第7話




言われたドアの前で待っていれば、出てきたのは朱音を家まで送ってくれた真っ黒な長髪を後ろで束ねたあの男だった。


昨日と変わらずきっちりと黒のスーツ姿で、背は高いのだが細身なせいなのかあまり体型だけなら迫力は感じない、が、上から無表情で見下ろされ、別の圧力を感じて怖さを感じる。



「こちらへ」



その男に言われ屋敷に足を踏み入れると思わずこっそりと朱音は見回す。


入った場所すぐに靴を脱ぐための広めの玄関があり、用意されたスリッパに履き替えもうひとつ現れた上半分が磨りガラスのドアをその男が開ければ、二階まで吹き抜けのホールが現れた。


目の前には階段が右側から二階に向けてあり、木の手すりは時代を感じさせる色の濃さだ。


このロビーからも二階の通路が見えどうやらドアがあるのはわかっても部屋数はわからず、一階には目の前や左右にいくつかのドアが見える。


男は階段を上がる場所の左側にある、玄関から入ってほぼ正面にあるドアをあけ、朱音に入るよう視線を向けた。


ドアを開けている無表情の男にビクつきながら中に入ってみると、そこはリビングだった。


木の肘掛けのついた数人がけの大きなソファーと、木製の広いローテーブル、奥にはサンルーフのような場所があり、そこにも大きな一人がけ用のチェア、天井からつるされたチューリップ型のランプからは温かなオレンジ色が部屋を包んで、部屋を落ち着かせる。


男は朱音をソファーに座らせると、無表情のまましばらくお待ちくださいと言って部屋を出て行った。


朱音は部屋の中が気になって、失礼だと思いつつもせめて座って見ますので!と訳のわからない言い訳をしつつ部屋を見回す。


ここはプライベートな空間のようで、木製の古い本棚に外国の本なのか古い本がずらりと並び、壁には大きなテレビが取り付けられアンティークと近代的なものがあるのに不思議と馴染んでいる。


トントン、というノックする音がして慌てて真面目な顔をして朱音が座っていると、例の男が軽く会釈をして違うドアから片手に大きなトレーを持ち入ってきた。


ローテーブルの上にトレーから可愛らしい焼き菓子が沢山置かれたお皿、そして可愛らしいピンクの花柄のソーサーとカップを置き、ティーポットから静かに注げば爽やかな香りと共に薄い湯気が立ち上がった。


可愛いカップなだけに、これをこの無愛想な男が選んだのかと思うと笑えてしまう。


いや、多分冬子さんの趣味で可愛いものしか無いのだろう。


勝手に朱音は一人納得した。



「紅茶はエディアールのエディアールブレンドになります。


主(あるじ)はまだしばらく時間がかかりますのでこちらにてお待ちください。


そしてご用がある場合はこちらのベルを鳴らしていただければすぐに参ります。


決して、勝手に、こちらの部屋を出ないようにお願いいたします」



朱音を見ているようで見ていないように感じる真っ黒な瞳でその男が念押しするように言うと、クリスマスの音楽会で使いそうな小さなハンドベルを机に置いて会釈をすると出て行ってしまった。


朱音は男が出て行ったのをみて息を吐く。


あんなに、視界に入れないかのように冷たくあしらわれるとやはり凹む。


私のような庶民がうちのお嬢様に近づくなどもっての外!とか思っていそうだ。


それももっともだと思いながら透き通ったオレンジ色の液体に口をつければ、柑橘系の香りが優しくて、少し気持ちが楽になった。


お菓子をつまみ、紅茶を飲みつつ、時々スマホをいじりながら冬子を待つが、仕事部屋の音は全く聞こえない。


朱音は、冬子の方からわざわざ直接渡したいと言ってくれたことで、もしかしたらこれを機会にお近づきになれないだろうかとドキドキしながら、置かれているティーポットに被せられたキルティング製のカバーを取り外し自分でカップに注いで、自分の気持ちを落ち着かせながら冬子が来るのを待っていた。





********





以前朱音を招き入れた仕事部屋では、朱音が怪我の手当を受けた大きな一人がけのソファーがほぼ真横に倒され、そこには目を閉じたロングヘアの若く美しい女が寝ていて、部屋の中はアロマオイルの香りが蒸気と共にたゆたっている。


オイルにはこの洋館の庭で育てた、ローズマリーにセージなどのハーブがオリジナルで調合されていて、今まさに魔術儀式の最中だった。


この生き霊にとらわれた女性から生き霊を完全に引き剥がすため、冬真は女の姿をして過ごしていた。


依頼者を紹介してきたのは冬真の本業での馴染みの相手で、先に紹介者から事情を聞いていた冬真は女装をして、最初から依頼者自身に女性だと信じ込ませた。


紹介者からの情報を鑑み、その女性に憑いている男の警戒を緩ませるためには男して会うのはマイナスと判断した故で、女装だけではなく男としての匂いを消すために独自に作った香水をまとわせ、何度も依頼者とそしてその後は生き霊である男と中心に会話を続けた。


その男は一方的に彼女に好意を抱きストーカー行為だけでは満足せず、生き霊になってでもつきまとう状況に警察で対応してもらえるはずも無く、依頼者である彼女は心身共に衰弱していった。


今夜が彼女から生き霊の男を引き離す日だったのだが、まさか今日朱音が来るというのは予想していなかった。


だがリビングのドアには先ほど封印をし、もしこの部屋から生き霊が逃げたとしても彼女に被害が及ぶことは無い。


これ以上生き霊に取り憑かれたままでは依頼者である彼女の身が持たないと、最後の儀式を決行することに決め、冬真が、ゆっくりと呼吸を繰り返す目の前の女を注視していれば、段々と部屋の中の空気が濁りだしてきた。



『アァ、アイタカッタ・・・・・・』



寝ている女から、何故か男がゆっくりと起き上がる。


角張った大きな顔、目と口が異様に大きく一見人間には思えない。


元々の男の執着をこの依頼者からから冬子、冬真が女装した女にターゲットを変えることは思ったよりも簡単に出来た。



「さぁ、こちらへ」



部屋の中心にあるテーブルを指さし艶やかな唇でそう言うと、男はあからさまに喉を鳴らすような音をさせて、女から離れてそこへと浮遊しながら向かう。


それをみて、寝ている女性を隠すようにラタンのパーティションを広げれば、これであの男には見つからず依頼者の身は一時的にしのげる。


冬子は微笑みながらその男とテーブル越しに座った。



「・・・・・・私への愛の証明として、あの女性に二度と近づかないと誓いますね?」



『モチロンダ』



その言葉を吐いた瞬間、男の首に細いチェーンが絡まったのを男は知らない。


今までも一つずつ一つずつ、段階を踏んで男を彼女から離し、そしてその男自身に出来るだけダメージを与えずに生き霊となることを止めるには手順を踏むしか無い。


依頼者は生き霊の相手を知って今すぐに抹殺して欲しいかのような発言をしたが、冬子はまずは依頼者の身の安全を最優先とし、後は任せて欲しいと言って話しはまとまった。



「貴男は、私の心が美しいとおっしゃいましたね」



『ソウダ』



「外見では無く、あくまで心、だと」



『キミガドンナスガタデモ、ワタシハキミヲアイセル』



少しまであの依頼者へ生き霊になるほど執着していたのが、冬子に会った途端、この生き霊はずっと冬子に夢中だった。


それこそが冬真が女装までした目的なのだが、こんなにあっさり罠にはまり複雑な気分だ。



「その言葉、偽りないですね?」



男は頷く。



「貴男の言葉が欲しいのです。


どんな私でも私を受け入れ従う、と」



『アァ、シタガオウ』



シャラン。


また男の首にチェーンが巻き付いたのを確認し、冬子は自分の頭に手を伸ばしゆっくりとウィッグを外した。


しかし目の前の男は特に動じていない。



『ミジカイカミモ、ウツクシイ』



冬真は困ったような表情を浮かべ、男を見た。



「僕は正真正銘の男です。


それでも僕に、従うのですよね?」



聞こえるのは冬子用にわざと高くしていた声では無く、爽やかな青年の声。


笑みを浮かべている冬真を見て、男はしばらくじっと見ていたが、突然ただでさえ大きな目を取れそうなほど大きくした。



『ダマシタノカ!!』



「騙してなど。


さっきまであぁいった服装で過ごしていたかっただけのことです」



男は、ギョロギョロと周囲を見回す。



「彼女はいませんよ。それに先ほど約束したでしょう?」



『シルカ!』



途端に男の首に絡みついていたチェーンが現れ、ぐい、と締めだした。


男は突然のことに驚き、必死に首に巻き付いたチェーンを取り外そうとしている。


だが無理だと悟ったのか座っていた椅子を蹴倒し、玄関では無くもう一つのドアに飛んでいく。


そもそも玄関用のドアは男には見えないように術がかけられており、飛んでいった先のドアを開ければホールに出てそこにある魔法円がありそこで追い詰める。


本来魔法円は召喚魔術で使用するが、既に悪魔の影響を受けて始めているこの男の影響部分を消し去るために広いホールに描いた魔法円で最終儀式を行うのだ。


依頼者を完全に保護するためにも最初からその手はずだった。


だが朱音が来てしまったことで少々状況が変わったが、待たせているリビングのドアには外から封印がしてある。


だからあの男は入れないはず、だった。



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