第9話 決意

 その日、リアムは寒さで目が覚めた。

 ずっと毛布にくるまっていたいという欲求になんとか打ち勝ちベッドを抜け出すと、昨日のうちに汲んでおいた水で顔を洗う。あまりの冷たさに一瞬で眠気が吹き飛んだ。

 戸を開けて外を見た。

 空はどんよりと曇っていた。吹きつける風も冷たく、このまま雪でも降るのではないかと思わせる。

 なんとなく嫌な感じがした。

 三年前、ガジールが初めてこの地に現れた日。

 あの日の朝もこんな空模様ではなかったか。

 いや、余計なことを考えるのはやめよう。もう俺には関係ない。リアムは頭を振って嫌な感覚を追い出し、勢いよく戸を閉めた。

 すると部屋の片隅から、かたん、という物音がした。

 そこには長年愛用してきたメイスと盾が立て掛けられていた。

 パーティを辞めるにあたって、ほとんどの装備品は宿舎に置いてきたが、このふたつだけは無理を言って引き取ったのだ。もう武具を使うつもりはなかったが、手元に残しておきたいと思う程度には愛着があった。

 歩み寄り、何気なくメイスを手に取る。

 なぜか胸騒ぎがした。

 この感覚を無視してはならないと、心が警笛を発している。

 メイスが凶兆を知らせる為に自らの意志で動いたように思えてならなかった。

 リアムは居ても立ってもいられず、朝食もとらずに街へと向かった。




 街の様子はいつもと変わらないように見えた。開店準備に勤しむ店員。足早に現場に向かう職人。子供の手を引いて歩く母親。いつも通りの光景だった。

 杞憂だったか、と安堵しかけたのも束の間、通りがかりの二人組の男の会話が耳に入ってきた。


「聞いたか? ガジールが山を下りてきたってよ!」


 小太りの男が髭面の男に向かって興奮気味に話しかけていた。


「ああ聞いたよ」


「今朝早くにカイルのパーティが討伐に向かったらしいぞ!」


「レニゴールの絶対守護者か……たしか三年前に追い返したのも彼らだっけ? なら今回もきっとやってくれるさ」


 髭面の男の口調は起こっている事態の割に落ち着いたものだった。

 街がいつもと変わらないように見えたのは、レニゴールの絶対守護者と呼ばれるパーティに対する信頼の証だった。彼らがいる限りガジールが街を襲うことはないと、そう信じているのだろう。

 カイルが作り上げたパーティはそれだけのことをやってきたのだ。


「……けどよ、最近はあまり上手くいってないって噂を聞くぜ?」


 小太りの男が声を落として言った。


「そうなのか?」


「なんでもあの不動のリアムが突然脱退したとかで、戦術ががたがたらしいぞ」


「おいおい、そいつはまずいんじゃないのか?」


「おまけに最近加入した盾役タンクの戦士がいきなりいなくなっちまったんだとよ。だからひょっとしたら今回は盾役タンク抜きでガジールに挑むんじゃないかって――」


「それは本当か!?」


 リアムは思わず小太りの男の肩を掴んでいた。


「な、なんだい、あんたは!?」


「いいから質問に答えろ! 本当に盾役タンクの戦士がいなくなったのか!?」


 小太りの男はリアムの迫力に圧倒され、戸惑いながらも首を縦に振った。


「あ、ああ、知り合いの冒険者がそう言ってたんだ」


「ばかな……」


 リアムは乱暴に男を突き飛ばし、手で口を覆う。なにしやがる、と息巻く男の声はもはや耳に入っていなかった。


「あ、あんたもしかして、不動のリアムじゃないか?」


 好奇心を露わにして髭面の男が尋ねてくるが、リアムはそれを無視してその場を立ち去った。

 頭が混乱していた。

 大型モンスター相手に盾役タンク抜きで挑むなど無謀以外の何物でもない。

 ましてや相手は霜の巨人ガジールである。並外れた生命力を持つ巨人族のなかでも、群を抜いて高い生命力を持っているのだ。間違いなく倒しきる前に反撃を受ける。強固な甲冑も防御スキルもない後衛職ではその攻撃に耐えることはできない。


 リアムはよろよろと近くの建物の壁に手をついた。

 呼吸が荒いことを自覚する。

 大丈夫だ。何も心配はいらない。カイルは優秀なリーダーだ。無謀な戦いを挑むような男ではない。ちゃんと新しい盾役タンクを雇ったに決まっている。それに、今はライザールやアリーシャという優秀な仲間も加わっている。三年前と違い戦力的には十分にガジールを討伐できるはずだ。

 リアムは必死にそう言い聞かせたが、胸に抱いた焦燥は消えるどころかどんどん膨れ上がっていくばかりだった。




 気が付くと、リアムはアントムの店の前まで来ていた。

 なぜここに来たのか。そのまま家に帰り、目を閉じ、耳を塞いで、嵐が通り過ぎるのを待てばいいだけではないか。そう思ったものの、心は帰ることを明確に拒否していた。

 ひとりでいることがたまらなく不安だったのだ。

 リアムにはこういった状況で不安を共有できるような友人はいない。それが唯一可能なはずのパーティの仲間に対してさえ、弱音や不安を吐き出したことは一度もなかった。

 その結果、無意識に頼ったのがつい先日、数年ぶりに訪れた酒場の店主だったというのは笑えない話だった。


「おう、そんなところに突っ立ってんじゃねぇ、邪魔だ」 


 背後から声を掛けられ振り返ると、いつのまにか傍にアントムが立っていた。


「なんだ、リアムか……。朝飯でも食いにきたのか? 残念ながらうちは朝食サービスはやってねぇよ」


「い、いえ、そういうわけでは……」


「なら押し込み強盗か? うちに金はねぇぞ。どうせ襲うならでかい木がぶっ刺さってる店を狙えや」


「強盗?」


 わけがわからずリアムは首を傾げた。


「違うのか? ならその腰に下げた物騒なもんはなんだ?」


 そう言われてリアムは初めて自分がメイスと盾を持ってきていることに気付いた。


「そんな物騒なもん持った奴が血相変えて店の前に立っていたら、誰だって強盗だと思うだろうが」


 何も言い返せず、リアムは「すいません」と頭を下げた。


「まぁいい。とりあえず入れや」


 そう言うとアントムは店の中に入っていった。リアムは戸惑いながらも後に続く。

 店の中は開店前の独特な静けさに包まれていた。


「――で、朝飯でも強盗でもないとしたら何の用だ?」


 促されるままカウンター席に座ると、そう問い掛けられた。


「そ、それは……」


 リアムは言い淀んだ。ひとりでいるのが不安だったから、などという情けない理由だとはさすがに言えなかった。


「その様子じゃ、ガジールの話は聞いてんだろ?」


「……はい」


「明け方近くだったか、ガジール出現を知らせる早馬が来たのは。ここのところ気温も低かったからな、領主も十分に警戒していたんだろう。すぐさま街に警戒令が出されて、騎士団が出動した。もっとも、騎士団はガジールとは戦わねぇらしい。ガジールを近くの平原に誘導するのが役目だそうだ。実際に戦うのはカイルのパーティだって話だ」


「……やけに事情に詳しいんですね?」


「昔取った杵柄ってやつだ。色々と伝手があるんだよ」


 アントムは自慢するわけでもなく淡々と答えた。


「現れたのはガジールで間違いないんですか?」


「俺がこの目で見たわけじゃねぇからなんとも言えねぇよ。ただ、三年前にあれだけ派手に暴れた巨人だ。さすがに見間違えねぇだろうよ」


 三年前にガジールに挑んだ騎士団は大きな損害を被り、あとわずかというところまで街に迫られた。ガジールを見た者は、決してその姿を忘れることはないだろう。それは実際に戦ったリアムも例外ではなかった。

 ガジールの恐ろしさは身に染みてわかっていた。無意識にメイスと盾を持ってきていたのも、自衛本能によるものかもしれなかった。

 今にして思えば、自分の心が壊れ始めたのはガジールと戦った三年前のあの日からではなかったか。

 リアムにとってガジールは間違いなく恐怖の象徴だった。

 その化け物相手に、カイル達は盾役タンクなしで挑もうとしているかもしれないのだ。


「……パーティに盾役タンクがいないという噂を聞きました」


 アントムはその言葉に驚きを隠さなかった。


「ずいぶんと耳が早いな」


「本当なんですか?」


「少し違う。盾役タンクはいる。だが、パーティメンバーが増えたわけじゃない」


 その妙な言い回しでリアムは瞬時に理解してしまった。


「まさか――」


「昨日の夜、カイルの奴がここに来て言ってたよ、自分が盾役タンクとして前衛に立つつもりだってな」


「無茶だッ!」


 リアムは思わず叫んでいた。

 たしかにカイルは今でこそ後衛で指揮を執っているが、元々は剣士だった。その腕前はレニゴールの騎士団長にも引けを取らないと言われている。

 だが、大型モンスター相手に人間の剣術は通用しない。ましてや防御スキルを持たないカイルでは一度でもガジールの攻撃をまともに受ければ確実に殺されるだろう。とても正常な思考で下した決断とは思えなかった。


「仕方ねぇだろ。盾役タンクなしでガジールとは戦えん。かといって代わりなんてすぐに見つかるもんでもない。やむにやまれぬ選択だったんだろうよ」


「そ、そんな……それならどうして――」


 どうして俺に言わなかった――そう言おうとして、リアムは自分自身の身勝手さに気付き、愕然とした。

 どの口がそれを言うのか。

 俺はもうお前達と一緒には戦えない――そう言ったのは他でもない自分なのだ。

 そこまで言った人間に助力を頼もうとする者などいるはずがない。

 それでも、仲間の危機になぜ自分はその場にいないのか。そんな憤りを覚えずにはいられなかった。


「……なぁリアムよ」


 アントムはリアムの態度から何かを察したのか、口調をあらためた。


「俺はお前さんがパーティを抜けた理由は知らねぇ。あれだけ一緒にいたお前らが離ればなれになったんだ、よっぽどのことだったんだろう。だがな、辞める前にちゃんとカイルと話し合ったのか? カイルじゃなくてもいい。一度でもパーティの仲間に相談したか?」


 しなかった。

 しようとすら思わなかった。

 言えば迷惑が掛かると思った。

 なにより、夢を追うカイルと対等の存在でありたかった。盟友でいたかった。

 心が折れてしまった情けない自分を見せたくなかった。

 途中で挫折するような弱い奴だと思われたくなかった。

 だから、言うわけにはいかなかったのだ。


 黙り込んだリアムを見て、アントムはやれやれと首を振った。


「ま、その点に関しちゃ、カイルもお前さんと同じだがな」


「えっ?」


「お前がいなくなったことがよほど堪えてたんだろうな。あの野郎、最近はここに来るたびに辛そうな顔していやがった」


「カイルが……?」


 リアムは耳を疑った。いつも自信に満ち溢れ、颯爽としているカイルが辛そうにしている姿など想像もできなかった。


「意外か?」


「……はい」


 アントムは、今度は盛大にため息を吐いた。


「ったく、馬鹿かお前らは! 幼馴染なんだろ!? そんなに辛いなら、なんでそれを相手に直接ぶつけねぇんだ。互いに腹に抱え込んだもんを吐き出せば、何か他にいい解決方法が見つかったかもしれないじゃねぇか!」


 アントムの言葉にリアムはメイスで頭を殴られたような衝撃を受けた。

 カイルも同じだったのだ。同じように思い悩み、それをひとりで抱え込んでいた。

 結局、自分もカイルも、お互いを信じているようで信じ切れていなかったのだ。

 カイルのことだけではない。

 何も聞かされずに去られた仲間の気持ちを少しでも考えただろうか。

 答えは否だった。

 自分のことばかりで、仲間のことを少しも気に掛けていなかった。

 もっとちゃんと言葉に出すべきだった。

 仲間と向き合うべきだった。

 もし、腹に抱え込んでいた思いを口にしていたら、ちゃんと己の弱さを素直に曝け出すことができていたら、仲間の気持ちを少しでも汲むことができていれば、未来は変わっていたのだろうか。

 その答えはわからない。

 ただひとつだけわかっていることがあるとすれば、このままだとその答えを知る機会が永遠に失われてしまうということだった。

 痛みに対する忌避感と、ガジールと再び戦うことへの恐怖で手が震える。

 だが、仲間を失うことへの恐怖は、それらを遥かに凌駕していた。


「まだ、間に合う……」


 リアムはそう呟くと、椅子から立ち上がった。


「なんだ、もう帰んのか?」


「すいません、急用ができました」


「そうか」


 そう答えたアントムの顔はどこか嬉しそうだった。


「親父さん、頼みがあります」


「なんだ?」


「馬を一頭、貸してくれませんか?」


「……貸すのは構わねぇが、ひとつ条件がある」


「条件、ですか?」


 アントムはにやりと笑い、その条件を口にした。

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