第35話


 イリナ先生は闇の精霊ルーファと契約しており、相手の深層心理を読み取るという特殊な精霊術を使うことができる。


 僕はあらかじめそれを知っていた。

 だから当然、対策もしていたつもりだったのに――。


『ルーク!! ルーク!? 大丈夫か!?』


「ぐ、く……ッ!!」


『す、すまぬのじゃ!! 全力で防御したんじゃが、掻い潜られてしまった!!』


 心を読まれる感覚は、奇妙なものだった。

 自分ではない何者かの意思が僕の中に入り、まさぐっていく。得体の知れない不気味さを感じ、全身に鳥肌が立った。


『おのれ……屈辱じゃ、同じ精霊に不覚を取るとは……ッ!!』


(……大丈夫、気にしてないよ)


 嘘だ。

 本当は正気を失いそうなほど気にしている。

 冷や汗を吹き出しながら、僕は原作知識を思い出した。


 …………多分、問題ないはずだ。


 闇属性は魔法にせよ精霊術にせよ特殊なものが多い。その中でも闇の精霊ルーファが用いる《マインド・ダイブ》は、極めて異色な精霊術とされている。


 その特性上、設定資料集にはと記されていた。

 だが完璧な対策とまではいかないが、抵抗策は幾つかあるらしい。資料集によれば、高位の精霊と契約することで《マインド・ダイブ》はある程度抵抗できるとのことだ。その場合は深層心理までは読み取られることなく、表層心理くらいしか読み取られないらしい。


 僕が契約しているのは四大精霊のサラマンダーである。

 最も高位な精霊である彼女に、僕は事前に心を読む精霊術の存在を知らせ、抵抗してほしいと頼んだのだ。恐らく、このレジェンド・オブ・スピリットという世界のルールに従った範囲で、最大限の抵抗ができたはずである。


 でも――正直、ここで使ってくるとは思わなかった!!


 原作でもイリナ先生は、ルークに《マインド・ダイブ》を使う。しかしそのタイミングは今ではなく学生編の中盤辺りだ。


 念には念を入れてサラマンダーに相談しておいたが、それでも驚愕である。

 どうして僕が、イリナ先生に心を読まれるほど疑われたのか――。


「はぁ、はぁ、はぁ……うっ」


 腹から迫り上がる吐き気を、僕は咄嗟に抑えた。

 どれだけ自分に「大丈夫だ」と言い聞かせても、不安が溢れ出してしまう。


 どこまで見られた?

 どこまで知られた?


 いっそ身体を斬られた方がマシだ。心を読む精霊術は、被害を実感しにくい。

 実感がないからこそ恐怖してしまう。僕の原作知識は本当に正しかったのか? 抵抗はちゃんとできたのか……?


 いざとなれば、イリナ先生にはサラマンダーと同じように僕の協力者になってもらうしかない。

 それが難しければ、いっそ――――。


「――ルーク!!」


 エヴァが僕の名を呼んだ。

 そうだ、僕はルークだ。


 ルークは人前でこんなふうに混乱しない。

 まだ最終試験の最中であることを思い出す。


 精霊術《マインド・ダイブ》は、使。強力で特殊な精霊術であるがゆえに、強力で特殊な制限も存在している。


 僕の素顔が見抜かれたかもしれない――それは死よりも恐ろしいことだが、過ぎてしまったことは一度忘れるしかない。


 考えようによっては、もう二度と心を読まれる恐れはないのだ。

 その精神的な安堵を武器に、僕は剣を振るう。


「《ブレイズ・エッジ》ッ!!」


 イリナ先生に炎の斬撃をあて、風の上級魔法《サイクロン》の発動を中断させる。


「畳みかけるぞッ!!」


 僕が合図すると、仲間たちが一斉に攻撃魔法を放った。

 風の乱気流、土の棘、水の槌。それぞれの魔法にイリナ先生は苦しそうな顔をする。

 イリナ先生は既に限界が近いはずだが、油断するとまた先程みたいに上級魔法で一気に状況を覆されるかもしれない。


 ここで決めるしかない。

 そう判断した僕は、更に魔力を解放した。

 イリナ先生が驚愕した様子で僕を見る。


 力の温存はイリナ先生の専売特許ではないのだ。

 僕もまた、一度目の戦闘は撤退を前提としていたため余力を残していた。

 だが、ここでケリをつけると決めた以上――出し惜しむ必要はない。


『絢爛なる烈火よ!!』


「遍く災禍を斬り伏せろッ!!」


 剣に宿った炎が、鮮烈な輝きと共に膨張する。



「――《ブレイズ・セイバー》ッ!!」



 炎の大剣が、イリナ先生に直撃した。

 下から掬い上げるように放ったその斬撃は、イリナ先生を天井に叩き付ける。


 轟音と共に、凄まじい熱風が荒れ狂った。

 やがてイリナ先生は地面に落ちる。

 誰もが固唾を呑んで見守る中、イリナ先生はゆっくり立ち上がった。


「なっ!?」


「まだ、立ち上がるの……!?」


 ライオットやリズが焦燥する。

 だがそんな彼らの前で、立ち上がったイリナ先生の鎧には、ビシビシと音を立てながら亀裂が走り――。


「――最終試験、終了!!」


 鎧が割れて、中から現れたイリナ先生はそう宣言した。


「うわー、派手にぶっ壊れたわね。これもう使えないかも……」


「イ、イリナ先生!?」


 壊れた鎧を見て呟くイリナ先生に対し、受験生たちは鎧武者の正体がイリナ先生だと知って目をまん丸にしていた。


「というわけで、魔物の正体は私でした。まあ何人か気づいていたみたいだけどね」


 そう言ってイリナ先生は僕とトーマを一瞥する。

 するとトーマは僕に声を掛けてきた。


「ルークも気づいていたんだね」


「そっちこそ」


「剣筋から中身が人間であることは見抜けたからね。あとは歩幅などから体格を予想して、それがイリナ先生と一致したんだよ」


 原作知識で知っていた僕と違い、トーマはその卓越した観察眼で見抜いてみせた。

 真に才能を持つ者とは彼のことを指すのだろう。羨ましい限りだ。


「本当の最終試験の内容は、試験官である私が皆を直接見極めることだったの」


「じゃ、じゃあ宝玉を持って帰るというのは……」


「皆をこの部屋まで誘導するためだけの、偽の目的よ」


 ネタばらしをされてライオットが肩を落としていた。

 宝玉を手に入れた後、それをどうやって持ち帰るかまで僕たちは作戦を考えていた。それが水の泡になったことが悲しいのだろう。


「し、試験の結果は……どうなんですか?」


「それは私の顔で予想できるでしょ?」


 エヴァの問いかけに、イリナ先生は問いで返す。

 その顔は、どこか満足げな笑みを浮かべていた。


「皆、よく頑張ったわね。全員が勇気を振り絞り、全員が個性を発揮していた。なんといってもあの底意地の悪い――ゴホン、緻密な作戦が素晴らしかったわ。あの作戦は誰が立てたの?」


「俺だ」


 僕が声を発すると、イリナ先生は目を丸くした。


「い、意外ね。てっきり、物凄く慎重な人が考えたものだと思ったけど……」


 それはだ。

 作戦の中身から、相手の人格を予想できるのか……これからは気をつけよう。


「というわけで、最終試験の結果を発表します!! 結果は全員――――」


 イリナ先生が僕らに向かって試験の結果を告げようとする。

 しかしその時、地面が激しく揺れた。


「な、なに……!?」


「この地響きは……!?」


 受験生だけでない、イリナ先生も困惑していた。

 激しい揺れが止まった直後、地面から二つの影が飛び出る。


「な、なんだ、コイツらは!?」


「魔物、なのか……!?」


 それは彼らにとって見たことのない、不思議な外見の魔物だった。

 全身を覆う金属。身体の隙間から見える歯車やシリンダー。

 まるで機械のような魔物だった。


 ――ここからが本当の戦いだ。


 シグルス王立魔法学園の入学試験。

 僕がずっと警戒していた、そこで待ち受ける強敵とは、イリナ先生のことではない。


 突如、試験に乱入してくる……この魔物たちだ。



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