青春怪異譚〜傲岸不遜な公族大夫の日常
はに丸
因果応報、春の祟り
プロローグ、始まりは肝心よ
某月某日。
重い呪いの念に巻き付けられながら、
「
士匄は強い力で押さえつけられ、体を、特に足 を固定される。押さえつけてくるのが人なのかそうでないのか、わからぬ。ぎ、と喉奥から呻くように奇声をあげた。
「う、嘘でしょう、あ、」
あまりの惨劇を目の当たりにし、
「がああああああああああああああああっ」
全て落ち、
「うそ、うそです、なに、こ、れ」
響きわたる士匄の叫び声に趙武は首を振りながら、両耳を手で押さえた。
昔話をしよう。ユーラシア大陸東アジア、今は山西省に
この時代、
「わたしが新たな
彼は父親の
「
厳父と言って良い士爕は苦々しくにらむ。どうも、この息子は耐えると言うことを知らぬ。
「親に対する意をお許しを。わたしがわざわざ行うことでもありますまい。だいたい父上は、この
堪え忍ぶということをバカバカしいと思っている士匄は、ずけずけとストレートに言い切った。親に対する謙譲もくそもない言葉遣いである。
まず、親の
最初に、親に意見します許してください、と挨拶しただけマシと言えるかどうか、というレベルであった。士爕が眩暈を起こしたいほど怒りを覚えたのは言うまでも無い。
しかし、士爕は忍耐力と自制心に優れた男であった。瞬間の怒声をおしこめ、静かに重い声で
「
と返した。
士匄の言うとおり、この
建前上、この黄河流域一帯を治めるのは
確かに、その経緯は責を持つ士爕が知ればよく、小僧ごときは知らぬで良いことではある。
「父上。わたしは
前半は正論、後半は憎まれ口という名の甘えの極地である。士爕が士匄を表情無く殴りつけた。士匄はわかってやったことであり、文句一つ言わずに姿勢を正した。そうなれば、儀礼正しい青年そのものとなる。やれば
「汝の言うとおり、周の大夫は我が士氏とよしみを通じたい本音を隠し、口では善意で、晋の邑近く周には飛び地であるため譲りたいとおっしゃられた。むろん、私は断った。我らは武に長じ
そう。士爕は敢然と断ったのである。謙譲と私欲の無さも有名な、いわば賢臣である。周の貴族が秘密裏に賄賂を送ってきたことも苦々しいというのに、それが
「しかし、食いつかれた。というところでしょうか」
士爕を揶揄することなく、口を出した士匄に、士爕は苦い顔を向けたが頷いた。問題の貴族は諦めなかった。
周都には各国の情報が集まる。
士の一族は法制の家であり、正道を歩み謙譲に溢れ欲が無い。
しかし、士の一族はきっちり領地を広げている、処世の家でもある。
本当に無欲であれば大きな威勢など持ちようが無い、というわけだ。このあたり、周は衰えても王都であり、その貴族たちも老練さがある。晋という国は質実な軍事大国であり、この手のいやらしさに染まるのはもうすこし後であった。
何度も粘られているうちに、士爕は折れた。
「食いつかれすぎた。これは父の不覚、浅さであった。
この時期、晋には大きな争いは無いが、君主と卿らの間で政治権の綱引きが静かに行われている。小さな傷が大きな乱を起こす可能性もおおいにあった。
それをにおわせながら、士爕が深い声で再度、行け、と命じてきた。ただ賄賂を受け取るだけではなく、もっと重い物を背負え、と言われた気がして、士匄は承りました、と拝礼した。
とまあ、その時は父上ごもっとも、と思ってしまったんだよなあ
と、士匄は国都より離れた
「このようなこと、
邑の門を抜け、士匄は舌打ちをした。が、考え直す。士爕は受け渡しだけを命じたが、これは周の貴族と士匄が個人的に繋がるチャンスでもあった。士爕が心底嫌がった発想である。が、力を失ったとはいえ周の余光は使い勝手が良い。士匄は俄然機嫌がよくなった。
付き従っている家臣たちは特に驚かない。この若者は頭の回転が速く勘が鋭すぎるせいか、感情が生のままで出る場合が多い。しかも、極めて楽観的であり、己の良い方向へ物事を解釈する。きっと今回もそれであろうと思ったのだ。
歓待と引き渡しの
「この度は我が邑の
貴族が儀に則って生け贄である羊の血を唇に塗って言った。そうして、同じ文言が書かれた竹簡を渡してくる。士匄も同じように唇に血を塗って口を開く。
「この度、邑の祀りを承り恐悦至極に存じます。わたしの祖は
その時である。
「ここは、我が地である!」
みすぼらしく、
「このものは」
士匄はするどい声で聞いた。周の貴族は困惑した顔をする。
「時々来てはこのようなことを叫ぶ狂人です。我らもほとほと困っている。邑人どもも、迷惑をしているのだ」
軽く目配せすると、士匄は傍に控えている己の家臣に
「斬れ」
と端的に言った。家臣どもは逡巡せずにみなでなで斬った。士匄がなさなかったのは、帯剣していないからである。この当時、剣は
男はあっさりと斬られた。薄汚れた麻衣に血が広がっていく。そこからの士匄は常軌を逸していた。その死骸を邑の外へ持ちだそうとした家臣どもに
「生け贄と一緒に放り込め」
と言ったのである。神聖な儀に不浄不祥な狂人の死体など、と家臣たちもさすがに抗弁し、周人たちも息を飲んだ。業を煮やした士匄は、その汚らしい死体を奪い引きずりながら運ぶと、坑の中に蹴り落とした。どう、と底に落ちた死体の上に生け贄を降ろさせ、玉璧を置く。
「古来、人の贄こそが最も
鼻を鳴らし、埋められていく地を見ながら士匄は
家臣どもは蒼白になりその様子を伺った。これはさすがに、主である士爕に言上せねばならぬであろう、とも思った。
「父上には言うな。あの方は少々心配性。めんどくさい」
士匄はだれた仕草をしながら家臣たちを睨み付ける。この
法を犯した
と責められ、下手すれば罰をくらう。結局、この
「しかし、お前たちの働きは良き。素早く、鮮やかであった。今日は邑にて宴席であるが、おまえ達も侍って良い。思う存分肉を食え」
心底労る顔で、士匄は家臣どもに笑んだ。彼らは下役であり、肉などめったにありつけぬ。お心遣いありがとうございます、と丁寧に、喜色を隠さず拝礼した。士匄は傲岸であるが、傲慢ではない。このようなところで、妙なかわいげがあった。
さて、宴席もその際の儀礼も省略する。士匄はこの周の貴族に個人的な友誼を結ぶと――半ば強引にせまったのである――無事役目を終えて帰った。帰る最中、襤褸の男を斬った家臣どもが川に落ちたり落石で潰されたり食中毒で死んだりとしたが、士匄は運が悪い奴らだなあ、という程度で何も思わなかった。
士匄にとって、まあめんどくさい仕事が終わって一段落、であったが、数日経って体が重い、頭が痛い、などの症状が出だした。理由は明白であった。
「今日も、祓え」
士氏に仕える
「このところ、毎日ではございませぬか。体質とはいえ、何か不祥なことをなされたのでは」
言われ、士匄は考えるが心当たりがない。
「わからん。続くようなら先達に相談もしよう。とりあえず出る。父より後に出仕すれば、殴られかねん」
年功序列、謙譲と孝、そして己への戒めに厳しい父親である。子は親より先に宮城に出て控えることが肝要。士匄は、それは正しいながらも少々堅苦しいと思いながら、首をコキコキと鳴らしたあと、うんざりした顔で家を出た。
若い大夫の控え室に来た士匄を見て、憐れみ少々蔑んだ顔をしたのは、後輩の
「ちょっと。
「祓っては憑いてくる。これでも道すがらかなりどけたのだ。宮城に入ればさすがに増えぬが、これ以上落ちん」
と、憮然とした顔を表し座した。
最も早く控えていた
ここ数日、士匄は雑多な幽霊に取り憑かれる毎日である。元々、憑かれやすい体質であるため、いつものことと当初は軽く見ていたが、こうも多く寄ってくるのは異常であった。
「何か心当たりは無いのですか? 対症療法に祓うだけでは意味がありません。きちんと原因を究明したほうが良いです。私も見ていて不快です」
見た目によらず、趙武ははっきりと言った。これは趙武が非礼無遠慮というわけではない。そのくらい、士匄の状況が周囲にも迷惑なのである。凶に触れれば凶になる。それが古代の考え方でもある。
「知らん。はっきり言おう。呪われる心当たりなど、多すぎてわからん。呪うようなものどもは卑しく逆恨みをする。我が家、わたし含めそのようなことはあるであろう」
士匄は苦虫を噛み潰したような顔をして、言った。
さて。読者のかたはお察しであろう。原因は先日の、冒涜的ともいえる儀式である。が、この真相に彼らが気づくまで、しばしお待ち頂きたい。
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