山川に望し群神に徧す、つまりは引き継ぎ手順は大切に

 春秋しゅんじゅう時代の学習形態は、はっきりとはわからない。

 君主がという家庭教師をつけているところを考えれば、大貴族は家内に嗣子しし教育を担う家臣がいた可能性は高い。

 また、これより後の孔子こうしが集団での講義をしていたところを見るに、各集落、部族にて教育者と若者というグループ学習も行われたであろう。

 さて、この控えに集まっている若者たちはけいを父に持つ。

 前述しているが、現代に即せば大臣と思えば良い。士匄しかいの父士爕ししょうは四席である。韓無忌かんむきの父である韓厥かんけつは侍従長を兼ねている。趙武ちょうぶの父は早世しているが、やはりけいであった。

 しんけいの子らがそのまま卿に任命される習慣がある。この控えの間は大臣候補――『公族大夫こうぞくたいふ』のグループ塾でもあった。

 その、宮中の一室で、最年長韓無忌かんむき以下、端然と座り他の者を待つ。椅子など無い時代である。一種のむしろのような敷布の上でそれぞれが正座をしている。たいして時間も経たぬうちに、一人の若者がしずしずと入室し、拝礼した。

「本日も良き朝にてみなさまのご尊顔拝し、喜ばしいことです」

 荀氏じゅんし嗣子しし荀偃じゅんえんである。この一族は穏やかで人の好いものが多く、少々疲れた顔の士匄しかいを気づかわしそうに見た。が、本人に直接言うのは憚られたらしい。

趙孟ちょうもう。みなさまに変わったところはございませんか」

 趙孟ちょうもうとは趙武ちょうぶあざなである。もうという字は傍系の長男のことだが、このころのちょう氏は当主になるものを趙孟と呼ぶようになっている。それはさておき、趙武ははにかむように笑んだ。

「若輩として先達に問われたことお答え致します。本日も范叔はんしゅくがお加減すぐれず、巫覡ふげきの方にご面倒をおかけいたしました。つまり、変わりはございません」

 包み隠さない趙武の答えに士匄が苦い顔をしたあと、荀偃じゅんえんを見る。その表情は少々、いじくそ悪い。

中行伯ちゅうこうはくはわたしを避け、わざわざ末席に問いをする。中行伯のすぐの下席かせき、若輩はわたしではないか。一足飛びに趙孟に聞くとは水くさい。そして本来は上席に問うべきである。このなかで最も年長上席は韓伯かんはくだ。……ど、う、し、て、顔をそらす? 中行伯」

 猫が捕まえた鼠をこづき回すような目つきで士匄は満面の笑みを浮かべた。荀偃といえば、まさにそのなぶられる鼠のようにちぢこみ、引きつった笑みで視線を泳がせた。

 士匄の個性の強さに荀偃は常に弱腰である。ゆえに、士匄を避け柔和な趙武に話を振ったのである。

 では、士匄の言う正道、韓無忌へ問わなかったのは何故か。

范叔はんしゅく。この場は政堂でなけれど、おおやけの場。私的な話にてあまり追求するはよろしくない。また、中行伯ちゅうこうはくは我らに変わったことがないかと問うた。まず場を見てそのように思うのであれば、異変を感じた部分も指し示して申し出なさい。わからず問うのであれば、はっきりわからぬと申せばよろしい。そして何かしらの世間話のつもりであれば自省を。国政を担うものが公式の場で、変わったことがないか、などあやふやな言葉を口に出すものではない」

 まるで託宣でもするような、少し遠い目をしながら、韓無忌かんむきは一刀両断した。場を考えれば、全くもって正しく、荀偃は首をすくめた。この正道を尊ぶ先達は恐ろしささえある。

 これが、韓無忌に話をもっていかなかった理由であった。中行伯ちゅうこうはくとはもちろん荀偃の字である。

 荀偃が多少きまずい顔をしつつも、一同改めて端然と座す。

 これはいずれ参席する政堂の予行である。朝政が始まるまで集まった卿は黙って君主を待つものであった。ゆえに、参内は早いに越したことはない。この控えの間でも、早く出て座り、黙って問いを議を己で考えるのも大切な勉強というわけである。

 が。

「っし! 間に合った!」

 どのような時代にも始業ギリギリに来る輩はいる。鷹揚な仕草で悪気の無い笑みを浮かべたその若者も、そうであった。

 整った甘いマスクに選民特有の傲慢さを秘めた瞳、背は高いと言えないが、バランスの取れた肢体もあり歩く姿に威風が見えた。正卿せいけい、つまりは宰相の息子である欒黶らんえんである。

 父である欒書らんしょは沈毅重厚な人柄を信頼され、大国晋を背負うに相応しい正卿とちまたで有名であるが、この欒黶らんえんはいかがか。

「今日も俺が最後か。なんじらは早い。早すぎる。まるで俺が遅れてきているようではないか」

 欒氏らんし特有の深みのある声で、誠意の欠片のない言葉を吐きながら座る。

欒伯らんぱく、何度も言っている。けいを親に持つ者が時間に余裕無く来られるのはいかがか。余裕なくば事前の備えできず、急なことに立ちゆかぬこともできる」

 韓無忌がふわりとした動きで欒黶らんえんへ顔を向け、静かに言った。欒黶は反省どころか、嘲笑を浮かべ

「早く出てきても刻限まで黙って座すのみ。暇ではないか」

 と言い放った。

 ここまでの発言でおわかりであろうが、父が沈毅重厚であれば、息子は傲慢浅慮と言わざるを得ない。ただ、とかく威張ることを恥と思わぬこの青年は、何故か

 まあ、欒黶だしな……。

 と、諦められ許されるところがあった。愛嬌に近いものであろう。

 この時も、韓無忌はそれ以上追求せずに、本日の議、学びですが、と口を開いた。

 士匄は内心おもしろくてしかたがない。堅苦しく重苦しい韓無忌より軽薄な欒黶のほうを好んでおり、もっといえば欒黶とは幼馴染みに近い。親同士の仲が良いのである。生真面目な韓無忌の前で好き勝手に振る舞う欒黶を見ていると滑稽劇のように思えてしまう。むろん、どちらに味方するか、と問われれば道理正しい先達の韓無忌である。

 その表情が静かで生真面目な先達は、本日の『議』について低い声で紡いでいた。

「いにしえの道に従われたぎょう帝は、聡明文思にての地におられたしゅん帝の徳をお認めになられ後を託された。さて、舜帝は正月元旦、文祖ぶんそ堯のびょうにて儀を行い、後を受け継がれた。舜典しゅんてんに曰く――璿璣玉衡せんきぎょくこうて以て七政しちせいひとしくす。ついに上帝に類し六宗りくそういんし山川に望し群神にへんす。五瑞ごずいあつめて月につくし、乃ちひび四岳群牧しがくぐんぼくまみえ、ずい群后ぐんこうかえす。本日はこちらにて、各人の考え、思いを述べることにしよう」

 貴族の当然として、古典故実は全て頭の中に入っている。韓無忌もよどみなく、まるで今日の新聞の一記事について語ろう、というような口調であった。そう、みな当然知っているのであるが、それにしても、である。

「……舜典とは、あのいささかふる……しぶ……えっと、古式ゆかしいですね」

 全員の思いを代弁するかのように荀偃が少し小首をかしげて言った。士匄はそのまま別の題目に変えてしまえ、と目配せしたが、無理ですよう、と荀偃も目で返す。

 この場で最も年配が韓無忌であるなら、次が荀偃である。さすがの士匄もこの荀偃を越え、意見できぬ。

「周の武王が我が晋を封じた際、夏朝かちょうの習俗を用いよとおっしゃったことから、我らは夏書かしょ禹王うおうの言葉に最も親しく、また、むろん周書しゅうしょ商書しょうしょにも親しい。しかし禹王をお認めに成られ王にされたは舜帝であり、様々なおおもとがある。古くを探せば新しきを得るとも言います。これについて深く考えるのも良いでしょう」

 つまり、今から、どうとでもとれる古い習慣を元に己の考えを述べ政見の正当性を証明せよ、というディベートをするのである。

 古代中国だけではないが、年長もしくは議長を真ん中に一つのテーマによる討論を行っている文明圏は多い。

 何でも人任せの欒黶はめんどくさそうな顔を隠さず、押しに弱くすぐにパニックを起こす荀偃は途方にくれている。趙武は密かに気合いを入れているようであった。彼は努力家であり、何事も厭うことがない。

 士匄はディベートそのものに不安はない。はっきり言えば得意中の得意である。古典故実法制国史が叩き込まれた脳みそから必要な言葉を即座に見つけて場に相応しい辞とするのは士匄の得意技である。また、相手が少しでも弱腰を見せれば、畳みかけるように抉り持論をズタズタにする。

 彼は相手の矜持を折ることに悦びを見いだしているわけではない。単に勝ちに拘りすぎてしまうのである。時おり行きすぎて余計な言葉を足してしまい、舌禍となることも、ままあったが。

「では年長の私から申し上げます。舜帝は堯帝に帝位を継ぐよう命じられても己に徳無しと辞退なされていました。しかし、璿璣玉衡せんきぎょくこうにて七つの星が天命てんめいを示されていることを知り、帝位を継がれてまつりをし、天にご報告された。天の意は絶対であり遵守ししかるべく祭祀を行いまつりごとをすべし、という貴い教えと思います」

 荀偃が口火を切った。璿璣玉衡せんきぎょくこうとはぎょくで作られた天文観測機である。星の運行が政治を表す発想も東西古代には珍しく無い。政治表明はセオリー通りにしよう、程度の主張であり、常識的かつおもしろみのない言葉であった。

 ここから、各人、見識を述べていく。

 この舜帝しゅんていの逸話は天体観測により帝位を継いだこと、それにより祖霊や山川さんせんをはじめ諸々の神に祭祀を行ったこと、諸侯を集め儀を行ったことを示している。

 これを元に様々な問答が行われたが、ここでは割愛する。簡単に言えば、煩雑かつ無味乾燥だからである。

「天は我らの思いを汲み取るなどは本来行いません。ただ示すのみです。しかし、舜帝に対してはその迷いを汲み取られ示されたように思えます。これは舜帝が賢人であり、天のめいが強く降りたことを指し示したのではないでしょうか。天は時にそのようなことをなされる。滅ぼうとしていた趙氏ちょうしが復権し私がここにいるのも、示されたと言うよりなにか汲み取って頂いた心地がいたします」

 幾度かの論の末に趙武が柔らかい声音で言った。

 詳細は省くが、趙氏は先代にて誅戮の憂き目にあっている。が、結局遺児である趙武の元、再び威勢を取り戻しつつあった。

 そのような趙武に士匄が首を振る。

「天は恣意しい的に手を差し伸べぬ。趙氏が不幸にも族滅しかけたも、お前が再びその責を背負うことができたも、天がただ示しただけだ。舜帝しゅんていに対してもただ示したのみであり、堯帝ぎょうていから帝位を受け取った時すでに覚悟があったのだ。ただ、謙譲を強く任じておられたゆえ、天命明らかになるまで慎み深く隠されておられたのであろう。天の示しに人はただ受け取り約することしかできぬ。そしてこの話は、約定の大切さを物語っている。帝位を受け継ぎ、祖霊への報告はもちろんであるが、堯帝から山川、諸々の神を受け継ぐに祀りを以て約している。また、ずいを集め最後に返しているとは、諸侯より証の玉を一度集めちかったあとに返すことにより、君臣の約をなされたことを記している。堯の時代から今にいたるまで、国と国、土地と土地、約定とそれに即した祀りがある。天はただ見るのみ、その威を示し人の往き道を見定めるのみ、だ。舜帝は堯帝に託されぬでも天が既にその王道を星により示していたのだ。趙氏の興亡と隆興も天あるかぎり昔から示されていたと思え。天に道ありとも慈愛は無い」

 やたら難しい言葉を並べ立て、天への宗教観を二人で言い合ったように思えるであろう。が、これは一種の運命論に近い。

 趙武は運命というものは良い行い憐れみへの対象に優しさを感じる、という旨を言った。もっといえば天の采配は流動的という発想である。

 が、士匄は天は時の流れと同じく平等無情であり、舜帝がそのような人生であることを知らせただけ、趙氏が滅びることがなかったのも、元々そう決まっていた、という反論である。

 実際、この時代において天は何かをしてくれる信仰対象ではない。ただ、人が勝手に崇めている、というていであった。その上で

「天の元で行われる約と盟こそが世のかなめ

 と主張したのである。それを最後まで聞いた欒黶らんえんが、からりと笑った。

范叔はんしゅくの体質も天の采配、定められたものというわけか。祖の戒めでも祟りでもなんでもなく、士氏の嗣子は雑多なにモテモテになるよう約されるとは天もなかなか味わい深い」

 荀偃がぶっと吹きだし、笑いを堪えようとしてさらに吹きだした。趙武は堪えることなど最初から放棄し、突っ伏してひぐひぐと笑っている。言い出した欒黶は上手いこと言った、と得意げな笑みを浮かべていた。韓無忌だけが身じろぎしていなかったが、口はしが少々引きつっているところを見ると密かに笑っているようだった。韓無忌の父はこのようなことでも笑うことのない、表情の薄すぎる人間味のない男なのだが、息子はまだ未熟らしい。士匄は不愉快極まり無い顔でみなを睨んだ後、

「……天の命であらば、死ぬまでつきあう所存であるが、胸くそ悪い。くそ笑うな、便利なのは放った矢を持ち帰ってくるが憑いた時だけだ!」

 と忌々しそうに怒鳴った。とうとう、韓無忌さえも我慢できず、声を立てて、笑った。

「あ、あは、あはは! 范叔! あなたはとても頭の回転よく弁も立つのに、どうしてそう……脇が甘いんです、だめ無理おもろい」

 趙武がつっぷしながら床をバンバンと叩き、笑い続けるため、士匄は先達として近づき、その頭にチョップした。

「……みな、心を静かに。どのようなことでも心を荒立ててはならないという意味では良い議になったと思う。そして、范叔の言うとおり、約定とちかいは大切です。国と国、人と人だけではない。山川、神々、土地。全てに対して我らは約定と盟いをし治める責務がある。どのような細かいことに思えてもおろそかにすれば天が見放し、我らの立つ地は崩れるでしょう。そろそろ、朝政ちょうせいが終わり卿の方々が政堂から出られる時間です。公族大夫の責務、お父上が卿の方々はお出迎えを。趙孟は私とともに来られよ」

 韓無忌の言葉に趙武が拝礼した。年若い趙武の後見人は韓厥である。韓厥自身は幼い頃に趙氏にて養育されていた。この二族はその意味で近い。

 寺人じじんがやってきて、韓無忌に杖を渡した。立ち上がる韓無忌に趙武が素早く手を沿える。彼は疾病に侵されており、そのため弱視に近い。ゆえに、会話のはしばしで遠い目をするような顔をしていたのである。

 一度立ち上がると、杖を使っているとは言え堂々と歩いて行くのは彼の研鑽なのであろう。その才、人格を評されているだけに、惜しい嗣子よ、と言われている。

 さて、士匄は欒黶を捕まえ、

欒伯らんぱく。このあと、わたしの邸に来ぬか。お前と弓を競いたい」

 と少し食い気味に言った。欒黶、あざなは欒伯はあまり頭はよろしくないが、だからといって鈍いというわけではない。

「なんだ。また憑かれまくっているのか」

 宮城と自邸を往き来するだけで変なものが寄ってきているのか、という問いである。士匄は図星をつかれ、苦い顔をしながら頷いた。

「お前といると、寄ってこないからな。いいなあ、お前は! 泥のような空気の中でもピンピンしているからな!」

「そりゃあ、俺の人徳というものだ、なんじとは違う」

 人徳という言葉からほど遠い、甘やかされて育ったぼんぼんがうそぶいた。

 欒黶は士匄と真逆の、全く憑かれない男であり、もっと言えば強運の人間である。士匄は運が悪いわけでは無いが、凶を呼び寄せれば多少その日の卦も悪い。他の者も士匄ほどではないが、何かしらの怪異に会わぬわけでもない。が、欒黶は違う。雑多な幽霊怪異などはじき飛ばし、不祥漂う空気も全く気づかない。

 そうして他者を守る、などがあればよかったが、雑多な霊ていどならともかく、凶悪極まり無い場など共にいれば、欒黶以外が倒れるはめになる。日常でも非日常でも、空気を全く読まぬ男であった。

 二人は父どころか祖父も卿であり、それぞれ才や真面目さで代々人望があるのだが、息子二人に重厚さも真面目さも見受けられぬ。さて。彼らがこの大国を治められるかはともかく、目下の問題は士匄がやたら霊に憑かれたり寄られる最近である。

「まじないをしても祓っても憑いてくる。祟りか呪いか知らんが、何故わたしだけだ。わたしだけ辛いのは許せん、みな同じように苦しむべきだろう」

 欒黶に後ろから覆い被さるように体重を預けその頭に顎を乗せながら口を尖らせた。士匄は背が高い。欒黶はそこそこ低い。子供の頃からの慣れか欒黶は文句を言わぬ。

「みなが苦しんでも俺は関係ないから、まあ好きにそんな祝詞でも作ってろ。さっさと行くぞ、遅れると父上はうるさい」

 ああわたしの父もうるせえな、と士匄は返し、廊下を二人で歩き出した。

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