第23話



「朱音さん」



聞き慣れた柔らかなその声に首を動かせば、冬真がきっちりとしたスーツ姿でこちらに歩いてくるのに気が付き、朱音は心からほっとした。


さっきまで朱音と男が密着していても周囲は無関心だったのに、女性達は皆冬真が気になるようで一斉に視線を向けている。



「知り合い?」



男に聞かれ、えっと、と口ごもっていると目の前に冬真が来た。


平川は割と自分を悪くないルックスだと自覚しているし持っている物もブランド物なのに、目の前の男はそういう物を超えた印象を持つ。


なにより近づいて初めて気が付いた、自分より目の前の異様に顔の整った男の方が遙かに背が高いことを。


外国人なんだ、身長が高いのも普通だろうと平川は自分を納得させた。


じろじろと不快な視線を平川が冬真に向けても、冬真は変わらず笑みを浮かべている。



「僕は朱音さんの保護者みたいなものです。


送ろうとしていただきありがとうございます。


後はこちらが引き受けますので」



終始笑顔で答える冬真に男は最後、ふぅん、と小さく呟いた。


間違いなく良い品々に身を包んだ美しい男が、わざわざ飲み会の場所までこの女を迎えに来ている。


簡単に持ち帰れそうだと思って声をかけたつもりだが、そんな女なら余計に落としてみたいという気持ちが男に沸いてきた。



「相良さん、また改めて食事でも。


これ名刺。俺のメアドと携帯も載ってるから連絡待ってるね」



そう言って鞄に入っていた名刺入れから名刺を一枚引き抜いて朱音の手に置くと、じゃぁと去って行った。


朱音がぽかんと名刺を持ったまま立っていると、冬真は知られぬようこっそりため息をつく。


朱音が男の意図を理解していない様子を見て、簡単に誘い出されたことは容易に想像がついた。


そして自分がわざとらしく牽制したのに、怯むこと無くわざわざ名刺まで持たせるあたり、草食系男子が多いこのご時世に珍しく肉食系の男なのだろう。


度胸に加え女慣れしている点でも、すれていない朱音など一瞬で食べられそうだ。


店まで迎えに来て本当に良かったと冬真はしみじみと思った。



「朱音さん帰りましょう」



「あの」



戸惑っている朱音に冬真は笑顔を向ける。



「冬真さん、お仕事大丈夫ですか?わざわざ迎えに来ていただかなくても」



「アレクが駐車場で待ってますよ」



朱音の言葉に違う返事をした冬真に、朱音は迎えに来てくれて嬉しいという気持ちよりも、飲み会の前に抱いていた複雑な感情が顔を出す。


黙って冬真の後ろに続き、ビルの地下にある駐車場に着くと人気は無い。


コンクリートの冷たい景色と少し薄暗い中を歩き、車を見つけるとすぐにアレクが降りてきて後部座席のドアを開け、朱音に先に入るように冬真に促されると、朱音は声を出さず頷いて乗り込みその隣に冬真が座る。


結局洋館に到着しても一切何も話すことは無く、洋館に入ると朱音は冬真とは目を合わせないように、



「ありがとうございました。おやすみなさい」



そう言って部屋のノブに手をかけた。



「何か、僕に言いたいことがあるんじゃないですか?」



背後から冬真がそう聞いても、朱音は首を振るだけ。



「迎えに行ったのは余計なお世話でしたか?


もしかしてデートの予定を壊してしまったのなら謝ります」



そんなことはないけれど何かが朱音の中から湧き出して、声を発してしまえば、出てくる言葉は間違いなく冬真を責めてしまう。


視線を合わせず何も言わないままドアを開けようとしたら、そのドアに手を伸ばされすぐ側に冬真がいた。



「朱音さん、僕は魔術師ですが簡単に人の心は読めません。


話してくれないと朱音さんにそんな顔をさせてしまった理由がわからないんです」



「読むことは、出来るんですか」



「えぇ、可能ではあります」



「ならそうして下さい」



投げやり気味に朱音は言ってしまった。


束縛が嫌だ、やめてほしい、でも、という色々な感情が混ざり合って解けない。


いっそのこと魔術でも何でも良いから、私にもわからないこの感情が冬真さんに伝われば良いのに。


段々とこの洋館を出て行くことになるのかな、という気持ちが増えてきて、朱音は俯いた。



「少し、リビングに行きませんか?


きちんと朱音さんと話しがしたいんです」



朱音は俯いたままだったが、少しして頷いた。



リビングに来ればすぐに何か持ってくるアレクは入ってこない。


ソファーで冬真と朱音は少し離れて並んで座っているが、朱音は下を向いたままで冬真はそんな朱音に声をかけた。



「声を出さなくても良いです、可能なら僕の質問に答えてはもらえませんか」



冬真の声は静かで怒りを含んでいる物でも無い。


それがわかっても朱音は俯いたまま、どうしていいのかわからず黙っていた。



「さっきの彼とあの後デートの予定だったのですか?」



再度同じことを聞いてきた冬真に、朱音は首を横に振る。



「では、僕があそこまで迎えに来たのが嫌でしたか?」



朱音は俯いたまま、膝に置いた手がきゅっと握られるのを冬真は気づいた。


朱音は何も答えず、冬真は質問することも何も言うことも無く沈黙が続く。


カチカチとリビングにある置き時計の音が妙に頭に響くようで、朱音はこの沈黙が怖くて仕方なかった。



「こんな勝手な質問をするのではなく、僕が謝るのが先でしたね」



冬真はそう言って朱音の方に身体を向けると、



「朱音さんの自由を縛ってしまい、申し訳ありませんでした」



そう言って頭を下げた。


俯いていた朱音はその行動に驚き思わず顔を上げる。



「い、いえ、私が」



「朱音さんが謝る必要はありません。


見苦しいのですがそんなことをしてしまった理由を、聞いてはもらえないでしょうか」



いつもの優しい笑みは消え、冬真は朱音の顔を見た後、少し間を置いて口を開く。




「昔、僕の友人が帰宅途中に殺されました、この日本で」



突然の冬真からの言葉に朱音は目を見開いた。



「何年か前になりますが、殺された彼女はイギリス人の親戚で、僕がハーフということ、日本にいたこともあったので、よく日本の素晴らしさを話したりしました。


彼女は元々日本文化やアニメなどが大好きで、大学生の時、日本に短期留学をすることになったんです。


その時僕は既にイギリスで仕事をしていたので、時々連絡を取るくらいでしたが」



ただ淡々と話すのをみて、朱音は何か怖い、と感じた。


美しいグレーの瞳はただの綺麗なガラス玉の様で、そこには何も映っていない感じがする。



「彼女は、日本は楽しい、安全だ、と言っていました。


確かに日本は諸外国に比べ遙かに安全です。


でもあまり男性が優しくても信用しすぎないこと、それと遅い時間に帰ったりしないようにと伝えていました」



冬真は話しながら前を向いている。



「そんな矢先、彼女の父親から連絡が来たんです、『日本で娘が殺された』と」



びく、と朱音の身体が強ばる。


見ていた冬真の横顔が一瞬別人かと思うほど、全ての表情が消えたように見えたからだ。



「彼女は大学の友人達と食事をした帰り、何者かによって殺害されました。


事件が起きたのはおそらく夜の八時半頃。


現場が住宅街ということもあり目撃者も無く、未だに犯人はわかりません。


日本ならそんな時間はまだ安全な時間帯だと言えるでしょう。


僕も危ない遅い時間とは終電近い時間のことを言っていましたから。


だからあんな時間に彼女が事件に巻き込まれたことは、日本は安全だと信頼していた常識が崩れ去った瞬間でした」



冬真が時間が早くても一人にさせない理由がわかった。


わかったが、それだけなのだろうか、という疑問を朱音は抱いていた。


それが何の違和感なのかはわからないが。



「どうしても、彼女に早い時間でも注意すべきだと言わなかったのか、誰かと一緒なら、誰か迎えに行っていたらあんなことには、と思ってしまうんです。


だから朱音さんがこちらに来たとき、家主である以上僕が朱音さんの安全を守る立場になったのだと思いました。


何かあっては朱音さんのお父さんに申し訳が立ちません。


最初に魔術であんな怖い目に遭わせておいてと思われるでしょうが、魔術的なものならある程度防御することは出来ます。


朱音さんには既にそういった対策は取っていますが完全に防げる物ではありませんし、魔術などより人で守ることにこだわってしまったのは、またあの後悔を味わいたくないという僕自身の勝手な気持ちからで、結果的に朱音さんの自由を縛ってしまいました。


今後は一切なくします。


本当にすみませんでした」



そう言って朱音の方を向けば、朱音は目に涙を溜めていた。


さっきまで色々な事が嫌で仕方が無かったのに、いつも笑みを浮かべて優しく微笑んでいる印象しか無い冬真があんな表情で話したことを聞いてしまったせいなのか、朱音の心が酷く苦しい。


冬真はポケットから真っ白で綺麗なハンカチを出すと、そっと朱音の瞳から少しだけ流れた頬の涙を拭う。


しかし朱音は目の前の冬真に視線を合わすこと無く俯いてしまい、冬真はハンカチを持ったまま心配そうにそんな朱音に落ち着いた声で話しかける。



「すみません、とても不愉快だったでしょう。


部屋に戻りますか?それとも何か飲み物を持ってきましょうか?」



冬真が心から心配しているのがわかる。


それが余計に朱音の涙を溢れさせた。



「・・・・・・嫌なら、突き飛ばして構いませんから」



真面目な声でそう言うと、冬真は朱音のすぐ横に座り朱音の肩を引き寄せ、ゆっくりと頭に手を伸ばし朱音の黒髪を撫でる。


朱音は驚き身を固くしたが、段々と何か押さえていたものが溢れ流れ出てきたのか、声を押し殺したように泣き出した朱音を冬真はただ優しく髪を撫でていた。



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