3つ星ピエロ まとめてパック

悠山 優

第1章 ピエロの青年

#プロローグ


とある国の小さな港町。

潮の香りが街全体を包み、心地良い風と小鳥のさえずりが鼻をくすぶる。

「はぁ…はくしゅん!」

漁業と農業が盛んな"イシュメル"という街に

「リズワルド楽団」というサーカス団が街に賑わい届けに来ていた。

サーカス団が街に滞在するのは5日間。

初日の客寄せから始まり、5日目のフィナーレ公演には沢山の人々が来場する。

そしてまた次の街へと旅立つ、移動式のサーカス団である。

今回このイシュメルに訪れるのは2回目である。

5年前に訪れた時と街並みも活気もまったく変わらない落ち着ける街だ。


「寄ってらっしゃい、観てらっしゃい~

今この手にある不思議なボール、なんと言うことでしょう、一瞬にして!小鳥に早変わりだぁ」


数人ほどのお客さんの前で客寄せをするのは

リズワルド楽団に所属している

ピエロの"ウィル"だ。

ピエロといえばトレードマークの赤い鼻に白い顔と涙のメイク。二股に別れたカラフルな帽子から伸びるオレンジ色の髪、腰までの長さの髪を三つ編みにしている。


「すごーい!ピエロさん魔法使いみたい!」

目を丸くして喜んでいる少女が1人、

ぱちぱちと拍手をしながら話しかけた。

「そうだよ。ぼくは魔法遣いさ。ほらみてごらん」

ウィルは少女に近づき指をパチンと鳴らす。

すると鳴らした指先から黄色い花がポンと顔を出す。

「はいどうぞ、お嬢さん」

「わーい、ありがとう」

一緒に来ていた母親らしき女性が「ありがとうございます」と微笑み軽いお辞儀をした。

「さぁアリシア、お家に帰りましょうね」

「は~ぃ。ピエロさんまた見に来るからね。

バイバイ」

「バイバイ」

少女は手を振り母親と一緒に帰っていった。

(アリシアちゃんっていうのか、覚えとこ)

とウィルは心の中で思った。

「さぁ皆さん!リズワルド楽団の余興を存分に楽しみたい方は5日目のフィナーレ公演にぜひ足をお運びください!お待ちしております。

リズワルド楽団ピエロのウィルでした。」

まばらな拍手の後、観客たちはその場を立ち去った。

この街に滞在して3日目の客寄せが終了した。

ウィルが道具の片付けをしていると背後から声がした。

「おい、ウイルス。ちゃんと客捕まえられるんだろうな。」

リズワルド楽団の団長の息子の"ネルソン"だ。

団長は2年前に病気を患い他界。

その後、ネルソンが後を継ぎ17歳にして団長をしている。

「おまえガキの子守りばっかしてねぇで、大人を客寄せしろよな。ガキなんて金にならねぇんだからな」

「わ、わかりましたよ…」

まぁ、この一言で分かる通り、金儲けのことしか考えていないヘソ曲がりである。

ネルソンは一言だけ言ってフン!と鼻を鳴らし去って行った。道端に落ちていた空き缶を海に向かい蹴り飛ばした。

「相変わらず荒れてるわねぇ、ネルソン」

「お疲れ。ウィル」

すると街の反対側で客寄せをしていた

"シエル"と"マイル"がウィルの元へ歩いてきていた。

シエルとマイルは双子の姉弟でリズワルド楽団では空中ブランコとトランポリンを使った息の合った技を得意とする、リズワルド楽団では人気の二人である。

二人は誰がどう見ても美男美女の双子。

赤い髪と褐色の肌、エメラルドの様な瞳が魅力的な二人。姉のシエルはナイスバディで弟のマイルの方が姉より背が高い。

「あぁ、シエルとマイル。お疲れさま。」

ウィルは二人に手を振り、ニコっと笑った。

「まぁ、気にするなってその分俺たちが客寄せしてやるよ。飯食い行こうぜ。」

とマイルはウィルの肩に腕を回し、体重をかける。

「ぉ、重いよマイル…」

「わたしミートパイが食べたいわ、この街のミートパイのお店美味しいのよ。よく覚えてるわ」

シエルは右手でお腹を擦り、左手はウィルの手を握る。

「いきましょ♪」

「はいはい」


支えあえる仲間って良いなぁ、と最近よく考えるようになった。

なんだかんだ楽しくやって行けると思う

そんなぼくの出会ったサーカス団の物語。


#港街で出会った少女


朝の日差しが窓から差し込み顔に当たる。

小鳥のさえずりが聞こえ、ウィルは目を覚ました。

この街のきて4日目の朝だ。

イシュメルの港沿いの宿屋の1部屋を借り、ウィルとシエルとマイルはそこに4日寝泊まりをする。

シングルベッドが3台並んだ窓側がウィルのベッドだ。隣には双子姉弟の姉、シエルがむにゃむにゃと何か寝言言い、気持ち良さそうに眠っている。

「シエル、マイル。朝だよ。おはよー」

とウィルはまだ眠っている二人に声をかけ、洗面台へ向かった。

「ちょっと昨日の夜は食べ過ぎたかな…」

洗面台の鏡で自分の顔を見るなりウィルはつぶやいた。

ピエロの赤鼻と白い顔はもちろんメイクなのでシャワーを浴びる時に洗い落とす。

双子姉弟を美男美女とサーカスを見た観客の人々は言うが、メイクを落とせばウィルも負けないぐらいの美青年である。

洗顔と歯磨きを済ませ、まだ目の覚めない双子にウィルは言った。

「ほら、早く起きないと客寄せの時間になっちゃうよー。ぼくはちょっと買い出し行って来るからぁ」

「ぁ…んー」

ムクッと起き上がったマイルが目を擦りながら

ウィルに手を振った。


朝7時。

漁業が盛んな港街ということもあり、この時間から港には果物や鮮魚を売るテントが立ち並ぶ。


2日間客寄せをしているがピエロの格好はしていないため、サーカス団のピエロの人だ。なんて正体がバレることはめったにない…

「ぁ、昨日のピエロさん」

ウィルが果物の屋台でリンゴを手に取った時、隣から声がした。

声のした方を見ると昨日客寄せの時最前列でマジックを観ていたアリシアが立っていた。

「ピエロさんもお買い物?」

とアリシアはウィルの顔を覗き込む。

「アリシアちゃんか。よくわかったね」

「わたしの名前知ってるの?」

ぁ、と一瞬戸惑ってウィルは続けた。

「あぁ、君のお母さんがアリシアって呼ぶの聞いていたからね」

「そっか」

8歳ぐらいだろうか。水色のワンピースを着た金髪を一本の三つ編みにしている少女がアリシアである。

「おじちゃん。バナナ2本とリンゴ1個く~ださい」

「あいよ、1人で偉いねぇ」

アリシアはえへへと笑いながら商品とお金を交換した。

「おーい。早くしろ!置いてくぞー」

遠くの方でアリシアと同い年くらいの男の子がアリシアに向かって叫ぶ。

「はーい。またねピエロさん」

とアリシアはウィルに手を振り、男の子の方へ走っていった。

「ぁ、リンゴ4個ください」

「あいよ」

ウィルは店主に注文し、お金を渡した。


「あんなヒョロヒョロした男と話して大丈夫なのか?おじさんじゃん」

とアリシアの幼なじみのジニーが言った。

「ピエロさんのこと?あの人は良い人よ。

焼きもち?」

「な!ちげーよばか」

(また会えるかなピエロさん…)



買い出しを終えたウィルは宿屋に戻る。

双子姉弟はもうメイクも衣装替えも終わり、一階の食堂で朝食のバターロールを食べていた。

「おかえり」

「ありがとう」

シエルからバターロールが手渡された。

ウィルも寝室に戻りメイクと着替えをする。


朝9時。

4日目初日公演前の客寄せのため各自移動する。


街から少し離れた丘の上に教会がある。

リズワルド楽団が公演をするテントは教会の隣に設営されている。4日目の初日公演と5日目のフィナーレ公演に向けて、来場してくださるお客様を1人でも多く獲得する為に客寄せをするのだ。


設営テントの隣に楽団が移動に使う馬車がある。

先頭には馬が2頭。この馬車を操縦する大柄な体格の"リーガル"が馬の世話をしていた。

「おはようリーガル」

「おぅ、おはようウィル」

2両編成の馬車で1両目は団員が乗る客車、2両目は道具庫兼飼育小屋。

ウィルは2両目の飼育小屋のカーテンを開けた。

「おはよー、マリッサ。今日は客寄せ一緒に頑張ろう」

(おはようウィル)

プルルと鼻を鳴らし近づくのは雌象の"マリッサ"。

ウィルの相棒だ。

マリッサの背中に乗ってジャグリングや火吹きをするのがウィルの見せ場。

楽団にはなくてはならない存在だ。

「さぁ、今朝買ってきたリンゴだょ。お食べ」

ウィルはマリッサにリンゴを1個差し出した。

(私バナナが良かったかも…)

ぷふーんと鼻を鳴らすマリッサ。

「ぇ?バナナが良かった?ごめんよリンゴしか買ってないや…」

ウィルは子供の頃から動物の言葉が分かるのだ。

すると小屋の隅っこから小動物がウィルの肩に飛び乗った。

(おっす!ウィル!)

「ぁ、リズもおはよう」

シマリスの"リズ"。公演中はウィルの帽子の中に居て、紙吹雪やシャボン玉を出す芸達者なリスだ。

ウィルは衣装の胸ポケットから胡桃を取り出しリズに与えた。

(やべー、緊張してきたぞ…)

「緊張するって?まぁリズがこの街に来るの初めてだもんね。大丈夫ぼくが付いてるから…」

するとカーテンが突如開いた。

「おい、ウイルス!お前また前回公演した街みたいな散々な売り上げだったらクビだから!この街に置いていくからな!いいか」

ピシャッとカーテンを閉め去って行ったネルソン。

何故かウィルにだけ当たりが強いネルソン。

「大丈夫。これぐらいじゃ挫けないさ。

よし!客寄せ頑張ろ二人とも」

チッチッ、ぷるると2匹も鳴いた。


ウィルはマリッサを連れ小屋を出る。

教会の前で客寄せをすることにした。

教会の入り口付近のベンチで1人の女性が老婆にヘアカットを施しているのが見えた。

「あ、ピエロさん」

アリシアが教会の中から飛び出してきた。

今朝会った時と同じ水色のワンピース姿だ。

「あ、アリシアちゃんか。どうしてこんな所に居るの?」

「うちのお母さんのヘアカットの付き添いで来ているの。今お母さんはあそこでおばあさんのヘアカットをしているわ」

とアリシアはヘアカットをしている女性を指差した。

よく見ると昨日の客寄せの時、アリシアと一緒に来ていた女性だった。

アリシアの母親はイシュメルの街で唯一のヘアカット屋を営む、街では知らない人は居ない有名人である。

「教会の隣にサーカスのテントがあるって昨日ジニーが言ってたから。もしかしたらピエロさんに会えるかと思ってお母さんに付いてきたの」

「ぇ?ぼくのこと探していたの?」

「うん。これを渡したくてね」

とアリシアは両手を突き出し、手を開いた。

「あ、これぼくのお手玉!失くしたと思って探していたんだ。どうして君が持っているの?」

アリシアの手には継ぎ接ぎだらけで茶色くくすんだお手玉が1つ握られていた。

「5年前からずっと大事に持っていたの。その時のことはあまり覚えていないけど、ピエロさんの顔だけは忘れなかったわ」

たしかにこのお手玉を失くしたのは5年前ぐらいだった。まさかこの街でアリシアが持っていたなんて思わなかった。

「ありがとう持っていてくれて。良かった…ごめんよ兄さん」

ウィルがボソッとつぶやいた。

「おにい‥さん?」

アリシアがウィルの顔を覗き込む。

ふとウィルが我に返る。

「あぁ、大丈夫だよ。ありがとうアリシアちゃん。おかげで元気が出たよ。」

アリシアがにぱぁと明るい笑顔を見せた。

「これからここで客寄せをしようと思っているんだけど、良かったら観て行ってね」

「わかったわ。ありがとうピエロさん」

と微笑んでヘアカットをしている母親の元へ帰っていった。


ウィルはマリッサの鼻を撫で、しよ!と気合いを入れた。

4日目、午前の客寄せが始まる。


#


港街での4日目。正午過ぎ。

無事午前の客寄せが終了した。

サーカス団のテントの近くで客寄せしていたこともあり、昨日の夕方に比べ、たくさんの観客がウィルの客寄せに感心を示してくれた。


片付けも終わり昼食をとることにした。

教会前の石階段に腰掛けるウィル。

「マリッサもリズも良かったよ。お客さんも喜んでいたからね。明日の公演にはたくさん来てくれると良いね」

ウィルの横で脚を曲げて座り込むマリッサの鼻を撫でながら客寄せの手応えを話す。

リズもウィルの左肩に乗り、ウィルの耳たぶをしっぽで撫でた。嬉しい時のリズの感情表現の一つだ。

「ぁ、ピエロさん」

教会の中から出てきたアリシアがちょこんとウィルの隣に座る。

「さっきのお手玉ビックリしちゃった!ジャグ‥リング?5つもお手玉使っていたのにピエロさん簡単そうにこなしてた。象さんも可愛かった。」

「ありがとうアリシアちゃん。ぁ、そうだアップルパイ食べるかい?今朝ぼくが作ったんだけど」

と肩に掛けていたバスケットの中からカットされ、アルミホイルに包まれたアップルパイをアリシアに手渡たした。

「ぇ!ピエロさんが作ったの?わたしアップルパイ大好き!」

アリシアは飛び上がり喜んだ。

「そっか。良かった」

今朝の買い出しの後。宿屋のキッチンを借り、昼食用にウィルがアップルパイを焼いていたのだ。

6カットされたアップルパイのうち4つを双子姉弟に、残りの2つをバスケットに入れ持ってきていた。

アリシアはアルミホイルを開ける。

「ふわー、美味しそう!ありがとうピエロさん」

「お口に合うか分からないけど、どうぞ」

カットされたアップルパイの先をカプッと一口食べる。

「ふわ!すごい!こんなに美味しいアップルパイ初めて!」

アリシアは目を丸くして喜び、2口、3口と食べ進めた。

「そっか、喜んでもらえて良かったよ」

ウィルは安心した表情を浮かべ、胸を撫で下ろした。

サーカス団の皆には、たどり着いたその街の食材を使ってパイを作ることが多かったが、サーカス団以外の人に自分の手作りのパイを食べてもらうのは初めてだった。


「アリシア。待たせてごめんね。

ヘアカット終わったからお家へ帰りましょう。」

教会の中からヘアカットを終わらせた母親が出てきた。客寄せをする前にヘアカットを施してした老婆の他にも、後から3名ほどのヘアカットに携わっていた。街で人気のヘアカット屋だけのことはある。


アリシアがごくんと最後の一口を飲み込んだ。

「ぁ、お母さん。お疲れさま」

アリシアは母親の左腕に抱き付く。

「ピエロさん。アップパイ美味しかったよ。夜の公演楽しみにしてるからね」

アリシアはウィルに元気に手を振り、教会をあとにした。

「ピエロさんにアップパイ貰ったんだょ!とっても美味しかった」

「そぅ、良かったわね~」

親子の会話が聞こえてきた。

ウィルも自分の分のアップパイを一口噛った。

「そっか。美味しかったか…」

喜びを噛みしめながらゆっくりアップパイを味わった。

視界の端の方に馬車の飼育小屋から人が覗き込んでいる気がした。

「ん?」

ヒュン、とその影が引っ込んだ。

「…気のせいかな」


「くそ、あのヒョロヒョロピエロムカつく!」



夜の公演が始まるのは19時。

それまでもうひと踏ん張りと、ウィルはマリッサとリズを連れ、双子姉弟と合流するために港へ向かった。


「あーウィルー!お疲れ。教会の方は客寄せどうだった?」

シエルが元気な声で手を振りながら駆け寄ってきた。

「あぁ、それなりに手応えはあったと思う」

「港の方も結構賑わったぜ、なーマリッサ」

マイルはマリッサと一緒に居た訳ではないが、マリッサの鼻を撫でながら共感を求めた。

ぷふふーん、とマリッサは鳴いて応えた。

「それにしてもあんたの作るアップルパイは最高ねぇ、2つペロッと食べちゃった」

「中のアーモンドクリームがクセになるんだよな」

シエルとマイルはお昼に食べたアップルパイの感想を聞かせてくれた。

ウィルがパイを作るたび、とても美味しそうに食べては感想をくれるのだ。

「前に作ったアップルパイとちょっと配合を変えてみたんだ。喜んでもらえて良かったよ。

今日は小さなお客さんにも喜んでもらえたし」

「小さな‥お客さん?」

双子姉弟は顔を見合わせた。

「小さな女の子なんだけどさ。ぼくの持ってたアップルパイを1つご馳走したんだ。そしたらすごく美味しいって喜んでくれて…」

「へぇ~」

双子姉弟は同時に相づちをし、ウィルの顔を覗き込んだ。

「な~にニヤニヤしてんのよ」

「ロリコンか」

2人に両肩を叩かれた。

「いた…。そんなんじゃないったら!」

ウィルは顔を真っ赤にして慌てた。

「その話はあとあと。ほら午後のもうひと踏ん張り、やるわよ!」

「本番まであと5時間だ。気を引き締めてな」

「わかってるよ」

チッチ!ぷるる!マリッサとリズもやる気満々のようだ。


ー 一方その頃。


アリシアの自宅にて。

ウィルのことを覗き見していたジニーがアリシアの家を訪れていた。

コンコン、とドアをノックする。

「はーぃ。あらジニー」

アリシアがドアを開け顔を出した。

「夜のサーカス…行くのか?」

うつむいてボソッとつぶやくジニー。

「もちろんよ。今からすごくワクワクしてるもの。ジニーも一緒に観ましょう」

アリシアはにぱぁと明るい笑顔で答えた。

その可愛らしい笑顔でジニーの顔は真っ赤。

「…俺は行かないよ!」

プイッとそっぽを向いて一言。

「あらそう。じゃぁ私準備があるからじゃあね」

と言ってアリシアはドアを閉めようとした。

「…行くなよ…」

「え?」

「行って欲しくない!サーカスに!」

ちょっと強い口調になった。

「どうしてよ?何かあった?」

「何もないけど…なんか…イヤだ」

強い口調になったと思ったら弱々しくなった。

いつもは強引に引っ張ってくれるのに。

??といつもと違う態度に違和感をおぼえるがサーカス公演でピエロさんを観ることで頭がいっぱいのアリシア。

「変なジニー。私はお母さんとサーカスに行くわ。気が向いたら来てね」

バタンとドアを閉めた。

「……くそピエロめ…」

ボソッと一言だけ言ってとぼとぼ歩き始めた。


さあ。この港街にきて4日目。

初日公演が始まる。


#


18時30分。

サーカス公演まであとわずか。

リズワルド楽団が公演をするテント前。

5年ぶりの公演を楽しみにする家族連れ、初めてのサーカスを一目観ようとワクワクする子供たちで長蛇の列になっていた。

15歳以上の大人は入場2000G。

15歳以下は無料だ。この料金は前団長の頃からの決まりだ。

入り口前の受付では馬車の操縦士のリーガルがお客様から料金の受け取り、案内をしている。

「いらっしゃい!楽しんでってな嬢ちゃん」

「うん!ピエロさんの活躍楽しみにしているの」

アリシアと母親が受付をしている所だった。

「そーかい。きっと良いもん観られるぞ。

さぁ中に入って15番16番の椅子に座ってくれ」

「はーぃ」


テントの中はステージと80名ほどが入ることのできる客席。天井には明る過ぎるぐらいの照明が4台、ブランコが左右に1台ずつ。

ステージ上には大きな積み木のようなオブジェが並ぶ。ステージ奥の段幕には太陽と月の仮面のような飾りがキラキラしている。

アリシアは母親の手を引き、指示された15番16番の席に座る。

「もうすぐだねお母さん!」

「そうね、楽しみね」

ワクワクが止まらない様子のアリシア。

ステージの周りを見渡すがまだピエロさんの姿は見えない。

アリシアの席はステージから横2列目の真ん中だ。

テントの中に次から次へお客さんが入ってくる。

あっという間にアリシアと母親は身動きが取れなくなった。


受付時間が終了し、テントの中は満席では無いが60名ほどのお客さんが席に座り、公演の始まりを待っている。


バツン、とテント内の照明が消え、お客さんもシーンと声を抑える。

天井の照明の1台がパッと灯り、ステージ中央を照らすとピエロがお辞儀をした状態で現れた。

「レディースアンドジェントルメン!今宵は見事な満月の夜。皆さまを不思議な世界へお連れしましょう。」

ウィルのオープニングトークが始まる。

「それでは最初にご紹介するのはこのリズワルド楽団の人気姉弟の登場だぁ。シエル&マイル~」

ウィルは両手を広げステージ外へはける。

天井のすべての照明が光り、テント中が明るくなった。

すると陽気な音楽と共にステージの両端にある積み木のオブジェから双子姉弟が高速のばく転をしながらステージ中央へ登場した。

登場するや否や客席から拍手と歓声が巻き起こる。


一方、テントの入り口に寄り掛かりステージ上を眺めるネルソンの姿が。

「まぁまぁってところか?」

観客の入り具合、観客の歓声を聞き、初日公演の売り上げを予想していた。

「ん?」

するとネルソンの寄りかかる入り口の柱の反対側に、犬を連れた少年がサーカスの様子を覗き見していた。

ジニーだ。

「おい、どうしたガキ。観ないのか?」

ネルソンはジニーに尋ねた。

「ここで良い」

ジニーはボソッと答えた。

ジニーの右手にはチェーンが握られていて、

ジニーの自宅で飼っているシベリアンハスキーの"サム"と首輪で繋がっている。

「いけ!」

バウ、と一声鳴くとサーカス真っ最中の場内へ走っていった。

「おい!」

ネルソンが制止に入ったがもう遅かった。

サムは観客に向かいバウ!ワウ!と吠える。

恐怖を感じた観客たちは距離を取る。テントの外へ逃げる者も居た。


ステージ上では、ウィルがマリッサから宙返りでバランスボールに乗り移るパフォーマンスをするところだった。

サムは観客の間を縫うように走り、ステージへ向かった。

「サム?」

アリシアの真横を見覚えのある犬が通りすぎた。

幼なじみの家で飼っている犬を見間違える筈がない。

ウィルがバランスボールに着地する瞬間、サムはバランスボールを頭突きではね飛ばした。

ウィルは着地に失敗し、つま先から地面に着地。

足首に鈍い痛みが走る。

「ぁぐっ!!」

バランスを崩し、ウィルはステージに頭を打ち付けた。

「ウィル!」

「なんだあの犬!」

双子姉弟がウィルに駆け寄る。

「ピエロさん…、サムなんで…」

アリシアは目の前の光景に口を手で覆い、

青ざめた。

観客たちが悲鳴を上げながらテントの外へ出ていく。

「アリシアも危ないから外に出ましょう!」

母親は立ち尽くすアリシアの腕を引き、テントの外へ出る。


ウィルが意識を取り戻す。

「ウィル。大丈夫か!」

気が付くとマイルに抱き抱えられていた。

(これ以上アリシアに近づくなってジニーが言っている)

「ぇ?」

ウィルの耳に聞こえてきたのは目の前に居るハスキー犬の言葉だった。

「ジニーって…誰だい?アリシアちゃんが‥なに?」

「ん?どうしたウィル」

マイルにはもちろんハスキー犬の言葉は分からない。

(次アリシアに近づいたらその足首噛み砕く)

そろりとサムはウィルの足首に近づく。

「バカあっちいけ!くそ犬」

マイルが手で払い除ける。

プイッとサムはそっぽを向き、テントの外へ走っていった。

ネルソンに捕まっていたジニーはネルソンの手を振り払い、サムと共に走り去って行った。

「あのガキ…。なるほどな」

ネルソンがまた何か企んでいるようだ。


「ごめんよ皆‥。ステージ台無しにしちゃった‥」

ウィルはつぶやいた。

「何を謝っているんだ。あの犬が邪魔して来たんじゃないか」

マイルが優しい口調で叱る。

「着地失敗したの…ぼくだから…」

「あんたどこまで優しいのよ!今日は安静にして明日の朝、医者に診てもらいましょう」

二人に抱えられウィルは立ち上がった。


あのハスキー犬は一体なんだったのだろうか。

5年振りのこの街での初日公演は散々な結果で終わった。明日もフィナーレ公演を予定しているがウィルは出席出来るのだろうか。


#


イシュメルの街の5日目の朝。

夜のフィナーレ公演の後、この街を出ることになっている。

昨晩、足を負傷したウィルを宿屋に残し、シエル、マイル、リーガルの3人は公演に来場したお客様の家に返金と謝罪をするために街中を歩き回っていた。


早朝にも関わらず、3人が泊まる宿屋に医者がウィルの怪我を診に来ていた。

「足首の骨にひび?」

「そうだね2週間は安静だな」

医者は冷静に答えた。

紫色に腫れ上がり、ちょっとでも動かすと激痛が走る右足を見るに。まぁ、簡単に治るものでは無いことは双子姉弟もウィル自身も分かっていた。

「痛み止と湿布薬出しておくから、2週間はガッチリ固定して様子を診てくれな」

「はい…わかりました。ありがとうございます。」

包帯で巻かれた右足を擦りながらウィルは医者にお礼を言った。

「じゃぁ、私はこれで失礼するよ。お大事に」

シエルが医者の後に付いて行き、玄関先まで見送る。

「2週間かぁ…次の街に行っても公演に参加出来そうにないってことだね…」

ウィルは冷静に状況を整理しようとしている。

「そんなの俺たちだけで何とかしてやる。

まずお前は1日でも早く治るようにゆっくり休めよな」

マイルが優しい口調で叱る。

「わかった。ありがとうマイル」

少し気が楽になった。

双子姉弟とは3歳年が離れているが、本当の兄弟のように優しく守ってくれる。

それと同時に甘えてはいられないと自分を強く保って居られる存在だった。


ー ジニーの自宅の庭先にて。

アリシアが庭の柵の向こうから家の中を覗いているのが見え、ジニーが外へ出る。

「ジニー。あなた昨日の夜サーカスに来ていたわね。」

ハスキー犬のサムだけでサーカスのテントまでたどり着ける訳が無いことは分かっている。

「しかもサムを利用するなんて!ピエロさん怪我してるかも知れないじゃない!」

昨晩、サーカス団の人が返金と謝罪には来たがピエロさんではなく、赤い髪の女の人だった。

「この街にサーカス団が来てから、アリシアがあのピエロのことばかり見てるのが…イヤだったんだ…」

ジニーはアリシアの顔を直視出来ず、下を向いたままボソッと応えた。

「だからって。サーカスの邪魔をするなんて!

お客さんたちも楽しみにしてたのに!」

小さい頃から一緒に居るアリシア。

口喧嘩なんてしょっちゅうあったが、こんなに声を荒げて怒るところは見たことがない。

「私はこの街にサーカス団が来るのずっと待っていたの。ピエロさんは私にとって大切な人なの」

その言葉を言われジニーはハッとしてアリシアの顔を見る。

アリシアの目には今にも溢れそうな程涙が溜まっていた。

「ごめんよアリシア…」

「ごめんじゃないわよ。もう…あなたとは会わないわ。さようなら、ジニー…」

アリシアだってずっと一緒に居た幼なじみとこんな話はしたくない。

「ごめん…」

アリシアは涙を手で拭い、何も言わず走り去って行った。

ジニーは下を向き立ち尽くしていた。


「おはようさんジニー」

すると背後から男の声がした。ネルソンだ。

「…ぁ、サーカス団の人か」

昨晩俺のことを抑え付けていた男だった。

「お前もあのピエロのことが気に入らないんだよな?俺もそうだ。俺たち似ているな」

ネルソンはジニーに近づき、ジニーの頭にポンと手を置く。

「なに…言ってるんだ」

「俺たちサーカス団は今日の夜、20時にこの街を出る。あのピエロが馬車に乗れないように足止めしてくれないか」

あのピエロとこの人は同じサーカス団の仲間なんじゃないのか?

ネルソンの意外な言葉にジニーはハッとした。

「報酬はならやる」

ネルソンは小銭が入っているであろう布袋をジニーに手渡した。

「頼むぞ」

ネルソンはポンとジニーの頭を叩き、去っていった。


ー 一方その頃。


「やぁ、シエルにマイル。ウィルの具合はどうだい?」

双子姉弟はサーカス団の馬車の掃除をしていたリーガルにウィルの怪我の具合について話していた。


ー 話し合いの結果。

テントでのフィナーレ公演はせず、港街の人々の協力を借り、港の屋台で食べ物を売る隣で小ぢんまりとショーをすることにした。

そのショーにはマリッサやリズはもちろん、リーガルも出演することになった。

馬車の操縦士とはいえ、リーガルも立派なサーカス団の一員。

「ウィルが出れないんだから仕方ない。俺っちの腕力でお客さんをビックリさせてやるかぁ」

ウィルの欠員に一肌脱ぐことを決意した。

「宜しく頼むわリーガル」


そこへネルソンがズボンのポッケに両手を突っ込み、こちらに近寄ってきた。

「いやぁ、ウィルの怪我にはびっくりしたよぉ。怪我をしたのは残念だが、残った君たちで今夜のショーは盛り上げてくれなぁ、頼んだよ」

ウィルが怪我をして皆心配している時に、

何やらご機嫌なネルソン。

「ちっ、人の気も知らないで…」

「しっ!」

マイルがネルソンに言いかけたがシエルがそれを制止した。

「じゃぁネルソンさん。今日の出発まで時間が無いんだ。テントの撤収の手伝いを俺っちと一緒に頼むよ」

リーガルはさぁさぁとネルソンの背中を押し、テントの方へ向かった。

こういう時、団員の中では年長者の落ち着き様は救いになる。



ー その頃ウィルは。

包帯で巻かれ固定された右足は使わない様、松葉杖を使い、左足だけで歩く練習がてら港の市場に買い物に来ていた。

今夜の公演はテントで行わないこと。

港でショーをすることは3人で話し合ってある程度決めていたので、ウィルは港で今夜ショーをすることを広めるため、人々に話をして巡っていた。


「今夜のショー。ご協力よろしくお願いします」

港街の町長の男性に話をしていた。

「おぉ!昨晩の公演を見せられて、何も言わずこの街を出て行くんじゃ街の皆だって納得しないだろうよ。こちらこそ宜しく頼むな」

町長は心良く引き受けてくれた。

ウィルは怪我のためショーには参加出来ない。

代わりに何かできないかと考えていた。

ショーが行われる隣の屋台でウィルの手作りのお菓子を販売することにした。

販売といってもお金は取らない。

ウィルの感謝と謝罪を込めて。

「ぼくにはこれぐらいしか出来ませんが…」

とウィルは試作のお菓子を町長に差し出した。

林檎と胡桃を練り込んで焼き上げた一口サイズのパイだ。

「どれどれ…。へぇ、うめぇじゃねぇか。これなら皆も喜んでくれるだろうよ」

幾層にも重なったサクサクのパイ生地とバターの香り、噛めば噛むほど香ばしさと甘さが引き立つ林檎と胡桃の味わいが癖になる。

「ありがとうございます」


ウィルは宿屋に戻り、お菓子作りを開始した。

宿屋の女性店主も心良く引き受けてくれた。お菓子作りの手伝いもして頂けるようだ。


現在11時。

今夜のショーは18時に港街の協力を借り、たくさんの屋台が立ち並び行われる。

この街で購入した食材を使い切る勢いでお菓子を作るウィル。

その表情は怪我のことなど忘れるくらい、生き生きとしていた。


#


お菓子作りが終了した。

ついさっきテントの撤収を終えた双子姉弟が宿屋に戻ってきていた。

ウィルがお菓子を焼いている最中だった。

林檎とバターの甘い香りが宿屋のキッチンを埋め尽くす。

先に焼き上がり、冷ますために置いておいたお菓子をシエルはつまみ食いをした。

「うまっ!やっぱり最高ねウィル」

「俺は後でいただくよ」

「ありがとう二人共。今オーブンに入れたお菓子が焼き上がるから待っててね」


気付けば時刻は16時15分。

18時のショーが始まる前に屋台でお菓子を並べなくてはならない。

双子姉弟と宿屋の店主の協力を借り、港に用意さたウィル用のテントにお菓子をバスケットに入れ、移動する。

大きめなバスケット4台分のお菓子。

「こんなにあんのかよ、何個作ったんだ?」

マイルが聞いた。

「160ちょっとかな?無料で配るからすぐ無くなるよきっと」

「さっき8個は私の分で分けたわ」

「え!いつの間に」

ウィルが驚いた表情でシエルの顔を見る。

でも怒りはしない。

「こんな美味しいお菓子私たちも食べたいわよ、ねぇマイル」

「姉さんはさっき食べたからあとおしまいだよ」

「え~そんなぁ」

微笑ましい姉弟だ。


ウィルたちが屋台の準備をしているとそこにアリシアがやって来た。

「ぁ、ピエロさん元気そう。良かったぁ」

3人がアリシアの顔を見る。

「ん?だれ?」

マイルが言った。

「あぁ、あなたがウィルの言っていた。小さなお客さんね。こんにちは」

シエルはすぐに察した。

「こんにちは」

アリシアがペコっと頭を下げ挨拶をした。

「こんにちはアリシアちゃん。良かったらアリシアちゃんも1つ食べてみない?」

ウィルはアリシアにお菓子を差し出した。

「これもピエロさんが作ったの?いただきます」

アリシアがお菓子をパクっと一口噛る。

「どう?美味しいでしょ。この人の作るお菓子は最高よね」

ウィルの代わりにシエルがアリシアに感想を聞いた。

「…ぉ、美味しい…」

美味しいとは言ってくれたがどこか暗い表情のアリシア。

「ごめんなさいピエロさん!昨日の犬は私のお友達の犬なの。サーカスの邪魔をしてごめんなさい!」

アリシアは涙を流し、頭を下げた。

ジニーの代わりに謝りに来たのだ。

「アリシアちゃんが謝ることないよ。ボクは大丈夫だから」

「そうね、この人は大丈夫よ。これぐらいの怪我すぐに治って、また元気に飛び回るわ」

シエルも一緒にアリシアを慰めた。

「…ぅん。お菓子…美味しいです」

アリシアが涙を拭いて応えた。

「…それじゃぁ、また後で」

アリシアはペコっとお辞儀をして帰っていった。


「あれショーは見ないのか?」

「後でって言っていたから、また来るんじゃない?」

双子姉弟は顔を見合せた。

屋台の準備が終了。あとはショーの開始を待つのみ。


時刻は17時50分

「お母さんただいま!」

「おかえりなさいアリシア。どうしたの?何か良いことでもあったの?」

ニコニコの笑顔で息を切らして帰って来たアリシアにシエスタは少し戸惑いながら聞いた。

「お母さん!大事な話があるの!」

「え?」

_____________


「いってきます!お母さん!」

「いってらっしゃい。頑張ってね」

シエスタはにこっと微笑み手を振った。

ばたん、と玄関のドアが閉まる。

「…いつの間にか…もう立派なレディね…。応援しているわアリシア…」

娘の成長に少し寂しさを感じるシエスタであった。


「ぁ、…ジニー…」

アリシアが玄関を出るとジニーがアリシアの家の壁に寄りかかっていた。

「サーカス団と一緒に行くのか…」

アリシアが持っているショルダーバッグは荷物でパンパンだった。

「ぅん…この街にはしばらく帰らないと思う」

サーカス団がこの街に来たのは5年振りだから、おそらくすぐにこの街に戻って来ることはない。

アリシアは覚悟を決めていた。

「今日の夜。サーカス団は20時にこの街を出るんだ…」

「どうしてジニーがあの人たちの予定を知っているの?」

アリシアの質問には答えずジニーは続けた。

「でもサーカス団にいる蝶ネクタイのおじさんは怪我したピエロをこの街に置いていくつもりだ」

「そんな…ピエロさんあんなに良い人なのに!」

「俺がおじさんを惹き付けておくから、アリシアはピエロと一緒に象の小屋に乗り込め」

これからの計画を淡々と話すジニー。

「協力してくれるの?」

「…最後ぐらい格好つけないとな」

へへん、指で鼻を擦った。

二人はショーが行われている港へ向かった。


ショーは終盤に差し掛かっていた。

マリッサの背中にリーガルが立ち、両手に炎をまとったフラフープを持っている。250℃を超える炎のフラフープ。パチパチと火花が弾ける。

客席からは"熱く無いのだろうか""やけどしないよね?"など不安そうな声が上がるが、心配ご無用だ。涼しい顔でフラフープを持つリーガル。

双子姉弟がトランポリンから同時に飛び、5mはあるであろう高さのフラフープをくぐり抜ける。

くぐり抜けるや否や、身体くねらせ反転宙返り、着地は見事に成功だ。

お客さんから歓声と拍手が上がる。

ウィルの屋台では無料で配っていることもあり、150個ほど作ったお菓子も残りわずか。

昨晩の騒動の後でお客さんが離れてしまい、今日のショーはあまり人が来ないんじゃないかと心配していたが、「ピエロが屋台でパイを売っている」と街中に広まったようだ。

昨晩の公演ではあまり見せ場の無かったウィルだが、この数日の客寄せの成果なのだろう。

人々から応援の言葉がウィルには嬉しかった。


アリシアとジニーがウィルの屋台に顔を出した。

ハスキー犬のサムも一緒だ。

ここに来る前にジニーの家に行き、サムを連れてきたのだ。

「いらっしゃいま…ぁ、アリシアちゃんと…ジニーくんかな?」

ウィルはアリシアとハスキー犬を連れた少年に挨拶をした。

「ほら!」

アリシアがジニーの背中を叩く。

「ピエロさんごめんなさい!サーカスの邪魔をして、怪我までさせちゃって」

ジニーが頭を下げた。

(ジニーは不器用なやつでな。ジニー指示とは言え私も悪かった)

サムの声も聞こえてきた。

「大丈夫だよ。怪我をしたのは僕の練習不足のせいだから、頭上げてよ」

こんな時でも少しも怒こったりしないウィル。

「ほら、君もこれ。僕の作ったお菓子。良かったら食べてよ」

最後の1つになったお菓子をジニーに渡した。

これでウィルの作ったお菓子が完売した。

「ありがとうございます」

「ピエロさんの作るお菓子美味しいわよ」

ジニーはぱくっと一口食べた。

「美味しい…、美味しいですピエロさん」

「そっか、良かったよ」


時刻は19時40分

街の出口に停めた馬車の客車からネルソンが出てきた。

出発の時間が近づき、ソワソワし始めた。

港のウィルの屋台の方に目をやる。

ジニーが昨日のハスキー犬を連れ、ウィルの屋台の前にいた。

その光景を見たネルソンはニヤリと笑みを浮かべ、何も言わず客車の中へ戻っていった。


ショーが終わり、港の屋台の撤収が始まっていた。

リーガルはショーで使った小道具を片付け、マリッサと一緒に馬車の飼育小屋に戻る。

双子姉弟はウィルの元へ。

「あ、双子のお兄さんお姉さん。お疲れさまでした」

アリシアが先に挨拶をした。

「あら、アリシアちゃん来ていたのね。それと…」

「おい昨日乱入して来たクソ犬じゃん?」

「まぁまぁ、話はだいたい2人から聞いたからもう大丈夫だから」

マイルがイライラし始めたのをウィルがなだめた。

「お兄さんお姉さんにお話があるの!私を馬車で一緒に連れて行って!私をサーカス団に入れて欲しいの!」

アリシアが深く頭を下げた。

「アリシアちゃんそんな」

ウィルが焦った。

「私は良いわよ」

シエルは即答した。

「姉さん!」

「良いじゃない。もう一人ぐらい女手が居ても。うちのサーカス団男っ気が多くてむさ苦しいわ。

良き相談相手になってくれるかも。ねぇー」

「ねぇー」

アリシアとシエルは顔を見合って笑った

「姉さんが言うなら…分かったよ!」

マイルが渋々OKした。

「でも蝶ネクタイのおじさんはピエロさんをこの街に置いて行きたいんだって」

「何よそれ。聞いてらんないわ。じゃぁ飼育小屋にウィルとアリシアちゃんが乗ったら良いわ」

話が良い方向に向かう。

ジニーは自分の手を汚さずに済んでほっとした。

「アリシアを宜しくお願いします」

(小さい頃から一緒にいる姉弟みたいな存在なんだ。アリシアを大事にしてやってくれ)

「ジニーもサムもありがとう。アリシアちゃんは僕たちサーカス団にまかせてよ」

「ちょっと作戦がある」とジニーは3人に話す。

__________


片付けが終了し街を出る時間になった。

マイルはリーガルと一緒にネルソンの気を惹くため、馬車の先頭で話をしている。

シエルはネルソンの視線に気を配りながらウィルとアリシアを飼育小屋まで誘導する。

松葉杖を咥えたサムを連れ、ネルソンの横を通過するジニー。

「足止め成功したよ」と思わせるようにネルソンに向かい親指を立てサインを送る。

ウィルが持っている松葉杖を囮に使うのだ。

松葉杖がないと歩けない程の怪我なことはネルソンも知っている。

ネルソンがジニーに気を取られている隙に

ウィルはアリシアに補助をしてもらい、飼育小屋に乗り込む。

シエルが2人が飼育小屋に乗り込んだことをジニーに合図する。

「おじさん。これ、返すよ」

ジニーはネルソンから預かった小銭の小袋を投げ渡した。

「ぉ、おう」

ネルソンはキョトンとした。

「さぁ、片付けも済んだから。そろそろ出発しようぜ。操縦頼むよリーガル」

マイルがネルソンの背中を押した。

「あいよ!さぁ二人とも乗ってくれ!」

ネルソンが客車に乗り込む。

シエルがマイルと合流、一緒に客車に入る。

「行くぞ野郎共!出発だぁ!」

リーガルは掛け声ともに2頭の馬に鞭を打ち合図を送る。

馬が歩き出し、馬と客車を繋ぐロープが張る。

馬車の車輪が回り出す。

アリシアが飼育小屋の小窓から顔を出す

「ありがとうジニー、サム!元気でね!」

客車の方に声が聞こえないよう抑えながらジニーに手を振る。

「じゃあなアリシア、頑張れよ」

「バゥ!」

ジニーは手を振る。サムは短く吠えた。

サーカス団の馬車が暗い林道へ消えていった。

_______


「はぁ~、バレるんじゃないかと冷や冷やしたけど、何とか乗り込めたね」

アリシアが安堵のため息をついた。

「アリシアちゃん本当に付いてきて大丈夫なのかい?お母さんにはなんて…」

「お母さんにはちゃんと説明してきたわ。「私、旅に出ます」ってね」

ウィルの横に立ち、その時の様子を再現した。

「……僕もちょっと気を張って疲れちゃった。ちょっと休むよ」

ウィルはマリッサの鼻を撫でた。

するとマリッサは脚を曲げ座り込み、寝ころんだ。

ウィルはマリッサのお腹を枕にする様に身体を寝かせる。

マリッサは鼻をウィルの脇の下に通す、抱き枕のようになった。

「すごい…かわいい!」

アリシアが真似をしてウィルの隣に寝ころぶ。

「ピエロさんのお名前、教えて?」

「僕のお名前?」

「そう、あなたの本当のお名前」

「僕の名前は、『ウィルソン•ウィンターズ』」

「ウィルソン•ウィンターズ…。素敵なお名前」

ふふっと笑って立ち上がる。

月明かりが小窓から差し込み、アリシアを照らす。

ワンピースの両端を指で摘まんで膝を曲げる。

「私の名前は『アリシア•クラーベル』漁師と美容師の一人娘。よろしくね王子さま」

「僕って王子さまなの?」

「ふふっ、なんちゃって!」


満月が夜道を照らす山路をサーカス団の馬車が移動する。

次の新しい笑顔と出会うために。


#家族の形


満月が夜道を照らす。

サーカス団の馬車が山路を抜け草原へ差し掛かる。


馬車の2両目の飼育小屋にウィルとアリシアが居る。

「ねぇウィル。あなたのお兄さんのこと、教えて?」

「僕のお兄さん?どうして?」

「お手玉を渡した時、あなたとても悲しそうな顔をしたから。私もいつかウィルにまた会えるかと思ってずっと持っていたから、知りたいの」

ウィルは少し戸惑いながら話始めた。


ーこれから話すのは青年ウィルソンのちょっと昔のお話…ー


「待ってよにぃちゃん!」

「へへ~ん。悔しかったら追い付いてみろ~」

街外れの雑木林の中で駆けっこをする2人の少年。

兄のダニエルと弟のウィルソンだ。

髪の色、肌の色、背格好も一緒の双子である。

雑木林を抜けた先に拓けた野原が広がっている。

双子の兄弟はこの場所で遊ぶことが好きだった。

「いぇーい1位~」

「はぁ…はぁ、にぃちゃん速いったら…」

2人は原っぱに寝ころんだ。

「ぼくはまだまだだよ、サーカス団のお兄さんたちは宙返りやバグ転をしながら移動するんだから」

先週。双子兄弟が暮らす"リザベート"の街にサーカス団がやって来たのだ。

兄はその時の様子を自分もサーカス団の一員かのように自慢する。

弟のウィルソンは身体が弱く、先週は発熱と喘息で外に出ることが出来なかった。

兄のダニエルだけが父親とサーカス団のパレードを観に行ったのだ。

「僕もサーカス団に会いたいなぁ」

ダニエルの話を聞いているだけでは物足りないウィルソン。

「見てろ。こーやって…」

ダニエルは立ち上がり、両腕をピーンと伸ばし、前傾姿勢になる。

「よっ」

地面に手をつき、足を上げ… ドテン!

「いた!」

「大丈夫!にぃちゃん!」

「いてて…、まだ出来ないや」

逆立ちをしようとしたダニエルは勢い余って腰から落ちた。

腰を擦りながら立ち上がる。

「僕はいつかあのサーカス団のお兄さんたちみたいに、人を笑顔にしたい」

夢を語る兄の姿が輝いて見えた。

ダニエルがウィルソンに手を伸ばす。

「帰ろう。もうすぐ暗くなる」

「うん」

ウィルソンはダニエルの手を取り、立ち上がる。

2人はさっき来た雑木林を抜け、家を目指し歩く。

この原っぱは兄弟の暮らす屋敷の裏にある。

屋敷の勝手口から2メートルほどの塀を越えた先にある。

雑木林は夕方になると方向が分からなくなるほど暗くなる。2人は明るい内に屋敷に帰るようにしている。

勝手口から外に出ては行けないと父親から注意を受けていたが、兄弟は両親にバレないようにこっそり抜け出しては野原で遊ぶことが楽しみだった。


ダニエルは勝手口のドアを少し開け、扉の近くに人がいないことを確認する。

「よし、いいぞ!」

後ろで待っていたウィルソンに手招きする。

2人はこっそり屋敷へ入る。

良かった、バレてない。

2人は何もなかったかのようにリビングへ向かう。

「あら、お坊ちゃん方。おかえりなさい」

「え!」

背後から声がしてビクっとなった。

この屋敷で雇われているメイドの"マリー"だった。

「また勝手口から出て遊びに行ったのですね」

「マリーお父さまには内緒でお願い!」

ダニエルは手を合わせ、頭を下げる。

「ごめんなさいマリー…」

ウィルソンも謝った。

「解りましたよ。今回だけですよ。ティータイムのお時間なのでリビングでお待ちください」

「ありがとうマリー」

「今日のおやつはなぁに?」

「マドレーヌをご用意しました。今お持ちしますね」

「わーい!ありがとうマリー!」

マリーは19歳で、屋敷の掃除から飯炊きまでなんでもこなす完璧な女性だ。

マリー手作りのお菓子はどれも美味く、兄弟はいつも楽しみにしている。


紺色の絨毯が敷かれた長い廊下の突き当たりの部屋がリビングだ。

「あら。ダニエル、ウィルソン。ティータイムにしましょう」

リビングに入った2人に気がつき、優しい声で話しかける母"アリア"。

「お母さま、今日のお菓子はマドレーヌだって!」

ダニエルがアリアに駆け寄り抱きつく。

「そう、楽しみね」

「にぃちゃんだけズルい。ぼくもお母さまにくっつきたい」

ウィルソンもアリアに駆け寄る。

「あらあら、2人一緒じゃママも負けちゃうわ」

ふふっとアリアは微笑んだ。

「奥様、お坊ちゃま方。お菓子をお持ちしました」

マリーがティーセットとお菓子の乗ったトレーを持ち、リビングに入ってきた。

「ありがとうマリー。さぁ2人とも座って、いただきましょう」

「はーい!」

兄弟同時に返事をした。

「今日の紅茶はアールグレイのミルクティーにしてみました。お坊ちゃま方も飲みやすいと思いますよ」

3人分用意されたティーカップに紅茶を注ぐ、紅茶葉とミルクの甘い香りが鼻に伝わる。

アリア、ダニエル、ウィルソンの順で紅茶が渡された。

マリーの淹れる紅茶は美味しいが、

双子兄弟は紅茶よりマドレーヌの方が楽しみだ。

マドレーヌを渡されるなりダニエルは勢いよく口に運ぶ。

「お行儀悪いわよダニエル」

ちょっとしゅーんとなったが食べるのは止めない。

「美味しい!今度作り方教えてねマリー!」

「はい。ウィルソン坊ちゃま」

ウィルソンはマリーにお菓子作りを習うのが大好きだった。

「今度作ったらご馳走してねウィルソン」

「はいお母さま!」

ウィルソンはにこっと笑った。


「ただいまぁ」

玄関の方から声がした。

「お父さまだ!」

ダニエルは父を出迎えに玄関へ向かった。

「おかえりなさいお父さま」

「ただいまダニエル」


双子の兄弟が暮らすリザベートの街の立派なウィンターズ家の屋敷。

父と母、双子の兄弟とメイドが1人。

確かにそこに微笑ましい家族の姿があった。


#


ウィンターズ家のお屋敷はリザベートの市街地から少し離れた丘の上にある。広大な庭とレンガ造りの3階建ての大きなお屋敷。裏には雑木林と秘密の野原がある。

ウィンターズ家の当主である父"ダグラス•ウィンターズ"はリザベートの街では有名なアパレルブランド「ダヴィンチスーツ」の社長。

ビジネススーツ事業を主とする彼の会社は、リザベートの街以外の国で3店舗の支店を持つ大企業である。

「お父さま、サーカス団は次いつこの街に来るのかなぁ!」

ダニエルは父に尋ねた。

「そうだな…。先週この街から出たばかりだからなぁ、早くて2年後じゃないか?」

「2年後かぁ…」

残念そうな顔をするダニエル。

「ダニエルはパパの会社の大事な後継ぎなんだよ、サーカス団より勉強を頑張りなさい」

ダグラスはサーカス団の話を楽しそうに話すダニエルを良く思わなかった。

「はーぃ…」

先週は父と2人で市街地まで買い物に出掛けたのだ。サーカス団はその時たまたま観たもので、サーカス団を目的に市街地に居たわけではない。

だか、ダニエルにとってその時観たサーカス団はとても輝いて見えた。

「ちょっと出掛けて来ます」

ダニエルは玄関へ向かった。

「暗くなる前に帰って来てね」

アリアはダニエルに注意した。

「はい、お母さま」

玄関のドアが閉まる音がした。

「あの子たちまだ6歳ですよ?ちょっとぐらい夢を見たって良いじゃありませんか」

アリアはダグラスに優しく諭す。

「…そう…だな」


その頃ウィルソンはキッチンでマリーにお菓子作りを教わっていた。

バターと小麦粉の匂いがキッチンに広がる。

クッキーを作っているところだった。

まとまった生地を小さくちぎり、100円玉ほどの大きさに丸め、オーブンシートに並べる。

「お上手ですよ、坊っちゃま」

マリーはいつも優しくお菓子作りを教えてくれる。

「美味く焼けるかなぁ」

「大丈夫ですよ。うまくいきます。」

マリーは並べ終わった生地をオーブンへ入れる。

「にぃちゃんサーカス団の話ばっかりするんだよ。ぼくもサーカス観てみたい!」

ウィルソンは実際には観たことのないサーカス団に興味津々だった。

「にぃちゃん大人になったらサーカス団の人になりたいんだって」

「ウィルソン坊っちゃまはサーカス団に入りたいとは思わないのですか?」

マリーはウィルソンに聞いた。

「ぼく?ぼくは…身体も弱いし、足も速くないからにぃちゃんみたいにはなれないよ…」

「そんなことはないのでは…?」

「ぼくはお菓子を作っていた方が楽しい。マリーの作るお菓子が好き!」

「そうですか。ありがとうございます坊っちゃま」

マリーは優しく微笑んだ。

「クッキーが焼き上がるまで時間があります。出来上がったらお呼びしますので、リビングでお待ちください」

「うん!楽しみだな」

ウィルソンはリビングへ向かった。

父のダグラスが玄関を出て行くのが見えた。

「お母さま、お父さまお出掛け?」

リビングの椅子に座っていた母に駆け寄る。

「あら、ウィルソン。ダニエルはお外に遊びに行ったみたい。お父さんは街に行くって言って出て行ったわ」

「そっか、マリーと一緒にクッキー作ったんだぁ、もうすぐで出来上がるんだって」

ウィルソンは母の膝の上に座る。

「そう、楽しみね」

アリアはにこっと微笑みウィルソンの頭を撫でる。

「ねぇお母さま、ぼくもにぃちゃんみたいに身体弱くない方がよかった?」

「え~、どうしたの急に…」

「病気ばかりでお外であんまり遊べないから、病気になるとお母さまはぼくにずっとついているから、元気な子の方が良いのかなって…」

ウィルソンは喘息と高熱で体調を崩すことがよくある。その度、母のアリアは付きっきりで看病をする。ウィルソンは子供ながらに母を気遣い申し訳なく思っていた。

「そんなことないわ」

優しい声で囁き、ウィルソンを両腕で抱き寄せた。

「あなたはあなたのままでいい…。ママは優しくて強い心を持ったあなたが大好きよ…。大丈夫…あなたはとっても良い子…。これからもずっと変わらないわ…」

「…ぅん、お母さまだいすき…」

温かくて優しい声が頭の上から降ってくる。

「ダニエルにはダニエルの、ウィルソンにはウィルソンの良いところがあるわ。パパもママもマリーだって、ちゃんと解っているわ」

不安な心を包み込む"愛情"と言うものが伝わってくる。

「ただいまー」

玄関で声がする、ダニエルだ。

「にぃちゃん帰ってきた!」

ぴょん、と母の膝から飛び降りる。

「にぃちゃんおかえ…」

ダニエルは弟と母の居るリビングに顔を出さず、リビングの入り口を通り過ぎた。

「にぃちゃん?」

ダニエルは階段を上がり子供部屋へ入る。

ウィルソンが後を追う。

「にぃちゃんどうしたの?」

「あぁ、ウィルソン。ただいま」

ウィルソンの声に反応し振り向いた。

「ウィルソン見てよ、これ」

ダニエルは買い物をしてきたであろう、紙袋を逆さにして勉強机の上に散らした。

鉛筆や消しゴム、ノートなどが出てきた。

父親の言い付け通り、勉強する道具を買って来たのだ。

「これ、街の文房具屋で見つけたんだけど…ほら!」

紙袋の中に手を入れ"お手玉"を2つ取り出した。

「なぁにこれ?」

「お手玉だよ!サーカス団のピエロが象の上に乗ってこれをくるくる投げるんだ」

実際観たわけではないので"くるくる投げる"と言われても想像も付かないウィルソン。

「サーカス団の人が使うの?すごい!」

ウィルソンは近くに寄り、お手玉をまじまじと見る。

黄色と白色の布が継ぎ接ぎになった握りこぶし程の大きさのお手玉だった。

「貸してよにぃちゃん」

「ダメだよ。まだ遊んでないからウィルソンは後で」

「ちぇ…ケチにぃちゃん…」

ウィルソンはイジケた。

ダニエルはお手玉を両手に一つずつ持つ。

右手に持っているお手玉を上に軽く投げ…キャッチ。

左手も軽く投げ…キャッチ。と繰り返した。

「貸してよにぃちゃん」

「待って」

父親には勉強のことだけに集中しろと言われているが、ダニエルはサーカス団のことが忘れられないでいた。

「あぁ、ウィルソン坊っちゃま。ここにいらっしゃいましたか。クッキーが焼き上がりましたよ」

マリーが子供部屋に顔を出す。

「わーぃ!クッキー出来た!にぃちゃんぼくの作ったクッキーだよ。食べに行こう!」

「うん!食べる!」

ダニエルは机にお手玉を置いた。

2人はリビングへ向かった。


#


「ただいまー」

ある秋の日の昼下がり。

ダニエルが市街地にある塾から帰ってきた。


「え?また他の街に支店を出す?」

「そうだ。4店舗目を発展途上の"シアラット"の街に出せばもっと私の会社は大きく有名になる」

父と母が何やらリビングで話をしている。

「また子供2人を残して3年ぐらい帰って来ないつもり?ウィルソンの世話がどんなに大変か…」

「しょうがないだろう、仕事なんだから。この店舗拡大が成功すれば、今の生活も楽になる」

「そんなこと言ってまたあなた他の街で…-」

「お母さま?」

ダニエルがリビングに顔を出し、2人の会話を遮った。

「ー…ぁ、ダニエルおかえりなさい。ちょっとパパとお話していたの」

アリアは冷静を装いダニエルの方を向き話しかけた。

「お菓子が用意されているみたいだから手を洗って来てらっしゃい」

「…はい、お母さま」

ダニエルはリビングを出てバスルームに向かった。

ダグラスとアリアは子供の居る前で話すのはまずいと会話を一時中断した。


「あ、にぃちゃんおかえり」

ウィルソンと廊下ですれ違った。

「お父さまとお母さまがケンカしてた。今リビングに行かない方が良い。」

「あ…うん」

「原っぱ行こぜ。待ってろ」

ダニエルは階段を登って行った。

ウィルソンはリビング前の廊下で待つ。

しばらくしてダニエルが階段を降りてくる。

「これで遊ぼうぜ!」

ダニエルの手にはお手玉が2つ握られていた。

「うん!」

2人はこっそり勝手口を出た。

荷物を収納する用の空の木箱を階段の様に積み重ね、塀を登る。塀の反対側を縄で作られた梯子で降りる。

雑木林から原っぱへの道は直線上ではない。S字クランクのようにうねり、分かれ道もある複雑な構造をしている。昼間の明るい内でなければ迷子になる。

ダニエルとウィルソンは手をつないで雑木林の中を歩く。いつもひとりで先に行く兄が今日は手をつないで一緒に歩いてくれた。

「…お母さまがあんなに怒るの初めて見た…」

ダニエルがボソッとつぶやく。

先ほどの父と母のやり取りを聞いて不安になっていたのだ。

「大丈夫にぃちゃん?」

ウィルソンがダニエルの顔を覗き込む。

「…あぁ、なんでもない大丈夫だウィルソン。

行こう!」


2人は雑木林を抜け原っぱへ出た。

「よし、着いた!」

ダニエルはウィルソンの手を離す。

少し速足になり両手を上げる。

「よっ!」

身体をくの字に曲げ、両足で地面を勢いよく蹴り上げる。両手を地面に付き身体を支える。

「ふっ!…と」

少し身体がふらついたがバグ転が成功した。

「にぃちゃんすごい!」

ウィルソンがダニエルに駆け寄る。

ダニエルのズボンのポッケからお手玉の1つが落ちた。ウィルソンがお手玉を拾う。

「ぼくはサーカス団に入るのは諦められない!お父さまの言うことも分かるけど、ぼくはサーカス団のピエロになりたい!」

「にぃちゃんならなれるよ」

「ウィルソンにそのお手玉やるよ」

「え!いいの?ありがとうにぃちゃん!」

ウィルソンは跳ねて喜んだ。

このお手玉を触らせてもらうのが初めてだったウィルソンはとても嬉しそうに両手で包み込んだ。

「ウィルソンも一緒にサーカス団やろう!双子のピエロだ!」

「うん!ぼくも頑張って練習する!」

ダニエルは原っぱの端の方にある白樺の木の近くへ走った。

「ぁ、待ってにぃちゃん」

ウィルソンが追いかける。

ダニエルは一本の白樺の木に登り始めた。

「よっ、いしょ!」

「危ないよにぃちゃん」

あっという間にダニエルは白樺の木を登り、分かれた太い枝の上に立った。

「ほらウィルソンも登ってみろよ!すごい眺めだぞ!」

丘の上から観た景色は透き通り、隣の街や山まで見渡せるほど豊かな絶景が広がっていた。

「サーカス団に入ればいろんな街や国に行って、たくさんの笑顔に会えるかな!」

ダニエルは広がる景色を前にワクワクが止まらない様子だ。

「ぁ…ぼくには無理だよにぃちゃん…」

隣の白樺の木に登ろうとしていたウィルソンが弱音を吐いた。

「なんだよ…こんなに良い景色なのにもったいねぇ」

ウィルソンは登るのを諦め、その場でお手玉で遊び始めた。

「見ててよぉ、ぼくだってサーカス団に…」

手に持っていたお手玉を両手で上に投げ、両手でキャッチする。

「こう…かな?」

もう一度両手で上に投げた。

「サーカス団のピエロに…」

ダニエルはお手玉をポッケから出し、ぽーん、と上に投げた。

投げたお手玉が太陽と重なり目が眩む。

ウィルソンは投げたお手玉が手からこぼれ落ち、地面に落ちたお手玉に手を伸ばす。

次の瞬間、目が眩みお手玉を取り損ねたダニエルがバランスを崩し…。

「ぁ…」

ドササッ、と頭から崖に転げ落ちた。

「ぁれ……にぃちゃん?…」

地面のお手玉を手に取り、木の上を見るがダニエルの姿が無い。

辺りを見回してもダニエルの姿が無い。

「にぃ…ちゃん?…お母さまとお父さま呼んで来なきゃ…お母さまぁ!」

ウィルソンは急いで雑木林を抜け屋敷に戻った。


ウィルソンは屋敷の勝手口のドアに手をかけた。

いつもは親の目を気にしながら中に入るが、ためらわずドアを開け屋敷に入る。

「お母さま…お父さま…」

廊下でマリーとすれ違う。

「…ウィルソン坊っちゃま…?」

リビングに父と母が居た。

「お母さま!お父さま!にぃちゃんが居なくなった!」

「なんだと!?」

「どういうこと?!ダニエルはどこ!」

「こっちだよ!」

ウィルソンは2人を案内する。

走るウィルソンの後を父と母が追いかける。

「勝手口?あれほどここから出るなと言っておいたのに…」

父の言葉には反応せず、ウィルソンは勝手口のドアを開け、木箱を登り塀を越える。

「こんなところ…。どうして」

辺りはもう夕暮れ。

雑木林の中はもう真っ暗だ。

ウィルソンは暗くなった雑木林に入っていく。

「おい、大丈夫なのか!」

「ウィルソン!」

林の中は暗く、どこが地面でどこが木なのかも分からない程だった。す

ウィルソンは迷ってしまった。

「どこ…だっけ…。にぃちゃ…」

呼び掛けても兄は居ない。

(…こっちだよ…)

「だれ?!」

(…君のお兄さんはこっちに居る…)

兄の声ではない聞いたことの無い声が林の奥からウィルソンの耳に届く。

「だれ?どこいるの?」

(…こっち…、こっちだよ…)

声のする方へ向かうことにした。

「おいウィルソン!居るか!」

父の声がする。

「お父さま、お母さま。こっちだよ!」

ウィルソンは声の囁く方へ必死に走った。

(…こっちだよ…)

「うん!」


雑木林を抜けることが出来た。

「にぃちゃん!どこ!」

ウィルソンはダニエルを呼ぶ。

が、返事は無い。

ウィルソンの後を追い、父と母が雑木林を抜けた。

「こんなところに…こんな場所が」

ダグラスは辺りを見渡す。

「ダニエル!どこなの!」

アリアは叫ぶ。

ウィルソンはさっきまで居た白樺の木の方へ向かった。

「そんな…まさか!」

ダグラスは察した。

「ダメだウィルソン!行くな!」

ウィルソンはビクッとなってその場に立ち止まる。

アリアはウィルソンの肩を抱き寄せる。

ダグラスが白樺の木に近づき崖の下を見る。

「!…そんな…、くそ…ダニエル…」

ダグラスが見た光景は悲惨な物だった。

崖の下は枯れた木が無数にある。

崖から5m下の枯れ木にダニエルは仰向けの状態で引っ掛かっていた。

木の枝がダニエルの腹部と首を貫通、ピクリとも動かない。

「お父さまにぃちゃんは…」

「来るな!」

ウィルソンの動きが止まる

「ダメよ…行っちゃ…。…ダニエル…」

アリアは息を殺して泣いた。


その後、救急隊の協力によりダニエルは運び出された。


#



ダニエルが病院に搬送された2日後。

病院でダニエルの死亡が確認された。

母のアリアとウィルソンは屋敷で待機。

父のダグラスは病院で手続きを行っている。


アリアがリビングの椅子に腰掛け、手で顔を覆い、うなだれている。

「…お母さま?」

ウィルソンが恐る恐る母へ話しかける。

「…あぁ、ウィルソン…。ごめんね…ママちょっと疲れちゃった…」

アリアはダニエルが亡くなったことをウィルソンにはまだ伝えられないでいた。

「お父さまはにぃちゃんの病院に行ってるの?

にぃちゃんはいつ帰ってくる?」

「……」

「またにぃちゃんと元気に遊べるよね?お手玉もいっぱい教えて欲しい」

ダニエルが病院に入院していると思っているウィルソンは残酷にも楽しそうな声でアリアに話しかける。

「………」

「…お母さま?」

ウィルソンが母に近づく。

「………あんたが……じゃなぃ…」

「どうしたの?」

「うるさい!あんたがあんな所に行かなければダニエルは無事で済んだのに!」

アリアは声を荒らげた。

「あんたなんか居なきゃ良かった!あんたの顔なんかもう見たくない!」

睨み付けてウィルソンに怒鳴る。

母のこんなに怒ったところを見たことがない。

「ぉか…さま…」

恐怖で声が震える。

「今すぐ出て行って!ここはもうあんたの家じゃない!マリー!居る?」

「はい、奥様」

廊下で話を聞いていたマリーがリビングに顔を出す。

「今すぐこいつを外に放り出して!」

アリアはマリーを呼び、玄関を指差す。

「はい、奥様」

「そんな…お母さま…やだ…」

ウィルソンは抵抗した。

「うるさい!お母さまって呼ぶな!そもそもあんたは私の子供じゃない!血なんか繋がっていないのよ!」

「……ぇ…」

ぼくがお母さまの子供じゃない?じゃぁにぃちゃんは本当のお兄ちゃんじゃないってこと?

初めて聞かされる真実に身体が固まる。

「行きましょう坊っちゃま」

マリーはウィルソンを脇に抱え、玄関へ向う。

「やだっ!行きたくないっ!お母さま!」

必死に叫ぶが母の反応が無い。


ウィルソンはダグラスの連れ子である。

6年前、2店舗目の支店拡大のため、出張で滞在していた"キルト"の街で出会った女性との間に産まれた子供である。

ダグラスがウィルソンを引き取り、この屋敷に連れて来たのは4年前のこと。

アリアも最初は受け入れるのに時間がかかった。

一緒に過すに連れ、可愛い表情で甘えてくるウィルソンに愛情が沸いた。

ダニエルもウィルソンもこの4年間本当の家族として過ごしてきた。


マリーがウィルソンを抱き抱え玄関を出る。

「やだ!やだよマリー!」

「良く聞いてください坊っちゃま」

マリーは表情を変えず淡々と話す。

「この街から30km程離れた"サンクパレス"という街に"リズワルドサーカス"の本拠地があります。その街を目指して歩いてください」

「サーカス団に会えるの?」

「おそらく。私はお手伝い出来ませんが1人で行けますか?」

マリーは変わらず優しい声だった。

「行く!ぼくもサーカスのピエロになるんだから!」

「そうですか…。どうか…お身体に気を付けて」

マリーはにこっと微笑んだ。

「さぁ、行ってください。奥様にバレる前に」

マリーはウィルソンの背中を押す。

「うん!」

ウィルソンは正面の門へ走って行った。

外は小雨が降り始めていた。


マリーが屋敷に入りリビングに居るアリアの元へ向かった。

「…ウィルソンは?」

「指示通り、林の中へ捨てて来ました」

マリーは淡々とアリアに話す。

「…そぅ…。…ごめんなさいウィルソン…」

血の繋がりが無いとはいえ、愛情を持って接していたことに変わりはない。私の子供ではないと告げた時のウィルソンの愕然とした顔が頭から離れない。"最愛の息子"に対し口にした言葉に後悔した。


マリーがこの屋敷にメイドとして仕え始めたのは2年前。その頃には本当の家族の様な姿で出迎えてくれた。ダニエルとウィルソンが腹違いの兄弟であることはマリーにも知らされていなかった。

ダニエルはやんちゃで甘えん坊。

ウィルソンはお菓子作りが大好きで心優しい。

この屋敷で暮らす"双子の兄弟"はマリーにとっても心の支えになっていた。

(どうかご無事で居てください坊っちゃま…)


外は雨が強くなってきていた。

傘を持っていないウィルソンは身体が濡れて震えている。

リザベートの市街地を抜け、街の入り口の看板が目に入る。

「この先にサーカス団の街がある…」

ウィルソンは自分に言い聞かせるようにつぶやく。

ズボンのポッケからお手玉を出す。持っている物はこれだけだ。

「にぃちゃんみたいに強く…。人を笑顔に…」

お手玉を握りしめひたすら歩く。

リザベートと書かれた看板を抜けた。

身体の弱いウィルソンはこの街から出たことがない。初めて見る景色、街灯もない薄暗い林道へ差し掛かる。

ガガガン!ゴゴゴッ!と背後で音がする。

ウィルソンは振り向いた。

すると馬車が街から出てくるところだった。

馬車はウィルソンの横スレスレを通り過ぎる。

「うわっ!」

ウィルソンはビックリして地面に倒れ込んだ。

「あぶねぇなガキ!気を付けろ!」

馬車の操縦士のおじさんが怒鳴った。

「ごめん…なさい」

泣きそうになるのを必死で堪えた。

再び馬車は走り出す。

ウィルソンは立ち上がり歩き出す。

擦りむいた膝から血が冷たく流れる。

ウィルソンは右足を引きずりながら歩く。

頭がクラクラする。息が上がってきた。

(なんだ?血の匂いがするぞ)

(人間のガキだな)

(1人で歩いてる)

林の奥から声が聞こえる。

その声は1つではない。

「だ…れ…?」

林の中を覗くと赤く光るものが4つ…8つと増えていく。

「ぁ…ぁ」

ウィルソンは足を止めた。

オオカミの群れに囲まれていた。


#


ウィルソンを取り囲むオオカミの群れから声がする。

(血の匂い…うまそうだな)

(そうか?まだ子供だぞ?)

「ぼくを…食べるの?」

(ぉ?なんだ?話しかけてきたぞ)

(俺たちが何言っているのかわかるのか?)

2日前の夕方、雑木林で聞こえた声のようにウィルソンの耳にオオカミたちの声が分かるのだ。

「なんとなくだけど…わかるよ」

屋敷にあった動物図鑑でしか見たことの無い茶毛のオオカミの群れに話しかける。

(へぇ~おもしれぇガキだな)

(なぁ俺我慢できないぜ?食べて良いだろ)

「やだ!やめてよ!」

よだれを垂らすオオカミたちがウィルソンに詰め寄る。

(待て!)

林の奥からまた声がする。

ウィルソンを囲うオオカミたちの動きが止まる。

ウィルソンの前にいる2匹のオオカミより2周りほど身体の大きなオオカミが奥から現れた。

(人の子供。こんなところで何をしている…)

身体の奥に響く低い声がウィルソンの耳に届く。

「ぁ…あの……」

ウィルソンは恐怖で足がすくんで声がでない。

(怪我をしているな…)

大柄な白銀のオオカミはウィルソンの足の怪我に目をやる。

「ガゥ!」(おい!)

白銀オオカミが吠えた。

林の中から小さな茶毛のオオカミが飛び出してきた。口には白鈴のような花のついた"イチヤクソウ"が咥えられていた。

(この植物の葉を傷口に貼れ。血が止まるだろう)

「…ぁ…うん…」

ウィルソンは白銀オオカミに言われた通り、渡された植物の葉をちぎり、膝の傷口に貼った。

「!冷た…」

雨に濡れた葉っぱが傷口に貼り付いた。

(それで…こんなところで何をしている?)

白銀オオカミが聞く。


ウィルソンは立ち上がりズボンに付いた土を払う。

「この道の先の街にいる…サーカス団に会いに行くんだ」

(サーカス団?まさか…"リズワルド"か?)

「そう!そのリズワルドサーカスに行くために歩いてるの」

(こんな子供がリズワルドに?)

茶色オオカミの一匹が鼻で笑った。

(リズワルドサーカスには俺たちの"兄貴"が居るんだ。名前は"レオン"だ)

白銀オオカミはサーカス団について話してくれた。

「レオン?」

(そうだ。リズワルドサーカスでは有名なクロヒョウだ。俺たちが小さい頃世話になった先輩だ)

「サーカス団に入れば会える?にぃちゃんが言ってた。背中に乗ってお手玉するんだって」

(兄貴の背中に乗るか。おもしろい。よし!人間の子。俺が街まで連れて行ってやる。背中に乗れ)

白銀オオカミは首を横に振り、背中に乗れと指示した。

「え!いいの?」

(あぁ。兄貴に世話の返しだ。お前が兄貴に認められるかは別だがな…。乗れ!)

「うん!ぼくもにぃちゃんが目指すピエロになるんだから!」

ウィルソンは白銀オオカミの背中に乗った。

艶々した毛並みがくすぐったい。


(いくぞっ!)「バゥ!」と短く吠えた。

「うわっ!」

勢い良く走り出した白銀オオカミ。

ウィルソンはビックリしてのけ反った。

体制を戻し必死に掴まる。

「ふわ~、速い速い!」

ウィルソンは興奮を抑えながら周りを見渡す。

あっという間に林道を抜け、草原へ出た。

ビュービュー、と風を切る音が耳に響く。

白銀オオカミの後ろを茶色オオカミが2匹、少し後ろで並走する。

いつの間にか雨が上がり、月が雲間から草原を照らす。

(人間の子。名前は)

白銀オオカミが聞く。

「ぼくの名前はウィルソン!」

向かい風に対抗しようと大声になる。

「オオカミさんの名前は!」

(俺たちに名前は無い。兄貴の"レオン"はサーカス団での名だ)

「そっか!」

牧場を囲う柵も楽々飛び越える。

人が通ることのない、森の中の赤土のトンネルをくぐり抜ける。

(そういやウィルソン。さっきにぃちゃんみたいなピエロとか言っていたな。お前の兄貴はサーカス団に居るのか?)

「…ぁ…」

急に元気が無くなるウィルソン。

うつむきながら夜空を指差す。

「…にぃちゃんはね…木から落ちて死んじゃった…」

ウィルソンはダニエルがもうこの世には居ないことは解っていた。

ここ数日の母の元気が無いことを子供ながらに気を遣い、明るく振る舞っていただけだった。

白銀の毛束を強く握る。

「…だから…ぼくがにぃちゃんの代わりにサーカス団のピエロに…なるんだから…、強く…なるんだから…」

(…そうか…)

耳に届いたオオカミの声は優しかった。


白銀オオカミは3m程の幅の川を飛び越えた。

オオカミたちの足が止まる。

(よし!着いたぞウィルソン)

目の前には"サンクパレス"と書かれた看板が目に入る。

(俺たちが行けるのはここまでだ。後はお前の足で歩け)

白銀オオカミは頭を地面に付け、ウィルソンが降りやすいようにする。

「うん…ありがとうオオカミさん!」

(おう。レオンの兄貴に会ったらよろしく頼む)

ウィルソンはオオカミたちに手を振り、サンクパレスのゲートをくぐる。


サンクパレスに入ると中心部の広場の噴水が目に止まる。

その広場を丸く囲うように民家やショップが並ぶ。すべての建物の壁にアーチ状に電飾が吊るされ、とてもきらびやかな街である。

ウィルソンは噴水の石段に手を付き、「サーカス団の街に着いたんだ…」と胸を撫で下ろした。

右の路地の方に視線を向けると白い馬が2頭、こちらを見ていた。

「…お馬さん?」

ウィルソンは2頭の馬の居る方に歩く。

2頭の馬は建物から伸びるチェーンに繋がれていた。

その建物の看板には"RIZWALD"の文字。

建物の前には車輪の付いた小さな家のような乗り物が置いてある。

「リズ…ワルド?」

ウィルソンは馬車に書かれた文字を読む。

すると馬車の中から人が降りてきた。

「…ん?」

「…ぁ…あの」

降りてきた男性にはウィルソンの発した言葉が聞こえなかった。男性は建物へ入っていった。

するともう1人、馬車から男性が降りてきた。

「あ、すいません!」

ウィルソンはさっきより大きな声で男性を呼び止めた。

「…ん?やぁ、どうしたぼく。こんな夜中に…、この建物にご用?」

シルクハットを被った細身の男性はウィルソンに目線を合わせ話す。

「あ…あの、サーカス団に入りたくて…来ました」

「え!うちのサーカス団に?まだ子供じゃん…」

男性は頭をポリポリ掻いた。

「お願いします!」

ウィルソンは頭を下げた。

「あー、わかったよ…、中に案内する。君の名前は?」

「ウィルソン•ウィンターズ!6歳です!」

「そうか、俺っちはリーガル•バレット17歳。このサーカス団でマジシャンをしてる。付いて来て!」

リーガルという男性はウィルソンをサーカス団の建物の中に案内した。

「うわ!」

建物の玄関を入ると正面の壁にライオンの頭の剥製が飾られていた。

「あはは、ビックリしたか」

リーガルは笑った。

「…うん」

ウィルソンはリーガルの後を付いて行く。

廊下を少し進んで階段を上がる。

奥から1人の少年が歩いてきた

「ん?」

その少年とウィルソンは目が合ったが何も言わず

階段を上った。


階段を上がり2階の廊下で立ち止まる。

「ここが団長の部屋だよ。あとは君が話すんだ」

「はい」

リーガルは団長室の扉を少し開けてくれた。

「じゃぁね」

リーガルは階段を降りて行った。

ウィルソンは団長室に入る。

扉が閉まった。ビクっとなった。


階段下にいた少年とリーガルがすれ違う。

「やぁマイル…夜更かしはダメだよ」

「…うん」

リーガルは少年の頭をポンと叩き、廊下の奥へ歩いて行った。

少年は自分の居た部屋へ戻る。

「姉さん!なんか小っこいのが団長の部屋に入っていったよ!」

「なにそれ?見たい!」

2人して部屋を飛び出したのは当時9歳の双子姉弟、シエルとマイルだ。


バタンと扉が閉まる。

団長室の奥で革製のロッキングチェアを揺らしながら暖炉にあたる大柄な男性が見えた。

「んぁ?」

大柄な男性は扉の音に気がつき、椅子ごとこちらへ振り返る。

「あ…あの…」

「なんだ?知らないガキだな。誰が入れた?」

「ぁ…リーガルって人が…」

ウィルソンは恐る恐る話す。

「あぁリーガルか…。で?お前は?」

椅子に深く腰掛け話をする大柄な男性。

ウィルソンは腰が抜けその場にへたり込む。

ごくん、と息を飲む。

「ぼくはウィルソン•ウィンターズ!このサーカス団にぼくを入れてください!」

今まで出したことの無いような大きな声が出た。

「まだ小せぇガキじゃねえか。何ができる」

低い声が身体の奥に響く。


「ぼくはピエロになりたい!にぃちゃんみたいに!病気にも負けません!足も速くなります!強くなります!ピエロになればにぃちゃんみたいになれるから!にぃちゃんの見たい景色をぼくが代わりに見るんだから!にぃちゃんに会える気がするから!お願いします!人を笑顔にするピエロになります!お願いします!」


気づけば目から涙がぼろぼろ溢れていた。

「ほぉ~、人を笑顔するピエロか…。気に入った!お前をサーカス団に入れてやる!だかサーカスの稽古は甘くはないぞ。わんわん泣きわめくようならすぐ追い出すからな!覚悟できるか?」


ウィルソンは立ち上がり、服の袖で涙を拭く。

「はい!」

「よし!俺はこのサーカス団の団長。"ゴードン•ジルガ"だ。よろしく坊主!」


ウィルソンのリズワルド入団が決定した。

双子姉弟が扉を少し開け、覗き込む。

(入団だって!)

(おもしろくなりそう)


外は大きな満月が輝く。

遠くでオオカミの遠吠えが聞こえた。


______________。



「_____それで僕のサーカス団の入団が…ぁ」

ウィルは隣のアリシアに目をやる。

「寝ちゃったか…」

アリシアは隣ですやすや寝息をたて眠っていた。

飼育小屋の小窓から朝日が差す。

気が付けば昨晩から夜通し昔話に夢中になっていたウィル。

アリシアがウィルの方に身体を向けうずくまる。

「ちょっと寒いかな…」

ウィルは畳んであったブランケットを広げアリシアの足元に掛け___。


バサー!!

「おっはよーウィルー!湖に着いたわ……よ?」

ウィルの手がピタッと止まる。

シエルと顔を見合せる。

•••••••••••••。

「あんたこんな小さい子の寝込みを襲うなんて気は確かか!」

「しー!静かにしないとネルソンにバレるだろ!てかそんなことしてないし!」

「…ほぇ…もぅあさぁ?」

アリシアが起きた。


#


昔話に夢中になり、気づけば朝になっていた。

「ぁ…おはよーウィル…」

とろーんとした顔でアリシアが目を覚ます。

「アリシアちゃん湖に着いたわよ」

シエルが優しく話す。


山の間から太陽が覗き、朝日が草原を照らす。

サーカス団の馬車は湖に掛かる桟橋の上で停まっていた。

客車の中ではネルソンが腕を組み、いびきをかいて眠っている。

マイルが静かに客車のドアを開ける。

「リーガル、お疲れさま。交代するから中で休んで」

「おぉ、ありがとうマイル」

リーガルが操縦席から降り、客車に入る。


サーカス団の馬車が休憩のために停まったのは

"リモエイド湖"。

リーガルはマイルと話し合い、予定とは違う道を走って来た。

それは少しでも早くウィルの足の怪我を直すためである。

このリモエイド湖には怪我や病気を回復させる力がある。

3年ほど前、ネルソンが毒蛇に足を噛まれた時。前団長のゴードンがこの場所を教えてくれた。

この湖に浸かると蛇の毒が消え、体調も回復した。

そのことを思い出したリーガルは、この場所を目指すことをマイルに話していた。


アリシアが飼育小屋のカーテンを開ける。

「うわー!綺麗なみずうみー!」

雲が1つもない快晴の空。太陽が湖をシャンパンのようにキラキラ輝かせる。

「近くに行ってもいい?」

「えぇ」

わくわくが止まらないアリシアはシエルに聞いた。

「行こう!ウィル!」

「うん」

アリシアがウィルの手を取る。怪我をした右足を使わないようアリシアの肩を借りる。

飼育小屋から地面に伸びる木製のタラップをアリシアの手を借りゆっくり降りる。

「ゆっくりねウィル」

「ありがとう」

ウィルは申し訳なさそうに礼を言う。

「もう立派に彼女ね!」

シエルがアリシアに目線を合わせ話しかけ、ふふっと笑う。

「…か…かの…っ」

アリシアは顔が真っ赤になってウィルの手を離す。

「ここの湖かぁ…、懐かしいな…」

ウィルが湖を見渡す。

「ゆっくりしている時間は無いわ。ネルソンが起きる前に早く浸かっちゃいなさい」

「ありがとう」


湖へは石の階段が続いている。

アリシアはウィルの手を取りゆっくり降り、湖の畔に着いた。

ウィルはしゃがみ込み足に巻かれた包帯を取る。

ズボンの裾を膝まで捲り両足を湖に浸けた。

「…痛い?」

アリシアが聞く。

「切り傷とかは無いから大丈夫だよ」

ウィルは優しく答えた。

アリシアは湖の水を手で触る。

「ぁ…しゅわしゅわする」

湖に入れた足から気泡が立つ。

35℃ほどの人肌温度で温泉のような湖だ。

ウィルは静かにため息をつく。


ウィルは遠くの山を眺める。

「……僕は…ほんと情けない…」

ウィルがボソッとつぶやく。

「ウィル?」

「僕は…ちゃんと人を笑顔に…出来てるんだろうか…」

ウィルはズボンのポッケからアリシアに返してもらったお手玉を出し、手に取る。

あの頃は白くて手からはみ出るぐらい大きかったお手玉。今では茶色くくすんでこんなに小さい。

「にぃさんが目指すピエロには…なれているんだろうか…」

もうこの世には居ない兄から答えたを教わることはない。

「にぃさんが見たい景色は…みれて…」

「ウィル!」

アリシアが強く呼ぶ。ウィルはハッとした。

「そんなことない!お母さんもジニーも、港街の皆だって。ウィルのマジックは凄いって笑顔で観ていたわ!」

ワンピースの裾をギュッと握る。

「…そぅ…だね…」

「サーカス団の皆だってウィルの事はちゃんと必要としてる!全然悲しむことなんてない!あなたのお兄さんの見たい景色を私もあなたと一緒にみたい!だから…私もサーカス団に付いてきたの」

アリシアは少し冷静を取り戻す。

「…あなたはあなたのままでいい…。サーカス団のピエロとしても…、美味しいお菓子を作る腕も…、心優しい私の王子さまとしても…。あなたはとっても素敵な人…。"3つ星"をあげるわ。

あなたにはあなたの良いところがあるの。それはサーカス団の皆だってちゃんと解っているんでしょ」

かつて聞いた懐かしい言葉が、目の前の出会って間もない少女から発せられる。

でも心温かく、優しく包んでくれた気がした。

「…そう…だね。ありがとうアリシアちゃん…元気になったよ」

ウィルはアリシアの顔を見てにこっと微笑む。

アリシアがウィルの頭を撫でた。

「よくできました!はなまる120点!」

アリシアもウィルの笑顔を見てホッとした。


馬車の客車の窓を開け、マイルとリーガルが顔を出し、湖に居る2人を眺める。

「ウィルって…強いよな」

「あぁ、俺っちもあいつが入団した時から見ているが、あいつは団員で一番強い心を持っている」

ウィルが湖から足を出し、アリシアとこちらに歩いてくるのが見えた。

「おっと」

マイルとリーガルは「別に見てない」と知らん顔してそっぽを向いた。

シエルもウィルの手助けに向かう。

「ちょっと楽になったよ。ありがとうシエル」

「そう。良かったわ。早く行きましょ」

ウィルとアリシアが飼育小屋に入る。

シエルが客車に向かう。

「ほーら、次はあんたが運転手!」

「はーぃ」

シエルは客車の中へ、マイルは操縦席へ移動した。

________


小さな少女が仲間に加わったリズワルドサーカス団。次の街を目指してサーカス団の馬車は走り出す。


第1章 終 第2章へ 続





















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