やがて蝶は大空を舞う 4

第四章 本当の気持ち

 

 揚羽が部屋を出て、リビングに行くと母親が驚いた表情を見せた。揚羽は優しい顔で言葉を紡いだ。

「今から、美容室に行ってくるね」

 揚羽のその言葉に母親はぽろぽろと涙を流した。そして、笑顔を作り言葉を返した。

「気を付けて行ってきてね」

 やっと、前を向いた揚羽の表情は何処か重たいものが取れた軽やかな表情だった。いつまでも暗闇に閉じこもってばかりでは、周りがただ心配するだけ・・・・・・それに揚羽は気付き、前を向くことを決意することができた。

 

 フード付きのパーカーを着て、久々に外に出ると、外は心地よい風が吹いていた。空は綺麗に晴れ渡っており、雲一つない穏やかな天気だった。揚羽はいつもの美容室へ足を運んだ。美容室のドアをくぐると、「いらっしゃいませー」という声が響いた。そして、いつも揚羽のヘアケアを担当している美容師が揚羽の髪を見て唖然とした。が、すぐに気を取り直し、何があったかを聞かずに一言、言葉を紡いだ。

「いつものように可愛くしてあげるわ」

 そう美容師は言うと丁寧に小刻みに鋏を動かした。揚羽はずっと目を閉じながら、いろいろな気持ちに思いを巡らせていた。大好きな長い髪が無くなってしまったこと、大切な人たちに心配をかけていたこと、そして、私の本当につらいことを分かってくれた人・・・・・・・。

 いろいろな想いが頭の中を駆け巡っていた。揚羽は自分がいかに愛されているか肌で感じた。静かに見守ってくれた親、元気を出してもらおうとメッセージ付きの動画を作成してくれた友達や仲間・・・・・・。

(私、皆に大切にされていたんだ・・・・・・)

 そう心の中でつぶやくと、「ごめんなさい」という気持ちと「ありがとう」という気持ちが心に溢れかえっていた。


「さ、可愛く出来たわよ」


 美容師さんの言葉で、揚羽はゆっくりと目を開いた。髪は柔らかな雰囲気のショートボブになっていた。

「多分また伸ばすことを考えて、伸ばしやすい髪型にはしておいたわ。ケアはいつも通り行ってね。紫外線とかでも髪は痛むから、ちゃんとオイルやトリートメントはちゃんと行ってね」

 揚羽はお礼を言って、その美容室を後にした。

 綺麗な髪形になって、揚羽に心はうきうきしていた。そして、帰り道にいつもの公園を通ろうとして、見覚えがあるような顔を見つけた。

 藤木だった・・・・・・。

 なぜ、見覚えがあるようなことしか思わなかったのは、藤木のパーマがかかった長い髪がバリカンで剃られたのか、丸坊主になっていたからだった。揚羽が呆然と藤木を遠くから眺めていたら、その視線に気づいたのか、藤木が揚羽の方に顔を向けた。

 二人の目が合い、気まずい雰囲気が流れたが、藤木が力ない笑みを見せたので揚羽はそれが気になり、藤木の近くまで行った。

「・・・・・・藤木さん、その髪・・・・・・」

「ああ・・・・・・親父にバリカンで剃られた。同じようにしてやるよって言われて・・・・・・」

 それ以上の会話は繋がらなかった。揚羽はなんて言っていいのか分からず、その場に立ち尽くしていた。

「あのさ・・・・・・」

 そこへ不意に藤木が言葉を出した。

「酷いことしてごめん・・・・・・。私、あんたが憎かったんだ。いかにも親に愛されて幸せに育ちましたっていうあんたが憎くて憎くて仕方なかった。山中君もそんなあんたには優しかったし・・・・・・。沢山の友達にも囲まれて苦労や辛さを知らないで幸せにのうのうと生きているあんたを壊したくてあんなことした。でも、自分も同じ目に遭って、自分のやったことがどれだけ酷いことか分かったよ・・・・・・。本当にごめん、ごめんなさい・・・・・・」

 藤木は話しながら最後には涙を流していた。藤木はただいじめをしたわけではなく、幸せに育っている揚羽が気に入らなかったのだ。蝶々も「世の中にはそういう人もいる」と、言っていた。

「実はさ・・・・・・」

 藤木はそう言って、言葉をいったん止めて、言おうかどうか考えているようなそぶりを見せた。そして、意を決して続きを話した。

「その、あんたと仲良くできたら自分もあんたみたいになれるのかなって思ったこともあった。でも、いつだったか山中君が友達とあんたのことを話していて、その時に何となく優しく笑っているように見えたから、仲良くなりたいと思う反面、嫉妬の方が勝っちゃったんだよね。こんな嫉妬でいじめをするような性格で、人に好かれようなんて土台無理な話だよね・・・・・・」

「藤木さん・・・・・・」

 藤木の言葉を聞いて、揚羽はどう言葉を掛けていいのか分からなかった。揚羽が慰めの言葉を言ったとしても、藤木には嫌味に聞こえるかもしれないと思ったからだ。しばらく、沈黙が流れた。そこへ・・・・・・。


「あー!!揚羽!!ここにいたのね!!」


 公園内に声が響いた。揚羽が声の方に顔を向けると愛理がポニーテールの髪を揺らしながら、揚羽に走り寄ってきた。

「家に行ったら、美容室行くって言って出かけたっていうからちょっと心配になって探していたのよ!大丈夫!?」

「ごめんね、愛理ちゃん。もう大丈夫だよ」

「良かったー。・・・・・・で、そちらの人は?」

 揚羽が説明しようとした時だった。

「あ・・・・・・あんた・・・・・・」

 藤木が愛理を見て体を震わせた。なぜ、藤木が愛理を見てそんな行動をするのだろうと思っていたら、そこへ、また別の声がした。

「あれ?寺川に・・・・・・藤木?」

 現れたのは山中だった。そして、山中が愛理を見ると、

「あれ?あの時、藤木といた・・・・・・」

何のことかわからずに揚羽と愛理が顔を見合わせていると、藤木が唸るような言葉で言葉を吐き出した。

「あんた、あの日の夜に、この公園で私に言ったよな。寺川の髪の毛を切ったらボロボロに泣くって・・・・・・」

 藤木の言葉に愛理は「何のこと?」という顔をした。揚羽も、信じられない話に頭の思考回路が付いていってなかった。愛理は藤木の言葉に怒りを感じ、強く言葉を放った。

「一体何の話よ!私がそんなこと言うわけないじゃない!変な言いがかりを付けてくるのは止めてくれる?!」

 剣幕状態になって、揚羽は何のことかわからないままとりあえず二人に落ち着いてもらおうとした。そこへ、山中が口を開いた。

「俺はその時に何の会話をしていたかまでは分からないけど、夜に藤木と話しているのは見たよ。ただ、なんというか、その時と今で雰囲気が違うというか・・・・・・あの時は暗い闇を抱えたような雰囲気だったというか・・・・・・」

 そこまで聞いて、揚羽と愛理が顔を見合わせた。

「まさか・・・・・・」

と、その時だった。


「それは、私よ・・・・・・」


 突然、声がして一斉にその声の方へ振り向くと、そこには愛理と同じ顔をした、暗い闇を抱えたような表情の女が立っていた。


「愛菜ちゃん・・・・・・」


 愛菜と呼ばれた女は皆の顔を一周見渡すと、ゆっくりと口を開いた。

「久しぶりね、揚羽ちゃん。そして、姉さんも・・・・・・」

 愛菜は愛理の双子の妹だった。しかし、親が離婚したことで愛菜は父親に引き取られた。しかし、父親の酒癖の悪さから時折暴力を受けており、心を病んでいた。

「愛菜、あなた今病院に入院中なんじゃ・・・・・・」

「・・・・・・まれに、こうやって外出許可を貰って散歩しているの。そんな時に偶然、揚羽ちゃんがこの藤木さんって人にいじめられているらしいっていう話を聞いたのよ。なら、一役買おうと思って、あの日の夜に藤木さんに揚羽ちゃんの髪を切ることを提案したのよ。そしたら、本当に切ったって知った時は嬉しくて笑いが止まらなかったわ。まあ、今の様子だともう回復しちゃったみたいだけど・・・・・・」

 愛菜は不気味な笑みをしたままそう話した。そして、くすくすと笑いだした。その言葉と態度に反応したのは愛理だった。

「なんでそんな酷いことを言ったのよ!揚羽が髪を大事にしているのはあなたも知っていたはずよ!?」

 愛理がそう捲し立てると、愛菜は笑うのをぴたりと止めて、揚羽を睨みつけながら言葉を吐き出した。

「・・・・・・知っていたわよ。揚羽ちゃんが髪を大事にしていることはね。だから、壊したかったのよ。私はね、親に愛されている揚羽ちゃんがずっと・・・・・・ずーっと憎かったのよ!!」

 愛菜は息を切らしながらそう叫ぶと、また、不気味な笑みを浮かべながら、揚羽のことを嘲笑うかのように言葉を吐き出した。

「・・・・・・だから、揚羽ちゃんを壊すなら大切にしている髪をズタズタに切ることだと思ったのよ。ボロボロになって壊れてしまえばいいってね・・・・・・」

「愛菜ちゃん・・・・・・」

 揚羽はそれ以上なにも言葉を言えなかった。今回のことは揚羽がなにかをしたわけではない。ただ、揚羽の暮らしている幸せな環境を妬んだ事柄だった。誰かが悪いのではない。もし、悪いとすれば愛菜や藤木を良くない環境で育てた家庭かもしれない。そして、そういった環境だってことを分かっていて、誰も手助けしなかった事が余計に愛菜と藤木の心を暗い闇に変えてしまったのかもしれない。揚羽の中でいろんな気持ちが交差していた。

「揚羽ちゃん、私は揚羽ちゃんが憎いわ。多分これからもずっと・・・・・・」

 愛菜はその言葉を言うと、その場から去っていった。しばらくの間、誰も動けずにいた。それを、愛理が破った。

「ごめんなさい、揚羽・・・・・・。まさか、髪を切れって言ったのがあの子だったなんて・・・・・・。愛菜が、ごめんね・・・・・・」

 愛理はそう言って、泣き出した。揚羽は愛理を優しく抱き締めると言葉を紡いだ。

「愛菜ちゃん、私のことがずっと憎かったんだね・・・・・・。全然気付かなかった。幸せにしている私を見るたびにどんどん憎しみが増していっていたんだね・・・・・・。愛理ちゃん、私はもう大丈夫だから。だから、そんなに謝らないで・・・・・・」

「揚羽・・・・・・」

 こうして、それぞれ帰路につくことになった。帰り際、藤木が揚羽に「あのさ・・・・・・」

と言って、言葉を口にした。

「私さ、よくこの公園にいるから、また会えないかな?その、あんな酷いことして、何言っているのって思われるかもしれないけど・・・・・・、私、その、寺川さんと友達になりたいから、考えといてくれないかな・・・・・・?」

 藤木の思いもよらない言葉に揚羽は驚いたが「また返事するね」と言って、その場を後にした。


***


 家に帰ると、美味しそうな匂いが漂っていた。揚羽がキッチンに行くと、食卓には夕飯の準備がされていた。父も帰ってきていて、両親は揚羽の顔を見るなり優しく言った。

「あら、可愛くなったわね。似合うじゃない」

「そうだな。可愛いぞ、揚羽」

 両親は揚羽が部屋から出てきたことにとても安堵しているのか、二人とも、始終笑顔が溢れていた。久々の家族揃っての食卓は笑顔で溢れかえっていた。

 夕飯が終わり、お風呂を済ませて、揚羽はヘアケアに勤しんだ。もう一度綺麗に伸ばすんだという気持ちで、丁寧に髪をケアした。それが終わる今度はパソコンを起動した。そして、蝶々に今日のあった出来事を伝えた。愛菜のことや藤木のこと。そして、藤木に友達になって欲しいと言われたことをメールに綴った。しばらくして、蝶々から返信が届いた。

『お疲れさま。髪を可愛くして貰えて良かったね。愛菜さんと藤木さんのことは辛いとは思うわ。二人とも望んで今の自分になったわけではないからね。でも、これからどうなっていくかは見守るしかないんじゃないかしら?その家の家庭の事情だから第三者はなかなか踏み込めないからね。藤木さんは友達になって欲しいって言われたのね。私の意見は、嫌なら嫌でいいと思う。でも、優しいあなたのことだから放っておけないのでしょう?』

 メールを読んで、揚羽は自分の想いが見透かされていることが分かると、メールに正直な気持ちを綴った。

『はい。別に藤木さんの事は嫌いなわけではないので、仲良くなれるなら仲良くなりたいと思います。そして、藤木さんにも優しい光が見えて欲しいです』

『それでいいと思います。あなたと仲良くなって、藤木さんの心に優しい明かりが入るといいですね。頑張ってください』

 蝶々からの返信に安堵した揚羽は一言だけ打ってメールを送った。


『ありがとうございます』


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