第14話 3M

「えっと、今、誰か家族は?」

「……家族? 家の方にはわたし一人だけどー?」

 鈴木さんが玄関口に立ち尽くす俺を不思議そうに見つめてくる。


 俺の見た目に驚愕して通報されてしまう前に先手を打って挨拶をと思ったのだ。


 しかし、考えてみれば店舗兼自宅でフラワーショップは営業中なのだから聞くまでもなかった。

 しかも若干、鈴木さんが家に一人であることを確認するかのような、意図せず無駄に含みのある聞き方になってしまった気がする。


「わたしの部屋、二階なんだー。ほら、早く早くー」

 自らの失言に脳内で言い訳を捻り出そうとフル回転させている俺に構うこともなく、ぱたぱたと階段を駆け上がっていく。どうやら思い過ごしだったようだ、助かった……。


「入って入ってー」

 二階に上がって廊下の手前の部屋のドアを、ほんのわずかばかりでさえ躊躇う素振りもなく鈴木さんが盛大に開け放つ。


「し、しし、失礼します……」

「どうぞー」

 あれよあれよと促されるまま、ついに俺は人生初となる禁断の地、女子の部屋へと足を踏み入れることとなった。


 ――ああ、イイ匂いがする。


 ……うん、よりにもよって第一声がこの感想はさすがにヤバい。変態味が強すぎる。


 ベージュの壁紙で統一されたやわらかい色合いの室内に、大きな窓からレースのカーテン越しに日差しが降り注ぎ明るさが増して見える。

 女子の部屋といえば所狭しと物の多い印象があったのだが、鈴木さんの部屋は思った以上に必要最低限の家具しかなくすっきりまとまって見えた。

 小さなタンスに勉強机も極めてシンプルでサイドチェストが一つあるだけ。薄い空色のカーペットに置かれたテーブルはオフホワイトで、その上にはスマホと飲みかけのマグカップとカバーの掛けられた文庫本が乗っていた。

 おそらくだが、俺がやって来るからと言って特別に小綺麗にしたなんてことはなく、ありのままの普段通りの状態で迎え入れてくれたのだろう。


 つまり、ここに至るまでに悶々と意識しまくってぎこちないほど緊張していた俺とは対照的に、爪の先ほども意識することなく普段以上に普段通りで過ごしていたのだ。

 なぜそう言い切れるのかというと、真っ白いシーツがやや乱れたままのベッドが全てを物語っていた。無造作に脱ぎ捨てられたみたいに、濃い青色のタータンチェック柄のパジャマが投げ出されているのだ。


 さらに、あり得ないほどに意識していないことの証明がもう一つ。


 隠しておこうという感覚がそもそもないのか、枕元には畳まれた洗濯物がそのまま置かれているのだ。


 そして、あろうことかその重ねられた洗濯物の頂点に、明らかに女性の下着の代名詞であろう淡いブルーのブラジャーが乗せられてこんもりと膨らんでいるのだ。


 ……いやいやいやいや、待ってくれ。


 無頓着にもほどがあるだろう。

 変にビクビク意識されても困ってしまうのだが、ここまで全く意識されずに自然体というのもどうなのだろうか……?


 鈴木さんは自室を見られることに抵抗がまるでなさそうだった。恥ずかしいからあんまり見ないでよー! などと照れてもらえる方が幾分マシな気さえしてしまう。


 …………もしかして、男子を部屋に招くことに慣れているのだろうか?


 それとも、やっぱりここからがドッキリのスタートで、この部屋のどこかに隠しカメラが仕掛けられていて狼狽える俺の姿を盗撮しているとか?


「さっそくだけど、この子なの」


 極力、剥き出しの下着を視界に入れないように、ベッドに背を向ける格好でそろそろと部屋の中程まで進む。

 その間も、どこかから隠しカメラで狙われていないか視線だけをギョロギョロ動かして怪しげな場所を睨み付ける。


 そんな挙動不審な俺の様子など気にもせず、鈴木さんは出窓に置かれていた鉢を指差す。


 降り注ぐ日差しをたっぷり浴びている30センチほどのパキラがいた。


 いわゆる贈り物などに選ばれるパキラは幹が編み込まれていたりするものが多いが、鈴木さんの部屋のパキラはずんぐりとした太めの幹一本のタイプだ。

 そこは好みの問題なのでまったく重要ではないのだが、なにしろ一目見ただけではっきりわかるほどに弱っていた。

 枯れ落ちてしまったのだろう葉の数が明らかに少なく、辛うじて残っている葉も焼けたように変色している。


「触らせてもらっていいですか?」

「うん」

 一言断ってパキラの幹にそっと触れてみるとわずかだがぐらぐらしている。


【…………あまり、揺らさないでほしいわ。……こう見えても、しんどいのよ】


 細く弱々しいパキラの声が聞こえた。

 言っている通り、確かに辛そうな声音だった。


 この症状は――

「……すみません鈴木さん。今すぐに植え替えをしたいのですが、どこか作業出来る場所はありますか?」

 俺の背後から不安そうな表情で見つめていた眼鏡越しの瞳に振り返って問い掛ける。


 まだ声が聞こえている、植え替えを試みればまだなんとかなるはずだ。


「植え替え? うん。うちの裏庭でいくらでも作業出来るよ。必要な道具とかも言ってくれれば大体揃ってるから。なければお店から持ってくるよ」

「了解です。では、さっそく始めましょう」


 小走りに階段を駆け下りて案内された裏庭は、さすが自宅兼フラワーショップというべきほれぼれしそうな光景に目を奪われてしまった。


 決して広くはないのだがリビングの延長としてウッドデッキが組まれ、外水道の周りはタイルテラスになっておりきちんと流し台が設置され、庭作業を行うにはこれ以上申し分のない設備が整っていた。


 店舗だけにとどまらず、裏庭の隅々に至るまで俺の理想が再現されているみたいで、すぐにでも綺麗に刈り込まれた芝生に飛び込み頬ずりしたくなる気分だった。


 しかし今はそんな変態的な欲求にかまけている場合ではない。

 一刻も早くパキラを鉢から抜いて根の状態を確かめる必要がある。


 先ほど触れた時にぐらぐらしかけていたので予想はしていたが、鉢からそっと抜き出した根を見て確信に変わった。

 根腐れだ。明らかに水のやり過ぎが原因なのだが、さらに鉢が小さすぎて根詰まりも起こしていたようだ。


「このパキラはいつから育てていますか?」

「えーと、去年の春頃だから一年くらいかな……」

「パキラは生長が早いんです。特に最初の一年はぐんぐん育ちます。なので、生長に合わせて鉢を大きくしてやらないと根詰まりを起こしやすくなってしまいます。あとは水ですが……、普段どれくらいあげてました?」

「たっぷり毎日あげてたよ……?」


 やはり。思った通りだ。


「パキラを含め観葉植物全般に言えることですが、基本的に毎日あげる必要はありません。鉢の土の表面が乾いてきて、葉が少し下がり始めたくらいにたっぷり水を与えます」

【……怖い顔の人間は見慣れてるつもりだったけど、あなたって救世主だったのね】

 ふんふん頷く鈴木さんに見つめられながらパキラがぼそぼそ弱々しく話しかけてくる。


 お前たちにはそんな認識はないだろうが、初対面の人の顔を怖がるなんてわりと失礼なことだからな? 言っても意味はないことだろうが……。


【……悪魔みたいな顔してるくせに、人間って面白いわね】

「誰が悪魔だ!」

「え?」

 ついうっかりいつもの癖で返事をしてしまい、説明の続きと勘違いした鈴木さんがびくっと肩を竦める。


「あ、すみません、ひとり言で――――――ッ!」

 眼前に飛び込んできた光景に言葉を失ってしまう。


 しゃがみ込んで根の状態を見ていた俺の正面で、鈴木さんが膝に手を付きまじまじと覗き込んでいる。

 その必然的に前屈みな姿勢のせいで、衿ぐりの広いニットの首元から白い胸の谷間があられもなく無防備にばっちり見えてしまっているのだ。


 慌てて視線をパキラに戻し、平常心を保つために大きく深呼吸を繰り返す。


 ふうぅ、ちょっと待ってくれ……。


 部屋のベッドのブラジャーといい鈴木さんはもう少し男子の視線を意識した方が良い。

 なにしろ防御力が甘すぎる。RPGの初期装備でももっとがっちり守ってくれてるはずだ。


「……大丈夫そう?」

「――――――――ちょ!?」

 せっかく逸らした視線のさきに、ダメ押しのように飛び込んできた光景に再び言葉を失ってしまう。


 俺の視線などまるで気にすることもなく不安げな表情のまま膝を曲げてしゃがみ込む。

 すると今度はひらひらの短いスカートの裾からいわゆるパンツが丸見えになっているのだ。


 なんてことだ、視線を落ち着ける場所がない。全く油断ならないじゃないか。


【ねえ救世主……、淫らなことはわたしを植え替えてからにしてほしいわ……】

「み――ッ!」


 淫らなことなんてしねえよ!?

 と、危うく声が出るところだったが寸前で堪えた。堪えはしたが、お前ら植物から見た淫らなことって何を指すんだよ……。


 しかしこれはまずい。

 まさかわざとやっているなんてことはないだろうから、一切気にしていないのかちっとも気が回っていないのだろう。

 鈴木さんは無自覚で無防備なうえに、あまりにも無頓着なのだ。女の子が携えててはいけない3Mだ。


 学校の花壇での作業中はジャージに着替えているから気になどしていなかった。それこそ、しゃがみ込もうが四つん這いになろうが気に留まることもなかった。


 そうか、鈴木さんは自宅だから色々と気が抜けているのかもしれない。

 であれば、ジャージに着替えてもらえばいいではないか。


 しかしその理由を説明出来ない。

 屈めば胸元が、しゃがめば下着が見えているのでジャージに着替えてくださいなんて、いったいどんな間柄だったら指摘出来るというのだ。

 たとえどれほどの間柄だろうと、俺みたいな強面がそんなことを言おうものなら即事案確定じゃないか。


【わかるわ救世主、待ちきれないのね……。でも、わたしを植え替えてから――】

「だからなんもしねえよ!?」

「わあっ!?」

 ついにうっかり大声が出てしまいハッと視線を上げる。


 するとそこには、おでこがぶつかりそうなほどの距離感で眼鏡の奥の大きな目を見開いて驚いている鈴木さんの顔があった。


 その飾り気のない無垢でまっすぐな視線を前に、瞬きさえ忘れて見つめ合ってしまう。


 ああ、かわい――


【救世主……、そろそろ本当に……】

「――あ、うっ、植え替え! 急ぎましょう!」

「う、うん、わかった!」


 鈴木さんから頼られパキラからも催促されているのだ、

 何を浮ついた気持ちでふしだらなことに気を取られているのだ。まずは真剣に、誠実に作業を済ませなければ。


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