episode1 素晴らしい朝と向日葵


「はいどーん!!」


 俺の意識を覚醒させたのは、そんな明るい声と、体全体に襲い掛かる暴力的なまでに柔らかさ。

 そして、甘ったるい女性特有の匂いだった。俺は今、誰かにのしかかられている。

 ……いや、"誰か"の検討はついているのだが。


日葵ひまりさん……俺まだ眠い、つか重い……。」


「お、おもっ!?女の子になんてこ───」


 俺にのしかかっているであろう彼女の名を呼んだ俺は、彼女が言葉を紡ぎ終えるより早く、閉じた瞼をすり抜けてくる朝の光を払いのけるように体をよじった。


「のわー!」みたいな声と共に温かい重みが体を捩った方向に飛んで行ったが、そんなことは気にしない。

 眼前の脅威に打ち勝った俺は、微睡の世界に旅立ちたいと願うおのが本能に従い、再び全身の力を抜く。

 少しづつ、意識が闇の中に落ちていき…………。



「二っ回目のどーん!!」


「ぐっふっ…………」


 またもや体全体に柔らかい重さを感じて、俺はしぶしぶ目を開けた。

 目の前には、山吹やまぶき色のインナーカラーが入った栗色のセミロングに琥珀色のぱっちりした目を持つ端正な大学生、朝吹日葵あさぶきひまりの顔があった。

 のしかかる体勢から今度は馬乗りになった彼女は、俺を逃がさないようにがっしりと俺の両肩を掴んでいた。


「おはようなつめくん。こんなに可愛くて綺麗な現役JDに対して重いってどういうことかな?ん?」


 日葵さんはにっこりと威圧的な笑みを浮かべながらそう言うが、瞳の奥は悪戯っぽく輝いている。

 完全に遊ばれているなと確信した俺は、「おはよう日葵さん」と返した後、少し意地悪をしてやることにした。


「"可愛い"現役女子大生を自称するにはちょっと重いぞ。もう少しダイエットしたほうがいいんじゃな――」


 言い終わる前に日葵さんの拳が鳩尾に入った。

 痛みを感じるよりも先に息苦しさが俺を襲う。


「ぅごほぉッ!げほっ、えっほぇっほッ……ちょ、ちょっと待って日葵さん……今のは洒落にならない……。」


「大丈夫だよ棗くん。このくらいじゃ死なないから。」


 いや、なんで死ぬか否かで物事考えてんの?痛みとか怪我とかそういうの考慮できないの?

 そう言ってやろうと日葵さんの目を見る。


「…………んー?」


 駄目だ。さっきまでの悪戯っ子な目じゃない。ガチだ。

 こういう時でもボケをかませるくらいの気概があればいいのだが、生憎俺にはそんなもの無い。


「すまんかった日葵さん。冗談抜きで今のは危なかった。マジで。ごめん、許して。」


 潔く(?)降参することにした。


「うんうん。わかってくれたようでなによりだよ。次言ったら本気でやるからね?」


「ぁい、わかったよ…………」


 あれで本気じゃないとか、腕力に可愛さのかけらもない。可愛いJDどこいったんだよ……。

 口には出さないものの、そう思いながら、日葵さんが俺の上から退くのを待つ。


「…………。」


「……………?」


 少し体を捩るも、先ほどのように上手く動いてくれない。

 のしかかってくる分には大した質量でもないため、そのまま退かせるものだと思っていたが、先ほどとは違って一切動く感じがしない。


「…………………。」


「……………………?」


 まだ日葵さんが俺から降りる様子がない。体勢を変えてくれる様子もない。

 馬乗りで俺の肩をがっちりつかんだまま。マウントポジションを取られている状態のまま。


「…………。」


 なにか嫌な予感がする。


「……ところで日葵さん。今日始業式なんだ。起こしてもらったのはすごく嬉しい、けど。そろそろ支度しないといけないなーって思ってたり…………するわけでさ?」


 俺は日葵さんに退いてもらおうと口を開く。しかし、日葵さんはそんな俺の言葉に一切反応せず、ただ微笑むばかり。


「あの、日葵さ「私、太ってはないんだよ?」


 日葵さんは、俺の言葉を遮るようにして言葉を発した。そんなのはわかってる。実際そんなに重いわけでもないし。


「だから、重いと感じるのは、胸とかお尻に肉がついてるせいだと思うんだよね。スタイルがいいともいうかも。そうだよね?」


「あ、あぁ……それはあるかもな。」


 要領を得ないまま、とりあえず相槌を打ちながら視線を下に落とす。確かにそこには二つの大きな膨らみがあった。

 さっきダイエットがどうとか言ったが、正直そんなものは必要ないくらい日葵さんのスタイルは良い。

 モデルのようにスラリとしたスタイルというわけではないが、出るところがしっかり出ている。

 身長だって女子の平均よりも少し高いくらいだから、BMIとかでみれば、平均か、むしろ痩せ型なくらいかもしれない。


「でも棗くんはダイエットが必要って言ったよね。それってやっぱり胸の分太く見えるだけだと思うんだ。私。」


 まずい、思ったより怒らせたみたいだ。


「いや────!?」


 やはりそんな言葉を俺が発するいとまもなく、日葵さんは自分の腕を俺の首の後ろに回してきたと思うと、少しづつその恵体を密着させてきた。


「私、重くないと思うんだ。棗くんの勘違いだと思うんだよ。」


 俺のスウェットと、彼女のパーカーを挟んでもなお、柔らかい"ソレ"の感触が伝わってきたことで心拍数が急激に上昇する。


「ちょ、ひ、日葵さん!?」


 俺は慌てて体を離そうとするも、日葵さんは俺を逃がさないようさらに強く抱きついてきて、顔を俺の顔のすぐ横に寄せた。

 耳元で囁かれる息遣いがくすぐったい。


「今、一番重量を感じる場所は?」


「あー……。」


 こうなると俺はもう彼女の望む発言をするしかない。もとより少しふざけただけで本心ではなかったのだが。


「……胸部。」


「私の腰回り。太い?」


「……細い。」


「日葵さんはー?」


「……スタイルが良くて可愛い。」


「この状況で一言。」


「……めっちゃ軽い。細い。可愛い。天使。」


「よろしい。」


 そう言って、日葵さんは俺から離れてくれた。

 俺はドクドクと脈打つ心臓を押さえながら上半身を起こす。

 微睡の世界に旅立ちたいなどと抜かしていた数分前の俺は、もうどこかに吹き飛んでいた。


「よし!じゃ、早く降りてきてね!由里ゆりがご飯作ってくれてるよ!」


 元気にそう言い残して部屋を出て行く日葵さん。しかしおちょくるのにしたって切り替えが早い。そして一撃が強すぎる。


 扉が閉まる音が聞こえたあと、一応スマホで時間を確認するも、俺が家を出るまではまだ1時間以上あった。


「朝からあの姉友は………!」


 俺はそう呟きながら、再びベッドに倒れ込んでみるも、仄かに嗅覚を刺激する日葵さんの甘い匂いで思わず飛び上がってしまう。


 ……ああくそ。こういうのは精神衛生上とてもよろしくない。

 いくら幼少期から付き合いがあるとはいえ、俺が健全な男子高校生だということを忘れないでほしい。

 切にそう願いつつ、俺は制服に着替えるのだった。

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