3話 「人間がぶっ飛んできたぞオイイイイイ!」


 これは――そんな、しかしそんな大人数にしてはいやに……薄気味悪いほど人間の気配がない。だから森のざわめきかと思った……そう勘違いするほど統率の取れた男たちがこの空間を突如埋め尽くした。


「なっ……」

「ひ………………」


 さらにおののくチンピラ。

 完全に、囲まれている。

 なんだ、路上でパフォーマンスの練習中の演劇関係のお仕事をしている方たちかな、なんて冗談を言える雰囲気ではなく、彼らが纏っているのは殺気……いや、それも少し違う――


「憧憬。そして崇拝。気持ち悪いやつらなのだ」


 ふん、と鼻を鳴らす白髪少女。またもや意味が分からないぼくに、二の句をつぐ彼女。


「いいか、おぬしは頭が緩そうなのだ。だから難しいことは頼まん」

「え、えーと……?」

「今からわれとタミハを掴んで、思いっきり足に力を込めて、ジャンプしろ。跳躍なのだ……わっぱがその場で地団太を踏むように、駄々をこねるように飛んでみるのだ。それだけでよい」

「…………」

「返事は!」

「は、は……い?」


 小首を傾げすぎて自分の首がねじ切れそうになりながら……、ぼくは、ひとまず彼女の言うとおりにすることにした。

 この状況。周囲に黒ずくめの男たちが大量発生していて、ぼくはなぜかチンピラにビビられていて、とうのチンピラはなぜかすでに泡を吹いて気絶していて。もう、わけがわからなかったけど、とりあえずぼくはゆっくりと少女たちに近づく。


「――……」


 瞬間、ぴくり、と男たちが……って、こいつらなにやってるんだ。いつの間にか、この……黒い男たちの手には、大小さまざまな……しかし統一されたディテールの刀剣や短槍が握られていた。なんでこの人たち、こんなところで武器を構えてるんだ。もう、いい、物騒なものはもう見飽きたっていうのに――


「……おい、」

「ふご……ふご……」


 と、そう思ったのと、何気ないような動作で黒い男の一人が、路上で意識を失ったままになっている入れ墨のチンピラの首元に、その刃物を向けて――それを差し込むように――


「…………ふ……」

「………………………………あぶ、」


 危ない、と思ったのは、ぼくが少女たちを両脇に抱えたのは同時。驚くほど軽い彼女たちを抱えて、あぶない、と声に出したと同時、ぼくは一歩そちらに歩を進める――のと、


「な……」


 ドオン、と。まるで爆発音のような、直後にメキっと耳元で音がしたのは完全に同時だった。

 チンピラが……殺されそうになった。男に、本当にごく自然に殺されそうに――だから、ぼくはつい反射でそれを止めようとしたら……


「……不器用なのだ」

「はっ………………は?」

「す、すごいわあなた! 今の……めちゃくちゃ…………!」


 気付いたら、ぼくは、道の反対側、路地裏の突き当りの壁に、

 そして、今まさに入れ墨男にトドメを刺そうとした黒ずくめの男は――


「きゃあああああ、なになに!」

「人間がぶっ飛んできたぞオイイイイイ!」

「えいへーい! おおおおおい!」


 ……騒がしい。路地を抜けた通りが異様に騒がしい。そちらの方を見ると、屋台のひとつが崩れて、そこに一人の黒ずくめの男が……まるで機関車のような勢いで突っ込んだかのように、ノックダウンして倒れ伏していて……


「あなた、倒れている人を救おうとしたのね! えらいわ! それにすっごい速度とパワー! あなた、ものすごく強いのねえ!」

「あぶなかろうが、われは最強だが、タミハは人間なのだぞ。今ので大怪我でもしたらどうする」

「わたしはダイジョブよ。あ、あの黒いのは魔女教の魔女教徒よ。だから心配しないで、あれは悪者だから!」

「え、えーと……」


 口々にしゃべる彼女たちに、ぼくは……ぼくは、ようやく、ほんの少しだが事態を飲み込んできた。いや、飲み込んできたというか、じかにこの目で見たので、ようやく頭が追い付てきた感じだが……今のは、ぼくが猛スピードでタックルみたいに、あの黒いのに突っ込んで、結果としてチンピラを救ってしま――


「なあああ…………⁉」


 そう思うや思わんや。また森がさざめくような音がして、今度は五人、いや六人……くそ、一列に並んでるから何人か分からない!

 ぼくの背後から統制の取れた動きで黒ずくめの――いや、さっき、タミハと呼ばれた少女が魔女教……魔女教徒と呼んだ男たちがこちらに向かって走ってくる。手には当然武器を携帯したまま、明らかにこっちに危害を加えるつもりだ。


「横じゃない。縦だ。縦に飛んでみるのだ阿呆――」

「い、い……言われなくとも……」


 もう、もう……逡巡している時間はない。今度こそ何の余裕もない、ぼくは、その場で……軽くパニックになる思考を、上塗りしたような心持で、彼女たちを抱えたまま、その場ですねた子供みたいにしゃがみこんで――

 ゴキュ、と。これまた聞きなれない音がしたのは刹那だった。


「わ、あああああああああああああああああああ⁉ ごわあああああああ――」

「きゃあああ、あはははは! すごい、すごい、本日二回目――」

「大して飛んどらん……く……、ちょっと、姿勢を変えろ……」


 ぼくは――、ぼくたちは、ありえない、こんなの本当にありえないけど――気付いたら、

ぐんぐんぐんぐんと上へ――、信じられない速度で高度が上がっている。こんな、こんな眺め……例えば、山の中からふもとの村落を見下ろすのと、今、こんな周りになんの遮蔽物もない状態で大都市を見下ろすのとでは、なにもかも、ほんとうになにもかも――


「なんだ、これえええええええええええええええええええええ!」

「うるさい。男の悲鳴は好きだがおぬしのは泥の味なのだ」

「いや、これ…………!」


 とま……止まらない。どこまで飛んで――


「……ずらすぞ」

「…………⁉」


 そう少女、白髪少女が言うのと同時、ぼくの体は地面を縦から水平に……体勢がなぜか勝手に変わる。ふと見ると、少女の体にまとわりついている灰色の塵のようなものが、ぼくの体の手足をくるんで、それにより姿勢が――そして、それと同調するように、ぼくたちは今度は空を斜めに、滑空し始めた。

 ようやく、どこまでも高度が上がっていっていたのが徐々に下がり始めて、こうしてみると、本当に空を飛んでいるみたいに――

 今、これ、ぼくが跳躍……ジャンプしただけで、こうなったっていうのか……!


「名乗れ、暗愚」


 脈絡なく、ぼくに小脇に抱えられたまま、白髪少女が言った。


「ろ……ロンジ。ロンジ・ヨワタリ……」


 もうぼくは――なんの逡巡もなく、ただ反射みたいにその問いかけに答えるしかない。


「ロンジくん! わたしはタミハ! タミハ・シルハナよ! さっきはありがとう助けてくれて! あなたすっごい脚力ね……筋トレとかすごいしてるのかしら!」


 すごく楽しそうにもう一人の黒髪少女も言った。それはご丁寧にどうも……筋トレはしてないよ、と返事したいところだが、さっきからぼくの総毛が逆立っていて、どうやら今のぼくは自分の名前くらいしかまともに喋れない精神状態だ――


「ふむ、下の中にしては中の中くらいの名前なのだ。われは――いいか、われは良く聞け――われの名は……」

「…………」


 ――そして。必要以上に……本当に何の意味があるのか問い詰めたいところだが、ぼくたちが滑空して、滑空して、そしてえらい勢いで地面に着陸……いや、墜落してしまうんじゃないか、と思ったタイミング。

 そのころ合いを見計らって、また塵のようなものをクッションにして、ぼくたちの体を受け止めた彼女は……

 地面に降り立った瞬間、腰に手を当てて、どこへともなく、しかしものすごく偉そうに、それを言い放ったのだった。

 無駄に溜めた自身の名前を。


「われの名はセレオルタ……セレオルタ・ヘログエス・クアトラレイド・バートリリオン。『辺幽の魔女』と言えば知らぬ者はいないだろう――誰より美しく、そしてあまりにも強すぎる。まあつまり――それこそがこのわれなのだ!」





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