第5話 恋愛小説の極みはこれだという馬鹿な男

「羅生門!」


 龍平はめっぽうぶったまげたが、なぜ姫奈に自分の思案を読み取られたのかを考えても無駄なことだ。龍平より姫奈の方が一枚も二枚も上手だったとしか言えるはずがない。

「決まりね。じゃあ、そういうことで。」

 姫奈は満面の笑みを浮かべる。姫奈は余程愉しいと感じたときはいつもとは少し様子の異なる笑顔になる。口も目じりも大きく横に広げる癖があるのだ。鼻を膨らませるのも特徴だ。龍平はこの笑顔より普段の笑顔の方がよくよく好きだった。

 龍平の携帯電話が鳴った。相手は颯太でこれから合宿に持っていく荷物を車に詰め込む。大学敷地内には二十分程しか駐車が出来ないので今すぐ部室にきて手伝ってくれと言う。

 龍平は姫奈と一緒にいることは敢えて伏せておいた。そして姫奈に事情を説明して駆け足で食堂を後にした。

 龍平の姿が見えなくなるのを確認してから姫奈は声をあげて笑った。予想通りに龍平が羅生門と口にしたのが実に愉快で仕方がなかったのだろう。

 ふと龍平が食卓の上に置いていった鞄が視界に入った。鞄のファスナーは開けたままになっており、書類の束のようなものが顔を出している。これはなんだろうと姫奈は躊躇いもせず書類の束を取り出す。姫奈の好奇心とはそういう性質なのだ。束になっているのは原稿用紙。それは龍平が自作している小説の原稿であった。姫奈は身体を食堂の出入り口の方に向きなおして、おもむろにそれを読み始める。原稿用紙の最初の一行目には恋愛小説「無題」と書き込まれていた。姫奈は文章を読むのが異常に早い。四百字詰めの原稿用紙七十枚程の龍平の手書きの小説を十分程度の時間で目を通すことが出来た。その小説は完結していなかったが、おおまかなあらすじは次の通りだ。


――あるところに斗真と夏苗という幼い男女がいた。ふたりはとても仲が良かったが中学校と高等学校は別々の学校に通うことになった。そんなふたりが大学の入学式で再会する。夏苗は好意を持って斗真につきまとう。斗真も悪い気はしていない。やがてふたりは交際することになるが、その頃から徐々に夏苗の行動に異変が起こる。一度行った遊園地に何度も行きたいと言い出す。同じレストランの同じ食事を何度も食べたいと言う。

 ある日夏苗が病院に行くというので、斗真は夏苗の後をつけるがそれを気付かれてしまう。夏苗は仕方なく自分が若年性アルツハイマー型認知症を患っていることを告白する。

 病気の進行は斗真の考えていた以上に進んでおり、夏苗は自分が病気であることを斗真に伝えたことすらもすぐに忘れてしまうのだった。

 夏苗は数ヶ月後には、ひとりでは通学することすら難しい状況になっていた。入院して治療することになった。それでも夏苗は斗真を愛しているということだけは決して忘れはしないと誓う。

やがて夏苗は斗真のことを完全に認識出来なくなるが、斗真のことを「あなた」と呼び愛し続けるのだった。――


 姫奈の眼差しはいつもと変わらず冷たかった。一通りそれを読み終わると丁寧に束ねて龍平の鞄に押し込んだ。

 

 それからさらに十分後、ようやく龍平は食堂に戻ったがそこに姫奈の姿はなくなっていた。

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