私の神様

城島まひる

本文

故郷イル・ディーヴの世界を捨て、白蛆シャルソーと名乗る白髪の女生と共に他世界にやってきた私ヴィズ・エラルは、"ざらめ屋敷"とは呼ばれる庭園付きの大きな屋敷で文章管理の仕事を与えられていた。

屋敷にある書庫は敷地の1/4のスペースを使用しており、様々な言語とジャンルの書籍が陳列している。

私の仕事はそれら書籍の貸出し及び整理、そして人目に晒すことが危険な書籍の管理だった。中には内容を一文読むだけで、読んだ者に死を与える書籍もあるらしいが、屋敷の住民の殆どの者が、どの書籍が危険か把握しており、さして注意を払う必要はなかった。

だからと言って楽な仕事かと聞かれればそうでもない。


書庫の広さ故かたまに訪れる屋敷の住民たちは、自分から好みの書籍を探そうとせず、入ってくるなり私に尋ねてくる。無論その対応も文章管理を仕事とする私の職務の一つだが、その……尋ねてくる住民たちの要求が一々濃いのだ。

例えば二日前、黒いネグリジェを着た人喰い妖怪が書庫を訪れた時、私に声を掛けてきた。


「司書様、わたくし本を探しております。内容としましてはそうですわねぇ女性が男性を性的にいたぶるものを……」


私は引きつりそうになる表情筋を必死に抑えつけ、作り笑顔もとい営業スマイルで何とか対応する。


「その……内容までは存じませんが、女性が攻め側の官能小説であればこちらの棚にありますよ」


そう言って私は先導して歩き、その後に人喰い妖怪が続く。私は件の棚に近づくにつれ、段々と羞恥で顔が熱くなってくるのを感じていた。

ざらめ屋敷の主人の趣味なのか、書庫にある成人向けの書籍は過激なものが多く見られる。正直この辺りの書籍は整理するだけで気疲れしてしまう。十一歳になったばかりの私には刺激が強すぎるのだ。まあ利用者自体は少ないのが幸いだ。

仕事の内容で大変なことと言えばそれくらいで、それ以外に不満を抱くことはなかった。


それにこの屋敷には人間――普通の人間ではないけど――や妖怪など、様々な存在が暮らしている。そして屋敷の主は訳アリな存在たちを匿い、この屋敷を管理している。

そのため個性的な人たちが多く癖が強い。中でも、神代胡雨かみしろ こさめ様や私を屋敷に連れてきた白蛆は物腰が柔らかく、なかなか屋敷の雰囲気に馴染めない私を気にかけてくれた。特に白蛆はことあるごとに謝ってきて、自己評価が凄い低い人物だと知ったのは屋敷に来てから一週間経った頃だった。


「ごめんなさいごめんなさい。本を間違ったところに返してしまいました!死んでお詫びします〜」


「落ち着きなさいっ」


頭を何度も何度も卓上にぶつけて謝る白蛆と、それを止めさせようとする胡雨様。いや本当にやめてほしい机が血塗れになっているし……

なんでも白蛆は文字取り蛆虫が妖怪化したもので、ある海外の墓から屋敷の主が連れ帰ったのだという。彼女は蛆虫の分際でごめんなさい……と言っては自罰的な行動を何度も起こす。

しかし主からの命令は絶対厳守で、役に立とうと必死で任務を遂行しようとする。だからなのかイル・ディーヴに主の命で私を迎えに来た時の彼女と、プライベートな時の彼女はまるっきり別人だった。最近、小説で読んだ職場と自宅でガラッと雰囲気が変わるOLみたいだと思ったが、私は口に出さずその言葉をそっと胸に閉まった。


 *


"────認めてはいけない。そう何度も連呼し神に祈るも、そんな私を見て夫はいつも"神はいない。神は否定され、拒絶された。"と呟くばかり。アポロ11号による月面着陸が有言実行された時、宗教は科学によって完全に否定された。

長く数世紀に渡りヨーロッパの政治を収めてきたキリスト教の威厳を地の底まで落とした。

あいつらは馬鹿なのだろうか?例え神がいないとしても、その存在を信じなくては生きていけない人々がいるということが、まるで分かっていない。そんな人々を彼らは"軟弱者"など罵る。彼らは人間じゃない。人間にとっての強みであり弱みである心を持たず、物事を論理的に考えることしかできない機械だ。

しかしそんな彼らもいずれまた後悔の念に苛まれるだろう。娘に先立たれ、夫に殺されたキリスト教福音主義の一派、プリマス・ブレザレンの敬虔な信徒である私サラ・エラルが死後見た世界。そこに神はいない。ただ永遠に続く荒野と地平線に浮かぶ太陽のみ。信奉者も無神論者も、善人も悪人も、等しく太陽に焼かれ、身体が焦げて炭化しやがて塵と化す。

絶望。それがこの世界の現実だ。彼らが暴けない真実だ。人は最後には必ず宗教を欲する。例え科学によってすべての原理が解明されたとしても、人は宗教を捨てることができない。己の死という"未知"に対し成す術がないと気づいたとき、人は宗教とその神から習うのだ。死後の世界の真実ではなく、その道に対する"恐怖"にどう備えるべきかを。"


私はそこまで読み終えるとを閉じ、書庫の貸し出しカウンター用の机の上に置いた。この手記は私が元々いた世界、言わば故郷である世界で死んだ母があの世イル・ディーヴで書き残した手記だ。

昨日、恋愛小説を返しに来た白蛆が、返却手続きの際に渡してくれたのだ。半ば強引に此処に連れてくる形になってしまった為か、白蛆は責任を感じている様だった。その為、せめて形見になりそうなものをイル・ディーヴから回収してきてくれたのだ。

私が白蛆によってこのざらめ屋敷に連れてこられた際、薄暗い部屋の中で顔の見えない屋敷の主の口から出た言葉は、確かに故郷というべきあの世界に残した来た両親に思いを馳せるだけの力があった。


「ヴィズ・エラル。君の生まれ育った世界の神は死んだ。その世界の人間たちが科学を掲げ神を否定、拒絶した為にだ。しかしそれ故に、科学の領分ではない輪廻転生を管理する神と天使をも死んでしまった。しかし後継者が生まれた。そしてその後継者こそ君だ、ヴィズ」


「…はい」


屋敷の主のその言葉を聞き、私は神から賜った深紅のローブ、そして天使から受け取った分厚い羊皮紙の洋書と羽根ペンをぎゅっと握りしめた。そして彼らの悲しそうな、何処か物憂げな表情を思い出す。最後に声掛けてきたエノクと名乗った青年は、そんな彼らを見て不安を示した私に、そっと優しい言葉を掛けてくれたのを覚えている。


「今頃、あの世界では死んだ者から順に沈まぬ太陽に焼かれ、焦げていきやがて塵と化しているだろう。そして君の両親も亡くなれば、例外なく沈まぬ太陽に害されるだろう。そして全ての死せる者が塵へと還ったなら、最後に君が、神の後継者である君が塵となって消える番だ。だがそれを私は望まない」


それはどうしてですか?という問いを私は咄嗟に飲み込んだ。顔は見えずとも唯一つの目的をやり遂げる強い意志、その活力を宿した屋敷の主の瞳が私を見つめていた。

なのだ。そう察することが出来た。

そんな私の内心など知らず、屋敷の主は言葉を続ける。


「一応、尋ねるが君の君の生まれ育った世界の惨状を知ったうえで、戻る気はあるか?もしあるのであればすぐに戻してやることが出来るが…」


「その必要はありません」


私、ヴィズ・エラルは即答した。

あの壊れた世界で何が出来る?何が果たせ様か?生まれてから十一年の間、聖書を人生の教本と教えられ神を信じて生きたきた私に、神のいない世界など在るべきところではない。そして白蛆は私をイル・ディーヴから連れ去る時に言った。


"────『この"世界"はもう収取がつかない失敗作です。ある"世界"に対比する様に紡がれたこの作品は、残念ながら最後まで紡がれることはないでしょう』

『私はこの世界における"本物の神様"のことを言っているのですよ♪』"


今、目の前に座っている顔の見えない和服の男。彼こそが、あぁ、本物の神様私の仕えるべき神様に違いない。

私は屋敷の主の部屋から退室する際、一つ質問を投げかけた。それはイル・ディーヴで神と天使が私に掛けた三つの言葉だ。


『タリタ・クミ、少女よ、さあ、起きなさい』

『エパタ、開けよ』

『聞く耳のあるものは聞きない』


「ざらめ屋敷の主様、あの世界で神と天使が私に掛けた言葉はどういった意味なのでしょうか?」


ざらめ屋敷の主は一瞬身構えるもフッと息をつき、毛嫌いする様子を見せず吐き捨てる様に言った。


「ただの門出の祝言だ。それとこれから私のことはお館様と呼びなさい」


-完-

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