【王妃になった姉妹の結末】廃妃は二度目の恋を知る

書籍6/14発売@夜逃げ聖女の越智屋ノマ

王妃になった姉妹の結末

結婚式の3日前。デメトリアス王太子殿下は、冷たい声で私に言った。

「ハーミア。僕は君を愛していない。僕を満たしてくれるのは、ヘレナだけだ」


私の妹ヘレナは、殿下の胸に抱かれて意地悪く笑っていた。

「ごめんなさいねぇ、お姉様。殿下はお姉様よりも、私のほうが好きなんですって!」

「あぁ。僕はヘレナを妻にする」


この2人の関係を、私はとっくに知っている。


華やかな美貌を持つ妹は、私を「つまらない女」呼ばわりしていつも全てを奪おうとする。不誠実なデメトリアス殿下もいじわるな妹も、どちらも大嫌い。


でも……


私は淑女らしくふるまいながら、冷静に問いかけた。


「私との婚約を破棄なさるおつもりですか? しかし殿下と私の婚姻は、幼少時から決められていたものです。国王陛下は、なんと仰せですか?」


「うふふ。国王陛下もお父様も、問題ないって言ってたわ! ね~、殿下?」


「あぁ。君を正妃に娶るのならば、ヘレナを側妃にしてよいと父上は仰せだ。もちろん君たちの父親、カロキア伯爵も大喜びさ。姉妹そろって王家に嫁ぐなど、これ以上ない栄誉だからな」


私を正妃に? 妹を……側妃に?


「ひどいわよねぇ、陛下ったら! 私だって王妃のお役目くらいできるのに! お姉さまなんか要らないわ!」

と頬を膨らませてワガママを言っているヘレナに、殿下は甘く囁いた。


「仕方ないよ、ヘレナ。王妃教育を受けていたのはハーミアだったんだから。だが、彼女はただのお飾りさ。僕が愛するのは君だけだ」


「えー、でもぉ!」

妹は不満そうだ。……どうしてあなたが、不満を言うの?


夫から愛されず、お飾りの「国の母」として生きなければならない私の気持ちを、誰も考えてくれない。


それでも私は、淑女の笑みを貼り付けて礼をした。

「かしこまりました、殿下。カロキア家の私と妹を、王家にお迎えくださり光栄です」


泣いてはいけない。

怒ってはいけない。


『国の母にふさわしい女性になれ』、『感情を他人に見せるな』――幼い頃から、そう教育されてきた。だから私は……泣いたり怒ったりする方法なんて、忘れてしまった。



   *



私はデメトリアス王太子の正妃となった。

その数週間後には、妹と王太子との結婚式が盛大に執り行われた。


姉は正妃、妹は側妃。なんていびつな関係なんだろう。

王太子の愛が私に注がれることはなく、彼は妹のヘレナだけを溺愛した。


(……別に愛されなくていいわ。私も彼を愛していないもの)


幼いころから、正妃になるための教育を受けてきた。心を削られ、感情を殺されて、国政を支えるのにふさわしい知性と教養を。ずっと昔から、あやつり人形だった。


幼いころの私は勝ち気で、自由奔放な子だった気がする。……遠い昔のことだ。




「――ハーミア妃殿下。お顔の色が優れぬようです」


宮廷医師のシェイクスピア卿にそう言われ、私は我に返った。

「……いいえ、何でもありませんわ」


毎朝の診察は、王家の日課。私は自室でいつものように、宮廷医師の診察を受けていた。


(物思いにふけるなんて、私らしくない。どんなときも、心を殺して生きてきたのに)


子供時代を思い出してしまったのはきっと、……



「妃殿下はご心労の色が濃いようです。……ねぇ、ハーミア。僕の前では、取り繕わなくて良いんだよ?」


いきなり口調を変えられて、私は少しだけ戸惑った。宮廷医師は眼鏡の奥の誠実な瞳で、私を見つめ続けている。

「――僕のことを忘れたのかい? ハーミア」


声を潜めてささやく彼は――実は、私のだ。



「…………覚えていますよ。ライサンダー。子供の頃、よく一緒に遊んでいましたね。まさか宮廷であなたと再会するなんて、思いませんでした」


無感情な声で私がそう言うと、ライサンダーはとろけるような笑みを浮かべた。


「良かった! 覚えててくれたんだね。これまで毎朝診察に来ても、君はまったく僕を見ていないようだったから――とっくに忘れられているのかと思った。意を決して話かけてみて、よかったよ」


優しくて、気弱なライサンダー。私の大事な幼なじみ……そして初恋の人だった。


「……オニロ男爵家のあなたが、医家の名門シェイクスピア侯爵家の姓を名乗っているのは、どういうことですか?」


「能力を評価されて、シェイクスピア家の養子に迎えられたんだ。王立医学院を卒業して、宮廷医師と法医学医の資格を取った。君が王家に嫁ぐ数年前から、僕は宮廷医師をしている」


「そうですか。……おめでとう、破格の出世ですね」


「すべては君のために。君の近くに居たくて、必死にここまで昇り詰めた」

唐突にそう言われて、私は耳を疑った。


「王妃となる君を陰で支えられるのなら、僕はそれで良いと思っていた。だが――今の惨状は、何だ? 君の妹が側妃になって、やりたい放題……こんな横暴が許されるのか?」

「やめて」

私はとっさに、ライサンダーを遮った。


「余計なことを言わないでください。あなたの立場が危うくなります。……診察が長引くのも不自然ですから、そろそろ出て行ってください」


私が彼を追い出そうとしても、彼は立ち去ろうとはしなかった。


「僕の話を聞いてくれ、ハーミア。ヘレナ妃殿下は君を殺そうとしている……だがこれは、逆にチャンスといえる状況だ」


ライサンダーは懐から丸薬を取り出して、私に見せた。


「それは?」

「君を殺すための毒だ。ヘレナ妃殿下に命じられて、僕が作った」



――お姉様に毒を飲ませて殺しなさい! 私が側妃だなんて、気に入らないわ!

――お姉様がいなくなれば、私が名実ともに王太子妃になれる。私の価値を、国王陛下にみせつけてやるんだから!


ヘレナが、そう言ったのだという。


「僕は君を救いたい。だから宮廷医師として、ヘレナ妃殿下の企みを国王陛下に報告するつもりだ。ハーミア、君はこの毒薬を国王陛下に見せてくれ。証拠があれば、妹を廃妃に追い込める。そうすれば、デメトリアス殿下もきっと君を愛するように――」


「私、その毒を飲みたいわ」


私が言うと、ライサンダーは整った顔をこわばらせた。

「……正気かい? 妹の思惑通りに、死んでやるつもりなのか?」

「いいえ、これは報復よ。私が死ねば、妹達への一番の復讐になるもの」


私がいなければ、この国は立ち行かない。私は未来の王妃として厳しい教育に耐え続け、国王陛下からも能力を高く評価されている。すでに国事行為のいくつかは、私にゆだねられていた。


他人に媚びるしかできない妹では、私の代わりは務まらない。もし他家の令嬢を新たな妃に迎えたとしても、今さら代わりは利かない。


「彼らが困り果てる姿を、私は地獄の底から眺めていたいの」

冷たい声でそう言うと、ライサンダーはとても悲しそうな顔になった。


「幼いころの君は、自由な鳥のようだったのに。……色々な物に苦しめられてきたんだね」

無念そうに呟くと、ライサンダーは私に毒薬をそっと手渡した。


「飲めば半日で意識を失う。さらに数時間経てば、誰の目にも死が明らかとなるだろう。苦しみはない……眠るように息を引き取る毒薬だ」


「すてきね。ありがとう、ライサンダー」

私は淑女の笑みを浮かべた。ライサンダーが、ますます悲しそうな顔になる。


……ごめんなさい、ライサンダー。私はもう、無垢な子供の頃の私ではないの。

心も感情も枯れてしまった。

あなたへの恋心も……遠い昔に乾いてしまった。


私は躊躇なく毒を飲み込んだ。



「君が地獄を望むなら、僕も地獄の果てまで君のともをしよう」

ライサンダーはそう呟くと、私の部屋から出て行った。


   *





絶対に目覚めるはずのない暗闇の中。

私は、目を覚ました。




「ハーミア。お目覚めかい?」

やわらかい声。ライサンダーの声だった。


体が重くて、身じろぎできない。

うめくように、私はつぶやいた。


「ここは……?」

「地下墓地だよ。君は、ここに葬られたんだ」


いきなり体を抱き上げられた。ライサンダーが私を抱いて、優しく微笑みかけている。


「逃げるよ。ハーミア」


……どういうこと?


「あの毒を飲むと二日間、仮死状態に陥るんだ――僕がそのように作った。君の死亡宣告を下した3人の宮廷医師は、全員まんまと騙されていたよ」


いたずらに成功した子供のように、ライサンダーはくすくすと笑っていた。


「墓地に安置される君の棺には、君によく似た顔立ちの女性の遺体を入れておいたよ……多少は細工したけれど。法医学院には毎日いろんな遺体が送られてくるから、本気を出せばこの程度のことは可能だ」


私を抱いたまま、彼は颯爽と歩き出している。自信にあふれるその態度は、幼いころの気弱な彼とはまるで別人だった。


「待って……ライサンダー。……私の死を、偽装したの?」

「その通りだ」


「どうしてそんな愚かなことを……? ばれたら、あなたも無事では済まされないわ」

「僕はすでに死んでいる」


――え?


「数時間前、王都の河川に僕の死体を投げ捨ててきた。……正確には、僕そっくりな男性の遺体をね」


「どうして……? せっかく出世したのに」

「どのみち僕は殺される運命だったんだ。ヘレナ妃殿下が、口封じのために僕を殺そうとするはずだから。それに、僕が宮廷医師を志したのは、君に仕えるためだった」


ハーミアがいない宮廷なんかに、留まる意味はないよ。と、彼は真面目な顔で言った。


ライサンダーは墓地を出た。少ない荷物だけを背負い、私を抱えたまま夜闇にまぎれて走り出す。


「僕も君も、もう死んだ。馬を用意してあるし、偽造した通行証も入手してある。一緒に国を出よう。旅の医者夫婦を装って、一介の平民として生きよう」


「あなたに……そんなことできるの?」

「できるよ。君のためならば」


かつて華奢だった彼の体は、驚くほどにたくましくなっていた。


「僕は医学院で学ぶ傍ら、平民の暮らしも十分に学んできた。平民の生き方・死に方を知るために、何年か貧民窟で暮らしたこともある。貴族の窮屈さも地獄だけれど、平民の暮らしもまた地獄だ。だが――そんな地獄でも、君の自由につながるのなら。価値ある地獄だと思うんだ」



私は、どうしてしまったんだろう。

さっきから、胸の高鳴りが止まらない。


彼に初めて恋をした、幼いころのようだった。



「僕と一緒に、地獄に堕ちよう。ハーミア、ずっと君を愛していた」




ライサンダーは街はずれに着くと、とめていた馬に私を乗せようとした。


「待ってライサンダー。私は……あなたの命を賭けるほど、価値のある女じゃないわ」

「君には価値がある。君を想えば、僕はなんでも頑張れた」


彼は私を馬に乗せ、自分も素早くまたがると馬を走らせた。


「私……何もできないの。泣き方も笑い方も、忘れてしまった」

「これから何でもできるようになる。やわらかな心も、すぐに取り戻せる」


私は夢見心地のまま、彼の体にしがみついていた。




「……もう一度、あなたに恋をしていいの?」



彼の背中の温もりが、凍えた心を溶かしていった。



「何度でも。僕は絶えず君だけを想っているよ」




夢ならば、どうか醒めないで――

私は彼の背に縋りつき、十数年ぶりの涙を流した。




   *




――それから、何十年という歳月が過ぎた。


「ねぇ、おばあさま。あのお話、聞かせて! ふたりのお妃さまのお話」

「わたしも聞きたい!」


孫娘のマリアとセラにせがまれて、私は昔話を始めた。


それは、ワガママな妹にすべてを奪われた正妃のお話。

正妃は妹に毒を盛られて死に、姉を死に追いやった妹はよろこんで正妃の座についた。しかし、妹のせいで国政は立ち行かなくなり、王太子と妹は国の崩壊を招く大失態を犯してしまう。


妹は国王陛下の逆鱗に触れて処刑され、王太子は廃嫡されて、嫡流が絶えた。その国の力はすっかり衰えて、今では傍流の他家に王位が継承され、もとの王家は滅びてしまったのだという。


「毒で死んじゃった王妃様のお話も、聞かせて!」


「亡くなった王妃はね……妖精の王様に救われて自由の国に渡ったのよ。妖精の王様に愛されて、たくさんの子供や孫と一緒に、毎日笑って暮らしているの」


「おばあさま、このお話って本当のことなんでしょ? 西の果ての国で、本当に起きた話なのよね?」

「さぁ……どうかしら。お前たち、そろそろお休み」

「「はーい」」


私と夫は、小さな町で医者夫婦として暮らしている。

町の人々に慕われて、愛する家族に囲まれて、幸せな人生を送っている。


暖炉のそばで穏やかな寝息を立てている夫の隣に、私はそっと腰かけた。




初めて恋したこの人に。私は二度目の恋をした。



遠い昔の。恋物語。



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