決戦(ティサ・ユージュ)5


「剣境 第四位 ブラッサ・ユクシジャッジ」

「それは知っとるわ」


 ――名乗り返したブラッサさんにセレオルタは笑う。

 それは、ついさっきとはまったく違う……地べたに這いずっていた、ドブネズミのような幼い少女の姿とは打って変わって。


「それが、本当の、すがたかよ…………」

「おお、そうなのだ…………どうだ、美し過ぎて腰を抜かしたかぁ?」

「…………まあ、な……」

「引き続き素直であれよ!」


 ―――だった。

 年齢でいえば、目の前に対峙するブラッサさんと同じくらいの年くらいだろうか……悲しいくらい胸も尻もなかったくせに。本来出るべきところは抉れてるくらいの勢いだったくせに、

 今となっては、今の姿のセレオルタは、それはもう――くそ、ある意味目に毒だな。


「…………」


 そして、彼女の衣服は、真っ黒い――女王的というべきなのか、ゴシック・ゴージャスな服装と言うべきなのか……無地にして、周囲で揺れては消える塵のようなものが、彼女のシルエットを引き立てるように蠢いていて。

 そして彼女の白髪はさらに、肩から腰くらいに伸びて、それは今は夕方なのに、もう夜が訪れてしまったと錯覚するかのように――月を思い起こさせる。


 しかし、それよりも、荘厳だ。

 銀色をも塗り潰すような白髪。


 そして、半分こちらを見ている彼女の玉虫色の瞳は――ずっと見つめていると吸い込まれるかのようだった。射抜かれるように……その中にはぼくが映し出されている。

 今のセレオルタは、正気だ。

 そして、これが――彼女の、全盛期の姿…………。


「………………」


 決して口には出せないが。出してたまるかとさえ思ってしまうが――しかし、悔しくも。

 神々しい――とさえ、思ってしまう。それほどの、威容。

 これが魔物の女王の本来の、五身。


「ロンジ・ヨワタリよ。われが心を動かされたのは生涯五度目なのだ」

「………………」

「人間は凄いな――感動するほど」

「…………当たり前だろ。人間なめんな……」


 これからお前は、もっともっと人間に驚かされるんだ。それはもう、たくさんの人間と出会って、別れて、話して、好いて、嫌って、嫌われて。そうやってまた、新しい場所に赴いていって。

 その度に――その旅に、お前の心は何度も何度も動かされるぞ。

 そのたびにお前は後悔しろ。

 そのたびにお前はかつての自分に怒れ。

 そのたびにお前は人間を好きになれ。

 ――お前が死ぬときは世界を救う時なんだから。

 それまではそうやって――せいぜい人間と飽き果てるくらいにつるみまくってさ。そうして、その果てに――せいぜい苦しんで死ねよセレオルタ。

 お前はそれでいい。

 ぼくも、お前と似たようなもんだけど――


「――人間をかたるなよ」

「…………!」


 そして。

 ――それは。

 どちらに向かって言ったのか。

 ぼくに騙るなと言ったのか。

 セレオルタに語るなと言ったのか。

 おそらく、文脈からすれば後者だろうけど――そう言って、ブラッサさんは、剣を……かちりとぼくらに――セレオルタの鼻先へと向けて。


「――愚かな魔女よ。世迷言を言ってくれるんじゃない。お前に殺された数多の人間に対してお前が出来る事は……これ以上醜態を晒す事ではなく、この場で私に切り捨てられることだけなのだよ」

「…………そうかもしれんな」

「――お前を裁くのは現世ではない。あの世だ。あの世で永久に苦しめ……それがお前の生まれた意味だ」

「………………ブラッサ、さん……」


 ――少しだけ、驚いた。

 いつも、いつだって飄々としていて、捉えどころのない……どこか浮雲のようだった彼女が、初めて――ぼくと対峙していた時にすら見せなかった、おくびにも出さなかった、そんな怒気を明らかにして、こちらを睨んでいたから。


 人間が、魔物を見つめる時の、純度と透明度の高い視線。

 この感情は……こんな張り詰めるような感情を持ちながら、この人は……ぼくたちと行動を共にしていたのか。ぼくが人間かどうかを見定める、知りたがるためだけに……だとしたらこの人は――


「…………われはな」

「…………」


 そう言って。

 どこか脱力したような雰囲気で、ブラッサさんの言葉を受け止めて。それをかみ砕いたような様子で、セレオルタが言った。

 また――妙なことを言い出した。


「われは弱いよ。本当に弱い……飽き果てる程に、馬鹿馬鹿しいほどに、おぬしの言う通り……救いようのないくらい弱い、くだらぬ存在なのだ」

「……お、い…………」


 ぼくは、もっと驚いて、思わずフリーズしてしまう。


 それは――おおよそ、傲慢という概念を煮詰めて精製、結晶化してしまったような、ぼくの知るセレオルタからは決して出てこないような言葉の羅列だったから。


「――ああ、ふふふふ……弱いな。本当に………………強さと言うものを知らぬ、乳飲み子よりも下手をしたら弱い、それがこのわれだ……」

「……分かっているじゃないか。セレオルタ。そうだ、お前は弱い……そして醜い。だからそのまま、死ね。死ぬといい――」

「だがどもな」


 ――だがどもな、と。

 セレオルタは手を前に出して。五本の指を広げたまま、その隙間から彼女の――ブラッサさんの顔を見つめて。

 まるで、悪戯小僧が天井裏に隠れて、両親を、兄弟姉妹を驚かせようとしているかのように。

 言い放った。

 言いやがった。

 妙なことどころじゃない、とんでもないことを――やはり、あくまでもセレオルタらしいことを、こいつは言ってのけてしまう。


!」

「―――――!」


 相手は、世界最強。


 言わずもがな、世界最上……剣の果て。帝国の剣境――だ。それを余すことなく……いや、まったくその底すら見せてもらえずに敗北したぼくからしてみれば、そんなセレオルタのセリフは。

 あまりにも、おどろおどろしく、お前らし過ぎて――


「ふう」


 息吹。

 ――瞬刻。

 爆発するかのような勢いで――走る。ブラッサさんが、一直線に剣を構えて、セレオルタの首を狙って奔って――その時、ぼくは確かに、見た。この目で見たのだ。


 ――初めて。


 彼女がこの姿になって、それは初めて披露する、辺幽の魔女の力の片鱗。底すら見せていないのは、この魔女も同じである。

 はたして――世界最強、剣境を相手に、ブラッサさんを見てして、なおも弱いと言いのける、その意味は―――


(………………きっと、)


 きっと、セレオルタは、ブラッサさんのことを弱いなんて、きっとかけらも思っていない。

 ブラッサさんを、人間を、すごく強いものだと、心の芯から認めた――認めているからこそ。

 あえて、そんなことを言ったのだろう、と、今のぼくにはよくわかる。


 つまり。それは小細工で戦略だ。


 セレオルタは、この戦いに勝つために、おおよそこれまで彼女が取ったことがなかっただろう、そんな弱者が遣いがちな戦法をとった。

 セレオルタは生まれて初めて、戦いで勝つためだけに、相手を挑発した。

 勝ち残るために、挑発を行ったのだ。

 相手の心を揺らそうと、己の勝率をほんの少しでも上げようと――つまり、もう言うまでもないだろう。

 剣境 凪果てるブラッサは、辺幽の魔女をもってしても、巨山のように立ちふさがる――強大無比な人間である。


「――袋の暗蛆(サロ・アーガズ)」

「ふう」


 ブラッサさんの脚が、もうあと一歩で刃圏に届く。それは時間にして、秒を百分割するほどの時間――それに合わせるように。

 セレオルタが手首を返した。

 そして、薬指をこれ見よがしに、一本だけ立てて――


「ヤツの技を遣わんといかんとはな。だが、そんな弱さも今は心地よい」

「セレ……っ!」


 魔女が呟くと同時に。

 ぼくが彼女に手を伸ばすと同時に。

 どこからともなく風圧が……――


「っ………………!」


 そうして吹き飛ばされるぼくと、反対側に飛ばされるブラッサさん――未だぼくたちは屋上にいる。どこまでも続くかと錯覚する様な連なる屋上。


 景色は――足場の方は何も、変わっていない。だけど反対側は圧倒的に変で――おかしな、冗句のような現象に、思わず。ぼくは……弾かれるように起き上がりながら、地面の反対……すなわち空を見て、あんぐりと口を開けてしまう。


「一瞬で、夜に、なった…………」

「――知っておるか、ロンジよ。魔物は夜の方が強い。ゆえに、辺り一帯を夜にした――あのクソバカ……これはヨルリーヌの術なのだが、今はパクる。万全にはなれんが……それに近づくくらいはしておくのが作法だろうよ」


 あやつを相手にするにはな、と。

 また――少し離れた、すでに先ほどと同じ構えをしているブラッサさんの方を見やって、それから、二人とは少しだけ離れたぼくの方を見て、にやりと笑うセレオルタ。

 整いすぎた顔が歪んで、実にこいつらしい表情だった。


「………………」


 そして――見れば。よくよく見れば、空を覆う黒いもの……暗幕のような、この視界を一瞬で夜にしたものは、かすかに蠢いているのが、ぼくの視力によって分かった。


 天の闇夜は全て魔女。

 これはやはり、セレオルタの能力による魔術か……でも。


「これ……かなりの力を遣うんじゃないか……」

「少しの間なら、持つ」


 ――そう言って、さがれ、とジェスチャーするセレオルタ。それを待っていたかのように、そしたまた――ブラッサさんが、接近してくる。

 さっきより、素早く。

 恐ろしいほどの、迅速さで。


「………………!」


 ぼくは急いで数歩離れて、そうすると――


「確か、とか言っとったの……じゃあ、おあつらえ向けかもしれん、か…………」


 ――また、セレオルタが、挑発するように片腕を、ブラッサさんの方に向けた。

 なんだ、今度は何を―――


「兵の死(バデスローグ)」

「――――――――――」


 な…………、う、そだろ、この技は――そ、れは………………

 地響きがしたような気がした。

 実際にはしていないけど――そんな気がするほどに。それは瞬きほどの時間であるにもかかわらず、今度は、空ではなくその反対――地面に。

 これまた、大きすぎる変化が生じる。生じていく――セレオルタが、今度は手首を返したまま人差し指を立てた、その直後に起こった現象。

 兵の死。


「……………………っ!」


 ――それが、にょきにょきと。

 いや違う、ずぐずぐと。

 ……これも違う、がりがりと。

 これが一番擬音としてはしっくりくるだろう――そんな異音が辺りに響き渡り。


 ずうううん、と。


 直後重低音――共鳴して共振して、爆発的な音の重なりは、非現実感満載の打楽器から打ち鳴らされるハーモニーのようで。


「あまたの武具を用いたが……われの手に最も馴染んだのはいつだってコレだったのだ。われが素手より強いと言い切れるのは、こいつを遣ったときだけだろうな」

「マジ、かよ…………」


 ――兵の死とは。

 かつて、大戦期……いや、大戦がはじまるずっと前、セレオルタが人類にその存在を認知されたその時から知られている、彼女が最も得意とし、最も多用し、最も好んで使用されるといわれる魔術――大魔術である。

 その現象は、無数の悪趣味な造形物をその場で顕現させ、大軍を作り――好き勝手暴れさせる。物量であらゆるものを津波のごとく押し流す――すべてを崩し壊す、そんな力だったはず、だが――


「………………っ!」


 今ぼくの目の前に広がっている光景は――それとはまったく違っていた。そこにあるのは、そこに生まれたのは、そこに大量にいたのは、鬼気迫る大軍でもなく、そもそも何らかの造形物とも言えない――


「奇しくも剣こそ、われの本領よ」


 

 剣だった――無数の剣が。冗談みたいな数の剣が、まるで街中に現れた森林のように、枯れた林のように突如として建物から生えてきた――、

 群生してきた。


 少なくともぼくの視界いっぱいに、まばらに、壁に、窓に、屋根に、地面に、天以外のあらゆる場所にあますことなく剣が自生してきて――、そして、その剣を、一本だけ引き抜いて、


「――われはもう二度と命を生み出さん!」


 ――セレオルタは剣を対角の――ブラッサさんに向けて不敵に言い放つ。それは彼女に対する宣言か、それともぼくに対するものか。はたまた自分か、それ以外の誰かか――それは分からなかったけれど、少なくとも。

 その言葉は、彼女の魂から出た言葉だ。それだけは疑いようもないだろう。


「――ふう」


 息吹。

 彼女の言葉に応える者はいない。ブラッサさんはそんな兵の死によって顕現させた無数の刀剣に目もくれることなく――


「――ふむ」


 受けた。セレオルタがブラッサさんの剣を受ける。今度は金属と金属のかち合ったはずなのに、まるでそれは巨大な肉と肉がぶつかったような、そんな不可思議な音で――


 かき。

 くりゅ。

 こつ。

 ざか。

 るぐ――、断続的に、しかしそれは一つ一つの隙間がおそるべきほどに小さい時間感覚の中で、ぼくの目の前で剣戟が展開されていく。


「う、わわわ…………っ」


 ――やばい。服に切れ目が入った。たぶん当たっていないのに、近くにいるだけで余波か剣気か剣圧か、体が斬れる――こんなの、これ以上近づいたら死……近づいていられない、しかし――


「マジかよ、セレオルタ…………!」


 二人は――、一呼吸すらついていないかった。

 互いの剣すら見ていない。互いの目を見ながら打ち合いを続けている。

 セレオルタが刺突。その剣先が歪んだ独特の刀剣を、ブラッサさんの頭に向かって突き出すと、ブラッサさんは刃の腹でそれを受け、撫でるように方向を逸らし、カウンターで同じくセレオルタの頭部を突く。返されたセレオルタといえば、ひじをほんの少し曲げて剣の柄でブラッサさんの突きを受け、今度は受け流すように、己の耳を皮一枚切られながら剣先を逸らし切り――


「………………!」


 ぼくの動体視力は今、圧倒的に人間離れしている。言ってしまえば、なんなら素の腕力や脚力よりも、圧倒的に目――魔女の目を持っているこのぼくの反射神経やら視力やらは、この世のどんな動きをも見逃さない、灰色の世界に突入してさえ、呪言の補助を受けることなく周囲の景色や状態を把握できるほどに――

 つまり、何でも見えると言って差し支えない状態だったわけだけれど。


 しかし――それを以てして、少し離れた位置で俯瞰しているにも関わらず、彼女たちの剣の交錯は、辛うじて目で追える程度、でしかなかった――


 ブラッサさんの剣は独特だ。剣そのものではなく剣技の話。さっき対峙して思ったのは、とにかく彼女の太刀筋は見えにくい。目の前で戦っていて、まともに避けきれないくらいのものだったのだが――、セレオルタを相手にして、その剣筋には磨きがかかっているように見える。


 ありえない、信じがたいことに、ブラッサさんはぼくと戦っていた時、ぜんぜん本気ではなかった。そしてセレオルタを前にしても、彼女はまだその底を明らかにしない。どころか、まだ動きに精細が、速度が乗算されていって――


(す、ご……………………)


 すごい。

 人間って、すごい。

 魔物ではない。魔女の肉片を取り込んでもいない。

 本当に正真正銘人間のブラッサさんが――人間が、はたして、こんな動きが出来るものなのか。

 武の極致。

 セレオルタではないけれど、ぼくも感動してしまっていて――命を落としかけて、本当に難しい相手――困難な、未だ生を勝ち取れるか分からない相手にも関わらず。

 ぼくはブラッサさんを心の底から尊敬する。

 それは、セレオルタも同じようだった。


「く、くくく……………………」

「………………」


 唐突に笑むセレオルタ。戦いの中で、剣を突き合って撫で合って斬り合っているのに。思わず失笑といった感じで、歓喜が抑えられない、そんな様子の邪悪な笑みがセレオルタの顔に走る。


「われはおぬしら剣境とかつて三度戦ったことがある。一人目はジョルキイ。二人目はリフエルタ。三人目はおぬし――現在進行形なのだ」

「………………」

「剣境どもは生意気にも、われと剣で張りおった。ジョルキイもリフエルタも……われの数百分の一も生きていないくせに――だがども、おぬしは」

「…………」

「認めよう。われより剣が上手いよ」


 言って――そう言った瞬間、だった。


「く………………」


 ブラッサさんの息吹が初めて途切れる。それは、剣を取り落とした音。

 取り落とし――違う、剣の刀身を折られたゆえに、それほどの鈍重な攻撃を受けたゆえに一瞬乱された彼女の呼吸――だった。


「やっ――」


 セレオルタが。数えて何度目になるだろう。火花が散って、それが闇夜のような世界の中で花火のように咲いていって――そして、今。


 今度は、さっきとは違う。ぼくとブラッサさんが戦った時のような、剣を弾き飛ばすようなものではなく、確実に――これまで彼女が使用してきた、あの何の変哲もない刀剣を、持ち手のすぐ上から、確実に折ってみせた。

 これは、普通なら勝負あり――


「………………な…………」


 

 同時、まったくの同時。剣を構えていたままのセレオルタの刀身もまた、地面に……ゆっくりと、それは四角い城が崩れ落ちていくような印象で――地面に落ちる。

 つまり。


 ――


「信じられんな。そんななまくらでわれの剣を折るか。だが――」

「…………っ、セレオルタ! ブラッサさんは――」


 ぼくが言った直後だった。

 案の定、と言うべきか。

 言わずもがな、と言うべきだろう――ぼくが言葉を発するまでもなくそれは起こり始める。起こって――剣が。

 無数に辺りに張り巡らされている剣の一本が。不自然に傾いて、かららら……と音を立てて、ブラッサさんの方へと転がって――いや、


 なんで、なんで……どうなってる、しかし、これは分かっていたこと――当然、セレオルタもそれを見越して、手を同じく無数の刀剣の方へと向けて。


「来い」

「――ふう…………」


 ――おそらく辺幽の能力だろう。塵のようなものが一瞬、それに這ったかと思うと、数瞬遅れて剣が飛んでくる。勢いよく、加速度を持って。

 ブラッサさんの方へ剣が滑って、セレオルタの方へは剣が飛んで。そして偶然ではないだろう、二人が互いに新たな剣を手にしたのは――全くの同時である。


 そして、先に仕掛けたのはセレオルタの方だった。その、特徴的な黒く薄い刀身を彼女は振り上げて――それは、闇夜に紛れて一瞬ぼくの眼を以ても不可視となり――。一方のブラッサさんといえば、その手に持っているのは先ほどまでの、いわゆる一般的な刀剣とはこれまた違う、パッと見ると、一本の剣に見えたが、よくよく見ると、ほんとうに微かなスペースが設けられている、それは二枚の刃が設けられた、ひと振りの刀剣――


「くく…………」


 ぎゃりい、と音がする。また火花が散る。

 セレオルタは嬉しそうに、ブラッサさんは表情からその感情を読み取れない、すなわち無表情である――


「…………っ!」


 そして、ドン、と音がした。セレオルタが地面を蹴って揺らして、瓦礫が飛び散って――って。


「おい、セレオルタ! こんな街中で…………!」


 ――今更、と言う感じだが。もうすでに十分すぎる程暴れているが、そんな攻撃をしたら周囲に被害が――


「――安心しろロンジ。われが『袋の暗蛆(サロ・アーガズ)』を展開した時点で――民草は領域の外に押し出しとる」

「お…………!」


 確かに――確かに。言われて耳を澄ますと、周囲にはこの二人以外とぼく以外の物音はしない。周囲……少なくとも、この闇が充満している範囲において、この場にはほかに誰もいない。ブラッサさんとセレオルタだけの闘技場……そんな空間が、自分が第三者ならば興味本位で見てみたい戦いを自由に観戦できる場所が即席で出来上がっている様だった。


(セレオルタ、お前………………)


 こいつは、もう。誰も命を生み出さない。そして誰も殺さない。

 殺さないし、殺されないし、殺させない。

 ――その決意に、その意思には一点の曇りもなく。こいつはいよいよ、ずっとずっと人間以上に、真っすぐに。


「頑張れ、セレオルタ………………!」

「悲しいね…………」

「………………!」


 ふ……と、その時、横目でぼくとブラッサさんの目があった、そんな気が――した。

 それは、もはや完全に魔物の手に落ちたと思った彼女の心の声だったのか。だけど、ぼくは――


「ぼくは楽しみですよ、ブラッサさん!」


 そんな気のせいかもしれない小さな呟きをも、言葉を返す。


「ふう…………」


 楽しみ? なにがだい? と問いかけるような息吹を行うブラッサさんに、


「生きていればあなたと分かり合える日が来る。その日が楽しみで仕方ないんです!」

「ふ、ロンジ…………」

「―――――」


 心底おかしくてたまらない。そんな風にセレオルタは笑った。

 そしてそんなぼくの言葉を受けてブラッサさんは――


「残念だがそうはならないよ」


 とだけ言って。

 パキン、と音がした。

 また剣が折れた。それも、二人同時に――これは、もはや……


。だったか――」

「………………」

「あの時……われと数度剣を交えた後にリフエルタが言った言葉なのだ。その時は何をいっとるのか、さっぱり分からんかったが…………」

「…………」

「――!」


 ――そう言って。

 またセレオルタが辺幽の能力で無数の剣からひと振りを引き抜いて己が手中へ運ばせる。

 同時、壁に生えていた無数の剣の一つが経年劣化のごとく、壁が崩れると同時に抜け落ちて……その真下にいたブラッサさんの掌に落ちてくるのを、彼女は見もせずにキャッチした。

 ――分からねえのかよ!

 というか――なんだ、この戦い……異常。すぎる…………!


 無数の剣の中で戦う世界の敵。辺幽の魔女。

 対するは人類最強。大戦の時代は英雄とさえ言われた帝国の剣境が一人、剣境第四位。凪ぎ果てるブラッサ――ブラッサ・ユクシジャッジ。ユクシーさん……ブラッサさん。


 


 かつて大戦期。『蒼き雲海のボンボルト』『泥越えのベイジャル』『這い羽のリフエルタ』――今現在に至っても歴史に燦然と名を遺す偉大なる呪言遣い達と大剣士。

 その三人を相手にして、なおかつレドワナ共和国軍を相手どって。それでようやく、なんとか――討伐されるに相成った。

 それほどの脅威。

 ただ一体が世界を滅ぼすと言われ余りある十一体の魔女のうちの一体。辺幽の魔女――セレオルタ・ヘログエス・クアトラレイド・バートリリオン。

 その能力は――辺幽。

 その本質は、この世のあらゆるものを生み出し、使役する事が出来る――その正体は物質創造ではなく、万物創造!

 しかし今は衰えて――全盛期の姿はとれど、全快とはいかないと彼女は言う。

 そんな魔女と。


 対するは、帝国――西方全土を支配する帝国において、極めて高い武力と武功を示した一個人に送られる称号。剣境を拝命し、序列上位にして剣寄せの宿命をも持つ。

 剣に愛され、剣が引き寄せられる剣の中心。

 ブラッサ・ユクシジャッジ。凪ぎ果てるブラッサ。現在の世界最強の一角、ただ一人。


 どっちが――強い。

 今この場で――どちらが、どちらを上回る。

 そんなの――ぼくには、予想する事さえ出来ない。


「う、おおおおお………………っ!」


 更に距離を取って。そんなぼくに出来る事と言えば、さらに激しく、絡みつくように、蛇の交尾のように打ち鳴らされる剣の軌道を凝視し続けること、だけだった――


「…………面白い、面白いなユクシーよ」

「その名で、呼ぶな魔女…………」

「おぬしが名乗ったのだろう!」


 ――剣がぶつかり合う。

 摩擦がチカチカと光って地面に白い斑点を反射する。また剣が――今度はセレオルタの刀剣だけが折れる。セレオルタは優雅とさえ言える動きで後ろ足で剣をかちあげて、追撃の手を緩めないブラッサさんの剣筋をギリギリのところで、時折かすらせつつ避けながら、ようやくセレオルタの手に渡った新たな刀剣で、トドメの一撃を辛うじて受けきり、再び鍔ぜり合い――


 ――セレオルタは剣を飛ばして手元に運んでくる時とか、緊急回避の時くらいしかもはや辺幽の力を使用していなかった。


『鳥葬の王(レイグ・レイ)』や『兵の死(バデスローグ)』に代表される彼女の能力。それを用いれば、圧倒とはいかずまでも、この閉鎖空間においてかなり有利に立ち回れるようになるだろうに――基本的な体術と剣技のみであのブラッサさんと渡り合おうとしている。


 いや、魔女の方が本来的に人間よりも圧倒的に身体能力が高いと言う前提はあるけれど――しかし、そんな愚直な戦い方――辺幽の力を全く使う気配もないのは、遣わないのか、遣えないのか。


 おそらく両方だろうな、とぼくは思う。

 セレオルタは、ぼくを人間に戻すと言う約束のもと大祭が始まって以降力の消費を抑えてはいたが……そもそも抑える必要があるほどに、ぼくと出会った時点で力を消費して消耗していた。

 そして、セレオルタは、今本当の意味で人間を知りたいと、人間に近づきたいと強く願っている。それゆえに、剣士――それも剣境のブラッサさんを相手にして。これ以上の対話方法はないだろう、と。

 そのように考えているのではないか――と、ぼくは思った。


「しかし――」


 壮大な。

 荘厳な。

 改めて実にいかめしい光景――それはもう、幻想的ですらあった。


 なんて、絵画チックな光景だろうと思う。


 二人の――(美しい)女性が無数の剣の中で、互いの剣をぶち折りながら、恐ろしいほど芸術的で再現性のない動きで互いを切りつけ合っている。

 そこに型や剣技――体系化したものはあるのか否か。あるいはアウトサイダーアートのように、無形の野性的な動き――もしくはその両方が合理的に混ざり合っているのか、それはもはや素人のぼくには全く分からなかったけれど。

 それでも、そんなぼくにも分かることといえば、彼女たちが尋常でない時間を共有しながら戦闘を継続していること――そして。彼女たちの周りになんてこともなく突き刺さる刀剣たちが、実のところこのぼくでさえどこかで見た事のある――名を持つ刀剣であること、くらいは、ようやく分かった、気づいたのだった。


 ――『走箒(はしりぼうき)』

『ジャンベンノック』

『ベイ=ログ』

 ――『斜屍(ななめしかばね)』

地点下ちてんくだし』

『デロイネ・レイ』――

『フォリルルス』

『エーガイン』――

『傾国架(けいこくか)』

 ――『アルタエー』

 今――折れたブラッサさんの剣は『ラバナンシ』――


 いずれもが歴史に残る名刀だ。

 かつてそれは王族の持ち物だったり、偉大な冒険者の持ち物だったり、剣士か、蒐集家か、あるいはどこかの国に収められていたのが盗まれて行方知れずだったり――とにかく。

 こんな無知なぼくでも、それが記載されたコレクター向けの図鑑やら、小説や手記、伝記などでその名前を知っていた、特徴を存じていた、そんな剣がこの場にはあちこち散見されていて。


 これは――これが、辺幽の能力。


 セレオルタの力、名前を知ったもの、自分が認知したものをその機能を完全に再現して顕現させる力。


 万物創造――


 セレオルタに生み出せないものはこの世に無い。

 セレオルタはその気になれば、どんなものでも創り出すことができる。

 しかし、自分より強いものを生み出した時、彼女は死ぬ。

 それが辺幽の能力。


(………………でも、)


 セレオルタには、もう二度と生み出せないものが出来た。それは、人の命――あらゆる命。


「…………ふう、」

「ぬ………………」


 刃こぼれが拡がっていく様に――セレオルタの剣がまたもや折られる。数えていなかったが割合、七・三でセレオルタの方が剣が折れ――言うならば、ブラッサさんに押されている。どうやら、セレオルタの言葉に瑕疵はなく。

 剣の扱いはブラッサさんのほうが随分と上手――さらに、その押され具合は戦闘開始当初よりも早まっているように見える。

 ブラッサさんがセレオルタの太刀筋に慣れたか。適応されたか、それともベタだけど――


「おぬし、信じられんくらい成長するなぁ」

「―――ふう」


 ――ブラッサさんは何も答えない。でもそれが答えだ。ブラッサさんの動きはまるで疲れを知らないかのように、どんどん良くなっている――とんでも、ない人だ。


「セレオルタ………………っ」


 息を呑む。緊張で汗がにじみ出て、声が出にくい。ただ、ぼくにはもう祈ることしかできない――ぼくは傲慢不遜じゃないからな。その程度には己の無力を知っている――


「はあ、はああ…………」

「ふう」


 ――セレオルタの息が切れ始める。

 ブラッサさんの踏み込みがセレオルタの退行とぴったり重なって、そうしてゆるりと横凪にされた剣をセレオルタは辛うじて受けたけれど――剣と剣が接着する瞬間、さらにブラッサさんが脱力。剣と剣の触れ合いが、まるで肌と肌の触れ合いのように錯覚するほど、そんなデリケートな動きでブラッサさんが少し力を籠めると。


「………………っ」


 ――セレオルタの剣が折られるでもなく、地面に叩き落とされてしまう。間を置かず辺幽の力で拾い上げようとするセレオルタ――その伸ばした腕をブラッサさんは、


「ぬう……………………っ!」

「セレオルタアアアア………………!」


 串刺しにする。その勢いのまま地面に剣を突き立ててて固定、そうしておもむろに天に突き上げたブラッサさんの手には――もう、新たな剣が握られている。

 剣寄せの力。

 ここにきて、ますます。


「が、うううううううう………………!」


 ――が、セレオルタも静止しているわけではない。その極小の時間の中でまったく躊躇することなく。

 獣のように自分の腕を――左腕を切除。

 辺幽の力で疑似的な刃を作り出し、自身の腕を切り離し、間一髪、すんでのところで振り下ろされるブラッサさんの一撃をなんとか回避する。

 そうして転がるように後ろに下がって、新たな剣を残った右腕で抱え込むように握るセレオルタ、当然追撃の手はやむことなく、ブラッサさんはもうセレオルタの鼻先に接近していて――


「…………!」


 ――回復しない。ぼくでさえ一瞬で回復する切断クラスのダメージも、セレオルタは一切回復する気配はない。

 出来ないのかしないのか――、この場合それは前者の気がしてならない。


「おおおお………………!」

「ふう………………」


 交錯する。

 まじりあう。

 溶け合う。

 二人の剣がまたもや会話のように音を立てて弾かれ合う。

 しかし――もはや片腕となったセレオルタに、ブラッサさんの猛撃をさばききる甲斐性などそれはもうあるはずもなく、


「く………………っ」

「………………」


 ――追いつめられていく。さして苦も無く、ブラッサさんの動きはさらに軽快に――無駄も遊びもなく、最短でセレオルタの首を跳ねるべく剣を操って。

 ――もう、決着は目の前に迫っていた。


「あああ、ああああああああああアアアアアアアアアア」

「せれ、おるた……」


 ――そして。

 もうそこにいたのは、荘厳な、神々しくさえあった不可侵絶対の美女ではなく。魔物の女王ですらなく、そこにいるのはただの。

 セレオルタ・ヘログエス・クアトラレイド・バートリリオン。

 他の何者でもない、ただの彼女そのものだった。


 辺幽という字名あざなすらかなぐり捨てて。強さも弱さも、あらゆる虚飾もかなぐり捨てて。無数の剣を背に、一本の剣を手に取って戦う、なんの嘘もない、セレオルタ。その姿は、きっとぼくが見てきたどんな彼女よりも。

 ――彼女らしいと、ぼくは思う。

 ――そして。


「…………死ぬんだ」

「―――」


 ――、一秒の余韻もなく。完全に、完璧にセレオルタを打ち崩した――剣技でセレオルタを制圧したブラッサさん。


 セレオルタの手にはもはや剣は握られていない。たった今それも折られて、そしてセレオルタはもう――もはや、辺幽の力によって剣を引き寄せることすらも出来ないほど、これ以上ないほど、非の打ち所がないほどに消耗しきっていて。


 それはもう、全てを出し切ったようにすら見えてしまって――そんな彼女に情けをかけるブラッサさんはブラッサさんじゃない。

 それもまた。誰よりもブラッサさんらしい、そんな決断の早さで、彼女は――自身の平らな刀身を斜めに、セレオルタの頭を袈裟斬りするように――魔物の弱点は心臓と脳だけど。魔物の女王の弱点は脳だけだから――合理的に。

 最期の一撃を。

 とどめを――刺そうとして。









「―――――――」


 セレオルタ……お前は本当に頑張ったとぼくは思う。


「――――――――――」


 だって、今までずっと、そんな状態で戦っていたんだから。


「――――――――――――――」


 それで、ここまで食い下がって……だって、相手は剣境第四位だぜ? そんなの、普通戦おうとすら思わねえよ。


「―――――――――」


 ぼくは、もう十分すぎるほどお前の戦いを目の前で見せてもらった。大満足だ。腹いっぱいなんだよ。だから、お前がここで、ブラッサさんに負けて、その命を終えたとしても。


「―――――――」


 己の罪にすら向き合えずにここで終わったとしても、ぼくは。それでもぼくは、お前を責められはしないな……って、それくらいに思うくらい。


「―――――――――」


 そのくらいの戦いを、剣をお前は――ぼくに、見せてくれたんだけどな。


「――――――――――――」


 でも……そうかよ、セレオルタ。それでもお前は――立ち上がるっていうんだな? 生きて、生きて、生き抜いて……最期は世界を救って死んでやる、って。


「――――――――――」


 そう、お前は心の底から、自分に、ぼくに、あの子に誓ったっていうんだな?


「―――――――――――」


 だったら、もうぼくからは……お前に言える事なんてほとんどない……今お前にかけてやれる言葉なんて、それは本当に芸のない、ともすればどこかで聞いたことのある言葉かもしれないけどさ。


「――――――――」


 それでもよかったら、聞かせてやるよ、セレオルタ。


「――――――」








 ――そうして。その時は訪れた。決着の時。


 ブラッサさんが剣をセレオルタに向けて振り下ろす――それは、その動きに合わせるように、同時に起こっている。


「………………あ、」


 ――セレオルタが立ち上がった。ズタボロに……皮膚を切り刻まれて、血まみれになっていたセレオルタの体に……ヒビが入ったように、その時のぼくには見えた。


「…………あああ、」


 ――でも違う。セレオルタの体にひびが入った……亀裂が入った、というより、それは。


「……アアアアアアアアアア」


 ――セレオルタの体が、ただ、崩れていっているのだ。それは崩落しているのだった。


「――――ッ」


 セレオルタの唸るような、体の奥底から力を振り絞るような声と共にそれは起こっている。セレオルタの体が――それは中心部から拡がっていく様に。


 まずは、足が――崩れた。

 その次に手が――腕が、崩れた。

 そして胴体が――さいごに、頭が崩れていった。

 そんな、崩れていった、セレオルタの体。


 その中から見え隠れて――ボロボロになりながら出てきたのは、セレオルタの……幼き、セレオルタの姿。


 今の――さっきまでの、ブラッサさんと同じくらいの年齢の姿ではない。


 それは、最初にぼくがこいつと出会った時と変わらない……だけど、表情や雰囲気は、いっそ清々しく、その両の玉虫色の瞳は真っすぐにブラッサさんを、己に向けられた太刀筋を見つめている、そんな、全てを、大人の毛皮すらかなぐり捨てた、セレオルタの正真正銘の、原点回帰――から一歩進んだ立ち姿だった。


「ああ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 ――

 幼い姿に戻ったセレオルタが、ほえる。その迫力に、しかしブラッサさんの太刀筋は変わらない。

 互いの。お互いの、剣と拳が接近する。急接近して――それは冗談みたいな接吻のようにぶつかって。


「――ふう」


 ――、一層、ブラッサさんが力を――集中力を増した気がした。この土壇場で、なおも剣境。剣の果てに立ち、なお高きにおかれる者の、器。

 そんな圧倒的な力量と技術の結晶を前に、一方のセレオルタといえば、なにをも脱ぎさった、魂だけが込められた、突き出された拳――殴打のみで、彼女は対峙する。


 剣と拳。


 そんなの、見るまでもなく、決着は分かり切っている―――そう、ぼくは思ったけれど。


「ああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア………………!」


 セレオルタが叫ぶ。すべてを捨てて、残ったものを信じるように、正真正銘、後には引かず、前に進むためにセレオルタは――


「……………………!」


 ――その時、だった。

 初めて。それはこの戦いが始まって――疑いようもなく初めて起こったことだ。

 ブラッサさんの表情が驚きに変わる。それは、困惑から、一種、怒りのようなものに一瞬だけ移り変わっていって――


「ま、じかよ………………!」


 ばぎぎぎぎ、と音がする。

 とても、拳と剣がぶつかった音とは思えないけど、とにかくぼくにはそう聞こえた――そんな不協和音を辺りに響かせながら。


「ふ、う………………!」


 ――ブラッサさんの、剣が。剣先がつぶれていく。バリバリと、ガラスみたいに音を立てて歪んでいく――剣が割れていく。


 セレオルタの拳がぶつかって、剣が壊れていく。それはもう、刀身の半分を超えて―――


「……認めよう、おぬしは強いよユクシー。おぬしはわれよりもずっと強い」

「………………!」

「だがども。だがどもな―――」


 ――そう言って。笑っていないのに笑っている様な表情で、拳を突き出しながら、セレオルタは言いきる。

 それがきっと、この勝負の結末には相応しいとばかりに。


「これからわれは、もっと強くなるよ」

「――せ、れ…………………………」


 それは、憤怒だった。

 ブラッサさんを覆った感情は憤怒。だけど、だけれど、それすらも包み込むような、そんな余裕とほんの少しの放漫さを湛えて。

 年の功とばかりにセレオルタは言葉を切る。


「今日のところはわれの勝ち!」

「―――――!」


 おおお……と風が巻く。


 セレオルタの拳はそのままブラッサさんの刀身を完全に破壊しきり、砕き切り、そしてセレオルタの豪速の拳を残った束部分で受けたブラッサさんは――


「――――――――――――ッ!」


 と――、


…………」

「あやつなら、死なんわ」


 セレオルタに吹っ飛ばされた。拳をそのまま振り切って、ブラッサさんははるか天空へ、空の彼方へと――


 そして、高度を緩めることなく、暗黒の空に消えて――同時に、セレオルタの展開していた夜――袋の暗蛆は解除され、辺りに夕焼け空が戻ってくる。


 空が戻っても、そこにブラッサさんの姿は点すらなくて。


 生身の人間を、あんな空高くまで、見えなくなるまでぶっ飛ばすって、いったい……どんなパンチだよ――って。


「おいセレオルタ! ほ、ほんとに大丈夫か……やりすぎなんじゃ……⁉」

「しつこいなぁ、われが保証してやる! あいつは生きとるよ! ノーダメなのだ!」


 ――そう言って、セレオルタは倒れ込んだ。前のめりではなく、あおむけに。


「はあ、ははは………………」

「………………」


 セレオルタは――全ての戦いが終わったばかりのその表情は。

 底抜けなほど晴れ晴れとしていた。

 それは、それこそ夜が解けていく様に、そして玉虫色の瞳には夕焼け空が反射して、まるで彼女の心には一握の炎がともっているように――そう、セレオルタの傍らに立つぼくは、なんとなく思ったのだった。


「ああ、ロンジ……、この姿な…………」

「………………」


「まだまだ全盛期には戻れんかった。それゆえ、間に合わせのハリボテなのだ」


 ふふ、と。


 自身の短い四肢――にちらりと目をやって笑うセレオルタ。


「ま、それもお前らしいと思うぞ」

「こやつ……言いよる。くく、くくく……………………」

「は…………」


 そうして。どちらともなく、喧騒が戻った街並みに――雑踏に紛れるような笑い方をぼくたちは二人して。

 お互いの顔を見合わせて笑い合って。


けんけんよりも強し、なのだ」


 ――上手いこと言った。


 みたいな顔をして、セレオルタが別に上手くない……いや、どちらかと言うと普通に上手いことを言った。







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