恋のキューピットは天使か悪魔か

ぺいぺい

恋のキューピットは天使か悪魔か


 俺は弓元翔平17歳、高校2年生。

現在絶賛片思い中。

相手は同じクラスの矢部優衣さんだ。


 矢部さんの誰にでも優しい性格、屈託のない笑顔、

そして周りの人間を惹きつける愛嬌に惚れてしまった。


 しかし、クラスで目立たない存在の俺にとって矢部さんは高嶺の花だ。

他に狙っている男子も多いだろう。


 でもそんな中、二度とないチャンスが回ってきた。

なんと席替えで矢部さんの隣になったのだ。

それも教室の窓側の一番後ろ・・・青春の席だ。


 こんなことあるのだろうか。

きっと神様が俺と矢部さんを引き合わせてくれたのだろう。

俺はそう思い込むことにした。


 次の席替えまでにどうにか矢部さんと仲良くなって、

この熱い想いを伝えなくてはいけない。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 


「どうやって仲良くなればいいんだ!」



 暗い部屋、ベッドの上で一人悶える。

ゴロゴロと、シーツを剥ぎ取るような勢いで寝返りを繰り返す。


 最初のきっかけが分からない。

まず、矢部さんとはまともに会話もしたことがない。


 いきなり話しかけても引かれるだけだろうし。

そもそも、そんな勇気もない。


 思えば俺は矢部さんのことを何も知らない。

趣味は何なのか、好きな食べ物、男性のタイプ。

知っているのは名前だけだ。


 そんな状態で好きになったと言えるのだろうか。

もっと内面を知るべきでは?



「あー!わからん!」



 悲痛な叫びが初夏の夜に消えていく。

窓が開いているから近所迷惑だろうな。

ご近所さんごめんなさい。

でも恋に悩む男子の叫びなんです、許してください。



「随分とお悩みのようだな」



途端、暗闇に女の声が響いた。



「え?何か聞こえた・・・」



 いや、気のせいだ。

きっと恋に悩みすぎて幻聴が聞こえたんだろう。



「おーい」



 うん、そうだ、そうに違いない。

今日はもう寝よう。

布団を深く被る。



「無視するな」



 ・・・気のせいじゃない。

声は確実に開いている窓の方から聞こえる。

謎の声に怯えつつベッドからゆっくり起き上がる。


 お化けだったらすぐに1階に駆け降りてお母さんに抱きつこう。

恐る恐る部屋の電気を点ける。

するとそこには人がいた。



「こんばんは、人間」



 目の前には窓に腰掛け、

こちらを向いて笑みを浮かべている女性。


 年齢は俺と同じぐらいで、胸あたりまで長く伸びた白い髪。

服装は丈が太ももまであるオーバーサイズのパーカー。

下は何も着ていないのかスラッと色白な足が見えている。

見た感じお化けではない。



「こ、こんばんは・・・ってあんた誰!?」



 女は俺の動揺なんて気にせず、窓から降りて近づいてくる。

何故か靴を履いておらず、素足で床を踏むペタペタという音が聞こえる。



「不法侵入だ!け、警察呼ぶぞ!」


「まあ落ち着け」



 後ずさる俺に対し、女は目の前まで迫って俺を下から見上げている。

しかし、俺は近づいてきた不法侵入者にあまり危機感を抱かなかった。

それは目の前のこいつを可愛いと感じたからかもしれない。


 ターコイズブルー色の透き通った瞳に、ハーフのようなはっきりとした顔立ち。

香水なのか、フッと甘い匂いが香る。

その佇まいに、どこかこの世のものではない雰囲気を感じた。



「・・・お前、”恋”をしているようだな」


「は!?」



女はまるで俺の全てを見透かしているように、ニヤニヤしながら言い放った。



「その恋、成就させてやってもいいぞ」



こいつはいきなり何を言ってるんだ?



「ま、まずここ2階だぞ!どうやって登ってきたんだよ!」



女の提案を無視して質問する。



「飛んできた」


「飛んできた?嘘つけ!」



 訳のわからないことを言ってくる。

すると女がはぁ、とため息をつき、

少し後ろに下がった。


 瞬間、女の背中から白く大きな翼が現れた。

そしてその翼をはためかせると女はありえないことに宙に浮かんだのだ。



「どうだ?これで信じたか?」


「あ・・・え・・・」



 目の前で翼の生えた女が部屋の中を優雅に飛び回っている。 

夢じゃないよな?

ほっぺをつねって確かめるという、最近のアニメでもあまり見ない行動をとる。



「驚いているようだが、まあ仕方ない。この白い翼を見て分かる通り、私は”天使”だ」


「て、天使!?」


「そうだ。すごいだろ?」



天使だと名乗る女は、こちらに翼を見せつけるようにはためかせる。



「それで本題だが、天使である私がお前の恋を成就させてやってもいい。いわゆる恋のキューピットってやつだな」


「恋のキューピット!?」


「そうだ。どんな女も私のテクニックを使えばイチコロだ」



展開が急すぎて頭の整理がつかない。



「そ、そもそもなんで俺が恋してるって知ってるんだよ!」


「天使を舐めるな、それぐらい分かるわ。あ、言い忘れていたが、お前の恋を成就させるにあたって条件がある」



 女に勝手に話を進められる。

流されるままに自称天使の話を聞く。



「実は私は怪我をしていてな、それが治るまでここに住ませてくれ」


「ダメに決まってんだろ!」



反射で口から言葉が飛び出る。



「まあまあ興奮するな。飯は朝昼晩3食あればいい。朝は高級生食パンとコーヒー、昼はおしゃれなランチにスイーツ、そして晩はA5ランクの肉でいい。寝床はそこの汚いベッドで我慢してやるから」


「要求多いな!」


 

 あまりの無茶苦茶なリクエストに綺麗なツッコミが入る。

天使がズンッと近づいてくる。


 手を伸ばせば触れられる距離。

今まで経験したことない異性との距離に少しドキドキする。



「さあ決めろ。悪い条件ではないと思うが?」



 天使だと名乗る女。

こいつを俺の部屋に住まわせれば、矢部さんとの恋を成就させてくれるらしい。

自称恋のキューピッド。



「まさか、まだ私を天使だと信じていないのか?」


「いや・・・」



 確かにさっきこいつの背中から翼が出て飛んでいた。

それは間違いなくこの目で見た。

ありえないが、目の前の女は本当に天使なのだろう。



「いきなりすぎて何がなんだか・・・」


「まあ急で驚くのも仕方ない」


「1日考えてもいいか?」


「ダメだ、今ここで決めろ」



 半ば脅すような態度で決断を迫ってくる。

その強気な姿勢は天使とは思えない。



「お前のこと、信じていいのか?」


「ああ、任せろ。なんたって私は天使であり、お前の恋のキューピットだからな」



 天使はふん!と腰に手を当てて胸を張っている。

俺は何故かこの不思議な状況を受け入れていた。



「わかった。俺と矢部さんの仲を深める協力をしてくれ。その代わり、ここに住ませてやる。飯に関しては・・・できるだけ努力してやる」


「・・・期待しているぞ。では契約成立だ」



 流されるがままに事が進んでいき、

契約が成立した。

そして俺と天使の不思議な生活が始まった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「まずお前は女に慣れていない。だから女に慣れる練習からだ!」



 天使は契約してすぐそう言い放った。

その指摘は図星で、何も反論できなかった。


 ということで放課後や学校が休みの日曜日は、

女の子に慣れるという名目で必ず天使とデートに行くことが習慣になっていた。


 今日は一緒に駅近くの繁華街を歩いている。

毎回のデートプランは全て俺が決めていた。

天使と契約して数週間。

思えばこいつのことを何も知らない。



「お前、天使なんだろ?天使ってどこに住んでるんだ?」


「天界だな。しかし私は諸事情で怪我を負い、今はこの人間界に堕ちてきた。まあ天使は翼以外は人間と変わらんし、翼を隠している今、誰も私が天使だと気づくまい」



 確かに見た目は人間と同じ。

でも完全に目立っている。


 それはこいつが白髪だからだ。

すれ違った人が天使を見て何度も振り返る。


 太陽に反射して眩しい、サラサラな人間離れした白髪。

小さな顔にバランスの良いはっきりした目鼻。

自然と惹きつけられるオーラ。



「なんだ?私のことを見つめて」



その真っ直ぐな目で問いかけてくる。



「な、なんでもねーよ。そういえば怪我って大丈夫なのか?病院連れてってやろうか?」



 焦って話題を変える。

こういうところが女の子に慣れてないんだろうな。



「馬鹿か。人間の医者が天使を治せるわけないだろ」


「そうなのか」



怪我って傷とかじゃないのか?天使だし何か呪いとかなのか?



「そういえばお前、名前はあるのか?」



 思えば今までずっと天使って呼んでた。

こいつにもきっと名前があるはずだ。



「名前か・・・天使での名前はあるが、気に入らん」


「へー」



天使ってカタカナで長い名前のイメージがある。



「そうだ!せっかくだからお前が、何か人間っぽい名前をつけてくれよ」


「いや責任重大だな」



 名前か・・・

こいつにあった人間っぽい名前。



「可愛いのにしてくれよ?」



 考えている横で口を挟んでくる。

天使だもんな、何か翼とか空にちなんだ名前・・・



「空にしよう!”そら”!飛べるし・・・天使っぽくカタカナで”ソラ”!」


「ソラか。安易でストレートだが、まあいい」



 よかった。

気に入ってくれたようだ。



「それより翔平、昼飯はまだか!」



ソラはその場で地団駄を踏んでいる。



「はいはい、もうすぐ着くから」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



到着したのは有名なチェーン店のファミレス。



「なんだここは。高級店なのか?」


「うーん・・・安価で美味しくて、豊富な種類の料理を楽しめる店だな」


「おお、それはいい!行くぞ!」



 ソラは入店し、席についてすぐにメニューを開き、



「これがいい!あとこれも!」



好きなものを片っ端から頼み始めた。



「料理はまだか?」


「今頼んだばっかだろ」



 しばらくして料理が到着する。

テーブルいっぱいに料理が並んでいる。



「おぉ!これはすごい!」



ソラは目を輝かせている。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ふー!食べた食べた!」



テーブルには皿の山が積み上げられている。



「おい翔平、お前はそれだけでいいのか?」



俺の前に寂しく置いてある1枚の皿を見て言う。



「人間はそんなに食べないんだよ」


「ほう、そうなのか」


 

 そして昼飯を済ました後は水族館に行った。

水族館なんて数年ぶりだ。

それに家族以外と来るのは初めてだ。



「おぉ!すごい!」



 ソラは水槽に両手をつけて張り付いている。

とても楽しそうにしており、

多分来ている人の中で一番はしゃいでいた。



「なんだこの群がって泳いでいる小さい魚は!すごい数だ!」


「イワシだよ」



天使の世界には水族館なんてないのかな。



「よく考えると魚をこんな小さな水槽に閉じ込めるとは、人間はひどい生き物だな」


「まあ、天使からすればそうかもな」


「・・・この魚、美味しそうだな」


「おい、天使がそんなこと言っていいのかよ」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 そして夜、

デートの最後は海の見える公園に行った。



「ほう、ここが最後の場所か。なかなか良いじゃないか」



近くのベンチに腰掛け、2人で海を眺める。



「よし、私をお前が片思いしている矢部だと思って告白してみろ」


「マジかよ」



ここにきて思わぬリクエストが飛び込んできた。



「早くしろ。矢部と付き合いたいんだろ?」



ソラがニヤニヤして催促してくる。



「わかったよ・・・」



 渋々了承する。

ベンチから立ち上がり、座っているソラの正面に立つ。



「好きです!付き合ってください!」



頭を下げて手を突き出す。



「ダメだ、固すぎだ」



 渾身の一撃をひらりと躱される。

その後もソラを矢部さんと見立てて告白する練習は30分ほど続いた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 ソラと契約して一ヶ月ほどが経った。

俺は女の子に慣れる練習と平行で、

ソラから恋愛のテクニックや会話術を教わっていた。


 そのおかげかこの前、矢部さんと初めて話すことができた。

それをきっかけに毎朝あいさつをするような関係になれたのだ。

といってもまだまだ親しい関係ではない。


 取引としてソラは俺の部屋に住んでおり、

寝るときは部屋のベッドで2人で寝ていた。

少し狭いが、まあ寝れないわけではない。

互いに背中合わせでベッドに寝転んでいる。



「なあ、ソラは天使の仲間とかいないのか?」



 深夜、豆電球の明かりだけの暗い部屋で問いかける。

背中に微かにソラの存在を感じる。

もう寝てしまったのだろうか。



「・・・今はいない」



ポツリと返される。



「そっか」



 ソラがもぞもぞと動いて俺から布団を奪い取る。

全く、思いやりのない奴だ。

天使とは思えない。



「ソラは好きな人、いや・・・好きな天使とかいなかったのか?」


「そんなのいなかった。それに私は元々、人に好かれるようなタイプではないからな」



 その口ぶりから少しの孤独が感じられた。

ソラは友達もおらず人付き合いの苦手な俺と似ているのかもな。



「ふーん」



 気の利くような慰めの言葉が出てこない。

まだまだ練習が足りないな。


 なんとなく寝返りを打つ。

ソラは向こうを向いていた。


 目の前にはソラの背中。

女の子だからか肩幅が狭く華奢で、折れてしまいそうだ。

腰の部分は服が上がって少し背中が見えている。



「傷は大丈夫なのか?」



ソラの背中に話しかける。



「ああ、おかげさまで治ってきているよ」


「それはよかった・・・」



 会話が中々続かない。

俺はなぜかソラの気を引こうとしていた。



「なあ、天使は仕事とかあるのか?」


「人間に寄り添うのが仕事だ」


「ふーん。俺はやりたい仕事とか将来の夢とか無くてさ、たまに不安になるんだよ、この先どうなるのかなって」



それを聞いたソラが、フフッと笑った。



「人間とはそんな些細な事で悩んでいるのだな」



 ソラが寝返りを打ってこちらを向く。

途端に顔の近さにドキドキする。


 すぐ目の前にソラの顔がある。

小さな顔にはっきりとした目鼻。

天使の特徴なのか透き通る白い肌と吸い込まれそうな瞳。

ソラは軽く笑ってこちらを見つめている。



「なるようになるさ。未来に悩むよりも今を大事に過ごせ」


「お、おう」



 ソラの言葉が全く入ってこない。

ドキドキして呼吸が荒くなる。

目の前のソラから自然と目を逸らしてしまう。



「どうした?様子がおかしいぞ」


「あ、いや・・・別に」



 不思議な顔で俺を見つめている。

微かにソラの吐息が聞こえる。



「にしても人間の男はこんな顔をしているんだな」



 ソラが俺の顔に手を伸ばす。

小さく暖かい手が頬を撫でる。


 時が止まったような感覚に陥る。

手の温もりを感じつつ、俺の目はソラに釘付けになっていた。



「翔平、顔が赤くなってるぞ?」


「・・・気のせいだよ」


「そうか。誰かと一緒に寝るとはいいものだな」



ソラは目を細めて笑った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「今日は特別練習だ!」



ある日、ソラが突然叫んだ。



「特別練習?」


「そうだ。うかうかしていると席替えが始まってしまう。そこで一気にお前を成長させようといった魂胆だ」


「なるほど」



 確かに、前回の席替えから一ヶ月以上経っている。

いつ次の席替えが行われてもおかしくない。



「特別練習って具体的に何するんだよ」


「やることはいつものデートと変わらん、ただし場所が違う・・・海に連れて行け!」


「海?なんで?」


「私が行きたいからだ」



そんな理由かよ。



「海って、結構遠いぞ?」



 俺の住んでいるところは近くに海がない。

行くなら電車とバスを乗り継いでの長旅だ。



「知らん。これもお前のためだ、黙って連れて行けー!」



 ソラがじたばたと暴れ出す。

でも心のどこかで、ソラと出かけられて嬉しいと感じる俺がいた。



「・・・わかったよ」


「よし、早速準備だ」



するとソラは勝手に俺の荷物をまとめ始めた。



「おい!勝手に漁るな!」



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 家を出発し、長時間電車に揺られる。

そして次はバスでの移動。



「これがバス、というものか。ガタガタ揺れて落ち着かんな」



 隣に座っているソラがキョロキョロと車内を見渡している。

バスの座席は狭く、俺とソラの肩はぴったりくっついている。


 最近、何かとソラを意識してしまう。

ソラのひとつひとつの行動にドキドキする。

なぜだろう。


 矢部さんと同じものを感じる・・・気がする。

いや、それはない。


 ただ俺が女の子に慣れていないからそう感じるだけだ。

しばらくすると、車内のモニターに俺たちの目的の駅名が表示された。



「もうすぐ着くぞ」


「お、そうか。ならこれを膨らまそう」



 ソラの手にはしぼんでぺちゃんこなビーチボールがある。

横で空気穴を口につけてフーッ!と息を吹き込んでいるが、

全く膨らむ気配はない。



「ん?上手くできんな。翔平、やってくれ」


「あ、ああ・・・」



 間接キス。

そんなことが頭によぎったが、

俺はビーチボールを受け取って膨らましてやった。



「おお!ありがとう翔平!」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



バスを降りると、すぐ目の前に海が広がっていた。



「すごい!一面水だぞ!」


「そりゃあ海だからな」



ソラが荷物を砂浜に放り出して海に走っていく。



「ちょっと待てって!」



ソラが海に膝まで入って遊んでいる。



「わぁ!おー!うわぁ!」



 子供みたいにはしゃいでいる。

その姿を見守りながら、俺も海に入っていく。



「そんなに海が珍しいか?」


「おりゃぁ!」



途端にソラが水をかけてきた。



「何すんだよ!」



 俺も反撃して水をかける。

2人で水を掛け合う。

宙を舞った水が太陽に反射して綺麗だ。

でもその奥にいる笑顔のソラの方が何倍も綺麗だった。


 まさに天使だ。

まるで本当の恋人になったような気分。


 俺は自然と笑顔になっていた。

気づけばソラと日が暮れるまで海で遊んでいた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「あー、楽しんだな」



砂浜に座り込んだソラが呟く。



「遊んだな」



 俺も隣に座り込む。

目の前の海では夕日が沈むかけており、

水平線に綺麗に反射している。


 なんでこんなに寂しい気分になるんだろう。

俺は家に帰りたくなかった。

ずっとこの時間が続けばいいと願う俺がいた。

矢部さんのことなんて頭の片隅にもなかった。

  


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「よし、帰る前に少し散歩するか」



 ソラの提案で砂浜を歩くことに。

2人で夕日を横目に歩いていると、

ソラが俺の手を握ってきた。



「恋人ならこういうことをするんだろ?」


 

 手を繋いで砂浜を歩く。

何をドキドキしてるんだ?

こいつはただの天使で、契約相手だろ?


 これもただの練習だ。

ドキドキしてるのは俺が女の子に慣れていないからだ。

そう必死に言い聞かせた。



「そういえば、傷はまだ治らないのか?」



手を繋いで歩きながら問いかける。



「・・・ああ。心配するな、もうすぐ治るさ」



 一瞬だけソラの顔が曇った気がした。

気のせいだろうか。


 ふと前を見ると年を取ったおばあさんが、

俺たちの行方を遮るように立っていた。



「き、君!今すぐそいつから離れなさい!」


「は、はい?」



おばあさんは物凄い形相で俺に言った。



「そいつは人間じゃない!」



 おばあさんはなぜかソラのことを睨みつけている。

ああ多分、感覚が優れている人なんだろう。

だから天使であるソラのことを不思議に思っているんだ。



「お、恐ろしい!こんなに邪悪な存在!」


「邪悪?な、何を言って・・・」



 おばあさんの口調は荒く、肩で息をしている。

普通じゃない。

少し怖くなってきた。



「・・・翔平、放っておけ」



黙っていたソラがおばあさんを無視し、俺を引っ張って歩いていく。



「ちょ、ちょっと、いいのか?」



 仕方なくおばあさんを置いていく。

振り返るとおばあさんは震え、怯えた目でこちらを見つめていた。



「な、なんだったんだ?いきなりお前のことを睨みつけて」


「・・・」



 ソラは何も言わない。

ただ俺の手を強く握って連れている。

いきなりあんなこと言われれば嫌な気持ちになるか。



「ま、まあ変な人もいるな!」


「・・・」



ソラは黙ったままだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



海に別れを告げ、帰りのバスに乗り込む。



「・・・楽しかったな」



ソラが窓越しに、さっきまでいた海を見ながら呟いた。



「うん、楽しかった」



 なんでこんなにも名残惜しい気持ちになるんだろう。

ソラとは恋人同士でもないのに。


 バスが出発する。

これから長い帰り道だ。

でも全然、苦ではなかった。


 ガタガタとバスに揺られながら、

そんなことを考える。


 すると、ソラが俺の肩にもたれかかってきた。

見ると、疲れたのか眠っていた。


 ソラとはあとどれぐらい一緒にいれるのだろうか。

俺は自然とソラの手を握っていた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 ソラのおかげもあり、

俺は矢部さんと仲良くなってきていた。

まあ仲良いと言ってもたまに雑談するぐらいの関係だが。


 授業中、チョークの音をBGMに窓の外を眺める。

窓の下からはソラがひょっこりと顔を出している。


 基本は部屋にいるのだが、

暇なときは学校にまで隠れてついてくる。


 翔平!はなしかけろ!と口パクで俺に指示してくる。

このまま無視していると飛び出して来そうなので指示に従う。



「矢部さん、次の授業って体育だね」



隣の席の矢部さんに小声で話しかける。



「だね!女子はサッカーだよ。男子は?」


「多分野球。サッカーの方がいいなー」


「えー、私は野球の方が好き!」



 授業中にも関わらず会話は弾んだ。

ふと窓の方を見ると、俺の勇姿を見届けたソラはニヤニヤしながら飛び去って行った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 そして次の席替えも近づいてきた時期。

俺は矢部さんと連絡先を交換し、時折チャットや電話をするような仲になっていた。



「おい翔平、そろそろ頃合いだ。デートに誘え」


「いや早いだろ。まだ仲良くなり始めてきた頃なんだから」


「それは慎重になりすぎだ。今誘わないでいつ誘う?」


「本当かよ・・・」


「天使の私を信じろ、今がベストタイミングだ。矢部もお前からの誘いを待っているはずだ」



その時、ちょうど矢部さんから電話がかかってきた。



「翔平、デートに誘えよ」


「・・・わかったよ」



電話に出る。



「もしもし、矢部さん?・・・うん、うん」



 矢部さんとの電話を楽しんでいると、

横からソラが口パクでデート!と何度も言っている。



「あー、矢部さん・・・次の日曜日とかって空いてる?よかったら・・・」



ソラが俺のことを見守っている。



「え、本当に!?じゃあ日曜日に行こうよ!」



なんと矢部さんが俺の誘いをOKしてくれた!



「そっか!また明日、学校で色々決めよう!」



そして電話は終了した。



「やったー!矢部さんとデートだ!」



電話を終えた俺は大興奮だった。



「よくやったぞ翔平」



 まさか俺が矢部さんとデートできるなんて考えもしなかった。

前から考えれば大きな成長だ。

これもソラと出会ったからだ!



「ありがとうソラ!全部お前のおかげだよ!」


「・・・そうだな」



 ソラは笑ってそう言ったが、

気のせいかどこか悲しそうだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 矢部さんとのデートは、

全てソラと事前に巡ったルートを設定した。

繁華街を一緒に歩いて水族館、最後は海が見える公園だ。


 5分前に待ち合わせ場所に到着する。

準備は万全だ。

ソラと練習した通りにやればきっと上手くいく。


 でも、どこかモヤモヤした気持ちが残っていた。

なんでだろう。


 ソラは何をしているんだろう。

俺の勇士を見届けて欲しいと言ったが、

嫌だと断られてしまった。



「弓元くん!」



 どこかから俺を呼ぶ声が聞こえる。

声の方を見ると、私服姿の矢部さんがいた。



「待たせてごめん!」



 謝る矢部さん。

いつも制服姿しか見ていないから新鮮だ。

当たり前だがとっても可愛い。



「全然待ってないよ。行こっか!」



矢部さんを連れて歩き出す。



「久しぶりにここ歩いた!」



隣を歩く矢部さんが笑顔で言う。



「俺も久しぶり!」



ソラと来たことがあるが、嘘をついた。



「昼ごはん食べてから水族館行こっか!」


「うん!私、お腹ぺこぺこだよ!」



 そういえばソラとここに来た時、

あいつ早く飯が食べたいってわがまま言ってたな。

俺は前にソラと来た時のことを思い出していた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「美味しいね!」



料理を口いっぱいに頬張る矢部さんは笑っている。



「うん!美味しいね!」



 テーブルには俺と矢部さんの頼んだ2皿だけ。

そういえばソラはテーブルが埋まるぐらい料理を食べてたっけ。

あいつも美味しい美味しいって食べてたな。

途端に2皿しかないテーブルが寂しく感じた。



「弓元くん?どうしたの?」


「ううん、なんでもないよ?次に行く水族館のこと考えてた!」


「そっか!」



・・・もうソラのことを考えるのはやめよう。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 目の前には大きな水槽。

透き通る水の中で魚が泳いでいる。



「すごい!魚いっぱい!」



矢部さんが楽しそうに言う。



「うん!」



 矢部さんは水槽に顔を近づけて見ている。

その姿にソラを重ね合わせてしまう。



ー おぉ!すごい! ー



 ソラも矢部さんと同じようなことを言っていた。

どうしてもソラを重ね合わせてしまう。

あんなに待ち焦がれた矢部さんとのデートのはずなのに。


 どうしたんだろう、俺。

おかしいな。


 ソラのことが頭から離れない。

矢部さんと仲良くなればなるほど、ソラとの距離が離れていく気がした。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 デートの最後は海の見える公園。

ベンチに座って2人で海を眺める。



「綺麗だね・・・」



横の矢部さんが呟いた。



「・・・うん」



 こんなに最高のシチュエーションなのに、

俺の心はここにはなかった。


 そもそもこのデートの目的は矢部さんに想いを伝えることだ。

でも、こんな曖昧な気持ちで告白していいのだろうか。


 恋って、好きってなんだっけ。

ソラと出会ってから今までの思い出が走馬灯のように駆け巡る。


 あの胸の高鳴り。

目が離せないほど惹きつけられる笑顔。 


 ソラと一緒にいて感じたのが本当の恋なんじゃないか?

そうか、俺はあいつのことが好きなのか。



「あの、私・・・」



少し頬を赤めた矢部さんが口を開いた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 帰宅したのは夜だった。

満月が輝いている。


 家に帰って部屋に入ると、ソラが窓の端にもたれかかって夜空を眺めていた。

その姿はソラと出会った時と同じだった。



「デートはどうだった?」


「うん・・・よかったよ。まさかの矢部さんの方から俺に告白してくれた」


「そうか、それはよかった」



少しの沈黙が流れる。



「傷の方はどうなんだ?」


「ああ、おかげさまで完全に治ったよ」



なんとなく嫌な予感がした。



「・・・翔平の恋も成就し、私の傷も治った。もうここにいる必要はないな」


「ちょっと待ってくれ!」



俺は咄嗟に口走っていた。



「どうした?私がいなくなるのが寂しくなったか?」



ソラが俺をからかうように言う。



「そうだよ」


「・・・はっきり言うじゃないか」



もう気持ちを抑えられなかった。



「今日、デートしてわかった。俺・・・お前が好きだ」



 ソラは少し驚いた表情を見せたが、

すぐに元に戻った。



「・・・そうか」



ソラはそれ以上何も言わなかった。



「なあ!良かったら・・・」


「待て」



俺が言おうとした言葉はソラに遮られた。



「翔平が想いを打ち明けてくれたんだ、なら私も本当のことを言おう」


「え?」



 するとソラが窓から降りて翼を出して宙に浮き始めた。

しかしその翼はいつもの白く美しい翼ではなく、黒く輝く翼だった。



「すまない翔平、お前には嘘をついていた」


「ど、どういうことだよ」



黒い翼が月の光に照らされている。



「私は本当は天使じゃない・・・悪魔だよ」



意味がわからない。



「あ、悪魔?な、何言ってんだよ」


「私は天使だった悪魔。つまり堕天使ってことだ。話していなかったが、色々あって天界を追放されたんだ」



天使ではなくて悪魔・・・



「悪いが、私は恋のキューピットでもなんでもない。ただ傷を治す場所としてお前を利用しただけだ」



俺は騙されていたのか?



「じゃあ矢部さんが告白してくれたのは・・・」


「それはお前の実力だ。恋のキューピットに扮してお前と練習していたのも、ただの傷が治るまでの時間稼ぎだよ」



そうか・・・



「失望したか?」



ソラが聞いてくる。



「・・・今までのお前の楽しそうな笑顔も嘘だったのか?」



 水族館に行った時も遠くの海に日帰りで行った時も、

あんなに楽しそうだったじゃないか。

あれも全て俺を騙すための演技だったのか?


 質問にソラは答えなかった。

ただ、切ない顔をするだけだった。



「悪魔でも関係ない!俺は・・・」


「ここでお前を殺すと言ったらどうする?」



 そう言ったソラはいつものソラではなかった。

その雰囲気は少し怖かった。



「・・・いいよ。やれよ」



 ソラは何も言わない。

俺が今まで見てきたソラが本当なら、そんなことはしないはずだ。



「・・・気が変わった。殺すのはやめておいてやる」



ソラが窓から飛んで行こうとする。



「お前との日々はなかなかに楽しかったぞ。じゃあな」



黒い翼がはためき、ソラが飛び立とうとした時、



「待ってくれ!」



 俺は駆け寄ってソラの手を掴んだ。

窓から飛び出そうとするソラとそれを止める俺。



「俺と一緒にいてくれよ」



ソラの目を見つめて言った。



「・・・練習の成果が出てるじゃないか」



気のせいか、ソラの頬は赤くなっていた。



「でもダメだ。私は悪魔だからな、人間とは違う」



 ソラは一瞬、こちらに歩み寄ったが、

すぐに手を振りほどいた。



「その思いは別に伝えるべき人がいるだろ?」



 ソラの心は変わらないようだった。

もう何を言っても無駄だろう。



「・・・また会えるよな?」


「さあ?私とお前は悪魔と人間、普段は交わることなんてないだろうな」



それを聞いて心が重くなる。



「・・・まあ来世があれば、お前と過ごすのも悪くないかもな」



ソラはそう言った。



「さらばだ、人間」



 ソラはそのまま振り返らずに飛んで行った。

俺は一人、部屋に取り残された。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 月の光に黒い翼が照らされて輝いている。

夜空を一人、彷徨う。


 思えば私はずっと一人だった。

天使の友達どころか恋人だっていた事もない。

その結果、気づけば叛逆を起こし、傷を負って悪魔に成り果てた。


 翔平には恋のキューピッドとか恋愛マスターなんて言ったが、

私も翔平と同じぐらい、異性に慣れてなかった。

だからこそ、翔平に惹かれたのかもしれない。


 初めてだった、誰かと共に過ごしたのは。

何かを共有できる相手がいるのは。

誰かのことを想ったのは。

 

 傷なんて、翔平と海に行った頃にはもう治っていた。

でも治ってないと嘘をついた。

まだ一緒にいたかったのだ。

・・・これが恋なのだろうか。



「お前がくれた”ソラ”という名前、私の心の中に大切にしまっておこう」



冷たい夜風が黒い翼にあたる。



「来世か・・・翔平、悪いが私は悪魔になってしまった。来世があっても行く末はお前とは違うだろう。しかし、もしも罪が許され、この身滅びることがあれば来世は・・・」



悪魔は祈った。



「悪魔が神に祈るなんて変な話だな」



悪魔は笑った。



「さあ、悪魔らしく生贄でも探しにいくか」



 天使だった悪魔は黒く輝いた翼をはためかせ、

一人寂しく空を飛んでいた。


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恋のキューピットは天使か悪魔か ぺいぺい @peipei_1234

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