第5話 真っ直ぐな恋

同窓会の後、始発で新幹線に飛び乗り、翌日からまた仕事。

一度家へ帰ると、旦那は家を空けていた。どうせ、女のところへ行ったんだろう。

何かを叫んでいる自分の声を無視して、かけてあったスーツを着て、

少し寒くなってきた東京の街に繰り出した。

私は通勤時間が早いため、ラッシュ時からは少しずれている。

田舎から出てきた頃は、この人数でも人の多さに圧倒されて、波に流されていた。

最寄りの駅で降り、薄暗くても燦々と人工的な灯りがある、街中をなぞって、会社に入る。

まだ人がまばらな中で、自分達のブロックにはもう、人が揃い始めていた。

コンプの締切が近いため、残業も顧みない時期なのだ。

今回はチームリーダを任されたため、比較的遅い出勤でも許されるが、

下っ端時代はそれはもう、散々な日程を組まれていた。

「おはよう」

席に鞄を置くと、私のテーブルの上には何枚かの書類が提出されている。

「おはようございます」

後輩たちの挨拶を流しながら、一つずつ書類に目を通していった。

段々と私たちのチーム以外も出勤を始め、

ガヤガヤと仕出したころ、私の目にはある、書類が止まっていた。

この書類は、確か…と、割り振りをメモしているものに目を通すと思った通り、宮間のもの。

随分と思考が撹乱しており、伝えたいことがまとめきれていない。

明らかに仕事が疎かになっている証拠だった。

これ、チームリーダ私じゃなかったら、ヤバかったぞ…と思いながら、目の前の宮間に目を向ける。

いつもより、厚塗りの化粧でも隠しきれていないクマがクッキリとしていて、寝不足が見てとれた。

「宮間」

声をかけるとビクリと肩を震わしてこちらへ歩いてくる。

その行動だけで宮間がこの書類の出来が悪いと、自覚しているのだとわかった。

「…やり直し。悩んでるんだったら、相談して。私もこれ終わったら空くから。手伝う」

「すいません…」

幸の薄い顔で謝る宮間を見ていられずに、声を大にして恋人のことかと聞くこともできず、

その場にあった付箋を剥ぎ取り、「恋人のことで悩んでるの?」と書いて宮間に見せた。

少し目を見開いた宮間は、小さく頷く。

「この仕事が終わったら、休みが出るから。今はこの仕事を終わらせることに集中して」

少し残酷なことを宮間に告げると、宮間は引き締まった顔で頷く。

そんな宮間の姿を、穴が開くほどに見つめる友井が見えた。怪訝そうに私とのやりとりを見ている。

…友井。あんただったら、この子を救えるかもしれないね。

そんな言葉を、心の中で問いかけた。


考える暇もなく、次々に大詰めへと向かうコンプ。私自身の仕事が終わった頃にはお昼を迎えていた。

行きにコンビニで買ったパンを齧りながら、宮間の書類をもう一度見直す。

伝えたいことは何か。彼女が言いたいことは何か。

今混沌としているだろう彼女の脳内を、どう整理するか。彼女が持っているものを100%出させる。

「珍しいですね、コンビニパンですか」

私のデスクから一つの書類をヒョイと取り上げて、いつもの調子で声をかけてくる友井。

その顔を見ながら、フワっとあくびをすると、彼は少し呆れたように笑った。

「先輩も寝不足ですか?」

「え?うん、昨日まで地元で同窓会してたから」

…後は、無駄なくらいに、彼の言葉が思い出されて眠れなくて。

そんなふわふわした自分が嫌で、ますます眠れなかった。浮気でもなんでもない。それでも。

多分動揺してしまった自分に、驚いているんだと思う。

私の気持ちも知らない友井は、意外にも丁寧に書類をデスクに整えていた。

「マジすか!?地元どこでしたっけ?」

「新潟」

テンポ良く会話もできるし、気も効く。少しガキっぽいかもしれないが、友井は随分優良物件だ。

結構職場でもモテているし、宮間が振り返らないのは、勿体ない。

「…で、何のよう?」

何の話かもわかっているようなものなのに、知らないふりをして問いかける。優しさだ。

それでもどこか、ソワついたような落ち着かない空気を纏う友井に話を促すと、

彼は容赦なく私の隣の空席に腰掛けた。

「…宮間に何あったか。先輩は知ってるんですよね」

核心のある言葉で私を真剣に見つめる目。その目に私は、負けるような気がして書類に視線を戻した。

「知ってる。でも言わないよ。友井は友井なりに、宮間に信頼されるように頑張りなさい」

落ち着かない手でピラピラと書類をイジる。友井は椅子で私に近づいてきた。

「…じゃあ、せめてアドバイスください。先輩は旦那さんになんて告られましたか?」

「は?」

コイツ、何聞いてるんだ?そう思いながら、彼の顔を盗み見て、ふざけているわけではない。とわかる。

彼の中で、恋人になる。というのが、彼女を支える最善だと考えたんだろう。

馬鹿みたいに真っ直ぐで、プライドも何も捨てられる姿に、少し微笑んでしまう。本当可愛い恋だ。

遠い昔に旦那から言われた最初の告白を思い起こした。

…好きだよ。

そう、それだけだった。でも、多分彼が好きだった私は受け入れた。安直でも、よかった。

「普通に好きだよ。だったかな」

「やっぱ、そうすか…あ、じゃあ、最近言われてキュンとしたこととかは!?」

思い出すようにいうと彼は、迷ったようにした後で、私に食いつく。

その圧に押された私の脳裏に浮かんだのは、彼が言った言葉。

綺麗になった。

何思い出してんの私!?自分が一番自分に驚く。

それと同時にどこか、悪いことをしている気持ちになる。

「先輩?めっちゃ、顔赤いですけど。大丈夫ですか?」

「うるさいっ!」

反射で切り返すと、今にもからかいたい。と書いてある友井の顔が隣にあった。

諦めた感情で小さく言う。言葉にするほどに、顔が真っ赤になるのがわかった。

「…綺麗になった、とか」

「…なるほど。あざっす!また、アドバイス下さいねー」

聞くだけ聞いた友井の視線の先には、ガラス張りで見えた廊下をぼんやりと歩いている宮間の姿。

走り去って、大声で叫ぶ。

「宮間!綺麗になったな!」

「は?寝不足の私に嫌味?」

うん、タイミング違うよね、友井。ハハハと、思わず声を出して笑う。

若いって、本当羨ましい。

真っ直ぐな恋を楽しめよ。そんなことを誤魔化すように思ったんだった。


それから、友井の手伝いもあり、前日にようやく宮間の書類が終わった。

不服そうに礼を述べる宮間と、嬉しそうに胸を張る友井は、やっぱり可愛い恋をしている。

明日のプレゼンもあるし、と後輩たちを帰し、

ライトのほとんど切れたオフィスで残業して、最後の確認してると横にカフェオレが置かれる。

私の好きな微糖。

「明海〜おつかれ」

「由梨」

同期の中で、唯一同じ部署に配属された、齋藤由梨さいとうゆり

少し幼い見た目で、少しイタズラっ子。仕事は優秀だが、なんせドジで手がかかる。

でも、底なしに優しくて、いい友人だ。

「ありがと」

「何か手伝おうか?」

「んー、じゃあ、それホッチキスで止めてくれる?」

オッケーと言いながら、手際よく止めていく由梨。楽しそうに笑いながら、そういえば。と言った。

「今日の友井の、綺麗になった発言ってあんたの入れ知恵?」

「入れ知恵って」

クスクス笑いながらも、手が遅くなることはなく話をしながら、進めていく。

自分が予定していた時間より1時間早く終わった。

「助かった。ありがと」

「いいのいいの、明日プレゼンでしょ?頑張って。あ、そうだ、ご飯行こ。お酒なしで」

「え?由梨、旦那さんはいいの?」

由梨は、2年前に結婚したまだまだ、新婚さんだ。彼は5歳年上の小さな会社の社長。

いつもは、割と早く帰る。

「ん?ここ一年、結構仕事が忙しいみたいでさ。今日は会社に泊まるって」

気にしている風もなく、どれだけ旦那を真っ直ぐ信じて、愛しているのかが伝わる。少し居心地が悪い。

「あ、そ?いいよ、行こ」

2人でオフィスの電気を消して、戸締りをしてから、何を食べるか相談しながら夜道に出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る