぱりうまいぞウィル」

「そっか、ありがとう」

「これで仲直りね!」

アリシアがにこっと笑った。

「……父さんがウィルソンの作った飯をよく誉めていたんだ。その気持ちが分かったよ……」

ネルソンは父親の事を思い出していた。

「あ!そういえば!マリー!今何時?」

ウィルが慌ててマリーに聞く。

「今ですか?…20時52分ですね」

マリーは持っていた懐中時計で時間を確認する。

「マズい!バスの時間が!アリシアちゃん行こう!」

「あ!そうだった!」

ウィルソンはアリシアと手を繋ぎ、階段を降りていく。

「…お気をつけて…」

「なんだ?」「さぁ」

マイルとネルソンは顔を見合せた。

「あ!皆さん夜も遅いです。良かったらお屋敷で休んでくださいませ」

マリーが提案した。

「えっ!いいんですかメイドさん!」

ネルソンが反応した。

「ありがとうマリーさん。宜しくお願いします」

マリーの案内で屋敷に入って行く。

「お前背中ビリビリに破けてるじゃねぇか」

「あ、どうりで寒いと思ったぜ」

「怪我をしているかも知れませんね。手当てしないと…」

___________


階段を降りたウィルソンとアリシアは。

「バスどこで乗れるのかなぁ」

「市街地に行けばバス停あるかもね」

サーカス団の馬車が止まるホテル前に近づく。

隣の駐在所の掲示板に目が行った。

蛍光灯で照らされている。

"逃走犯ダグラス•ウィンターズ"の貼り紙。

「お父さま…、何があった…」

「この写真がウィルのお父さん?」

「…そう…だね」

薄金の髪をオールバックにして、黒淵メガネを掛けている。キリッとした目付き。

いつ撮られたものかは分からないが間違いなくお父さまだ…。

隣にはバスの時刻表の貼り紙。

「ぁ…」

夜行バスの出発時は"21時26分"と記されている。

"リザベート市役所前バス発着所"。

「急ごうアリシアちゃん」

「うん!」

2人は市役所に向かうため、市街地への坂道を登る。坂道沿いのショップは閉まっていて灯りが疎らだ。

坂道を登り突き当たり。

「あ!バス停!」

アリシアが北の方を指差す。

バス停前には深緑色の2段の寝台バスが停まっている。

まだ出発はしていないようだ。

2人はバス停に近づき、バスのドアに手をかける。

「大人1人と子供1人。"キルト"までお願い出来ますか?」

ウィルが運転手に聞く。

「はい。子供は何歳です…アリシアじゃないか?」

「マイクお兄ちゃん?!」

アリシアと運転手が声をあげた。

「知ってるの?アリシアちゃん」

「うん。ジニーのお兄さんで"マイクお兄ちゃん"」

知り合いだった。

「いや~、正月振りだな。っていってもそんなしゃべってないけど…」

マイクがアリシアに笑って話しかける。

「お兄ちゃんもバスの運転手とは聞いていたけどこのバスを運転しているなんて!」

「まぁいいや。もう出発時間だからドア締めるぞ。"ドア締まりまぁす"」

プシューと空気の抜ける音と共にバスのドアが閉まる。

「キルトまでだと大人は4200Gだ。アリシアは1200Gだが、俺が後で出しておいてやる」

「そんな!良いんですか!?」

ウィルソンがマイクに聞く。

「良いよ。ご近所さんの好みってやつ」

マイクは答えてくれた。

「お兄さんは4200Gだよ」

「ぁ…って言っても何も持ってない…」

急に警察官に連行されて、何も準備していなかった。

「4200Gね。待ってて」

アリシアはショルダーバッグを漁る。

「えっ?あるのアリシアちゃん!?」

「あるよ、お母さんに10,000G貰ってきたもん」

アリシアはバッグからピンク色の財布を出す。

「はい!マイクお兄ちゃん」

「確かに。満席じゃないから好きな所乗ってな。"出発しまぁす"」

号令と共にクラクションを短く鳴らす。

アリシアはウィルの手を引き席に座る。

「ワクワクだね!ウィル」

「ぁ…、う、うん」

アリシアはにっこにこな笑顔でウィルの顔を見る。

バスが動き出す。

お父さまが居るというキルトに向かう。


#


リザベート刑務所でウィルの代わりに留置室に入ったシエルとリーガルは…。

「あの、はじめましてウィルのお母さん!私はシエルです」

「リーガルです」

留置室の柵越しに話す。

「はじめましてぇ。ウィルソンの母のメリルでしす」

3人は挨拶を交わす。

「あれ!ウィルソン•ウィンターズは!?」

看守の1人が奥から歩いてきて、メリルの隣に居た警察官に聞く。

「ウィルソン•ウィンターズは今、ダグラス•ウィンターズの捜索に向かっている。彼の代わりにお仲間さんが留置室で待機中だ」

「何をそんな勝手な…」

「まぁまぁ、大丈夫だから。あなたもパン食べて。私が2人を見張っているから」

メリルが警察官を制止。

「あっ!やっぱり待って!お仲間さんにもパンを持ってくるから!」

メリルはそう言って階段を小走りで上がって行った。

「…あれが本当にウィルのお母さんなのか?」

「…すごいほんわかしてるわね…」

留置室の柵に手をかけぽかーんとしている2人。

「おい、シエル!ボタン閉めとけ」

リーガルはシエルのパジャマのボタンが外れていることを指摘した。

「え?あぁ、ごめんごめん」

シエルは平然とボタンを閉め直す。


しばらくしてメリルがバスケットを持って階段を降りて来た。

「はい、お待たせ~。お仲間さんたちのパン持ってきましたぁ」

パンの入ったバスケットを看守机に置いた。

「良かったら食べて。クロワッサンとクリームパンを持ってきたから」

メリルは右手にクロワッサン、左手にクリームパンを持ち、留置室の柵に手を突っ込む。

「あぁ…どうも…」

「ありがとうございます…」

シエルとリーガルはパンを受け取る。

「メリルさん。お店に居なくて大丈夫なんですか?」

警察官の1人が聞く。

「大丈夫。closeの看板提げてきたから」

そういってメリルは留置室前の看守机に座る。

「このお二人は私が付いているから。あなた方は奥でお仕事していて構わないですぅ。はい。奥へどうぞ」

「あぁ…そうですか。何かあったらすぐに呼んでください」

警察官2人は建物の奥へ消えて行った。


「ウィルソンは…本当に良い子に育ってますね…。安心しました…すごく」

メリルが呟く。

「そうですね。私もウィルのことは6歳の頃から知ってますけど…。本当に強くて、優しい人ですね」

私も幼い頃から稽古や遠征を共にしてきた仲間であり、ライバルのような存在のウィルの成長をずっと見てきた1人だからね。

「俺っちもあいつの成長速度には驚かされますよ。お菓子作りも上手いんです。団員の皆がウィルの料理を喜んでくれる…。凄いやつですよあいつは」

もし、あの時。当時6歳のウィルソンを玄関先で追い返していたら。こんなに"仲間の絆"というものを実感できる事はなかったんじゃないかと思うぞ。

シエル、リーガルもそれぞれ思い返しながらウィルソンの成長をメリルに言い聞かせる。


「お菓子作りが好きか……。やっぱり私に似てるのかなぁ…。…あの人にそっくりな…立派な顔立ちになって…。会えてよかったわ…ほんと…」

年の離れた夫の事を心から信用していたわけでは無いけれど…。私が手放してしまったあの日から…生きてさえいればって…半分諦めていた私を許してね、ウィルソン。


「じゃあ、シエルさん」

「はい?」

メリルに急に呼ばれハッとするシエル。

「これを…後でウィルソンに渡して貰えない?」

メリルはシエルに白い封筒を渡した。

「これは?」

「母親からのラブレター…かな!」

少し弾みながら看守机に戻る。

「はい!必ず、渡します。」

渡された封筒をシエルは懐に忍ばせる。


__________


ウィルソンとマイルの協力により、助け出されたネルソン。マリーの案内で屋敷の中を案内されている。

「へぇー、すごい立派なお屋敷ですねぇ。廊下の至るところにシャンデリアが…眩しいな」

「そうですねぇ、海外から取り寄せは特注品ばかりだとお聞きしております」

屋敷の廊下を歩く3人。屋敷の装飾についてマリーから説明を受ける。

(なぁ、マイル)

ネルソンがマイルに小声で話す。

(なんだよネルソン)

マイルも小声で返す。

(あのメイドさん何歳ぐらいなんだろうなぁ?)

(はぁ?)

(28歳ぐらいかな?若く見えるなスタイルも良いし)

(だからなんだよ)

(押せば"良いこと"ありそうじゃね?誘ってみようぜ?)

(はぁ?俺はいい)

(あっそう)

マリーの後ろを歩く2人のこそこそ話しが終わったようだ。

「ねぇ~メイドさん。今夜一緒に___」

ネルソンがマリーの肩に手を置いた瞬間。

マイルが見た光景は、

肩に置かれていた右腕はネルソンの後ろ手に拘束し、マリーはメイド服のスカートを捲り上げ、太ももに装着さていたホルスターからシースナイフを取り出しネルソンの喉元に突き立てていた…。1秒と掛からない早業で。

「どうかなさいましたか?ネルソンさん」

冷静が表情のマリー

「…いいえ…なにも…」

一瞬の出来事で状況が見えないが、殺されかけたのは確かだ…。

「すごいじゃないですかマリーさん」

マイルが近づく。

「…えぇ。自分の身を護るのもメイドの仕事のひとつですから、ウィルソン坊っちゃまのお知り合いとはいえ、容赦しませんわ」

マリーは優しく微笑んでいた。

すっと喉元のナイフを引き、ホルスターにしまう。

「さぁ、奥で手当てとお食事の準備ですね。こちらです」

「…失礼…しました…」

「ふっ、お前にはまだ手に追えないな」

床に崩れ落ちていたネルソンをマイルは起き上がらせる。


__________


ウィルソンの父親の居る"キルト"に向かうため、夜行バスに乗り込んだウィルソンとアリシアは。


「お父さんの居る街には何時に着くのかなぁ」

「…えっとねぇ…」

運転席上部の時刻表には"キルト市4時33分着"と表示されている。

「4時33分だって、明日の早朝だね」

ウィルは確認した時刻をアリシアに伝える。

「あれ…ここかな…あれぇ…」

アリシアは座席シートを倒すレバーを探して辺りをキョロキョロ見渡していた。

ウィルソンは何も言わず、後ろの席に乗客が居ないことを確認し、座席の下部にあったレバーに手を添える。

「これじゃない?…倒すよ」

「え?あ、うん」

急に倒れて行かないようにシートに手を添え、ゆっくり倒す。

「着いたら起こすから、ゆっくりおやすみ」

ウィルソンは座席に常備されたブランケットを取り出しアリシアの肩まで掛ける。

「ありがとうウィル。おやすみなさい」

アリシアはにこっと笑って目を閉じる。

「おやすみ」


2人が乗った夜行バスは北門ゲートを抜け、林道を走る。東の街キルトを目指す。


#夕焼け色の夢


「…あかいはなの…ぴえろさん…ぞうさんと…いっしょ…」

アリシアの手には継ぎ接ぎのボールのようなものが握られている。

アリシアがこちらに歩いてくる。

「よーしアリシア、こっちにおいで。お?何か手に持っているな…」

ソファーに座る父親の"ジーク"は近寄って来たアリシアを抱き寄せ、膝の上に乗せる。

「おとーたんみてぇ、ボール…ぴえろさんにもらったの」

父親の膝の上に座るアリシアは、ボールを持った手を顔の前に突き出した。

「ぴえろに…貰った?」

ジークはアリシアの持っていたボールを手に取り、ボールをじっと見つめる。

「お手玉…か?」

「昨日のお昼に教会に行ったらね…、サーカス団がショーをしていたのよ」

母親の"シエスタ"がキッチンから戻ってきてソファーに座る。

「サーカス団?あぁ、移動式のサーカス団な。今週来てたやつな。そういやぁ、港の灯台の近くで女の子が歌を歌ってくれていたなぁ」

「そうなの、私とアリシアはそのサーカス団のショーを最前列で観ていたのだけど…、帰ってきたらアリシアがこのお手玉を持っていたのよ…」

「あぁ…かえちて!おとーたん!」

アリシアが父親の手からお手玉をぐいっと奪い取る。

「返さなくて大丈夫なのか?」

「それがサーカス団は昨日の公演の後帰っちゃたのよ…、次にどの街に行くか分からないし…」

昨日のお昼過ぎ、丘の上にある教会の近くでサーカス団のショーが行われていた。母親とアリシアはショーを観終わったあと自宅に戻り、夕飯の準備をしていると、アリシアがお手玉を持って帰って来ていたことに気付く。

「まぁ、あのサーカス団移動してるんだ。またこの街に来るさ。その時まで大事に持っていないとな。なぁアリシア」

ジークはアリシアの頭を撫でた。

「うん!ぴえろさんまたあいたい!」

「しょうがないわね、大事にしなさいアリシア」


___________


アリシアはお手玉を片時も離さず、ショルダーバッグに入れ、持ち歩いていた。2歳の誕生日に父親に買ってもらったショルダーバッグはアリシアが選んだ物で、miumiuとロゴの入った茶色のバックはアリシアのお気に入り。


ジニーの家の庭で遊んでいる。

「アリシアどーしたのそれ?」

「これ?サーカスだんのぴえろさんにもらったの。だいじだいじなんだよ」

「へぇ~、サムとこれでボールあそびしようよ」

「だめだよ!きたなくしたらだめなの!」

ぷいっとそっぽを向いた。

「お?アリシア遊びに来てたのかぁ、何持ってるんだ?」

マイクが庭に入って2人の元にやってきた。

「マイクおにーたん。これはぴえろさんにもらっただいじなボールなの」

「ぴえろ?あぁ、この前この街に来ていたやつかぁ、失くさないように大事にしておくんだぞ。またサーカス団に会えるかも知れないからな」

マイクはアリシアの頭を撫でた。

「うん!」

アリシアはにこっと笑う。

「ジニー、アリシアも砂浜行こうぜ」

「うん!いく!かいがらあつめする!」

「おれもいきたい!」

「よし!付いてこい」

マイクはサムのリードを握り、庭の柵をピョンと飛び越えた。

ワン!ワン!とサムが2人を呼ぶ。

「あっ、まってよにいちゃん!」

「わたしもいく!」

50cm程の高さの柵をゆっくり跨ぎ、柵を乗り越える。

3人と1匹は砂浜へ向かう。


オレンジ色の夕日が砂浜を照らす。

「ほら、いくぞサム!」

ワン!とサムは短く吠え、走り出す。

マイクは砂浜に落ちていた木の棒をフリスビーのように空中に投げる。

サムは木の棒が地面に落ちる前にジャンプして口でキャッチ。

「よし!いいぞ、サム」

ワン!と吠え、棒を咥えたままマイクの元に戻るサム。

「偉いぞサム。もう一回だ」

マイクはもう一度、木の棒を持ち構える。

「いくぞっ!」

サムがワン!と吠え、走り出す。

マイクの投げた木の棒は軌道が逸れて、波打ち際で貝殻拾いをしているアリシアとジニーの方向へ飛ばしてしまった。

「やば!避けろアリシア!」

マイクは必死に叫ぶ。

「…ぇ?」

アリシアはマイクの声に反応し、マイクの方を見る。

何かがこちらに飛んでくるのが見えた。

「ぃゃあ!」

アリシアは両腕で頭を庇う。

するとサムがアリシアの上に覆い被さった。

「あぶねー、あぶねーよにいちゃん!」

アリシアの隣にいたジニーがマイクに怒った。

木の棒はアリシアにもサムにも当たることなく、波の中へ消えて行った。

「わりぃなアリシア、大丈夫だったか。サムもありがとな」

マイクが駆け寄る。

サムはアリシアの頬を舐めた。

「うわ!びっくりしたぁ、くすぐったいよサム~」

アリシアは舐められた頬っぺを手で撫でた。

ワン!とサムが短く吠えた。

__________



波打ち際でジニーとサムが遊んでいる。

アリシアとマイクは堤防に座り、ジニーの様子を眺めている。

「ねぇマイクおにーたん」

「ん?どしたアリシア」

「"おじょーさま"ってどういういみ?」

「お嬢様かぁ。大切な人にする呼び方かなぁ?それがどうした」

「このボールをくれたぴえろさんがいっていたの、"かわいらしいおじょうさま"って」

「へぇ~、じゃぁそのピエロに今度会ったら言ってみたらいいんじゃねぇ"王子さま"って」

「わかった!"おおじさま"って言ってみる。それまでこのボール、だいじだいじする!」

「そうか、頑張れアリシア」

「うん!」



砂浜から戻り、ジニーの家に着いた。

「またね、ジニー、マイクおにーたん」

「おー、じゃぁなアリシア」

「またなアリシア!」

アリシアはにこにこ笑顔で大きく手を振った。


アリシアの家はジニーの家の3軒隣の斜め向かい。玄関のドアを開ける。

「おかーたん、ただいまぁ」

「あらお帰りなさいアリシア。ジニーのお家楽しかった?」

シエスタはアリシアに駆け寄り、目線を合わせ話す。

「うん!マイクおにーたんとジニーとサムと、海にいってあそんできたよ!」

「そう、お兄さんにも遊んで貰ったのねぇ。後でお礼に行かなくっちゃ」

「ねぇおかーたん」

「ん?なぁに」

ショルダーバッグからお手玉を取り出す。

「このボールだいじだいじする!ぴえろさんにあって"おおじさま"っていう!」

「そうね。そしたらピエロさんも喜んでくれるかもねぇ、大事大事にね」

「うん!」

アリシアはシエスタの顔を見て幸せそうににっこりと笑った。


#


「こらっ!ウィルソン!起きなさーい!」

「…うわ!」

ウィルソンは甲高い声に飛び起きた。

目の前には遠征仲間の"カリーナ"が仁王立ちでこちらを見ていた。

カリーナはサーカス団の歌姫的存在。甲高い歌声で観客を魅了する。

カリーナはウィルソンの2年後輩で同い年。

宿舎での飯炊きを一緒にする内に仲良くなった。

「しっかりしてよ!最後まで世話焼かせないで!」

カリーナは今回の遠征を最後に脱退することになっている。

「おはようカリーナ、ごめんね」

ウィルソンは目を擦りながらカリーナににこっと微笑む。

「…べ、別に。これぐらい良いわよ、いつものことだもの。ほらぁ、"イシュメル"の港に着いたわよ!」

カリーナはウィルソンの手を引き、客車から外へ出る。

潮の香りが鼻に届く。

目の前にはキラキラに光る海と鮮魚を売る屋台が並ぶ港が広がっていた。

「おいウィルソン。いつまで寝ているんだ。早く宿屋に荷物を運べよな」

飼育小屋の方から声がする。

「ぁ、はいぃ、すいません。キースさん」

飼育小屋に積んだ荷物を宿屋に運び入れているのはジャグラー兼フクロウ遣いの"キース"さん。

リーガルさんと同期の24歳。

「早く運べよ、"お前のカリーナ"の荷物が多すぎなんだよ」

「ちょっとキースさん!別にウィルソンのものにはなっていませんから!」

「そうか?ははは」

カリーナは自分のお気に入りのレジャーバックだけを持ち、鳥かごを持ったキースと共に宿屋へ入っていった。

ウィルソンは飼育小屋のカーテンを開けた。

「今日からよろしくね。僕の名前はウィルソン。今日から僕のパートナーだ」

ウィルソンが話し掛けたのは、今回の遠征で初参加になる子供の雌象。

「えっとー、名前は…」


ー「この子の名前はウィルソンが付けても良いぞ、これから一緒に遠征に行くパートナーなんだからな」ー

団長の言葉を思い出していた。


「ジーニアスはどう?」

ぷふふーんと象は首を振る。

(女の子みたいな名前が良いなぁ)

「そっか、じゃぁ"マリッサ"はどう?」

(女の子みたいで素敵ね。マリッサが良いわ)

「わかった。よろしくね、マリッサ」

ウィルソンはマリッサを連れ飼育小屋を降りる。


「お、起きたかウィルソン。馬車を教会の脇に停めてくるから、その子と一緒に散歩でもしてな」

チェックインを済ませた団長の"ゴードン"が宿屋から出てきた。

「はい。この子の名前、マリッサに決まりました団長さん!」

「ほぉ、マリッサか。良い名前だな。宜しく頼むぞ」

団長は操縦席に乗り、馬車を走らせた。


ウィルソンはマリッサを連れ、堤防沿いを歩く。

「海風が気持ちいいねぇ、マリッサは海は初めてかな?」

(私も海は初めて見るわ)

「そっか、それは良かった」

「おーぃ、ウィルソーン!客寄せの準備始めるわよー!」

宿屋の入り口前からカリーナの呼ぶ声がする。

「はーい!…よくここに居るって分かったねカリーナ…」

(すぐ見つけ出せるほど魅了があるのよ、ウィルソンには)

「…そうかなぁ…」

宿屋前にマリッサを待たせ、ウィルソンは部屋に入り、ピエロの衣装に着替える。階段を降り、一階ロビーへ向かった。

「ごめんね、おまかせカリーナ」

「も~、遅いよぉ。キースさんもライアンも先に客寄せ場所行っちゃったよ!」


2人は宿屋を出て、港の灯台の下で客寄せをすることにした。

灯台近くの波止場では漁船の片付けてをしている人々が汗を流す。

マイクやスピーカーは使わず、どれだけ人の注目を集めるかもサーカス団の歌姫として実力の見せ所である。

カリーナは灯台に背を向け、歌い始める。

"When I am down, oh my soul, so weary "

"When troublse come and my heart burdened be "

カリーナが歌い始めたのは"You raise me up"。

カリーナの十八番。この曲を何度も聴いている僕も、彼女の歌うサビの高音は透き通っていて気持ちが良い。

ウィルソンはカリーナの歌う曲調に合わせ、スティックリボンを舞わしながら、軽やかにカリーナの周りを飛び回る。

波止場にいる人々がカリーナの歌声に耳を傾け、注目している。

"you raise me up, so I can stand on mountains"

"you raise me up to walk on stormy seas"

"I am strong, when I am on your shoulders"

"you raise me up to more then I can be"

観客から指笛と拍手が贈られる。

「you raise me aーぐふん!」

「え!カリーナ!?」

歌の途中でカリーナが咳き込み、手で口を抑え地面に座り込む。ウィルソンがカリーナに駆け寄る。

「大丈夫?カリーナ」

「ごめんねウィルソン。ちょっと張り切りしぎちゃった…。ちょっと休憩…」

ウィルソンは立ち上がり、集まった観客の前に立つ。

「ごめんなさいお客さま。この時間の客寄せは終了します。本当にすいません。」

観客たちはその場を離れた。


「やっぱりだめかぁ…、この街で最後なんだけどなぁ」

「最後だなんて、治ったらまた歌えるよ…」

カリーナの喉は炎症しポリープができている。サーカス団の宿舎のある"サンクパレス"には治療の出来る病院が無いため、今回の遠征で脱退し休養に入るのである。

「いやだなぁ…、歌えなくなったら…」

「そんなことないって…」

ウィルソンがカリーナの肩に手を置いた。

するとカリーナはウィルソンの頬に手を添え、下唇にキスをした。

すっと唇を離す。

「…カリ…ナ?」

「あなたに歌声聴いてもらえるの…最後かもしれないから…。最後だから…」

手術をすれば今まで通りの歌声が出なくなることは私自身も分かっている。

サーカス団との遠征も、ウィルソンとの思い出もこれが最後かなぁ。

「…ごめんね」

一言だけ言い、カリーナは市街地の方へ走っていった。

「カリーナ…」

ウィルソンはカリーナにキスされた下唇を指で触れた。

「…最後とか…、そんなこと言うなよ…」


その日の夜、カリーナは宿屋に帰って来なかった。


#


次の日の朝。ウィルソンが目を覚ますと、寝室にはキースやライアンの姿は無かった。

「もう外に行ってるのかな?」

ウィルソンは着替えを済ませ、寝室を出て階段を降りる。

「お!起きたかウィルソン」

「あ、おはようライアン」

1階ロビーの金魚の水槽を眺めていたのは"ライアン"だ。

サーカス団の猛獣遣いの12歳。ライアンはいつもクロヒョウの"レオン"とペアを組んでいる。

今回の遠征にはレオンは居ないのでキースの助手として参加している。

「カリーナ見てない?」

「カリーナ?…いや、見てないよ。やっぱり昨日から帰ってきてないのかなぁ?」

「ライアンも見てないかぁ…、わかった。ありがとう」

ウィルソンは宿屋を出て、教会の方へ向かった。

「…団長にも報告しないとな」

市街地から外れた丘の上に教会が建っている。

昨日教会の中を探したがカリーナの姿はなかった。


教会の脇にサーカス団の馬車が止まっている。

飼育小屋の外で団長がマリッサに干し草を与えている。

「団長、おはようございます。」

「おぉ、ウィルソンか。おはようさん」

「カリーナが…昨日のお昼から行方が分かりません…。どこに行ったんでしょうか…」

「カリーナが居ねぇ?!…まぁ、今回の遠征だってカリーナが"最後だから"って無理して付いて来たみてぇなもんだからなぁ」

団長は顎ひげを触りながら考え始める。

「歌姫が居ねぇんじゃ締まらねぇなぁ…、テント張ってショーをするにも寂しく感じちまう…」

サーカス団の公演にはカリーナの歌声は欠かせない。それは団員全員が分かっている。

団長は教会を指差す。

「教会から市街地まで伸びるこの砂利道を馬車でパレードのように練り歩いてこの街の公演は終わりだな…。ウィルソンはマリッサの背中に乗ってパフォーマンスを頼むぞ」

団長はカリーナの欠員の理由については深く触れず、今居るメンバーでどうこの街の人々を楽しませるかを瞬時に判断する。

「わかりました団長。よろしくね、マリッサ」

ウィルソンはマリッサの鼻を撫でた。

「キースやライアンにも公演の変更は伝えてくれな。…あとは…ウィルソン。カリーナのことを探すこたぁ諦めんなよ。俺もカリーナを探す。」

団長はウィルソンの頭をポンポンと叩く。

「はい!ありがとうございます団長!」

ウィルソンは教会を離れ、港に向かった。


港の市場前で客寄せをするキースとライアンの姿があった。

2人は4m程の距離を取り、"クラブ"(ボーリングのピンのような物)を投げ合っている。その真ん中で白フクロウの"マット"がクラブに当たらないよう、円を描くように飛び回る。

市場の柱の影からウィルソンが声を掛ける。

(キースさん、ライアン。ちょっとごめん)

「…ん?ウィルソンか」

キースがウィルソンに気付いて、クラブを投げるのを止めた。

動きが止まったことを確認し、ウィルソンは2人の元へ近づき、先ほどの内容を説明する。

「団長が、カリーナの欠員で今回はテントは張らずにパレードだけで終わりにするって」

「あぁ~、やっぱりカリーナ戻って来ないかぁ」

キースがポリポリ頭を掻く。

「カリーナこの街で最後でしょ?カリーナが居ないんじゃ男だけになっちゃうね~」

とライアンは言い、クラブをおでこに乗せバランスを取る。

「僕はギリギリまでカリーナを探してみるよ。2人は団長に会ってこれからの内容聞いててね」

「そうだな。団長は?」

「まだ教会の方に居ると思うけど…」

「OK。行くぞライアン」

「はいな!…それでは皆さま、この時間はこれにて終了します」

「「「ありがとうございました」」」

3人揃って観客に向かい挨拶をする。

キースとライアンは走って教会へ向かった。


港の灯台、市街地の公園、宿屋の客室、色んな所を見て巡ったがカリーナの姿は見つからない。

「他にカリーナが行きそうな場所は…」


-「ウィルソンの作るクッキー美味しい~。もしお店で売ってたら毎日通うわよこれ」-


カリーナの言葉を思い出す。

「お菓子屋さん…か?」

もう一度市街地に戻り、飲食店が並ぶエリアへ入る。

「お菓子屋…、ケーキ屋さん…あれ…」


とある喫茶店の窓際の席にハンチング帽を目深にかぶるカリーナが居た。

市街地の通路を走り回るウィルソンの姿には先ほどから気付いている。

(ウィルソン…私を探してくれてる…。顔なんか合わせらんないよぉ、キスしちゃったし…)

喫茶店の前をウィルソンが通りすぎた。

いつものように平然と顔を合わせる余裕は無い。


「あっ居たウィルソン。カリーナ見つかった?」

ライアンが走って向かってきた。

「ごめん…見つからない…」

「17時からパレード始めるって。キースさんは宿屋で荷物まとめてる。ウィルソンも宿屋に戻って衣装に着替えな」

「……わかった。ありがとうライアン」

2人は宿屋へ向かった。

ライアンとウィルソンの会話を聞いていたカリーナは。

(17時から…パレード?…荷物まとめてるの?)


時刻は16時50分。

冬間近の秋の空は日が傾くのが早い。

パレードの準備は整った。

中心街から教会までの300m程の道のりをサーカス団の馬車が練り歩く。

団長は役場の広報係にお願いをし、17時からパレードが行われることを放送で流すよう手配をしてくれた。

そのおかげもあり、教会までの道なりに観客が集まっているのが見える。

「よし!行くぞおめぇら」

「「はい!」」

団長は操縦席に乗り、先頭の馬に鞭で合図を送る。

馬車が動き出す。

団長はトランペットでファンファーレを吹く。

馬車の車体には白黄赤の電飾が施され、チカチカと点滅し夕暮れの砂利道を照らす。

観客から拍手が贈られる。

客車の左横にはキース。

紫色に光る"ディアボロ"(空中ゴマ)を自在に操る。一定の速度で歩きながらでも落としたりはしない。

飼育小屋の右横にはライアン。

ライアンは両手にバトンを持ち、くるくると器用に回す。一本のバトンを空中に投げ、側転。上体を起したタイミングぴったりで空中に投げたバトンをキャッチする。

飼育小屋の後方にはマリッサの背中に乗ったウィルソン。

団長にはマリッサの背中に乗ってパフォーマンスをしろとは言われたが、今回の遠征が初めてのマリッサ。ウィルソンもマリッサの背中に乗るのも2回目なので、なかなか感覚を掴めないながらも、お手玉を5つ使いジャグリングをする。

そのうち4つは白の無地のお手玉、1つは兄から貰った黄と白の継ぎ接ぎお手玉を使っている。

マリッサも背中に人を乗せるのに慣れておらず、足取りがおぼつかない。

マリッサの足元に大きめの石が転がっていた。

マリッサはその石を足で踏む。ガクンと石が弾き出されマリッサはびっくりして身体をくねらせた。

観客からざわめく声。

ウィルソンはマリッサの予想外の動きに対応出来ず、マリッサから転落。肩から落ちた。

「うぐっ!」

「ウィルソン?」

ライアンが気付いた。

先頭にいる団長も物音と観客のざわめきには気付いたが、途中でパレードを止めるわけには行かない。馬車はそのまま進む。

ウィルソンは起き上がり、周りに散らばったお手玉を拾い、衣装のズボンのポケットにしまう。

少し頭がふらつく。

小さな少女の足元の白のお手玉を拾う。

「びっくりさせてごめんね、可愛らしいお嬢様」

「ぅ…?」

ウィルソンは少女の頭を撫で、マリッサの元に戻る。背中には乗らずゆっくり歩く。

小さな少女は継ぎ接ぎのお手玉を手に持ったまま母親の押すベビーカーに乗った。


飼育小屋の後方には追い付いた。

教会前まで残り60m。

ウィルソンは気を取り直し、ポケットからお手玉を3つ取り出し、最後は笑顔でジャグリングをする。

団長が最後にもう一度ファンファーレを吹く。

教会を避けるように砂利道を外れ、馬車は教会の影に移動する。

観客から歓声があがる。

「ありがとう!」「良かったよ!」

後方にいたウィルソンの頭に小石が飛んできた。

「ん?」

鳴り止まない歓声の中で微かに聞こえた。

(がんばれ!ウィルソン!)

「…カリー…ナ?」

カリーナの声が聞こえた気がして辺りを見渡すが、夕暮れは沈みどこにいるか探せない。

そのまま歩き続ける。

(がんばれ…カリーナ)


パレードは無事終了。

2日と短い滞在となったイシュメルの街に別れを告げ、林道を抜けたサーカス団の馬車が草原で停車し、休憩を取っている。

ウィルソンは客車の屋根に寝ころび、星空を眺める。

「どうして…」

「お!ウィルソン、こんな所に居たのか」

びくっとなって上体を起し姿勢を正す。

団長が屋根によじ登って来た。

"怒られる"と思った。パレードでは失敗したし、兄さんから貰った大事なお手玉は失くしたし…。

団長はウィルソンの頭にポンと手を置いた。

「よく頑張ったな。偉いぞ」

「……ぼくはだめです…、カリーナは最後まで見つけられなかったし、パレードでは失敗するし、大事なお手玉は失くすし…」

「カリーナはな、あの街で脱退するこたぁ決まってたんだ」

そんなことは宿舎を出発する前から分かっていたんです。

「でもな、脱退したからってお前の頭ん中からカリーナが消えんのか?」

「……」

「カリーナが俺らと旅した思い出は消えねぇよな?俺だってカリーナのこたぁ忘れねぇし、代わりを見つけるつもりもねぇ。大事な家族だからな」

「…そぅ…ですね」

「大事な物を失くした時ってなぁ心に穴が空いたような気持ちになる。それを埋めてくれるのも家族なんだ」

考えていることを見透かされているかのように話しをしてくれる団長。

「リズワルド楽団ってなぁ旅するサーカス団だ。各地を飛び回ってりゃあ、カリーナにもまた会えるさ。そん時はめぇいっぱいの笑顔で出迎えてやれな」

団長はポンポンと頭を叩いて屋根から飛び降りた。

「そろそろ降りろよ、出発するぞ!」

ウィルソンは服の袖で涙を拭いた。

「はい!」

____________


「……ル…、

     …ウィル…、ウィル!」

「はっ!」

「ウィル…泣いてる…、怖い夢でもみた?」

アリシアに起こされ目が覚めた。

頬には涙が伝っていた。

「大丈夫、何でもないよアリシアちゃん」

「良かった。"キルト"に着いたって」

あれからずっと眠っていたようだ。

「おはようウィルソンお兄さん。お忘れもののないようお気付けくださいね」

運転手のマイクが顔を覗き込む。

「あ、はい。ありがとうございます」

ウィルソンはアリシアと手を繋ぎバスを降りた。


父親のダグラスを見つけ出して、リザベートに連れ帰ることが出来るのか。


第2章 終 第3章へ 続く -








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