【File2】黒津神社②

 【01】悪魔


 それは、木曜日の放課後。

 県庁所在地の駅前にあるファミリーレストランだった。

 薫は隣に座る実姉の顔色をこっそりとうかがう。

 姉の茅野循はたっぷりと甘くしたアイス珈琲コーヒーを静かにすすっていた。その表情は一見すると平静だったが、この日の姉はどこかけんのんな雰囲気をまとっているように感じられた。衣装も喪服のような漆黒のワンピースである。

「何かしら……?」

 どうやら、視線に気がつかれたらしい。

「いや、別に」

 辛うじて、その短い言葉を発して誤魔化し、グラスの中のオレンジジュースを口に含む。

 よく薫の友人たちは『あんな美人でおっぱいのでかいねーちゃんと一緒に暮らせるなんてうらやましい』などとやっかむが、そんなものは本人からしたら、彼女の本質を知らないから口にできるれ言にすぎなかった。

 茅野薫にとって、姉の循は率直に言って

 大抵の人がまゆをひそめるような悪趣味なものばかりに興味を持ち、何を考えているのかさっぱり解らない。

 その癖、他者の心理を読み取る事にけ、恐ろしく頭の回転が早い。も角、何をするにもやりにくい相手である。

 この日も「桜井梨沙について大事な話がある」などと言われなければ、姉の誘いに乗るような事は絶対になかった。

 それはテーブルを挟んで対面に座る人物も同じだったようだ。

「……桜井さんについての話があるっていうから来たけれど、何なの? いったい」

 彼女はすぎもとというらしい。

 自己紹介によると現在高校二年生で、姉たちとは違う学校に通っているらしい。これまでに柔道の大会で桜井と何度も対戦した事があるのだという。

 しかし、薫にはいまいちピンと来なかった。

 この杉本という人物が、とても柔道をやっているように見えなかったからだ。

 れいにデコレーションされた長いネイルや耳からぶらさげたピアスは、明らかに運動部に籍を置く者のそれではなかった。

「てか、桜井さんは? ここには来ないの?」

「梨沙さんは昼からバイトよ」

「バイトか……」

 どこか残念そうに杉本はコーラのつがれたグラスのストローをくわえる。

 すると、そこで姉の茅野が膝の上に置いた自らのバッグを開いた。

「まず、これを見て欲しいのだけれど……」

 そう言って、何かを取り出しテーブルの上にあげた。


     ◇ ◇ ◇


 その日、杉本奈緒はSNSのDMによって呼び出され、駅前のファミリーレストランへと赴いた。

 そこで彼女を待っていたのは、ひどく容姿の整った二人組だった。

 黒くめの女の方が茅野循。杉本を呼び出した張本人だ。

 そして、清涼感のある幼い顔立ちの少年が茅野薫。循の弟なのだという。

 確かに姉弟きようだいというだけあって、その顔立ちは良く似ていたが雰囲気は正反対だった。

 弟の方が光なら、姉は深い闇。

 そして杉本は、その闇がテーブルに置いたものを見て大きく目を見開く。

 それはジップロックに入った一枚の布切れだった。

「……これは、黒津神社という場所で見つけたものよ」

「黒津神社?」

 その弟の言葉に答える姉の茅野。

「……うしの刻参りで有名な神社よ」

「丑の刻参りって、八つ墓村みたいなやつだっけ?」

「全然違うわ。丑の刻参りっていうのは、白装束をまとい、頭にろうそくを立てたかなかぶり、づちと五寸くぎで憎き相手に見立てた藁人形を木に打ちつけるじゆじゆつの事よ。八つ墓村は戦中に岡山県のかいという場所で起こった事件をよこみぞせいがモデルにした推理小説で……」

 その茅野姉弟の会話が、まったく耳に入って来ない。

 杉本はずっと凍りついたまま、ジップロックの中の名札を見つめ続ける。

 その『桜井梨沙』という文字。

 それを記したのは、紛れもなく杉本自身であった。

「どうしたの? 顔色が悪いけれど」

 唐突に話を振られ、杉本は背筋を震わせて視線をあげる。

「……ごめん。ちょっと疲れていて」

 どうにか作り笑いで応じた。すると、姉の茅野が何気ない調子で質問を発した。

「練習が大変なのかしら?」

 一瞬、彼女の質問の意味が解らずに言葉につまる。しかし、すぐに柔道の事だと悟り、杉本はあいまいうなずいた。

「ええ……うん」

 もう彼女はとっくに柔道を辞めていた。部活は何もやっていない。

 ともあれ、杉本はどうにか平静を装いながら言葉を紡ぐ。

「……それで、その布切れがどうかしたの?」

「この名札は境内の木に打たれていた藁人形についていたものよ。つまり、誰かがあの神社で丑の刻参りを行い、梨沙さんに呪いをかけたという事」

 姉の言葉に薫が息をむ。杉本はこめかみに冷や汗をにじませながら話の続きを促した。

「そ、それで……?」

「その犯人を探し出したいの。協力してくれるかしら?」

 桜井梨沙の今の様子を知りたかっただけなのに、とんでもない事になった。

 杉本は乾いた笑いを漏らすしかなかった。


     ◇ ◇ ◇


 杉本奈緒が初めて桜井梨沙と出会ったのは、小学四年生の柔道地区大会での事。それは学年別決勝の試合だった。

 杉本は桜井と組み合った瞬間に理解した。こいつには絶対に勝てないと。

 噂には聞いていた。

 天才的な柔道少女が同じ地区にいる事を。

 幼い頃から頭角を現し、同年代との対決において無敗。

 それが当時の桜井梨沙であった。

 その評判が事実である事を、杉本は開始早々に悟ってしまう。

 どんなに揺さぶろうとも、びくともしない。まるで地蔵にでも柔道着をまとわせたかのようなごたえ。

 どうやっても、彼女からポイントを取れる気がしなかった。その焦りは絶望となり裏返る。

 杉本は思った。

 自分は厳しい練習に耐えて地道な努力をしてきた。しかし、この桜井梨沙という女は何なのだろうか。

 組んだだけで、それと解るすさまじい才能。

 そして、まったく何も考えていないような、うすらぼんやりとしたまなし。

 まるで目の前にいる自分の姿が見えていないかのような……。

 それに気がついたとき、杉本は腹の底から怒りが込みあげて来るのを感じた。

 こっちは死ぬ思いで努力しているのに。

 桜井梨沙に今まで積みあげたものを否定されたような気がした。

 杉本の表情がよりいっそう、険しいものとなる。

 その瞬間だった。今までまったく隙を見せていなかった桜井の重心が後ろへ流れた。


 ……行ける!


 杉本はもっとも得意だった〝出足払であしはらい〞を放つ。

 電光石火の居合抜きの如く、前に出た桜井の左足を刈り取ろうとした。タイミングはかんぺきだった。

 しかし、次の瞬間、杉本の右足は空を切る。同時に勝利への確信が粉々に砕け散った。


つばめがえし


 相手の出足払をすかし、反対に出足払で返す技。

 その技名が脳裏をよぎった直後、杉本は畳にその身を横たえ、桜井梨沙を見あげていた。

 何事もなかったようなのんな表情で、胴着の襟元を正す桜井。

 言い訳の余地なしの一本負け。

 そのとき、杉本は思った。

 こいつは、だ……と。


 それ以降も杉本と桜井は何度も対戦する事となった。

 しかし、彼女はどんなに練習をしようが、どんなに力を振り絞ろうが、桜井に勝つ事はできなかった。

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