第13話 咲彩

 小学二年生の時に『将来の夢』というタイトルで作文を書き、クラス全員の前で読み上げて発表する授業があった。


 アサガオの声に耳を傾けて幼いながらも植物を育てる感動を覚えた俺の夢は、お花屋さんになりたいだった。


 純粋だったのだ。

 そしてもちろん、純粋だったのは俺だけではなかった。


 つたない作文で将来の夢はお花屋さんになりたいと書き連ね、子供ながらに具体的な理想の店構えを書き出したことでより一層、期待と願望に胸を膨らませながら嬉々として読み上げた。


「えー、でも鮫島さめじまは親父を継いで組長になるんだろー?」


 作文を読み終えた直後に、クラスでよく目立っていたお調子者がそんなことを声高に言ってのけ、教室内の全員がストンと納得してしまったことに傷付いた。


 当然ながら、俺のことを貶めるつもりの発言ではない。

 あまりにも子供らしい、純真無垢な疑問を口にしただけだったに違いない。


 高校生ともなったいまでこそ、達観したふりでそんな余裕を醸し出せはするものの、

「なれるわけないよ」

「鮫島くんのおうちってやくざでしょ?」

「やくざってお店からショバ代っていうのを集めるんだってー」

「じゃあ、お花屋さんからも集めるんじゃないの?」

「だったらやっぱりなれないじゃん」


 子供ながらに純粋であるがゆえの、剥き出しの刃物を遠慮もなく突き立ててくるみたいなざわめきが教室内を満たした。


 冷静に思い出しても、どうしてショバ代なんて単語を知っている子がいたのか謎だ。


「はーい、みんなー。将来の夢はどんなことを書いてもいいのよー。たとえ、生まれ育った環境がどんなものだったとしても、なりたいと思ったことを書いていいのよー。先生だって昔はアイドルになりたかったんだから!」

 場をとりまとめようと担任の先生が口にしたアイドルという単語にドッと笑いが起こり、それきり俺の作文に対する心ない批評は止んだ。


 当時、四十前後だったと思われる先生は教師としてけっこうな手練れだったのだろう。

 ざわめく教室内を冗談交じりのたった一言で軽くあしらって見せたのだ。


 ただ俺は、アイドルになりたかった先生ほど夢見がちな理想を思い描いただけの作文ではなかった。

 先生には申し訳ないが、限られた一握りの才能ある者だけが掴み取れるような夢物語を語ったつもりなんてなかった。

 にもかかわらず、そんな風にあしらわれてしまったことに、鮫島くんの夢は先生が望んで、叶えることが出来なかった夢と同等なのだと決め付けられたみたいで子供ながらに傷付いた。


 そして親父がやくざという、そもそもの間違いを担任の先生でさえ疑っていない事実にさらに傷付いた。


 それきり俺は、人に夢を語ることはなくなった。

 それ以前に、どんどん親父譲りの強面が強烈に現れ始めたことで、俺に話しかけてくる人がどんどん減って語る機会がそもそもなかったのだが。


 ともかく、いまもなお幼い頃からずっと変わることのない夢を誰にも話すことはなくなった。


 

 そんな俺は、何を隠そう同級生の、ましてや女子の家に出掛けるだなんて生まれて初めてのことだった。

 それは何を隠そう、隠しきれないし隠しようもないこの見た目が全ての原因だからだ。

 つまり何を隠そう、人の家の招かれる際の勝手がまったくわからないのだ。


 困った……。


 ラインで教えられた鈴木さんの住所を見た時に思い当たるふしがあった。あったのだが、ラインが届いたことによって本当に招かれている事実に舞い上がり、タチの悪いドッキリの可能性が薄れたことに気をとられてしまった。


 要するに、なんてものはすっかり意識の果てに放り投げられてしまった。


 招かれた際には、のうのうと手ぶらでお邪魔してしまって良いものなのか?

 そもそも俺みたいな極道面がやって来たら鈴木さんの家族が怯えたりしないだろうか?

 それ以前に警察に通報されたりしないだろうか?


 ほんの数秒前まで舞い上がっていたはずなのに、考えれば考えるほどどんよりと不安に押し潰されそうになってしまい気が滅入ってしまう。


 そんな一喜一憂を繰り返しながらも時の流れを止める術などあるはずはなく、約束の土曜日は全ての人の元に等しくやって来てしまった。


【えー、なぁにー? まーだ緊張してんのー? さすがにウケる通り越して呆れちゃうんですけどー】

【そわそわおろおろとしてみっともないぞ。我らと接している時と同様、自然体で構えておれば良いのだ】

【あら~、今日はネクタイはしないのね。……けれど、味気ない格好ね~。もうちょっと華やかな色使いでもいいんじゃないの~?】

 自室の鏡越しに自分の厳つい顔をさらにしかめて最低限の身なりを整え、やいのやいのと押し付けられる軽口をいなして部屋を出る。


 手と足が同時に出そうなくらい緊張しながら、最寄り駅のパティスリーでチーズケーキを買ってから向かうことにした。

 レジ対応してくれた店員の女性が青ざめた表情で震えていたことは覚えている。極度の緊張から、ただでさえ凶悪な強面が五割増しくらいになっていたのだろう。本当に申し訳ないことをした。


 それでも最低限の犠牲で無難な手土産としてチーズケーキを手に入れることに成功した。

 無難中の無難、だと思いたい。

 完全に個人的な見解だが、チーズケーキが嫌いな女子は地球上には存在しないはずなのだ。存在しないと信じたい。


 そんなこんなで重い足を引きずるみたいにしながらもたどり着いた鈴木さんの自宅を目の当たりにして素直に驚いてしまった。


「………………マジか」


 実際は徐々に目的地が近付くにつれて、まさか、そんなはずはない、と必死で動揺を抑え込んでいたのだ。


 自宅がお花屋さんとは聞いていたが、そこでやっと放り投げてしまった思い当たるふしが這々の体で俺の元に戻ってきた。


 鈴木さんから知らされた住所はまさかのフラワーショップ『咲彩さあや』だった。


 蔦の絡まる店舗正面には色とりどりの季節の生花と鉢植えが並べられ、長い月日を感じさせるアンティーク家具で統一された店内にも新鮮な花たちが飾り立てられている。

 さらに生花だけでなくプリザーブドフラワーや独創的にアレンジされたブーケ、お洒落な小瓶に詰められたモイストポプリなどお花にまつわるありとあらゆる商品がインテリア然として所狭しと並んでいる。


 それだけでも目が眩みそうなほどお洒落な店構えなのに、店舗奥にはこぢんまりとしたカフェスペースまであるのだ。ほのかに鼻腔をくすぐる季節の花の甘い香りに混じって手作りケーキの香りまで漂う、まるで絵本の世界からそのまま飛び出してきたかのような世界観を醸し出している。


 店先に出ている小さな黒板には手書きで自家製チーズケーキがおすすめと書かれており、いつかあのたくさんの花たちに囲まれた夢のような空間で、美味しいに違いないケーキに舌鼓を打ってみたいと常日頃から妄想を膨らませているくらいだ。


 俺が小学生の頃に思い描いた将来の夢であるお花屋さんの、想像の中で思い描いていた理想的な店構えがそのまま再現されたかのようなフラワーショップ、それが『咲彩』なのだ。


 店舗内に立ち入らずとも、外観を眺めているだけでもどこまでも幸せな気持ちになってしまう。そんな俺の夢が形となって具現化しているフラワーショップが、まさかまさかの鈴木さんの自宅だったなんて。


 ――なんということだ。


 よりにもよって手土産にチーズケーキを持ってきてしまった。


 知らなかったとはいえ、やらかしてしまうにも程がある。生涯一の不覚だ。


 自家製チーズケーキを一番のおすすめにしているカフェに、わざわざ余所のチーズケーキを携えてやって来る見た目が凶悪な男なんて、みかじめ料をせしめるため嫌がらせにやって来たチンピラみたいではないか……。


 だからといって今さらどうすることも出来ずに、震える指先でスマホを操作して到着したことを知らせると、

「あー、鮫島くん! いらっしゃい、こっちこっち!」

 ほどなくして店舗脇の門扉から顔を覗かせた鈴木さんが、ぴょんぴょん跳ねながらぶんぶん手を振ってきた。


「あ、えっと、これはその、手土産といいますか……、鈴木さんの家がまさか咲彩だなんて思わずに買ってきてしまったもので……」

「えー、そんな気を遣わなくって良いのにー。って、あっ! わたし、ここのケーキ大好きなんだよー! ひひひっ、やったー!」

 紙袋の店名を見た鈴木さんがいつもの特徴的な笑顔を咲かせて白い歯を覗かせる。


 ……本当だろうか? 苦し紛れのお世辞じゃないだろうか? まだ中身を見てもいないのだ、よりにもよってチーズケーキなのだ。鈴木さんの笑顔を真に受けて本当に安心しても大丈夫なのだろうか?


「じゃあ、あがってー」

 疑心暗鬼にとらわれて悶々としていた俺を気にかける様子もなく、ひらりと身を翻すみたいに軽やかな足取りで鈴木さんが玄関へと入っていく。


 そう、まだこんな玄関の手前で戦意喪失している場合ではないのだ。


 何しろ本当の試練はここからなのだから。


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