第九話「春が来る」

【一章】本命は誰?

 今日は三月最後の日曜日。私服姿の葵は大きめの荷物を持って家を出て歩いて行った。向かう方向からして凛の家だろう。


(お兄ちゃんにはバレてるんだぞ!)


 三田家の少し先の十路地で隠れる様にして葵の姿を見るのは、葵の兄――陽斗はるとだ。見失わない程度の距離を保ちながら追いかけていると、予想通り北川家に着く。少しして凛が出て来て二人は手を繋いで歩いて行った。


(何故知っているのか……それはこの前帰って来た時にカレンダーに印があるのを見たからだ!)


 この前と言うのはホワイトデーの時の事だ。あの時久しぶりに実家へ帰って来て、自然と葵の部屋に入っていた。葵がいないので寂しくなっていたのだがカレンダーに赤丸が付いているのを見ていた。

 兄妹であれ人の部屋に勝手に入ったのを知ったら葵は怒るだろうが、陽斗は社会人になって間もなく、一人暮らしをしている。だから葵と会う機会も少なくなっていて、この前気付かれなかったのだからこれは内緒の事なのだ。


(あれ? 凛くん……? 忘れ物か……あぶねぇ)


 いつの間にか家に戻っていた凛が再び家から出て行ってバス停へ向かう。気付かれない様に隠れながら陽斗は一旦実家に帰る。軒先にある自分の自転車はまだ使えそうだ。玄関から鍵を取って来て自転車を漕いで駅前へ向かう。

 ここからバスに乗るという事は行く先は駅前しかない。途中には葵の通う学校位しか大きな施設は無いので、そう考えるのが必然と言えた。だから葵達が乗ったバスに間に合う様に全力で漕いで、駅前に着くと駐輪場に止めて急ぎつつ――だけど慎重にバス停へ向かう。バスから降りた人々が駅に向かうのが確認出来て、物陰に隠れながら陽斗は葵の姿を探す。


(ってもう改札じゃんかよ!?)


 バスが着くのは陽斗より少し早く葵と凛は丁度改札を潜る所だった。早足で後を追い、二人が立つホームから二つ隣の扉の前で様子を伺う。二人が電車に乗ったのを確認すると陽斗も気付かれない様に尾行を続けた。


 *


 数駅で降りて向かった先は桜が綺麗に咲いていて、花見客で溢れていた。二人は相談しながら開いている場所を探している様に見えた。少しして開いている場所にレジャーシートを広げ座って笑い合う二人。それを遠くから座って双眼鏡で眺める陽斗。


(随分楽しそうだな……! でも二人がちゃんと仲良くしているのか見定めさせてもらおう――)

「ねえ」


 陽斗の後ろから聞こえた声に振り向くと、思考が停止した。もう一度葵と凛の方を見ても確かにそこに凛はいる。


「あんたうちの前にいた不審者でしょ」

「はぁ!? テメェこそいきなり何なんだよ!?」

「あたしはにーにがちゃんとしてるか見に来ただけよ」

「にーに……?」


 凛と瓜二つの少女は兄の様子を見に来たと言っている。そもそも兄とは誰の事だろうか。否、予想はつく。だって目の前の少女は口調が違うだけで凛なのだから。


「あんたにーにの何? それとも葵さん目当て……?」

「な、オレは葵の兄貴だぞ!? 妹を心配して何が悪い!!」

「……嘘でしょ……?」

「嘘じゃねえ! ほらこれで証明してやる!」


 そう陽斗は財布から運転免許証を取り出して凛にそっくりな少女に見せる。個人情報が駄々洩れではあるが、確かにそこには『三田陽斗』と言う名前が記載されていた。ついでに見えてしまった生年月日を見て少女は驚いて口を開けたままだ。


「嘘……葵さんにこんなお兄さんがいるなんて……しかも二十歳越えてるし……」

「オレの身分は証明したぞ。で? お前は凛くんの兄妹って所か?」

「……にーにの事も知ってるの……そう……。分かったわ。ちゃんと自己紹介しましょう。あたしは北川杏。凛の双子の妹」

「そうか双子の妹かー! そっくりな理由が分かって安心した」


 ニカっと笑みを向けられて杏は目を丸くする。双子だと言うと大体驚かれるのに、陽斗の反応はなんだか今まで会って来た人と違う。


「……双子って聞いて驚かないのね」

「ん? 驚いて欲しかったか?」

「そういう訳ではないけど……」

「オレの身近に双子がいるからなー。それだけ」

「そう……」


 今まで出会って来た人々と違う返答に戸惑ってしまう杏を見て、陽斗は不思議そうに立ったままの杏を見上げていた。


「年上を見下さない」

「……!」

「あと敬語。まあ二人の知り合いなら別に気にしねーけど」

「ご、ごめんなさい」


 そう言って杏は陽斗の隣に座ろうと腰を下ろす。


「ちょっとストップ」

「ひゃ! な、何!?」

「無いよりマシだろ」


 そう陽斗はポケットからハンカチを取り出して広げ、杏が座ろうとしていた所に置いた。こういう所は葵と兄妹なんだと解かってしまって、少し悔しがりながら「ありがとう」と小さく呟いて腰を下ろした。その声を聞いて陽斗は口端を上げる。


「で? 杏ちゃんはどっちが本命なんだ?」

「は?」


 突拍子もない質問に、杏は低い声が出てしまう。本命も何も凛と葵は付き合っているのだが。

 

「オレは葵一筋だけど」

「……本当に好きなんだね。あたしも……好きだけど」

「そっかーじゃあオレ達ライバルだな!」


 陽斗のその言葉に、杏は勢いよく陽斗を見ると、双眼鏡で二人を見る姿がそこにはあった。


「え?」


 今日は調子が狂う日なのかもしれない。目の前にある現実を受け入れられれば簡単に悩まなくて済むのだが。隣に居る葵の兄は、何を思って双眼鏡を覗くのか。杏の苦悩はまだ始まったばかりである。

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