第3話




さっき女神が出てきた大きなガラスがついたドアでは無い、正面から見て右端にある木製のドアを開け、



「どうぞ」



と促せば、そこは木のぬくもりを感じる落ち着いた薄茶色の玄関で、彼女は朱音に薔薇が一輪描かれたシックなスリッパに履き替えさせ、目の前にある鈍い金色のドアノブを回し中に入った。


そこは思ったよりも広い部屋で、奥の窓は大きく裏庭の緑が見える。


部屋の真ん中には大きな長方形のテーブルと椅子があり、ここは洋館でも右端の部屋なのか、右側の壁の真ん中にはシックなタイルで周囲を覆った暖炉。


至る所に観葉植物や花が飾られ、そろそろ夕方という割に部屋の中は優しげな光で満たされていた。



『良い香り。それになんだかこの部屋、凄く透き通ってる』



朱音は少しくんくんと部屋の空気を吸い、そんな不思議な印象を抱いた。



「ここに座って下さい」



朱音の手を優しく取り、部屋の隅にある身体全体を包む混むような黒の革張りの大きな椅子に座らせると、女神は怪我をしたところに真っ白なハンカチを当てた。


思わず朱音はぎょっとする。白のハンカチなんて当てたら血が染みついて下手したら落ちなくなってしまう。



「救急箱取ってきますから、押さえていて下さいね。


それと申し訳ないのですが、ストッキングを脱いでおいて下さい。


隣の箱に入れておいて頂ければ」



朱音がハンカチをどかそうとしたら、朱音の手を取って自分の代わりにハンカチを押さえさせると、ふわりと笑みを浮かべ彼女は高さのあるラタンの間仕切りを椅子の回りにおいて出て行った。



朱音はまだ自分の状況が理解できず、椅子に座りハンカチを傷に当てながらぼーっとする。


自分の不注意で怪我をしてしまっただけなのに、女神のように美しい人が見知らぬ自分にこんなにも優しくしてくれている。


捨てる神あれば拾う女神あり。なるほど、世の中捨てたものじゃない。


感動に浸りそうになりながら、ストッキングのことを思い出し慌てて脱いで隣の小さなゴミ箱らしき箱に入れると、ガチャリと音がして誰かが入ってきた。



「そちらに入っても良いですか?」



「はい」



そう答えると間仕切りが開き、女神は木製の救急箱を持って朱音の足の前に正座した。


脱脂綿に消毒液をつけ、少ししみますから、と言うと、優しく傷口に当てる。


消毒液からもたらされるじんじんとした痛みに朱音が顔をしかめると、女神が申し訳なさそうに見上げた。



「ごめんなさい、もう少し我慢して下さいね」



「いえ、こちらこそすみません」



朱音からすれば何一つ彼女のせいではないのに、彼女はとても申し訳なさそうに怪我の手当をしている。



『まつげ長いなぁ。肌なんて凄くきめが細かい。


一応化粧してるよね?素材が良いとこんなに違うんだ。


大抵の男性はイチコロだろうなぁ、こんなに美しい人』



自分の足に女神が手当てをしてくれている様子を見ながら、彼女の瞳の色に気が付いた。


深い灰色なのだが、彼女が動くたびにその瞳は少し光って見える。


それも灰色では無い、何か他の色に。



『まるでラブラドライトみたい』



あのロンドンの王子様にもらった石は少し不思議な光を放つが、目の前にいる女神の瞳はそれを彷彿とさせた。


その石は普通に見れば灰色なのに、動かすと周りの光をまるで全て味方につけたかのように美しい上品な深い青へと変化する。


深いグレーの色が、上品で美しいブルーに変化するのを見るのが朱音は大好きだ。


まるで普通の人が美しい人に変わるのか、それともそれを隠して普通の人のように振る舞っているかのような、そんな二面性があるようにも思えるあのラブラドライトは、とても魅力的な石なのだ。


ふと朱音が間仕切りが開けられた部屋を見回すと、不思議な物が色々とあることに気がつく。


不思議な花や美しいアメジストの大きな原石、大きなテーブルの上には何か不思議な物が並んでいて、アロマがたかれているのか、何かの機械から水がコポコポと音を立てている。


この部屋がただの部屋では無いことがわかっても、ここで何をしているかはわからなかった。



「気になりますか?」



すぐ側から声がして朱音は慌ててそちらを向けば、見上げるように女神が微笑んでいる。



「ここは私の仕事場なんです」



少し部屋の方に目線を向けた後、女神は朱音を見る。



「どんなお仕事をされているんですか?」



「占いと、カウンセリングのようなものですね」



朱音が困惑したような顔をしたせいか、女神は少し笑い、



「そんなことを言われると怪しく思うのは無理も無いことです」



「いえ、私占い大好きです!」



朱音が慌ててそう言うと、女神はきょとんとしたあと、くすっと笑った。


可愛い。くすっと笑うと美しさに可愛らしさまで追加されるなんてずるい。


こんな美しい存在と生で対峙したことの無い朱音のとしては、新たな発見ばかりだ。



「簡単でよければ占いましょうか?」



朱音がそんなことを思っているとは知らず、女神は声をかける。



「良いんですか?!あ、えっとお値段は」



思わず反射的に言ってしまったが、チェーン店のような占いでもそれなりにするのに、こういう個人のとこでやっているのはとても高額な場合が多い。


慌てて朱音が遠慮がちに質問すれば、女神は心配させないように優しく微笑む。



「もちろん無料です。こちらがご迷惑おかけしたのですから。


あぁ、ご挨拶が遅れてしまいました」



女神は未だに朱音を見上げながら、艶やかな唇が動く。



「私の名前は、吉野冬子(とうこ)と申します。


おそらく外国人と思われていますが、イギリス人と日本人のハーフなんですよ。


お名前を伺っても?」



「こちらこそご挨拶が遅れて失礼しました。


相良朱音と言います。


治療して頂きありがとうございました」



「いえ、こちらがご迷惑をおかけしたのですから。


では朱音さん、もし足が大丈夫でしたらあちらに移動しましょうか」



冬子はそう言うと、部屋の真ん中あたりにあるテーブルに視線を向けた。







暖炉を背にし冬子が、テーブルを挟み入口側に朱音が座る。


年季の入った色のアンティークなテーブルの脚が、えんじ色のテーブルクロスから覗く。


椅子もテーブルとセットのようで、焦げ茶の木の椅子は曲線的なデザインがほどこされ、格式高い印象を受ける。


冬子は使い古された辞書のような本を手前に置く。


横にはノートパソコンが畳んで置いてあり、何に使うのだろうかと朱音は疑問に思っていた。



「詳しくホロスコープを見るならパソコンを使う方が便利なのですが、今日は簡易ですのでこちらの本で行います。


では、生年月日を教えていただけますか?」



不思議そうにパソコンを見つめていることに気がついた冬子が説明をしながら質問をする。



「1995年7月2日です」



本を開こうとした冬子の手が止まる。


朱音はそれに気がついたが、すぐに冬子は何事もないようにページをめくり、あるページを広げた。


占星術師がよく使う『天文歴』という本は、ある程度の期間の天体位置が記載されている。


占星術とは天体、星の位置を元にその人の運命を占う方法で、古くは紀元前から存在し、今も世界において色々な方法に分かれつつも親しまれているものだ。


本来は対象者の生年月日、生まれた時間、場所等をもとに現代ならパソコンを使って出生時のホロスコープを作り、細かく読み解くものである。


だが簡易で行う場合や、天体の移動などはこちらのほうがわかりやすいこともあり、占い師にとって身近なこの本は冬子も日頃から使っているもので、今回もそれを開いていた。


興味深そうに朱音は見ていたが、とある日に赤のペンでチェックがしてあったのに気が付いた。


テーブルを挟んでいるためどの日にちにチェックをしているかまではわからなかったが。



「朱音さんの太陽星座は蟹座ですが、月星座は獅子座ですね、魅力的な組み合わせです」



「月星座、ですか?」



太陽星座というのはいつも星占いで見る星座だということはわかるが、月星座という言葉を朱音は初めて聞いた。



「星座占いで皆さんがご存じの星座は、太陽を基準にしているんです。


占星術はその人が生まれたとき太陽を含めた恒星と惑星がどの位置にあったかホロスコープを作ることでその人の本質、過去、未来までを読み解きます。


月星座というのは、太陽星座の裏を読み解く、いわばその人の中にあるものを探し出すのに必要なのです。


人間は本人が気がつかない内面に秘めたものがあります。


それを読み解くための一つが月星座です」



冬子の落ち着いた声がゆっくりと朱音の耳に届く。


ハスキーというほどでもないが女性にしては低めのその声は、何だかとても魅惑的だ。


目の前の女神のように美しい女性が、不思議な洋館の一室で自分に話しかけていることが、冬子の声を聞きながら朱音を異世界にいる気分に浸らせた。



「基本は優しく、思いやりがあり、困っている人を見過ごせない正義感のある性格ですね。


協調性もあるので人をつなぐことも上手いでしょう。


でも月星座が獅子座ということもあり、心の中では目立ちたい、活躍したいという野心も持ってます。


獅子座の熱い気持ちをうまく消化できないと、フラストレーションがたまるので要注意ですね。


あなたはもっと自分の心に正直に、思いのままに動いても良いと思いますよ」



その言葉を聞いて朱音は胸がぐっと締め付けられる。


彼女は知らない、私の状況を。


悪意の無い優しさが、とてつもない重しとなって自分にのしかかっていることも。


それを外に吐き出したことはほとんど無い。


吐き出したって、何の解決も生まないことを知っているからだ。


だけど。ここでなら、彼女になら少しくらい話しても良いのでは無いだろうか。


きっともう会うことも無い相手。


そう思っていたら言葉を出してしまっていた。

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