第33話 恋人達から性欲を剥奪してみた

 初夏のある日、斗真と夏苗はいつもの様に部屋に戻った。今日もいつものように深く愛し合いたい。きっと夏苗も同じことを望んでくれているのだろう。


 今日の夏苗はとても閑やかである。機嫌も良さそうだ。ふたりは普段通りに唇を合わせる。途端に夏苗が活発になった。


 短い舌で斗真の唇や口内をやんわり舐める。とても刺激があって気持ちが良い。その触覚だけが感じさせてくれるのではない。活発に斗真を攻めてくれること、求めてくれることが快楽なのだ。ひとしきり互いを慰め合ったとところで夏苗は洩らした。


「初めての接吻なのに夢中になっちゃった。だって斗真君が欲しかったのだもの。」


 熱心でいて、火照った顔色をする夏苗の顔は新鮮だった。だけど、斗真は厳しい寒気を感じざるを得ない。そう。夏苗は斗真と接吻をした記憶も奪われてしまったのだ。


 斗真は驚きも焦りも悲しみも必死で堪えた。目の前の夏苗が初めての接吻の悦びに満たされているのだ。斗真も同じように幸福な顔をしなくては不自然ではないか。

 

 その次の日から四日間続けて夏苗は恋人のことを想い出せなくなってしまった。こんなに長いこと放っておかれることはなかったので、斗真は少しだけ動揺した。


 五日目に記憶を戻したときにはけろりとした様子で落ち着いていた。憂いをきれいに流し落とした斗真は気持ちを弾ませて彼女を太陽の光が眩しい空の下に連れ出した。少し日光を浴びた後、また部屋に誘い込んだ。


 あまり刺激し過ぎてはいけないので丁寧に遠回しに接吻をせがんだ。夏苗はとても恥ずかしそうだったが、それを受け容れる。大人しく静かな接吻でつい先日のそれとはまったく性質が異なっていた。


 斗真はその接吻だけでは飽き足らずに夏苗の身体を抱き寄せ、露出している腕や太ももを優しく撫でる。すると夏苗は斗真のその手を払いのけて逆上した。


「やめてちょうだい。斗真君はわたしの身体に触りたいから優しくしてくれるだけなの?わたしがあなたを好きだからといってなんでも認められると思っているの?触れ合うとはそんなに容易いことではないでしょう。」


 夏苗はこれまで斗真と交わってきたことまで忘れているのだろう。だとしても、どうしてこんなにも厭うのか判然としない。これまで幾度となく反復してきた愛に満ちている所作をしただけだ。


 肌を触れ合うのに互いを慈しみ合う情調以外になにが必要だと言うのか。誠実に愛しているから接したくなるのだと死に物狂いで訴えたが、想いは通じない。

 

 夏苗は泣きべそをかきながら、病院へ帰ると言って部屋を駆け出した。後を追う斗真はまだ狼狽えている。撥ねつけられたのは、夏苗が執拗に求められることに嫌気がさしてしまったのか、それとも愛し合う気持ちさえも失くしてしまったのか。いずれにしろ、もう彼女を望めないという意識を持たざるを得ない。愛しい女から斥けられるというのは悍しいことなのだから。

 

 こういう術で龍平は小説の中の恋人同士から性行為というものを強引にむしりとった。


 慈しみ合う者から性行為をふんだくるというのは非常にいい気味であった。これからふたりは俗な恋愛から足を洗って、真実の愛に向かうのだ。


 だが、龍平は相変わらず無責任で物語の続きを計算していたわけではない。これまで通り因縁のふたりの心と身体の振る舞いを忠実に描出すればふたりは間違いなくそこに行き着くのだという幻影を未だに見続けている。

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