第22話 恋愛とは性欲に詩的表現を加えただけのもの

 これまで何度か誰かを恋慕うことはあった。振り返れば大衆が口にする常識的な情熱だったと身に染みて思う。その情熱の中には純愛とは別に性欲とか独占欲とか支配欲という不純物が混じっていた。純愛と不純物の割合が同じくらいだったのではないだろうか。その混合物のことを世間では愛と銘打つのではないだろうか。


 龍平が姫奈に抱く愛とは性欲が存在しない分、純愛の濃度が取り分け高いと訴えかけた。だから他よりも優れた愛なのだと。多少の独占欲や支配欲も混ぜ合わさっていることは否定しない。嫉妬はするのだから。姫奈が他の男とお喋りをするだけでも、苛立ちもするし悔しいと催す。ましてや姫奈が自分とは別の男と性交をするなんて絶対に黙っているわけにはいかない。そんなことになったら相手の男だけに限らず姫奈すら殺してしまいたくなるかもしれないと熱っぽく語るのだ。

 

 龍平は上等な口述を並べたつもりだったが、熱意は姫奈には及んでいないようだ。


「あなたの気持ちはよく分かったわ。気持ちはね。ただ、あなたの愛というものの解釈についてはまったく納得がいかないわ。あなたは容器の中に純愛と様々な欲望が混じりあったものを愛と表現するけれど、純愛というものの存在が非常に疑わしいわ。


 容器の中に入っているものは思い遣りや慈しみ、そしてあなたのいう欲というものではないかしら。それが唯一絶対の愛というものではないかしら。あなたの語る純愛というものには性欲も独占欲も支配欲も含まれていないのでしょう。そんなものが果たして愛だといえるかしら。あなたの語る純愛というものはプラトニックラブとも違うわね。」

 

 プラトニックラブとは、肉体的な欲求を離れた精神的恋愛のことである。


「プラトニックラブには性欲が含まれていないだけで、他の欲は十二分に含まれているわ。そもそもわたしはプラトニックラブさえも否定するけどね。恋愛とは肉体的な欲求より、精神的な結合を大切にするべきですって。肉体的な繋がりを避けることで精神的な繋がりが濃くなるのですって。馬鹿げているわ。ろくなセックスをしたことがないものの戯言であるとしか思えない。


 あなたにも同じことが言えるわ。まあ、いいでしょう。あなたにはわたしがしっかりとセックスというものの素晴らしさを教えてあげるから。」

 

 龍平は性交の欲求というものを自身が姫奈に対して抱く好意より下に見ていた。欲しがるものが性的刺激以外のものであるということは姫奈にとっても悦びであろうと見做していた。少なくとも敬遠されるとは予測していなかった。


「性欲のない恋愛なんて認められないわ。恋愛とは性欲に詩的表現を加えただけのものなのだから。男であろうと女であろうと性欲はあるの。食欲や睡眠欲のない人間なんているかしら。いるでしょうね。ただ、彼らは病気なの。決して健康な人間ではないわ。


 性欲だって同じこと。持たざる者は健康であるとは言えないわ。性欲がないなんて口にする人間は、己が貧しきものであると打ち明けているだけなのよ。


 毎日草ばかり食べている人間がもう草なんて食べたくない、食欲がないと言っているようなもの。肉も魚も食べたことがないから、自分には食欲がないものだと勘違いしているだけなのよ。


 あなただってセックスのことなんてなにも知らないでしょう。童貞に毛が1本生えた程度の男なのだから。太くいきりたった陰茎を膣の奥まで差し込んで激しく腰を振り合う快感なんて想像もつかないでしょう。貧しきもの。」

 

 姫奈が熱く語るのはこれまで何度も見てきたが、怒りを顔に出すのは初めて見たかもしれない。鎮火する気配はない。さらに凄みを増して非難を続ける。


「性欲というものが人間の備えるべき欲ではないというのなら、これからの命はすべて体外授精で生み出すといいわ。そんな人間だけで創られる世界というものがどんなものになるのか想像がつかないのかしら。


 それにね。あなた、自分だけが特別な心や身体を持っているように言うけど、わたしだってあなたの身体にそんなに惹かれているわけではないのよ。わたしもあなたと一緒。性的魅力だけでいったらあなたよりずっといい男がいると思うもの。でも、安心して。心はあなたに奪われたままだから。そう言われてあなた嬉しいの?満足なの?あなたはただ配慮と知識と経験が欠如しているだけ。ただ徒にわたしを傷付けただけだということを自覚してちょうだい。」

 

 そう言われてしまっては龍平は意義を申し立てることが出来ない。雄弁に物語った自分が不甲斐ない。いつもの龍平であれば気落ちして口を噤んでしまっただろうが、今はそういうわけにはいかない。姫奈を愛おしむ意気を伝えたかったのだ。大衆の持つ恋心と比べて自身の抱える姫奈に対する愛しさの方が重みのあることを噛締めて貰いたい。それが叶うまでは引き下がるわけにはいかないのだ。指先で面皰に触れながら続けた。


 姫奈のことを死ぬほど愛している。それは言葉のあやではなく、実に姫奈の為に死ねるのだ。君の為だとなれば怖くもないし躊躇いもしない。君の楯となって死にたい。君に血が必要ならば僕の血液をすべて差し出す覚悟は出来ていると言う。

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