第7話 酔い覚ましの飴

真っ青な顔が写り込んでいるカクテルを飲み干す。次ください。と半ばヤケクソで言うと、

彼は言われるがままに、差し出されたグラスを、丁重に受け取った。

「…え、浮気しちゃったの。明海ちゃん…」

お酒の棚に顔を向け、私に背を向けながら、恐る恐ると言う風にこちらを伺うスカイブルー。

その青さに私は少し後ろめたいような気がしてしまっていた。

「…同窓会に行ったんです」

私が小さく呟いた前に、彼がカクテルを置く。先程と同じカミカゼだ。

透明なカクテルに今度は歪んだ私の顔が映っていた。

「卒業してから初めて、同窓会に行ったんです。これは前来た時も話したと思うけど」

彼は大学時代からの私の良き相談相手だ。旦那があんなんなのも、彼だけが知っている。

私のとっては兄のような存在。

彼はうんうん、と頷きながらカタンと軽快に音を鳴らして、私の前にも一度腰掛ける。

「すごく楽しくて…。両親にも久々に会えたし、みんなともたくさん話して。

 二次会に行ったんです。そこで元カレと再会しました」

黒い街に唯一、若い青を残した。そう、まるで今目の前にいる彼の瞳のような透明さ。

若い時。最初に出来た彼氏。甘い思い出ばかりを残していった男。

そして今度は、悩ましい思いばかりを残していった憎たらしい男。

「えーっと、何人目の?」

「最初です」

あー、不良だったっていうね。と目を細めて思い出しながら、彼は頬杖をつく。

「そこで、言われた言葉がずーっとこの辺に引っかかってるんですよ」

カクテルばかりが進んでいく。気づけばまた、高濃度の酒を飲みほしていた。

彼は心配そうな顔をしながらも、私がグラスを差し出すとしぶしぶ立ち上がり、また作ってくれる。

「『綺麗になった』って」

言葉にするとより、現実味が増すただの言葉。

こんな言葉に引っかかってしまうなんて、

自分がいかに枯れた生活を送っていたのかを理解する。

そして、そんな言葉にコロッといきそうになった自分が嫌だった。

「え?それだけ?」

拍子抜けして飾ることすら忘れた彼の言葉に、私は図星を突かれて少し拗ねたような気分になった。

「わかってますよ。でもそれが頭から離れないの。自分がこんなちょろいとか思わなかった…。

 あいつらと同じ土俵とか、死んでも死に切れん…」

浮気ばかりをされて、苦しめられてきた。三人の彼氏には同じように捨てられた。

女としての魅力なんて皆無みたいで、母親みたいだと言われ続けた苦い恋。

その中でただ、言われた「綺麗になった」それだけで、私は転びそうになる。

そんなに、自分がちょろいとは思わなかった。

あいつらみたいに、異性から思われる魅力なんてなくとも、

人としては、勝っている。なんて思っていた。

ムカムカとした私は、その喉奥に引っかかる思いを飲み込むように、度数の高いお酒を一気に煽る。

カクテルをこんなに暴飲したのは初めてのことだった。

ふわふわとして、思考がおぼつかない。

「…彼と結婚してればなんて思った自分が…悔しかった…」

自分でも自分にすら、言っていなかった本音が零れた音がして、私の意識は途絶えた。


「…ちゃん!明海ちゃん!」

脳を大きく揺さぶられるような感覚に起こされる。私の肩を揺さぶっていたのは、海里さんだった。

「ごめん。もう店閉めるよ。起きな」

どうやら私は本格的に酔いつぶれていたらしい。ばっと起き上がろうとすると、頭がくらりとした。

明日有給取っといてよかった。そんなことを思いながら、海里さんに代金を払う。

「すいません。私ったら完全につぶれたみたいで」

「いーのいーの。俺はやっぱり人間らしい明海ちゃんが好きだよ」

好き。海里さんだって顔が悪いほうじゃない。やっぱり欧米の血が入っているだけあってカッコいい。

そんな彼に、ストレートな好意を告げられても、胸が何も言わない。

「海里さんだったら、何も感じないのに」

「…今日は辛辣だね。明海ちゃん…」

どうやら零れていたらしく、呆れたようにレジを打つ海里さんが言った。

「…すいません」

「謝んないで、よりマジっぽくなって俺がむなしいから」

そんなことを言いながら、お釣りを渡される。海里さんにもう一度、頭を下げると彼は少し笑う。

「明海ちゃんさ、もっと肩の力を抜いて生きてみなよ。そのほうが楽だよ。

 あとね、別に女の子なんだから、綺麗って言われてうれしいのは普通。浮気でも何でもないよ」

そう、いつもこうやって海里さんは私に最適解を与えてくれる。普通のことだよ。

そんなありふれた言葉で、唯一無二の言葉を紡げる彼は、やっぱりモテる男だ。

手出して。と言われて、言われるがままに彼の目の前に右手を差し出すと、彼の左手から飴が現れる。

バーに似合わない明るいパッケージの飴。彼はそれを手渡しながら、私に言う。

「うちの常連さん。が潰れてる子にって」

常連さんか、じゃあ、今度お礼を言わなきゃだよね。

そんなことを思うが、私の頭の中をほとんど睡眠欲が占めていた。

「明海ちゃん。路地とかで寝ちゃだめだから。タクシー呼んどいたし。乗って帰りな」

「ありがとうございます…」

夜の街に不釣り合いな、まっ黄色の飴を握りしめて、バーの外に出た。 


店の前に止まっていたタクシーに押し込まれ、行き先を告げてくれた海里さんは、

私を見送ってバーに入っていく。

万が一眠ってしまってもいいようにと財布を取り出そうとすると、赤信号に止まったハンドルを背に、

運転手さんが無機質な声でお代はいただいています。と言う。

海里さんが、払ってくれているらしい。どこまでもスマートな男だ。

LINEのトーク画面に、お礼を述べて、ぼんやりとする頭の中で、通り過ぎている街を眺める。

眠気と闘っていると、着きました。とまた、無気力な声が聞こえて、

フワフワとする脳内で、ハイヒールを鳴らし、礼を述べてから、エントランスへ進む。

肌寒さからか、足が早まった。

エレベーターのボタンを押し、一息ついたあと、

外気の味がする廊下を歩み、鍵を出して玄関に滑り込む。

玄関には珍しく旦那の靴が置いてあり、電気が無駄に煌々と付いている。それに諦めを覚えながら、

挨拶もせずに、リビングに入った。

酒の蓋を開けながら、興味もないテレビを酒の瓶に囲まれて、ソファーに寝そべる旦那。こちらに見向きもしない。

ただいま。という当たり前の言葉も言わず、

明日旦那に朝飯に起こされぬように、朝ご飯のありかだけを告げる。

酒が入ったまま風呂に入るわけにも行かず、自室に行き、窮屈なスーツを脱ぎ捨てた。

ズボンからコトンと可愛らしい音を立てて、黄色い飴が滑りおちる。

その飴を拾い、明日の朝食べよう。とベッドサイドに置く。

団子にしていた髪を解き、下着一枚になって、なけなしの給料で購入したベッドに沈んだ。

明かりを手探りに消し、除夜灯をつける。すると、ぼぅっと浮かび上がる、飴の裏に書かれた文字。

走り書きなのだろうか、インクが無駄に伸びているが綺麗に整っている字。

ボールペンで書いたのか、少し滲んでしまっている。

そこに書いてあったのは、今日もお疲れ様です。いい夢を。

荒んでしまった私の心に、まるで除夜灯みたくボゥっとその言葉が浮かぶ。

久々にいい夢が見られるような気がした。

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