短編 孤独の授業

佐城 明

孤独の授業

 一人になったのが何日前だったのか。或いは何ヶ月前、何年前?

 もうはっきり思い出すこともできない。







 妙にぐっすり寝たような気がする。


 うつらうつらとしたまま時計を見ると、どうりで、普段ならもう家の外にいる時間帯だ。


 あれ? 今日は休日だっけ?


 寝ぼけ頭で考えてみるが、僕の時計は曜日も表示されるデジタルタイプ。

 どう見ても平日である。


「なんで!? どうして誰も起こしてくれないんだよ!」


 布団を跳ね飛ばしドタドタとリビングに駆け込むが、誰もいない。


 状況が分からず、息をのむように全身の動きが停止してしまった。

 あまりの静寂に耳の奥に圧迫感すら覚える。


 何か特別な用事があって家族は全員出かけてしまったのだろうか?

 それにしては書き置きもなく、鍵すら閉まっていないのだけれど。


 わけも分からないまま学校に向かって走り出した。

 けれど、道中で誰ともすれ違わない。


 学校についても誰一人、生徒も教師も見当たらなかった。

 たまらず、学校を飛び出す。


 町を走り回っても無人。

 ネットも電話も不通。

 猫の一匹すら目にしない。

 

 走り疲れてとぼとぼと家に帰る。

 グ~っと音が鳴って、お腹が減っていることにやっと気がついた。


 冷蔵庫の中身を適当にフライパンにぶちまけたモノを食べた後、ベッドに潜り込む。


「明日からどうしよう?」


 不思議と、冷静にそんなことを考えていた。

 あまりに突然こんなことになったからなのか、パニックに陥ることすら難しいのかもしれない。


 今の状態が嬉しいのか悲しいのかすらよく分からなかった。




 次の日も家の中は静かなままだ。

 あれだけ煩わしく思えていた母の怒声も、妹の五月蠅い声も、父親がテレビを見ている雑音すら聞こえてこない。


 習慣に任せて今日も学校に向かったけれど、やっぱり誰もいやしなかった。


 職員室から鍵を持ち出して屋上に出てみると、気持ちのいい快晴を背景にビルの群れが見える。


 車の音なんかはまったく聞こえない。まるで街そのものが死んでしまったみたいだ。


「そっか、世界にはもう誰もいないのか」


 なぜだか、ふと確信できてしまった。


 僕だけがここにいる。

 自分だけが一人世界に残されたのだ。


 もうクラスの連中と付き合う必要もないし、ネットの繋がりを気にする意味もない。

 将来のことを考えなければいけない、なんてことも、ない。


 分かった瞬間に頭の奥で何かが弾けて、胸がすーっと軽くなった気がした。


 尻ポケットに入っていた薄っぺらい板を取り出す。

 こんな物はもう必要ない。


「バイバイ」

『何かご用でしょうか?』

「ないよ、もう」


 板を放り投げると青空に大きな放物線を描いて、数秒後に小さくカシャンと音が響く。

 無性に笑いがこみ上げてきて、久しぶりに涙がでるほど笑った。




「そうだ、旅に出よう」


 元からここじゃないどこかに憧れていたのだ。

 今なら好きな場所に自由に行けるじゃないか。


「どこかにまだ人がいるかもしれないしな」


 人じゃなくてもいい。知らない場所にいけば何かが見つかる気がした。


 家の机に『旅行に行ってきます』という書き置きを残して、自転車に跨がる。


 堂々と道路の真ん中を走っていると世界が自分だけの物になったようで、ペダルを踏み込む足が軽くなった気がした。

 

 道路には自動車も沢山放置されていたけれど、どれも中は空っぽだ。

 大きな虫の死骸を連想してしまい少し気持ち悪かった。


 疲れたらホームセンターで買ったテントを立てて休む。

 町の灯が消えて真っ暗だからか星が沢山見えた。


「人間がいないとこんなに綺麗に見えるんだ」


 やっぱり人間なんていないほうが良かったのかもしれない。


 一人ぼっちでたき火をしていると、揺れる炎を眺めているだけで心が安らぐ。

 こんな気持ち、こんな世界になるまで知ることはできなかっただろう。


 移動を続けて、他の町に着いたらスーパーなんかで食べ物を手に入れたりする。

 しばらくはお金を払っていたけれど、居もしない誰かに代金を払うような真似が馬鹿らしくなってある日財布ごと捨ててしまった。


 泊まる場所も高級ホテルでいい。

 何泊かして飽きたら次の町へ出発するのだ。


 ただただ走って、景色が変わっていくことが楽しくて。

 世界はこんなにも広かったのかと実感できた。


 ただ移動するだけじゃない。今の僕にはどんな物でも手にはいる。

 欲しい物があったら好きな店に入って持って帰れば良い。


 自由だ。

 やっと僕は自由になれたんだ。


 ――けれど、四度目か五度目の町あたりからだっただろうか? 


 心の中にじわりと疑問が湧いて出た。


「全部の街を回りきったら、その後どうしたらいいんだろう?」


 疑問を抱いてから景色が変わりはじめた。


 最初は綺麗だと思っていた満天の星も、最近は穴だらけになった黒い画用紙にしか見えなくなってきて。

 知らない場所はいくらでもあるはずなのに、どこまでいっても同じような景色の繰り返しに見えてくる。


 自由って、自由になった後に何が? どうすれば、いいんだろう。

 






 種が木になるほどの時間が過ぎた、ある日。


 唐突に呟いた。


「そうだ、帰ろう」


 生まれ育った場所に帰りたくなったのだ。

 全ての街を回りきるまでもなく、旅の終焉はあっけなく訪れた。


 旅の途中からはなんとなく電車の線路に沿って移動してきたから、辿れば戻れるかもしれない。


 線路の上を自転車で走ると段差が腰に響くので、乗り捨てて歩き出した。

 ゆっくりでもいい。どうせ誰も何も待ってはいないのだから。


 途中、足が痛くなってきたので通りかかった駅のホームで椅子に座り込んだ。


「歩きすぎたかな」


 靴を脱いでみると少しだけ皮がむけていた。

 絆創膏を貼っていると、近くの電光掲示板に文字が灯る。


 行き先には、懐かしい地名。


「ちょうどいい」


 ほんの少し待っていると電車が静かに滑り込んでくる。


 重たい体を引きずるように扉の前に持って行くと、ぷしゅーっと間の抜けた音が響いた。


 当然のように中には誰も乗っていない。


 椅子に腰掛けると窓の外は真っ暗だった。

 吸い込まれそうなほどの闇が延々と大地を覆い尽くして、空だけがやたらにチカチカしている。


 何万年も前の光の集合体を一人見ていると思うとなんだか恐ろしくて、逃げるように目を閉じた。







 目を覚ますと電車は止まっていて、扉も開いたままになっていた。


 乗っている間はどうしてか気が付かなかったが、何十年もここに放置されていたみたいに電車の中は埃まみれでシートもボロボロだ。


 外に出ると、覚えのある空気が香ってくる。


「懐かしいなぁ」


 日に照らされた故郷は緑や錆に覆われて変わり果てた姿を見せている。

 けれど、やっぱりここは僕にとって最後に帰るべき場所だったのだろう。


 建物の中を覗き込むとセピア色のフィルターがかかったようにどこも古ぼけていた。

 途中、よく買い物をしたコンビニを見かけてふらりと立ち寄る。


 自動ドアは静かに開いて出迎えてくれた。

 店内は眩しいくらいに明るく、綺麗に並んでいる商品からクリームパンと炭酸ジュースを選んで店を出る。


 町をうろうろと彷徨って、家に到着した時にはもう夕方だった。


「ただいま」


 リビングに入ると机の上にいつかの書き置きを見つけた。

 紙を握り絞めてぐしゃぐしゃと丸めて放り投げた後、椅子に座ってパンを食べ始める。


 やたらと喉につっかえるのでジュースで必死に流し込んだ。

 パンもろくに飲み込めないとは、歳のせいだろうか?


「あぁ、なんだ。どうりで」


 机には頬から伝った水滴がポタポタと落ちていた。


「喉が窮屈だったわけだ」


 なんとか食べきってから、自分のベッドに潜り込んで、寝た。




 次の日は学校に向かった。


 校舎の周りを探すと、小さな板が落ちている。

 ヒビ割れたソレを手に取った。


「やぁ。久しぶり」

『何かご用でしょうか?』

「どうしたら、いいのかな?」

『質問の意図が分かりかねます』

「そうだろうね」


 不意に板は掌の中でぐずりと崩れて落ちる。

 残骸に手を伸ばしかけて、やめた。


 学校から出ると、今度は町で一番高いビルを目指して歩き出す。


 近づくとビルはボロボロで所々木が窓ガラスを突き破って生えている有様だったが、中に入り階段で上へと登り出した。

 植物に浸食された高層ビルを進むのはまるで山登りだ。背中にはいつも背負っていたキャンプ道具があるから本当に登山のように感じる。


 それでも息を切らしながら上に上にと登り続けた。




「夕焼けか。今日もまた終わるなぁ」


 ため息交じりに言葉を吐き出した。


 ビルの屋上でたき火をしながらコーヒーを淹れて一休みしていたのだが、そのうちに日が落ちてきたのだ。

 斜陽のあかね色が辺り一面の景色を覆い尽くして、憎たらしいくらいの美景が広がっている。


 巨大な墓標の群れ。彼らに絡みつき居場所を取って代わろうとする植物たち。

 この退廃を写す瞳を備えているのはたった一人だけ。


 間違いなく、そこに広がっているのは世界の黄昏だった。


 地平の果てへ刻一刻と消えていく太陽を眺めていると、膨れ上がるような焦燥が胸の中を掻きむしってくる。


 今日が終わってまた明日が来るのが怖くてたまらない。

 夜空に一人ぼっちで浮かぶ月を見るのが嫌で仕方がない。


「随分、くたびれたよなぁ」


 言葉は寒々しく響いて誰の心にも届かなかった。

 証拠に、自分自身の涙すら流れやしない。


 ゆっくりと屋上の端っこへ進む。四苦八苦しながらフェンスも乗り越える。


 何にも守られていないビルの縁に体を晒すと、とても久しぶりに胸の中に高揚感が戻ってきた気がする。

 未知への憧れ。自由への逃走。これが最後の。


「あぁ……長かった」


 世界は真っ暗になった。







「はい。これで教材は終了です」


 教師の抑揚のない声が耳に届いて、目の前がぱっと明るくなった。

 同時に、周りの同級生たちのざわざわする声があちこちから聞こえてくる。


「道徳の特別授業はこれで終了です。皆さんが体験したのはまだ人間同士が直接コミュニケーションすることが多かった時代を元に構成した脳内シミュレーションですが、その中でどんな体験をし、どんなことを感じたのか? 後日レポートを感想文と一緒に提出すること」


 教師の姿が失せてから、頭に装着されていたリモート授業用の脳干渉型ヘッドセットを外した。すると同級生たちの姿も掻き消える。


 僕は一人、机に向かって課題の内容に頭を捻るのだった。




 翌日、提出した感想文とレポートが返却された。


『一人だと答えにたどり着くまでの効率が悪いと思った。次はもっと早く終わりにしたい』


 そう書かれた文に×印がついていて、赤い文字が書き加えられていた。


『模範的な回答からの誤差が許容範囲を超えているため、補習授業を行います』


 やれやれ、教師用といえどやっぱりAIには人間の機微が分からないらしい。


 嘆息した後、僕は同級生がどんな答えを書いたのか聞くためにヘッドセットを被った。

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