第46話




朱音のマンションの付近は何台もの赤い大きな消防車が道路一杯に並び、そこを多くの野次馬でごった返していて車は途中で道を阻まれた。



「アレクはどこかに車を。僕はここで降ります」



冬真が車を降りると焦げ臭い臭いが鼻をつき、野次馬がスマートフォンで写真を撮りながら興奮気味に盛り上がっている。


冬真はそんな人間達を横目に路地裏を進み朱音のマンションの近くに来て見上げれば、マンションの一室から火が出たのか、ベランダもそしてその上の階まで火が伸びたことがわかるように白かったはずの壁が真っ黒になっている。


そしてその火の出ていたと思われる部屋は朱音の二つ下の階の部屋で、朱音のベランダの様子はわからないが、放水が未だに続き周囲の地面には大量の水が流れている。


近くに何台か救急車が止まっていて、周囲に怪我をしたような人、運ばれている人を見て冬真はその中を足早に探しながら鼓動が早まる。


自分の頭に放水された水が飛び散って濡れているの事など気にもせずに。


マンションの裏手に停まっている救急車の後ろで毛布を被ってうずくまり、救急隊数名に囲まれている一人の姿が目に留まった。



「朱音さん!!!」



大きな声、そして聞き覚えのある声に、朱音は顔を上げ周囲を見回す。


そこにはロングコートの冬真が走ってこちらに向かってくるのを、朱音は訳がわからずただ見つめていた。



「朱音さん!無事ですか?!怪我は、どこか怪我をしたんですか?!」



大きなゴミ袋を抱えて全身ずぶぬれでうずくまっている朱音が呆然と冬真を見上げていると、すぐ側にいた救急隊員が冬真を不審そうに見る。



「あなたは?」



「吉野と言います。朱音さんの身内でここのオーナーと知り合いです」



「本当ですか?」



冬真の言葉を救急隊員が朱音に確認すると、朱音は戸惑いながらも頷いた。



「あの、朱音さんは」



「避難の際に煙を少し吸い込んでしまったようですが会話も出来ますし大丈夫だと思います。でも念のため後日病院で診てもらって下さい。


今は水を被って身体を冷やしているので温かい場所で着替えられると良いのですが」



「わかりました。彼女は元々我が家にいましたので連れ帰ります」



冬真が救急隊員にそう言い切り、朱音は驚き声を出そうとして咳き込んだ。



「しゃべらないで下さい。


まずは身体を温めるのが先です。明日は病院に連れて行きます」



冬真は救急隊員に連絡先などを伝えると、毛布を被ったまま座り込んでいる朱音の側に行き高い背を少し曲げ手を差し出す。


濡れている冬真の髪がサイレンの光を浴びて金髪のように光り、朱音にはロンドンで出会った王子様の姿と冬真が重なってしまう。



「立てますか?少し先にアレクを車で待たせてます。


もし歩けないなら抱き上げますが」



「あ、歩けます!」



冬真の表情はずっと笑みも無く、何か怒っているようで朱音は慌てて声を出し咳きこむと冬真の目がすっと細くなり、



「とりあえずその抱えているゴミ袋を渡して下さい、捨てたりしませんから。


そして声は出さないで」



そういうと問答無用でゴミ袋を取り上げ小脇に抱えると、朱音の身体を支えながらゆっくりと立たせて再度毛布で朱音を頭から包み腰に手を回しがっちりと掴んで歩き出した。


朱音は毛布がフードのようになって自分の足下が何とか見えるだけ。


外はサイレンの音や騒ぐ人々の声が聞こえているはずなのに、自分のめまぐるしい状況に感情が追いつかない。


少し歩いた先にあった車のドアが開いて、冬真は朱音を先に座らせ隣に冬真も乗り込むとすぐに車は動き出す。


冬真はスマートフォンを出して健人に電話をかけ、状況と要件を伝えて電話を切ろうとしたら肩に毛布を被ったままの朱音がよりかかり、小さな寝息が聞こえてくる。


冬真は朱音が寝てしまったのを見てため息をつくと、もう一カ所に仕方なく電話をかけた。



「女性の人手を貸して下さい。それと着替えを一式。


えぇ、先日の件手伝いますよ、仕方がありません」



電話を切ってほどなくして洋館の駐車場に着けば、健人が外で待っていた。


後部座席のドアを開けてアレクと健人で抱えて朱音が以前使っていた部屋に運ぶと、今度は洋館のベルが鳴りそこには若い女が二人、荷物を持って立っていた。



「ではよろしく」



「はい」



冬真の言葉に無表情で女が答えると朱音の寝ている部屋に消え、ロビーでそれを見ていた健人がリビングに入り冬真もそれに続く。



「で、どうすんだ?」



どかりとソファーに座った健人が、水に濡れた前髪を掻き上げて息を吐いた冬真に問いかける。



「オーナーから当分朱音さんの部屋は使えないからホテルを代替にと提案されましたが断りました」



ソファーに冬真が座ると、アレクが温かいハーブティーを冬真と健人の前に置き、冬真が一口飲んでも健人は口をつけない。



「なので朱音さんはここに戻します」



その答えを聞いて健人は額に手を当てた。



「何ですか、大賛成するかと思っていたのに」



冬真の言葉を聞いて大げさに健人はため息をつき、ハーブティーを一気に飲んで立ち上がる。



「そういうのは明日本人に言え」



そういうとリビングを出て行った。





朱音は目を覚まして少し顔を動かすと、ずっと見たかった部屋の中にいる。


ベッドの横にいた黒い犬が覗き込むように朱音を見ていて、朱音はその漆黒の瞳に何故か見覚えがある気がした。


その真っ黒な大型犬は向きを変えベッドを離れてやはりドアをすり抜けていくのをみて、朱音はこれは夢だと確信した。


きっとこれから冬真とアレクが入ってくる。


冬真がドアの外から声をかけてきたけど、朱音は夢なのだからと声を出さなかった。


このあと私は冬真さんにこの洋館を出て行くように言われる。


やり直せるなら、あの時に出て行きたくないと言ったのなら変わっていたのだろうかと朱音は部屋に入ってくる冬真とアレクをぼんやり見ていた。



「声をかけたのですが返事が無かったので勝手に入ってきてしまいました、すみません」



なるほど、あの時返事をしないとこんな風に変わるのだなと朱音はじっと冬真を見ていて、冬真は無言のまま自分を見ている朱音に戸惑っていた。



「喉が痛みますか?知り合いの病院で診てもらえるように話してあります。


昨夜から食事も取っていないですし、アレクがスムージーを作ったそうなのでそれを飲んで少しまた寝てから出かけましょう」



冬真が心配そうに自分を覗き込み、既にあの日の冬真の言葉とかなり変わっていることに朱音は首をかしげた。



「首を痛めましたか?枕は以前使っていたのを出してきたのですが」



「・・・・・・あの」



「はい」



「これ、夢ですよね?」



ベッドで寝たまま不安そうな顔をしている朱音に、冬真は何故か笑みを浮かべて椅子を一つ持ってくると朱音の身体を起こす。



「とりあえず飲みましょう」



アレクが紫色のとろっとした液体の入ったグラスを朱音に差し出し、朱音は両手でグラスを握りアレクを見ると漆黒の瞳が何故かさっき居た黒い犬と重なって何だか訳がわからないままスムージーに口をつければ、ヨーグルトドリンクをベースに沢山のベリーが入っているようで適度な甘さと酸っぱさが、喉を通す度に朱音の意識を覚めさせていく。


飲み終えてから顔を上げぽかんと自分を見る朱音に、冬真はやっと目が覚めたのだと思って笑いがこみ上げそうだ。



「朱音さんは昨日マンションで起きた火事に巻き込まれたんです。


避難の際に全身水に濡れてすぐに身体を温める必要があったので連れ帰りました」



朱音は慌てて自分の服を見て、可愛らしいパジャマ姿に目線を落としたまま固まっている。



「安心して下さい、知人にお願いして女性二人に来てもらいました。


部屋に運び込んだのは僕たちですが、着替えなどは全て女性がしましたから」



自分の身体を冬真に見られなかったことに心底ほっとして、朱音は昨日起きたことをやっと思い出した。


カーテンを開けて目に飛び込んできた赤い火と黒い煙を理解できず、どこで火事が起きているのかと窓を開ければ、熱風と共に水が一気に入り込んだ。


朱音は慌てていつでもすぐに持ち出せるようにとKEITOの絵や冬真からのプレゼントを入れておいたリュックをキッチンに運び、ゴミ袋の中に入れ袋を何重にもして縛るとその辺にあった服に着替え、昨日持って帰ったままのバッグにスマートフォンを投げ入れると朱音はゴミ袋に入ったリュックを抱えて外に飛び出した。


マンションの廊下は内廊下のため火はわからずに避難階段のドアを開ければ一気に黒い煙が入り込み、朱音はタオルを口に当て上へと逃げたたが屋上のドアは鍵がかかっていて出ることは出来ず、そこには既に二人ほどの人が居てオロオロしていた。


朱音はマンションの下に降りるのは厳しいと思い必死に声を上げて煙でむせながら助けを求め、そしてやっと下から来た消防隊員に助け出されたのだ。


全身濡れてもゴミ袋を放さず、救急隊員に毛布をかけてもらい色々質問に答えているときに冬真が現れ、あんな切羽詰まった顔も、声も、そして自分を見つけ安心した冬真を見ながら朱音はこれは夢なのだと思った。


自分をちゃんと見て欲しかった、本当は大切にされていると感じたかった、まだ自分を覚えていて欲しかった、そんな沢山の身勝手な欲望が見せている夢なのだと。


この洋館で目覚めてやっと現実だとわかった今、ありがとうございます、とお礼を口にすべきなのに声を出すことを躊躇してしまう。


何か言いたげな朱音に気が付きながら、



「オーナーから、当分朱音さんの部屋が使用できないと連絡がありました。


すぐに他の手配は厳しいですし、どうでしょう、ここに戻ってきては」



にこりと冬真が言えば、朱音は目を見開き時が止まったようになっている。


だがハッとしたような顔をして朱音は顔を俯かせ首を横に振ってから再度顔を上げた。



「ありがとうございます。どこかすぐ家を探します。それまでは安く過ごせる場所に適当にいるので」



「もしカプセルホテルとかを考えているのならやめておいた方がいい」



いえ、そんな立派なとこじゃ無くと言い返そうとしたが冬真の表情を見てそれを飲み込むと、



「色々とご心配おかけしてすみません。ここでまた目を覚ませるとは思いませんでした。


明日には出て行きます。とりあえず一旦戻って必要な物も取ってきたいので」



朱音が笑みを浮かべて言ったのを見て、冬真の取り巻く空気が変わる。



「それは許しません」



平坦な声。


なのに怒りを含んでいるかのようで朱音は思わず身体を強ばらせ、冬真はそれに気が付き自分に驚いていた。



「・・・・・・冬真さん、すみません」



笑みを浮かべていた朱音がその表情を消し謝った。



「私、何度もご迷惑をかけて」



「違うんです、謝るのは僕の方です」



朱音が再度謝罪をしようとしたら、冬真が止める。


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