4話 「世知辛いのだ」

 

 物語の始まりはえてして、女の子が空から落ちてきたところから始まるなんて言うけれど……、

 今回に関して言えば、女の子は空から二人も落ちてきたし、さらにはぼくも混じって空から落ちる羽目になった。

 なんというか、すべてが予想外で規格外。これが、こんな無茶苦茶をいともたやすく成してくるのが。


 ――辺幽へんゆうの魔女。

 セレオルタ・ヘログエス・クアトラレイド・バートリリオン。

 辺幽の――セレオルタ。

 魔物の、女王……。

 十一体が魔女の一体――、あの、かの、さの、セレオルタ……


「―――」


 世界……この世界がいかに広しといえども……と言うものはそもそもがそれほど多くはない。

 古くは『カーゼリック叙事詩』……三体の魔物が白杖王カーゼリックの目となり耳となり口となった英雄伝説に起源は遡るが――

 あの本は魔物が今とは違った捉え方で描かれている。そのため、大戦の被害を大きく受けたレドワナでは焚書、禁書扱いを受けているけれど。

 ぼくがこの国に売却のために持ってきた『英雄ラログリッドのぼうけん』のように、この国では法に触れてしまうものだけど――


 とにかく、名を持つ魔物はかつて畏怖であり畏敬の象徴だった。


 人間には到底解釈ができない、それこそ、神……多くの場合それは悪神のたぐいであると。

 人間が呪言を扱えるようになった以前からそれは存在している。理屈や論理を超えた強大無二の存在。それが、名を持つ魔物であり、中でも魔女の存在はあまりにも有名で、特別で、異質なものだ。

 魔女は数いる魔物の中でも、原初の魔物。始まりの魔物とさえ言われるほど古くから……それは、人類が文字を獲得し、歴史を後世に残す手段を手にした、その最初期の時点から書き記されている。


 いわく、台風かと思えば魔女だった。

 いわく、地震かと思えば魔女だった。

 いわく、夜かと思えば魔女だった。


 おどろおどろしく、過剰で、ともすれば冗句に聞こえるようなあらゆる魔女を表現する比喩が、すべて真実だと、全人類がその目で確かめたのは時代はくだり大戦期のことである。

 魔女は、十一のうち、そのうちのたった四体の力で、暴虐で――当時の人類全人口の二十五分の一を殺した。

 大戦は、魔女と人間の戦いではない。魔物全体と人間全体の戦いで――、中でも魔女が関わった戦いは数字の上では数少ないにも関わらず。その両手で数えられる戦役の中だけで、魔女はそれだけの人間を殺傷せしめたのだ。

 膨大で、あまりに莫大な力。

 その戦いの結果、人類は幾人もの英雄を失い、いくつかの国は朽ち滅び……結果として、人類側は勝利した。


 不遠ふえんの魔女、巨弄きょろうの魔女、辺幽へんゆうの魔女、流暗るあんの魔女……


 中でも辺幽の魔女討伐に関して言うならば、『蒼き雲海のボンボルト』『泥越えのベイジャル』『剣境 這い羽のリフエルタ』の武功が、あまりにも著名で知られるところである。

 二人の呪言遣いと一人の剣士によって、魔女――セレオルタは海の果てへ追放された。

 大断崖を越えた消失線へ追い込まれ、押し込まれ、その最期はあまりにもあっけなく――粉微塵にされたような状態で、姿を海の彼方へ消したという。

 大断崖の法則は、魔物の女王であろうと絶対。覆しようもなく、魔女は追放され、倒された――のだと、確かに書き記されている。

 大戦期の魔女と人間との戦いを二人の観戦武官がまとめた『大戦と魔女の記録』では、そう、確かに――しかし。


「まあ、あれは〝木偶〟だったんだがなぁ。われは凄いから、われそっくりの人形を作るなど造作もない。が、やつらを騙すために力を遣いすぎた。本腰を入れてわれの偽物を創ったから……われは、少々疲れたのだ……あっ」

「…………」

「ゆえに、今はこんなナリなのだ。本当のわれは、とてつもない美貌を持つ非の打ち所がない存在だというのに……今はこんなチンチクリンだ。力が戻れば、褒美にわれの本当の姿を見せてやろう。見たいだろう? われの完璧な姿を……ふあああああ……」

「いや……」

「ちょっと、動かないでセレオルタ! 耳が傷ついちゃうわよ!」

「ふ、そんなものすぐ治る……やっ、はああ……って、今いやって言ったかロンジ? そういう遠慮は男を下げるぞ。男は欲望に正直でなんぼなのだからなぁ」

「い……や…………」


 ――なんなんだ、この状況は、と本当に思う。


 さきほどの大跳躍からはや十数分――ぼくたちはまた人気のない適当な路地裏で、誰も来ない行き止まりの場所でたむろして、ぼくはと言えば壁に寄り掛かって少女たちを見つめて……正座していた。

 地面は石畳で、あまりこの姿勢は適しているとは言い難かったけど……なんというか、さっきまで空を飛んでいたと言っても過言ではなかったので、今はより地面に近い姿勢を取る方がぼくの心が落ち着いた。

 この状態、この現実感のなさをちゃんと受け止めようとする、ぼくなりの努力だ。

 だって――なぜなら。

 黒髪の少女、タミハ・シルハナ。

 そして白髪の少女、セレオルタ……タミハの方はともかく、セレオルタ……本当に、今自分の目の前に……彼女は、あの魔女なのか。

 今タミハの膝に頭を乗せて、木の棒でかりかりと耳をなでられて……猫のように目を細めて時折甘い吐息をもらしている、この、小さな女の子が。

 こんな牧歌的な構図を見せているのが、世界から恐れられ、世界を壊したあの魔女なのか――言葉でいくら説明をされても、あまりにも実感が湧かない。信じられなさすぎる。


「いや、おぬし今強いだろう。それわれの力だからな。それが証明なのだ」

「…………」

「今おぬしの体にはわれの一部が入り込んどる。ゆえに、分かる――おぬしの考えとることは、まあ細かいことはわからんが、なんとなく分かる。なぜならおぬしはわれの下僕の状態なのだからな」

「下僕、従僕、眷属……ま、今そのようなものになっておるから。これにて証明終了なのだ」

「…………マジ、なのか」

「ちょっと、セレオルタ! なにかわたしの耳が聞こえないんだけど……なにかやってるの!」

「われの力をおぬしにやっとることはこいつに言うなよ。あくまでこいつの前ではお前はただの力自慢の通行人だ――、こいつは自分たちのことに他人を巻き込むのを嫌うからなぁ」

「自分たちの事……?」

「ま、簡単に言うと、われは……われらは今追われとるのだ。に、な……」

「…………」


 やばい、頭が痛くなってきた。何を聞かされてるんだぼくは。魔女教……って、さっきの黒ずくめの男たちの事だよな。明らかにやばそうな……これ、ぼくとは何の関係もない話じゃないのか……?

「いや関係あろ? だっておぬし、このままじゃ二度と人間に戻れんし」

「……は?」

「われの肉片を受け入れて安穏としておれるか。このまま何もしなければおぬしは完全に魔物になるぞ。まあ、人間の世界で生きていたいならデメリットのほうが多いなぁ」

「はああああああ⁉」


 思わず正座から前のめりになる。ミシ、と音を立てて、目をやるとその衝撃で地面がかすかに凹んでいた。


「なにを奇天烈な顔をしておる。おぬしら人間では得られぬ超腕力超感覚……人ではなく魔物として生きるならこれ以上の栄誉などあるか。だって、われなのだぞ?」

「いや、困る……それは、まずいだろ……!」


 魔物として生きる? それは……嫌だ。それはさすがに困る。そんなことになったら……ぼくは、合わす顔がない。一線を越えている。


「なぜなのだ? 人に固執する理由があるのか?」

「い……」


 ……言っていいものか、どうか。ほんの一瞬迷ったが……心を感じ取られるのがいやなので、ぼくは自分の口でそれを言う。


「妹が……いるんだ。故郷に残した妹が。ぼくたちは親を失った日から、その日暮らしの貧乏暮らしで……だから、ぼくがこの国にきたのは、金儲けのためだ」

「ほお」

「今ぼくが持っているこの本……希少な本がいくつかある。ぼくたちが住んでいた朽ちた図書館から見つけた……これをしかるべき場所で売れば、数年は暮らしていける」

「世知辛いのだ」

「ちょっと、耳が聞こえない! ねえ! こらっ! 怒るわよセレオルタ――!」


 顔を赤くしてタミハがセレオルタのほっぺをつねるが、意にも介さず、なぜか嬉しそうに先を促してくるセレオルタ。


「……だから、妹を放ってぼくが勝手に魔物になるわけにはいかない、人間の兄貴として家に帰らなくちゃ……」

「妹も魔物にするのはどうなのだ」

「……ふざけているのか?」

「ユーモアだ、そんな顔をするな……迫力もないのに凄むな。それに、そもそもそんな余力はわれにはない」

「余力……?」


 言って、セレオルタ……恐らく、本物の魔女は手を……まるでこちらを挑発するようにぼくを指さして、そして手のひらを裏返して、人差し指を天にむける。


「!」


 ――瞬間、だった。

 彼女を取り巻いていた灰色の何か……塵のようなものが、……そして、また何事もなかったように、彼女の周りに停滞し、そして、どこかへ霧散した。


「言っただろう、われは力を遣いすぎた……もう長らくあの阿呆どもと闘争しておるのだ。休む間もなくなぁ」

「逃走……」

「闘争な。あの戦いで疲弊して以降、われが生きておることを嗅ぎつけた魔女教と魔女狩り……二つの馬鹿共がしつこくわれを追ってくる。ゆえに、われはそれを薙ぎ払って旅をしとる。が、全快からほど遠い今のわれは……常にガス欠の大ハンデ。そして今日に至ってはちと力の消費をしすぎた……つまり、少々面倒なことになってるのだ」

「…………」

「なので、おぬしに力を貸してやった。その力でおぬしは……今、この街におる馬鹿どもを迅速に撃退し、われらを安全に次の街に連れていけ。さすれば――」


 ――魔女は。

 それはもう、それがぼくが生まれた時から決まっていたかのような態度で。

 まるで母親からおぬしを取り上げて産湯に付けたのはわれなのだ、と。

 おぬしのおしめを替えてやった恩を忘れたか? というような態度でぼくにそれを命令をする。

 ――頼みごとをされているのはぼくなのに。

 まるで、ぼくが自分からお願いしますと懇願したんだっけ、と勘違いしそうになるような態度で。


「おぬしは〝善意の協力者〟になれ。われらを全力をもって手助けしろ。そして己が責務をはたし、われの力が回復した暁には元の人間に戻してやる。それがギブアンドテイクなのだ」

「…………えええ~……」


 全然。全然ギブアンドテイクじゃない。これじゃ、ギブアップだ。何を言ってるんだこのクソガキ……魔女は。

 ありえないほど一方的な、要求。拒否権は……というか、拒否する術がない気がするのが、非常にまずい。


「だ、だだだって、ぼく……戦ったことなんて……」

「暗愚。殴る蹴るが出来ればおぬしは今……人間魔物合わせてもかなり上の強さだ。われの一部を食ったおぬしは、それはもう、笑えるほどに最強なのだ」

「…………っ」


 いや、確かに……あの、動き。そんなに力を込めたつもりもないのに、とんでもない身体能力をぼくが発揮したのは、たしかに事実だけども……

 正直、実感がない。自分がしたことなのに、自分の意識が体についていかない。

 だって、無茶苦茶だ。

 あんな速度、あんな動き、人間が……というか、形ある生物がしていいものじゃない。ぼくは怖い、あんな不気味に不条理な、タガが外れた力……


「こーもーのー」


 くっくっく、と。いたずらっ子のような笑い方で、今は立ち上がって、追いかけるタミハを躱しながらぼくを指さしてくるセレオルタ。

 なんだそのしぐさ……むちゃくちゃ腹立つ。


「楽しめロンジ。ロンジ・ヨワタリよ」

「無理だ、ぜったいヤバイ……!」

「ああもう、仕方ないのおー」


 うっとうしそうにため息をついて、セレオルタは自身の手を合わせて、なんだ、まるで手の中に小鳥を閉じ込めるようなしぐさをしたかと思うと――


「…………!」


 ちゃらり、と。

 直後、ありえない、信じがたい光景がぼくの眼の前に展開された。

 ちゃりん、ちゃりん、と暗い路地裏に反射するのは、地面にこれでもかとこぼれ落ちる、金色の――


「か、金……金貨…………!」

「この辺りで流通しとる、レドニア小金貨なのだ。大金貨は……疲れとるし、大量は怪しまれるからあえて作らん」

「う、うそだろ、おま……セレ、セレオルタさん……!」


 思わずさん付けになりながら金貨を拾い上げるぼく。それこそ、舐めるように見回す……そして、ぼくが唯一、一枚だけ持っている金貨と見比べてみるが、どっちがどっちか見分けがつかない。コインの表は通貨の発行番号……裏はこの国を象徴する、この国の国鳥である『フーナ・リフトレント』とかいう鳥のヒナが刻印されていて……

 通貨番号も、どれとして同じものはない。完全に本物の金貨が10、20……30枚。それなりの大金。

 なんだこれ、幻覚……いや、実物だ。間違いなく、お金がここに無造作に……


「俗物めが。ま、これもわれが回復したら褒美でいくらでもくれてやる。さすがに満足だろうが」

「お……うう、ん……」


 つ……通貨の偽造は言うまでもなく重罪だ。当然の様に一発死刑だけど、このクオリティならバレようがない……意外と変なところで強気なぼくは、この瞬間……魔女の、セレオルタと行動を共にすることにした。


「…………」


 べ、べつに金目当てというわけじゃないからね。これはぼくのため、じゃなくて愛する妹の為……ちゃんと人間に戻って無事帰還するためだ、なんて。

 そう、あえて頭の中でこれ見よがしに思考しつつ、ぼくは今一度セレオルタと目を合わす。

 ぼくのほうが背が高い。そりゃ当たり前だ、ぼくは成人男性で、そしてこいつは、どう見ても、少なくとも外見は、8,9歳くらいの少女なんだから……。

 ――なのに。

 なのに、物理的に見下げているのに、こちらが見上げているような感覚が、やはり、どうやってもぼくの中から消えてくれない。

 そして、たった今彼女が見せた力。


「物質、創造……」


 大戦の記録において、魔女の……辺幽の魔女の力を記録したものは、多くはないが少なくもない程度には残されている。

 いわく、何もない場所に突如奇妙な庭園が生まれた。

 いわく、何もない場所に突如深い森林が生まれた。

 いわく、空を覆う程の異形の大軍が、突如、昼を夜にした。

 それら逸話は全て、大戦期の前から語り継がれる、魔女の所業――


「いかにも。われの力はあらゆるものを生み出し使役する……おぬしらの呼称では魔術、か。その本質正しき名を――」


 ……また。魔女はそれが何の意味か分からないが、自信満々に、隠す気もなく傲慢に、無駄に溜めて己の二つ名となる力の呼称を言い放つ。


「辺幽――辺幽の力なのだ!」

「……………………」


 ……なんというか。

 もう……ぼくの今の体の状態……この常識外れた身体能力を加味して、してしまったら、これはもう疑う余地もない。

 彼女は間違いなく、疑う余地なく本物の魔物――魔物の女王、セレオルタだ。


「…………」


 ……別に、怖いとか、恐ろしいという感情は、それを本気で受け入れたこの瞬間になっても、まったく覚えなかった。

 目の前の彼女が一見無害だから……実際話してみて、案外普通にコミュニケーションが取れる事に安心したから……それとも、脳に変な物質が充満してぼくがハイになってるのか分からなかったが、少なくとも、今この時のぼくは、冷静に、この事態を受け止めていた。

 たとえ彼女が魔女だろうと、現実は変わらない。

 つまり、彼女の言う事を聞かないと、人間には戻れないという事。

 そして、ぼくは――


「……ふむ!」

「……?」

「あ、聞こえる! 聞こえるわやったー!」


 と、唐突にその場で手をパン、と慣らすセレオルタ。タミハの耳に仕掛けた耳栓を解除したらしい。彼女の耳から塵のようなものが出てきて、そして空気に溶けた。

 なにかと思ったら、仕切り直しと言わんばかりに地面の金貨を軽く蹴りつつ、彼女はまた、威圧的とも見える笑みで、急なことを言い放つ。


「――とりあえず、腹ごしらえなのだ! 街に繰り出すぞ! 腹が減っては戦は出来んからなぁー!」




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