第壱章 第捌節:村正の庵

 みことが「ねぇ一颯さん、やっぱり……」と、あからさまに不安そうな口調だったのは、今彼らがいる場所に問題があった。時刻は正午をすこしすぎたところ。太陽が一番高く空に昇る時間帯でありながら、その路地裏にはほとんど陽光が差し込まなかった。

 薄暗くて物音がほとんどしない、耳を澄ませてようやく遠くからの喧騒を拾える程度。

 迷路のように激しく入り組んだ挙句、似たような光景ばかりがずっと続いている。

 土地勘のない者であれば、迷うのは必須だろう路地裏を一颯はすいすいと進んでいく。



「心配するな、もう何回も通ってるし迷うことはないから」

「で、でも……」

「それに、ここは特別な場所なんだよ」と、一颯は不敵な笑みをふっと浮かべた。

「特別……ですか?」と、小首をひねるみこと。

「ここにはある結界が施されてるんだよ。だから俺のように常連客じゃなかったら、まずたどり着けないような仕組みになってる」

「へ、へぇ……そうなんですね」

「っと、そうこうしてる内に着いたぞ」



 一颯が立ち止まったその横で、みことは訝し気にその建物を見やった。



「ここがそうなんですか?」

「そうだぞ」



 常連客が言うのだから、まず疑う用地がない。

 しかしみことは、まだどこか信じられないらしい。

 怪訝な眼差しをする彼女の前には、地下へと続く階段がぽつんとあった。

 電光看板には【村正の庵】と表示されている。庵とは草木を結びなどして作った質素な小屋、小さな家を意味する。お世辞にもそれらしきものは周囲を見やる限りでは皆無であるし、みことが訝しむのも無理はあるまい。



「まぁ、最初はそう思うよな。でも安心しろ、ここで正解だから」

「い、一颯さんがそう言うなら……」

「それじゃあ行くぞ。多分、あの人・・・はお前が来ることもわかってると思うから」

「え? そ、それってどういうことですか?」

「百聞は一見に如かず、まぁとりあえずついてこい」

「わ、わかりました……」



 そう言うみことだが、彼女の顔には未だ不安の感情いろが色濃く渦巻いていた。

 この程度で恐れられては怪異などとても、と本音ではあるものの一颯は口にせず「ほらっ」と、右手を彼女の方へとすっと出した。


 数瞬、ぽかんとしたみことだが、すぐにその真意に気付いた途端「は、はい……」と、おずおずと一颯の右手を取った。互いの手のぬくもりを感じながら、ゆっくりと階段を一段ずつ降りていく。

 明かりは足元を照らすほんのちょっとした明かりのみで、彼らの前方は完全に深淵の闇がずっと続いている。



「い、一颯さん。ちゃんと私の手、握ってますよね?」

「握ってるぞ。いや普通にわかるだろ」

「だ、だってこんなに暗いと不安にもなっちゃいますってば!」

「こんなことでビビッてたらお前、怪異と対峙した時どうするつもりなんだよ……」



 一颯は呆れた口調だが、みことの手をやんわりと優しく、それでいて離すまいしっかりと強く握る。時折握り直せば「ひゃん!」と、彼の背後ではかわいらしい声が静寂を切った。



「て、手つきがなんだかエッチですよ一颯さん……」

「はいはい……ほら、もう安心していいぞ――出口だ」



 眩い光が差し込む出口を抜けて早々に「えぇっ!?」と、みことは驚愕の声を上げた。


 そこは一言で言うなれば、およそ地下世界とは程遠い。

 緑豊かな自然がそこに広がっている。大地の香りも、頬をそっと優しく撫でる微風も、遠くに見えるごうごうと勢いよく流れる大瀑布の音色もすべて、作り物というにはいささか無理がある。


 一颯はこれらが偽物でないことを知っているから、大してなんの感慨もないが、はじめて訪れるみことは違う。興味津々な様子で「い、一颯さんなんですかこの素敵な場所は!?」と、手あたり次第シャッターを切った。



「あんまりそう言うのはやめておけよ。お前は一応俺の助手になったとは言っても、立場はまだ一般人なんだ。あんまり度外視した行動をすると、目ぇつけられるぞ?」

「あ、ご、ごめんなさい……で、でもここはどこなんですか?」

「ここが俺とかご用達の店だよ。因みにここは地下じゃなくて地上のどこかにある場所だ。具体的な場所までは未だにわかってないけどな……」

「へ、へぇ……」



 大瀑布を背後にぽつんと立つ庵に一颯が近寄ると、同時に襖がすっと開いた。



「ん? なんだ、大鳥の坊主よ……今日は珍しくアポなしだな」



 そう言った初老の男は、厳格な雰囲気をかもし出していた。

 厳つい顔立ちも相まって、他者を寄せ付けない威圧感を自然と発生する。

 その威圧感に気圧されたのはみことだけで、一颯は静かに一礼した。



「突然の訪問、どうかお許しください村正さん。今日はちょっと訳があってここにきました」

「訳があるって言うのは、そこにいるお嬢ちゃんのことか?」と、村正とそう呼ばれた初老の男が、みことの方をじろりと睨んだ。



 元が怖い顔付なのに、目をすっと細めて鋭い眼光まで浴びせられては、余計に恐怖を生むだけ。


 案の定、みことは「ひっ!」と、短い悲鳴をあげると共に一颯の背後にサッと身を潜めた。



「安心しろ、みこと。村正さんは、まぁ見た目アレだけどめっちゃいい人だから」

「……こんな嬢ちゃんまで怖がらせてしまうたぁ、オレも駄目だな。ちょっくら自害してくる」



 胸元から、一振りの短刀が村正の右手へと渡った。

 ことり、と抜刀すれば鏡のようにぴかぴかと磨かれた刀身が露わとなる。

 刃長は一尺約30cmにも満たないが、一颯は例えそんな短さでも凄まじい切れ味を誇ることをよく知っている。切先を自らの喉元へ定めた村正に、一颯は飛びつく勢いで制止に入った。



「大丈夫です大丈夫ですから! お、俺は最初から全然怖い人じゃないってわかってましたから!」

「……って言ってもよぉ。やっぱりショックだぜオレぁ」

「お気持ちはわかりますけど、大丈夫ですって! 今回はたまたま! たまたまこいつが繊細な心の持ち主ってだけの話ですから!」

「……そうかねぇ」

「そうですそうです!」



 一先ず、最悪の事態だけは回避できた。

 そのことについて、一颯は安堵の息を盛大にもらした。

 彼――千子村正せんごむらまさは遡ること鎌倉時代。怪異にもっとも近しくあった代々の村正は、怪異の存在に酷く魅入られた。怪異を素材とし、怪異を斬るための刀を……、それが彼ら一族が人生を賭して現在いまでも尚も強く追及することに余念がない。

 代11代目の村正も怪異に魅入られた憐れにして、素晴らしい名工なのである。



「ところで、そのお嬢ちゃんは? まさか大鳥の坊主、お前さんの新しいパートナーかい?」

「……これも色々と訳あってな。一時的に俺の助手として傍に置いてる」

「あ、は、はじめまして。細川みことって言います」

「みこと、ね。いい名前じゃねぇかい。オレぁ千子村正せんごむらまさ、まぁしがない鍛冶師をやってるもんだ」

「よ、よろしくお願いします」



 挨拶もそこそこに、村正は突然みことの右手をがしりと掴んだ。

 なんの前触れもなく、あまりにも突然すぎる行動だからみことも「ひぅぅっ!」と、悲鳴と共に飛び上がった。村正の形相は、言葉悪くして言えば厳つく怖い。

 何かしらの事件の容疑者として報道されても、なんら違和感もない。

 鍛冶師である彼の手は、長年鉄を打ったことでごつごつと酷く変形している。

 その不快感も相まって、みことに多大な恐怖を植え付けるには十分すぎる効果があったと言えよう。



「ななな、何するんですか!?」



 みことは、今にも村正を張った倒しそうな勢いだ。

 しかし村正は、まったく動じない。

 みことの手を、ひらすらじっと凝視するその眼差しは猛禽類の如き鋭いものである。



「……ふむ、お嬢ちゃん。何か剣術をやってるな?」

「えっ!?」と、さっきまで彼女の顔にあった怒りの感情はどこへやら。



 村正から指摘に、今度は驚愕の感情いろを示した。



「オレぁな、お嬢ちゃん。これでも数多くの剣士を見てきた。だから手を見りゃあだいたいどういった剣士か、どういった刀がいいか、わかるんだよ」

「そ、そうなんですね……」

「あぁ、いきなり手を掴んだのは悪かったなお嬢ちゃん。それで大鳥の坊主、オレぁいつものとおり、打てばいいんだよな?」



 にしゃりと再び笑う村正に、一颯は静かに首肯した。



「えぇ、よろしくお願いします。費用は俺の口座から引き落としで」

「あいよ。くっくっく、こいつぁ、久しぶりに腕がなるぜぇ――あぁ、そうだ。大鳥の坊主、お前もせっかく来たんだ。ちょいとメンテしてやるからオレに得物、預けな」

「すいません、それじゃあ俺のもよろしくお願いします」



 一颯は、何もない空間から大小の刀を出した。

 つい数瞬前までは確かになかったはずの物が出現する、人はそれをイリュージョンやワープと呼称し、魅了される。かく言うみことが、その不可思議に魅了されていた。



「いいい、今のどうやったんですか!? 教えてくださいよ一颯さん!」

「はいはい、もうわかったから後でな!」

「くっかっかっか! そのお嬢ちゃん、随分とお前さんになついてるようじゃないか。お前さんら、ひょっとしたらいいパートナー同士になれるかもだぜ」

「え? それって――」

「村正さん、その話はどうか……」

「おっと、こいつはすまねぇ。それじゃあ少しその辺りで待ってろ」



 庵の方へ村正が引っ込んで、数分と経たずしてけたたましい金打音が響き渡った。

 何もない自然の中、娯楽と呼べるものは何一つないが、二人はまんざらでもない顔でそれぞれの時間をすごす。一颯は、一定のリズムを刻む強く、時にはそっと優しそうに、庵から奏でられる金打音を静聴していた。

 焚火やせせらぎなど、音には人の心を癒す不思議な力がある。

 金打音は、人によっては不快感ともなりかねない。

 そう言う意味では、一颯は逆に心地良さを憶える側の人間だった。

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