第6話 君と一緒の旅

 合宿初日。文芸倶楽部の全部員十名が時間通りに七号棟の前に集まった。改めて補足すると男が五人、女が五人で構成されているサークルである。今年の新入部員は龍平と姫奈だけであった。十人のうち四人は四年生である。部員の数が少な過ぎると、来年以降のサークルの存続にもかかわってくる。だからこそ新入生である龍平と姫奈はとても重宝されていた。先輩部員も龍平はともかく、姫奈との接触については十分配慮していたようだ。それほど彼女はサークル内でも自由に振る舞っていた。

 

 今日も早速部長の坂本を困らせている。例の合宿最終日の弁論会にて龍平と姫奈が同じ作品について意見を述べたてるという話である。坂本は、ううんと唸った。弁論会を通して部員達がまだよく知らない作品に目を向けて貰うというのが狙いであったのだから、取り上げられる作品は多い方が都合は良いのだ。また、同じ作品について複数の者が論評をすると論者の間にひびが生じないとも限らない。危惧はあったが坂本は姫奈の申し入れを受け容れた。

 

 八人が坂本の運転するバンに乗り、颯太ともうひとり二年生の女が颯太の運転する荷物を運搬する車に乗り込む。坂本の運転する車に乗った者は目的地である軽井沢のログハウスまでの道のりを酒を飲んだり、歌を歌ったりして陽気に過ごした。


 そこで初めて龍平は姫奈の歌声というものを聴いた。歌を歌うときの姫奈の声はいつもより、ひとつ低い音を出した。声量は大きくかなり太かった。真に厚みのある声だった。どういうことかというと小さな腹の中から生まれた声が胸で反響と凝縮されて、喉を通るときに声が摩耗されずに口から鼻から溢れだすようなのだ。


 もっとデリケートな声を出すものだと想像していた。音楽にはまったく明るくないが、抑揚のある歌い方だと驚き感心する。聴いたことのある歌もあったが、本物の歌手が歌うより姫奈の声の方が遥かに心に響くようだ。実はこれは姫奈の持つ表現力のたったひとつに過ぎないのだが。


 

 十三時頃、車は目的地のログハウスに到着した。そこは期待していたよりずっと華やかな空間だった。多くの時間を過ごすことになるだろうリビングダイニングは天井が高くて広々と感じられる。天窓がたくさんついており長い時間太陽の光を集めてくれそうな明るい部屋は温かみを感じるので、普段より一層和やかに談笑出来そうな気がした。庭にはウッドデッキが備えられており、浅間山が望める。浅間山は他の山とはどこか装いが違う。緩やかな斜面がゆったりと広がっているので、高い山というより大きな山という印象だ。高い山に比べてより雄大に見える。過去に何度も噴火した歴史があるとは思えない程に落ち着いた佇まいをしていた。


 この時期でも気温は二十度程にしかならないので屋外にいるのが心地良い。ここは標高が高いせいか、空気が澄んでいるせいか空が近くに感じられる。長く見詰めていると吸い込まれてしまいそう。空は頭上にあるものなのに、なぜか落ちてしまいそうな錯覚に陥る。夜になれば空を覆うような煌びやかな星を眺められるだろう。空気も景色も匂いや流れる時間さえも美しいこんな洒落た風情の中で五日間も姫奈と過ごせるならば龍平が浮かれないわけがない。本人にはそのつもりがなくても自ずと浮ついた所作が増えた。

 

 荷物を部屋に運び終えたらいよいよ合宿の行事が始まるのだが、それは自体はなんの色気も賑やかさもない。ひたすらに書を読んだり、それの批評を考えたりするだけだ。


 ひとりきりで取り組む者もいれば、ふたりで談笑しながら取り組む者もいる。この見事な環境にいるからこそ楽しみながら取り組める地道な仕事だ。龍平はひとりウッドデッキで羅生門を読み返すことにした。今はまだ姿を見せないがここにいれば、そのうち姫奈に呼び止めて貰えるだろうと待ち侘びた。

 

 しかし、その日は夕になっても夜になってもふたりきりになれる機会はなかった。顔が見られたのは、みなで夕食のカレーを庭で作っているときと、それを食べているときだけだった。


 ログハウスはリビングダイニングとは別にふたつの大きな部屋があり、男女が分かれて寝泊まりした。姫奈は女が寄せ集まる部屋から出て来る気配はない。どれだけ真面目に課題に取り組んでいるのだろう。今、姫奈がなにを企んでいるのかなど龍平に見込みがつくわけがない。


 翌日の昼間も食事の時間以外にふたりが顔を合わせることはなかった。龍平も真剣に課題に従事していたつもりだったが、やはり姫奈のことが気がかりで落ち着かない。

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