第壱章 第漆節:秘密兵器

 このまま突っぱねることも、もちろん一颯ならばなんら問題ない。

 だが、みことの性格上彼女を単独行動させてはより危険が高まる。

 要するに、細川みことと出会った時点で詰みだったと、今更ながらに一颯は悟ったのだった。

 本当にツイてないな……。心中で盛大に溜息を吐く一颯を他所に、みことは「ほ、本当ですか!?」と心底嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。



「よかった~最終兵器使わなくて」

「は? 最終兵器?」と、一颯。



 一颯からの指摘に、みことはハッとした顔を浮かべた。



「な、なんでもないですよ?」

「正直に言え。正直に言ったら色々とサービスしてやる」

「サ、サービス!? そ、それって――」

「このアホッ! お前が怪異の調査に同行するのに役立つものをやるって話だよ!」

「あぁ、そっちですか」と、ホッと安堵した様子のみことに、一颯はずきりと頭痛を憶えた。

「それで、何が最終兵器なんだ?」

「えっとですよね~エヘヘ。これです」

「なっ……!」

 みことが見せたスマホに、一颯はぎょっと目を丸くした。



 一颯がみことを抱いている……厳密には、そう見えなくもない構図の写真が、そこに映されていた。当然一颯にはこの写真について身に憶えが皆無である。

 いつ撮影したのか、一颯は激しく困惑した面持ちでみことの方を見やった。


 みことは「よく撮れてるでしょう?」と、得意そうな表情かおだ。



「最初の頃に一颯さんとお逢いした時にこっそりと――実際は抱きしめてもらってませんよ。あくまでもそれっぽく見えるような構図でパシャっとしちゃいました」

「お、お前それをどうするつもりだ!?」

「もう使いませんよ。だって一颯さん、私に同行を許可してくれましたから。だけど、あんまり断るようならこれ、バラまいちゃおうかなぁって」



 さらりと、とんでもなく恐ろしい発言にさしもの一颯も顔をゾッと青ざめた。

 こいつはやっぱり、見張ってないと危険だ……! 一颯はすこぶる本気でそう思った。



「……はぁ、もういい。とりあえず約束は約束だ、さっきのタックルは俺でも予測できなかったからな」

「はい! あ、ちゃんと美香子を探したら消しますから、そこは安心してください」

「まったく安心できる要素がないんだが……」

「そんなことより! サービスって何をしてくれるんですか?」



 新しいおもちゃがもらえる幼い子供のように、瞳をキラキラとさせるみこと。

 あながち、その反応は間違いではないので一颯も特に言及しない。

 もっとも、同じおもちゃでも質は大きく異なる代物であるし扱い方一つで危険にもなる。

 一颯も、不安がないわけでない。それは細川みことの精神的幼さを考慮してのこと。

 自制心が聞かない人間ほど厄介なものはなく、万が一にでも彼女がそうなった時の責任はすべて自分にある。一颯の心情など知る由もない、浮足立つみことを見やり「まるでニトログリセリンだな」と、もそりと呟いた。


 ちょっとした衝撃で大爆発する、大量のニトログリセリンに周囲を包囲されたような心境。

 一颯の心が休まるはずがなかった。



「その前に、俺といくつか約束事だけは守ってもらうぞ」

「約束事、ですか?」と、きょとんと小首をひねるみこと。

「そうだ」と、一颯は指を親指と小指を除く指をぴんと立てた。

「一つ目、絶対に俺の指示には従うこと。二つ目、戦闘は基本俺一人で行う、お前は自分の身を守ることだけに専念すること。そして三つ目、力をいたずらに振るわないこと……この三つの条件を守ることを、ここに誓えるか?」

「はい!」と、みことは間髪入れずに即答した。



 迷いも淀みも一切ない、力強くはきはきとしたその返答に一颯は「わかった」と、みことの右手をひょいと手に取った。傷一つない、白くてすべすべとしたきれいな乙女の柔肌を、これから傷付けるやもしれぬのだから、一颯としても心苦しさがどうしても否めない。


 一方でみことは、頬を一気に赤らめた。



「ちょ、ちょっといきなりどうしたんですか!? エ、エッチなことは駄目ですよ!?」

「お前はアホか? そんなことするわけがないだろうが」

「え? じゃ、じゃあ何を……」

「こうするんだよ」



 一颯の次の行動に、みことが「えぇっ!?」と驚愕の声をあげた。

 自らの親指をかみ切るという自傷行為を目の当たりにすれば、誰しもが彼女のように驚こう。


 当事者である一颯は、困惑するみことに一切介さない。滴る赤い雫でそのまま、みことの手の甲にすらすらと親指を走らせる。


「ちょちょちょちょっとちょっと!」と、みことの顔は青ざめていた。


 他者の血をいきなり付着されたのだ、それもぐりぐりと。

 血液感染などの不安ももちろんあるが、それ以前の問題として純粋に気持ち悪い。当然、みことは一颯の手を振り払おうとするが、とうに彼女の手から離れていた。残ったのは、手の甲にくっきりと描かれた赤い模様のみ。



「いきなり血を塗るとか勝機じゃないですよ一颯さん!」

「それは俺とお前との間に結ばれた簡易的な契約だ」

「け、契約?」

「そ、契約。“血化粧ちけわい”って言ってな。元々は強力な主従関係を強制的に結ばせるために開発された呪術らしいぞ」

「主従関係……って、やっぱりエッチなことする気マンマンじゃないですか!」

「……お前こそ欲求不満なのか?」

「女の子にそんなこと聞くとか最低ですよ一颯さん!」



 があっとがなるみことに「俺いい加減お前と話すの疲れてきたわ」と、もらす一颯の表情かおは心底疲れ切った様子だった。



「まぁ、主従関係って言えば確かに良からぬことを連想してしまうのは無理もないかもな、お前みたいに」

「ひ、人をエッチな娘みたいに言わないでください!」

「……その“血化粧ちけわい”はお前を制御するためのものだ。もしお前がさっき言った三つの約束事を違反した場合、それ相応のペナルティーが発生するようになってる――例えば、みこと。『自己紹介をしろ』……この命令を断ってみろ」

「え? い、嫌ですけど……」



 次の瞬間「アイタタタタタッ!」と、みことが飛び上がった。

 右腕に施した“血化粧ちけわい”が赤く発光したのとほぼ同時、みことは苦痛を訴えたのである。

 これこそが、この呪術“血化粧ちけわい”の恐ろしい効力である。対象者との間に取り決めた内容は、どちらが死ぬまで継続される。

 術者の意志で解呪することも不可能ではないが、確率的に言えば皆無と言っても過言ではなかろう。



「俺は歴とした呪術師じゃないからな。効力もそんな大したことはないし、期間はお前が美香子っていう親友を探すまでに設定してある」

「うぅぅ……思いっきり抓られたみたいに痛いよぉ……」

「大人しく言うことさえ聞いてれば問題ない」

「ぐすっ……一颯さんの変態、鬼畜、スケベ」

「次はどんな命令をしてやろうかな。もう少しハードなのがご所望か?」

「くっ……殺せ!」

「どこの姫騎士だお前は。姫騎士に失礼だから、全作品の姫騎士に謝れ」

「酷い!」と、わざとらしく、よよよ、とみことは泣き崩れた。



 一颯はそんなみことに、飴玉を一つポケットから出すと何も言わず彼女の方へと投げ渡した。

 きれいな弧を描いた飴玉はするりと、みことの手の中に収まる。

 さっきまでのわざとらしい嘘泣きは、そこでぴたりと止まった。

 なんの躊躇もなく包み紙を外したみことは、ぽいと口腔内へと飴玉を運ぶ。

 たちまち「イチゴ味であま~い!」と、満面の笑みを咲かせる様子は外見相応のかわいらしさと言えよう。どうやらこの娘、甘いものに弱いらしい。

 食べ物で釣るという手法は現実的ではないと思っていた彼も、みことの様子を前にすれば効果があるやもしれぬ。食べ物で対価が賄えるなら、安いものもない。一颯はそう判断した。


 “血化粧ちけわいは”は一方的な呪術ではない。

 御恩と奉公……つまりは、等価交換があってはじめて成立する呪術だなのだ。

 従者が何か功を成せば、相応の褒美を与える。現代社会の理が、この“血化粧ちけわい”にもあるのだ。



「よし、それじゃあそろそろ行くぞ」

「はい! それで、結局今からどこに行くんですか?」

「俺や【衛府人えふびと】ご用達の大人なお店だ」

「やっぱりエッチなことなんですね!」

「……みこと、命令だ。『なんでもかんでもエッチなことに繋げるな』……いいな?」

「は、はい。すいませんでした……」

「よしっ。ほら、次はコーラ味でいいか?」

「あ、抹茶ソーダ味ってあります?」



 何気ない会話を交えつつ、二人は山を後にした。

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