プロローグ/第一章 『ラキ花』の世界に転生しました

「──コーデリア、君とのこんやくしたい」

 やわらかな日差しが降り注ぐしつ室。大きな机を前に座っているのは、コーデリアの婚約者である第一王子アイザックだ。

 ラピスラズリをかし込んだような青のかみはさらさらで、同じ色のひとみは理知的な光をたたえてきらめいている。たんせいな顔立ちは甘く、今まで何千人、いや何万人の乙女おとめをときめかせてきたのやら。かく言うコーデリアも、ときめいてきたうちのひとりだったりする。

(さすがヒーロー、今日もうるわしい……! 対してわたくしは悪役れいじよう。とうとうこの時が来てしまったのね……)

 しんみようおもちで見つめながらコーデリアは思った。

 婚約破棄はもう何年も前からかくしてきたことであり、今さらこの流れに異論はない。

 ……ないが、いざその台詞せりふを言われるとやっぱりつらいものがある。

(原作ではやみちからのじよ化でしたけれど、それはさすがにぶつそうすぎるから、ここは一発ビンタ……いえ、グーパンをおいした方がん切りがつくかしら?)

 などとらちな考えをいだきながら、悲しみに痛む胸を押さえていると、アイザックがクッと言葉をまらせた。

「そう、婚約を……破棄……」

(いえ、やっぱりやめましょう。グーは私も痛いしビンタも痛いわ。それより、せっかくだからいわゆる『ざまぁ』をねらう方が良いのかしら。この日のためにみがいてきた闇魔法、中々のものになってきたと思うのよね)

「破棄……したくない……いやしなければ……」

 すっかり自分の世界に入っていたコーデリアは、その時になってやっとアイザックの様子がおかしいことに気付いた。

 ん? と思ってよく見てみると、彼は痛みでも感じているかのように顔をゆがませている。

(様子が変だわ。やだ、もしかして私、気づかないうちに闇魔法でも発動させちゃった!? さすがにそれはまずいわ!)

殿でん! だいじようですか!?」

 婚約破棄されたからといって、王子に闇魔法なんて使おうものならしよけいまっしぐらだ。

 コーデリアはあわててけ寄り、アイザックの両手を取った。こうすることで、体内の魔力を感じられるのだ。

(……うん、闇魔法のせいではないみたい。それなら一体どうして?)

 不思議に思い、視線を上げたところであざやかな青の瞳とぶつかる。その瞳は苦しげに歪められており、それでいて何かうつたえかけるような強い光を放っていた。

 いつも冷静ちんちやくで、めつに表情をくずさない彼の様子にコーデリアはおどろく。

「アイザック殿下……?」

「すまない、コーデリア。私がないばかりに、君にはつらい思いをさせている。本当は、婚約破棄などしたくないのに……!」

「ちょ、ちょっと待ってください殿下。意味が分からないので、くわしく説明していただけますか!?」

(なぜ、婚約破棄をする側が死にそうな顔をしているの!? つうそこは逆じゃないの!?)

 コーデリアの言葉に、アイザックは大きなため息をついた。それから、すがるようにぎゅっとコーデリアの手をにぎる。

「……聖女殿どのに、婚約破棄しないと国をほろぼすとおどされたんだ」

「──なんて!?」

 その時うっかりの言葉を使ったことに気付いたのは、後々になってからだった。


   〇 〇 〇


 ──話はさかのぼり、まだ〝コーデリア〟が〝〟だったころ

 加奈が欲しいと思ったものは、すべて幼なじみの〝ひな〟のものだった。

 はつこいけん君には「おれ、ひなちゃんのことが好きだから協力してくれる?」と言われ。

 学芸会では担任に「おひめさま役の台詞が多いって言っているから、加奈ちゃん、木の役になってカンペを見せてあげてくれる?」と言われ。

 きわめつけに、就職先の会長には「ひなちゃんを広報部の社内タレントにしたいから、彼女の仕事を代わりに手伝ってくれ」と言われ。

(……いや仕事を手伝うって何なのよ手伝うって! 私たち同期なんですが!? 要するに、めんどうな雑務は全部私がやって、がらだけひなにあげるってことじゃない!)

 その日の加奈は、ロケで使う大量の荷物をかかえて階段を上っていた。

 夏真っ盛りの照り付けるような日差しの下、大きなため息をつく。

(確かにひなは可愛かわいい。女の私でもくしたくなるくらい美人だと思う。でも、それに巻き込まれるのはうんざりよ……)

 加奈は小さい頃から、「可愛い可愛いひなちゃん……とその幼なじみ」という、おのおまけみたいなあつかいをされて育った。

 その上ひなは何もできなくて、なんでもかんでも加奈をたよってくる。そのせいでやたらめんどうがよくなってしまい、また、見るからに女の子らしくて可愛いひなと並び続けたせいか、気付けば加奈は男の子たちから女性扱いされなくなっていた。

 ガリ勉のスグルくんからは「加奈さんってなんか、母親みたいですね」と言われ。

 人気者のハヤトくんからは「加奈ちゃんってお母さんっぽい」と言われ。

 やんちゃなアツシくんからは「お前あれだよな、うちのおかんに似てる」と言われ。

(言葉は全部ちがうけど、要するに〝おかんだかられんあい対象外〟って意味なんだよね……!)

 くぅっ、と加奈はこぶしを握った。

 本当は自分だって、可愛くて守られる側の女の子になってみたかった。でも、周りのかんきようがそれを許さなかったのだ。

(いいけどね! おかげで私、何でも自分でできるし! ひとりで生きていけるし!)

 ぐすっとはなをすすって、加奈はまたよいしょと重い荷物をかつぎなおした。

 加奈とて、ずっと今の環境に甘んじていたわけではない。

 早々に〝だつ・ひな〟を目指して努力してきたのだ。と言っても、できるのは勉強だけなのだが、ひなにはへん的に難しい高校に入ったら、ひなもなぞすいせんわくでまさかの合格。

 大学こそは! と国立大に入って一時のへいおんを得たはいいものの、就職先のぎようでまさかの再会。しかもひなは会長のお気に入りと来た。

(私の今までの努力って、何だったんだろう……)

 入社して三年、念願の広報部に入れたと喜んだのもつかの間。加奈はひたすら同期であるはずのひなのサポートをさせられ、手がけた仕事はすべてひなの名前で報告され、ようやくたずさわれたはなばなしいプロジェクトは、土台を整えたたんひなに担当を移され……。

 もはや、仕事にまったくやりがいを感じられなくなっていた。

「ねえ加奈ちゃん」

 そんな加奈の気持ちなどつゆほども知らず、いかにも女の子といった可愛い声で前を歩いていたひながり向く。そのひように、ミルクティーカラーの髪がふわりとなびいた。

「この間おじいちゃんがグッティーの新作バッグを買ってくれたの。でもひな、もう同じのを持っているから、よかったらもらってくれない?」

 ひなが言う〝おじいちゃん〟とは決して血のつながった祖父のことではない。ひなを社内タレントとしてばつてきした例の会長のことだ。会長をそんな風に呼んで首が飛ばないのはこの子ぐらいのものだろう。

「いや、いいよ。私、そんな可愛いかばん似合わないし……」

「え~? 残念。ひなの持っているもので何か欲しいのがあったら、何でも言ってね?」

 そう言って、人差し指をほっぺに当てて小首をかしげる姿はとても愛らしい。この仕草ひとつで、一体何人の男がやられてきたか。

(一応づかってくれるあたり、ひな自身はすっごいいやな子ってわけでもないんだよね……。尽くされるのが当たり前すぎて、感覚がおかしくなっているだけで……)

 そう、ひなは悪意があってやっているのではない。ただ地球が回っているのと同じように、尽くされるのが当たり前の世界に住んでいるだけ。

 だが巻き込まれる方はたまったものではなかった。特にひなのりよくにやられて、目の色を変えてしまった男性じんつかまった時は最悪だ。

 以前、勇気を出して「資料作りくらいは自分でしてほしい」とひなに言ったら、後日上司(もちろん男)に「どうしてひなちゃんが資料作りをしているんだ? お前の仕事だろう」とおこられたのだ。

 以来、ついきゆうする気がせた。

(あっ、思い出したらやっぱり嫌になってきた。異動願いを出して、それでもダメだったらもう転職しよう……)

 その時のきよかんを思い出して、加奈はひそかに決意した。

 ──ところが。

「きゃああっ」

「えっ?」

 とつぜんのことだった。

 ひなのさけび声が聞こえたかと思うと、前にいた彼女が加奈の上に降ってきたのだ。そのままスローモーションのように体がいつしゆんふわりとかび上がり──そして世界は、頭に走るしようげきとともに、やみざされた。


    ● ● ●


 加奈は夢を見ていた。

 暗闇の中で、白く発光する美しい女の人が、横たわっている加奈をひざに乗せている夢を。

れいな人……でもだれ?)

 その人は加奈が起きたのに気付いたのか、頭によくひびく不思議な声で話しかけてくる。

『ごめんなさいね、あなたたちの設定を少し間違えてしまったみたいなの。おびに、あなたにはひとつだけ好きな条件で転生させてあげるわ。何がいい?』

(えっ? 転生……って、もしかして今流行はやっている転生もの……? じゃあこの人はがみ様なの? ていうか設定って何!? そのうえ間違えていたってどういうこと!?)

 そう考えると、女神はすようにウフフと笑った。心の声を読まれているのだろう。

『さあ、望みを言ってごらんなさい。今だけ、何でもかなえてあげられるわ』

(望み、望み……。ああ、こんなことならもっと色々読んでおくべきだった。何が一番お得なの? よくわからないから、もう、努力がむくわれる世界ならなんだっていいや……)

 努力しても努力しても、ひなの前ではすべて水のあわになって消えていった加奈の人生。

 そんなのはもう、ごめんだった。

 投げやり気味に考えると、女神がまたくすりと笑う。

『いいわ。では、あなたが努力した分だけ、正しく報われる世界に連れて行きましょう』

 そう言うと、女神はやさしく加奈の頭をでた。その優しい手にいざなわれるように、加奈の意識は再び闇の中へとしずんでいった。


    ● ● ●


 次に目を覚ました時、〝加奈〟は広いベッドの上にいた。

 ひとり暮らしのころに使っていたような安物のスプリングではない本物のふかふか感に、つい無意識にそばにあったまくらきしめてしまう。おどろいたことにその枕もまたはだざわりが良く、おまけに花のようなかおりまでした。

(いいにおい……こんなじゆうなんざい使っていたっけ? というかあれ? 私、なんでているんだろ。さっきまで仕事でひなと……)

 そこまで考えて加奈は飛び起きた。

 目の前に広がっていたのは、海外の歴史ドラマにでも出てきそうなごうな部屋。

 ロココ様式とでもいうのだろうか。家具はどれも高そうなものばかりで、かべがみにはこれでもかというくらい小花が散らされている。おまけに、おひめさまベッドとでもいうべきしんだいにまで、小ぶりな天使のちようぞうがくっついていた。

「コーデリア様! お目覚めになったのですか!」

 加奈があぜんとしていると、女性の叫び声が聞こえた。

 見ると、四十代ぐらいのふっくらとした女の人が、あわててけ寄って来ている。かと思うと、加奈の手をにぎっておいおいと泣き出したではないか。

「だ、だいじようよ、ばあや」

(って何!? なんとなく言っちゃったけど、ばあやってどういうこと!? しかも私の声すごく高い!)

 知らず自分の口から出てしまった声に、加奈はどうようした。

「よく顔を見せてくださいまし、コーデリア様! ……ああ、元気そうでようございました。階段から足をみ外したと聞いた時は、ばあやの心臓が止まるかと思いました……!」

 なんて言いながら、ばあやはエプロンのすそなみだぬぐっている。

 それを見ながら加奈──今はコーデリアと呼ばれている──は、ぼうぜんと考えた。

(ああ……そういえば私の名前はコーデリアだ。この間七歳になったばかり。うん、なんかよくわからないけど、確かにそんなおくがある……)

 この家のむすめとして生まれ、優しい両親といつしよに楽しい日々を送ってきた記憶が──。

(って記憶それだけ!? なんかもうちょっとこう、とくちよう的な記憶とかないの?)

 おおざつすぎる記憶に自分でっ込みを入れつつ、ふと思い至って、加奈は急いでサイドデスクに置いてあった丸鏡を引き寄せた。

 ──そこに映っていたのは、天使かとまがうような美少女だった。

 陽光を受けてきらきらとかがやきんぱつに、深い海を思わせるネイビーブルーのひとみ。ふさふさのまつ毛にいろどられたアーモンド形の目は、ややり上がっているものの、大きくぱっちりとしており、形よくとがった鼻と愛らしいくちびると合わせてかんぺきなバランスを保っている。

(うわ、美少女! いや、美幼女!)

 そくに両手で自分の顔をぺたぺたとさわってみる。はだもきめ細やかでやわらかく、しっとりと手に吸い付いてくる感覚はごくじようだ。

(私……本当に転生してきちゃったの? あれ、夢じゃなかったんだ?)

 なおもモチモチのお肌を触りながら、加奈は考えた。

(もしかして記憶が大雑把なのって、今の私が幼すぎて全然覚えてないからなの? というか、女神様っぽい人が言っていた『あなたたち』って誰のことなんだろう?)

 そこまで考えてから、加奈はふと自分の顔にきようれつかんがあることに気付く。

(……気のせいかな、この顔にこのかみがた、どこかで見たことある)

 それからおそる恐るばあやにたずねる。

「ねえばあや。私の名前ってなんだっけ? 名字の方……」

「あら、コーデリア様もお名前を気にするようになったのですか? あなた様のおうちはアルモニアですよ。えあるアルモニアこうしやく家です」

〝コーデリア・アルモニア〟

 忘れもしない。それは加奈が大学時代、ハマりにハマった乙女おとめゲームアプリ『ラキセンの花』に出てくるの名前だった。

うそでしょ───!?」

 自分のやたらかんだかい悲鳴を聞きながら、コーデリアは頭をかかえる。

「どうされたのですかコーデリア様!? 誰か、誰か! お医者様をお呼びして!」

 突然さけんで頭を抱えてしまった加奈、もといコーデリアを心配して、ばあやが医者を呼びに飛び出していく。その声を聞きながら、コーデリアは再度がっくりとうなだれた。

(知っている……この世界……いや知っているなんてものじゃない……)


 コーデリアがまだ加奈だった頃、とあるゲームアプリにもうれつにハマっていた。

 それが『ラキセンの花』、つうしよう『ラキ花』で、中身はファンタジー色強めの乙女ゲームだ。

 主人公であるエルリーナは、ある日突然ラキセン王国の守護神・せいじゆうを従えられる聖女の力に目覚める。聖女の力は絶大で、なんと次代の王を決める権限すら持っていた。

 そんなエルリーナに、ヒーローたちは王の地位をねらってり寄ってきたり、あるいは反発したりとさまざまな姿を見せていく。

 同時に聖女をはいじよしようとするばつもあり、その中でさらにヒーローたちとの交流が生まれ、やがて愛に目覚める……というのが『ラキ花』の内容だ。

 キャッチコピーは「真実の愛を見つける物語」。

 とにかく美しいビジュアルと結構な数のヒーロー(しかもアプリだからどんどん追加される)が功を奏し、『ラキ花』は元々ゲーマーである加奈だけではなく、ゲームとはえんだったひなまで遊ぶほどだった。

 その中で加奈はヒーローのひとり、みずほう使つかいのアイザック王子にひとれした。

 初めは見た目から入ったものの、加奈はすぐに彼の優しさにむせび泣くことになる。

 なにせ、生まれてからずっとひなの引き立て役として生きてきたため、男の子にこんなに優しく大事にされたのは初めてだったのだ。

 画面の中の相手とわかっていても、いやむしろ画面の中の相手だからこそ、加奈は安心して好きになれた。そうして気付けば、加奈はバイト代をすべて注ぎ込むほど、アイザックにのめり込んでいた。

(ああ~思い出した……。ちゆうせんで一名に当たるアイザック様の等身大パネルが欲しくて、百枚ぐらいCD買ったのに当たらなかったんだよね……。しかも一枚だけおうしたひなが当たってまんされたんだ……。さらにひな、思ったより大きくてじやだからって、そつこうバラバラにして捨てていたんだよね……)

 集積所のゴミぶくろからうっすらとけて見えるざんなアイザックの姿を思い出し、じわ、と涙がにじむ。

 抽選で当たるかどうかの運なんて、ひなのせいじゃないことぐらいわかる。わかるが、加奈はあまりのショックに、その後『ラキ花』のいつさいふういんしてしまったのだ。

(バカバカしいってわかっているけど、アイザック様をひなに取られた上、ポイ捨てされた気分になったんだった……)

 今が幼女で、るいせんのコントロールができないからだろうか。思い出せば思い出すほど悲しくなってきて、コーデリアはしくしくと泣いた。

「……どこか痛いの?」

 だから、とつぜん聞いたことのない男の子の声がして、コーデリアは飛び上がるほど驚いた。

 泣くのも忘れて声がした方を見ると、そこにはいかにも『ラキ花』の貴族っぽい服に身を包んだ、無表情な男の子が立っている。

 ラピスブルーとも呼ばれるさらさらのあおがみに、少年とは思えないほど理知的な光をたたえた瞳。目鼻立ちは上品でありながら甘く、その顔は絵画に出てくる天使のようで──。

(ってアイザック様の幼少期だこれ!)

 クワッと目を見開いたコーデリアに、アイザックがビクッとふるえる。

 忘れられるわけがない。この『アイザック王子~幼少期ver~』のスチルとストーリーを手に入れるために、加奈は一か月間もやし生活になったのだ。

(ああ、十歳のアイザック様に生で会えるなんて感動……!! こんやくしやだから、おいに来てくれたのかな? 悪役令嬢はいやだけど、これはこれで最高かも)

 即座にアイザックのねんれいを思い出せるあたり、好きな気持ちは今でも変わらないらしい。


 ──今の加奈、こと、コーデリアは、アイザックルートに出てくる悪役令嬢だ。

 表向きはツンケンとしたこうまんキャラで、アイザック王子への愛が重すぎるゆえに、聖女を排除しようとした過激派でもある。きよくせつあって聖女にかなわないことをさとると、最後はやみちして恐ろしい魔女になり、それを聖女たちがとうばつするのだ。

 だが、かつての加奈はどうしてもこのキャラがきらいになれず、むしろ同情すらしていた。

『あなたがいなければこの国に混乱はおとずれず、アイザック様は王に、わたくしは妻に、みなが幸せになれましたのに……』

 そう涙ながらに語るコーデリアの姿は胸に来るものがあった。実際、聖女が見つかったことで国中をるがす大混乱におちいったのだから、言い分もわかる。

「……大丈夫?」

「はいっ! 大丈夫です!」

 回想していたコーデリアは、またもや近くで聞こえた声におどろいて飛び上がった。いつの間にかアイザックがすぐとなりまで来ていたらしい。無表情のまま、彼がぽそりとつぶやく。

「元気そうでよかった。階段から落ちたと聞いていたから……」

 王子として厳しく育てられてきたためか、それともな性格のせいか、アイザックは表情を出すのが苦手で、常に無表情だ。それゆえ「冷たい」とかんちがいされやすいのだが、実はとてもやさしい子だとエピソードで少しずつ明かされていく。

 今だって、コーデリアを心配してわざわざ訪問してくれているのだ。

(そう……アイザック様は幼いころから優しくて、しかもいい子なんだよね)

 本来であればていても王になれたはずなのに、聖女が現れたことで王の座は彼の手からはなれた。さらにはゲームの賞品のように、男ならだれにでもチャンスのあるものとなってしまう。にもかかわらず、彼は一言も文句を言わなかったのだ。

 ただたんたんと、こう言っただけ。

『私はただ、自分のすべきことを行う。その結果選ばれないのであれば、元々私は王に相応ふさわしくなかったということだ』

 その言葉通り、周りが聖女に心酔してゆく中で、アイザックだけはたみのためにもくもくと義務を果たし続けた。その姿は高潔で、加奈はアイザックのそういうところも好きだった。

 当然、主人公である聖女がアイザックを選ぶこともあるのだが、アイザックもただでは聖女に乗りえない。幼い頃からの婚約者であるコーデリアを大事にしたい気持ちと、止められない聖女へのおもいにのうするシーンが何度も出てくる。

 なやむアイザックのスチルもそれはそれはうるわしく、一時期かべがみに設定していたほど。

 ……とはいえ結局聖女を選んで婚約してしまうし、そのせいで人気投票では苦戦していたのだが。

 コーデリアが思い出していると、バン! という乱暴な音とともにドアが開かれた。

 そこに立っていたのは、ツンツンとがった赤髪に、しんひとみを持つ少年だ。

「よう! 見舞いに来てやったぜ!」

 いかにも自信満々といった様子の少年が、えらそうに胸を反らす。

 だが、コーデリアはその少年に見覚えがなかった。

「えっと……誰ですか?」

「はあ!? お前、俺様の名前を忘れたのかよ!? お前の幼なじみでけんの天才ジャン=ジャガッド・バルバストルだぞ!?」

「あぁ!」

 なつとくがいったように、コーデリアがぽんと手をたたく。

 彼は〝情熱のほのお魔法使い〟というキャッチコピーを持つヒーローのひとりだ。俺様タイプで口は悪いが、根は優しく剣の天才。さらにはくしやく家のちやくなんという設定もあったはずだ。

(幼少期だったからすぐには気づかなかったけれど、確かに顔はものすごく整っているものね……。幼なじみっていう設定は初耳だけれど)

 加奈は無料で遊べる分は全部遊んでいるが、お金はすべてアイザックにつぎ込んでいたため、ほかのキャラはそこまでくわしくない。ジャンの幼少期を見るのも初めてだった。

 まじまじ観察していると、ジャンが部屋にいるアイザックに気づいたらしい。

 かすかにまゆがひそめられ、嫌そうな顔になる。

「……っと、王子サマもいたんですね」

「……コーデリアの、お見舞いに来ていた」

 たんに、部屋によそよそしい空気が流れ始めた。

(このふたり……ゲーム内では王子とこのだったはずなのに、意外と関係はよくないの? そういえば、ゲーム内で会話しているのをほとんど見たことがないかも)

 思い出していると、アイザックが無表情のままボソボソと言った。

「……元気そうな顔を見られてよかった。僕はもういくよ。それじゃあ」

「あっ!」

(まだ帰らないで! もっと幼少期のアイザック様を近くでたんのうさせて!)

 けれどそんなことを口に出せるはずもなく、コーデリアはただただアイザックが立ち去るのをだまって見ていることしかできない。

「あいつもう帰るのか? 何しに来たんだ?」

 不思議そうな顔をするジャンに、コーデリアはこぶしをにぎる。

「もちろんお見舞いに決まってるじゃない! でもアイザック様は口下手だから、きっと気をつかって帰ってしまったんだ……! ああ、もっとお話したかった……」

 コーデリアはくやしさのあまり、まくらをぼすぼすと叩いた。

「ふぅん……っていうかお前、前からそんな話し方だっけ? あと枕なんか叩いたら、おっかねえばあやにおこられるんじゃないのか?」

 コーデリアはギクリとした。公爵れいじようとしてのおくはあるものの、どうも前世を思い出してから、口調やら行動やらはそっちのえいきようを強く受けてしまっているらしい。

(ただのいつぱん人として二十五年も生きていたから、さすがに色々変わるよね……)

 そこまで考えて、コーデリアはふとあることに気付いた。

(待って。変わるって言ったらもしかして……聖女がアイザック様ルートを選ばなかったら、私が婚約破棄されることもなくなるんじゃない!?)

 なんせ、このゲームはぼう数十人いるアイドルばりにヒーローの数が多いのだ。

 王子に騎士にほう使つかいにりんごくの王子に暗殺者にとテンプレから始まって、ぼつらく貴族や庭師や音楽家や芸術家、あげくの果てにショタにイケオジまでいる。数が増えれば増えるだけ、アイザックが選ばれる確率は減るというもの。

 ちなみに他のヒーローが聖女に選ばれた場合、アイザックがいる現王家は全員強制的に公爵家へと落とされてしまうのだが、元々現王家も前の聖女に選ばれたことで始まっている。その際に王家から公爵家へと落とされたのが、コーデリアの生まれであるアルモニア家だったりする。だから現王家にとっては、時がめぐって自分たちの番が来たくらいのにんしきなのだと、ゲーム内で説明があった。

(つまり、聖女がアイザック様ルートを選ばなかったら、私はこのままアイザック様とのいろハッピーエンドをむかえられるんじゃ……!? ああ、お願いします聖女様! どうかアイザック様を選ばないでください!)

 コーデリアはいのるようにグッと手を組み、まだ見ぬ聖女に向かって祈りをささげた。


 ──けれどもコーデリアの期待する〝薔薇色ハッピーエンド〟は、二回目の人生開始早々に打ちくだかれることとなる。

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