第壱章 第伍節:非日常への誘い

 翌日、一颯はいつものようにコーヒーを口にしながらテレビをぼんやりと眺めていた。

 報道される内容は、もはや語る必要もなかろう。

 もはや世間ではおなじみとなってしまった【現代の神隠し事件】について、どの局もこぞって報道している。新たな犠牲者が出た、という情報が追加されていないだけまだマシな方か。いずれにせよ警察の捜査は未だに進展なく、同様に一颯もなんの成果もまだ得られていない。

 今日こそは何か情報の一つでも入手したい、とそう切に一颯は願った。

 コーヒーを飲み干すのと同時に、一颯はテレビの方を見やった。

 ついさっきまでは進展のない【現代の神隠し事件】についてが報道されていて、もはや飽きすら憶えた頃。まるでタイミングを見計らったかのように、それはお茶の間に流れた。


 ――昨晩、S区の公園にて焼死体とみられる遺体が発見されました。


 ここ最近がずっと、【現代の神隠し事件】ばかりなので他の事件がやけに珍しく錯覚する。

 もっとも内容については、殺人事件だろうから穏やかなものとは程遠い。

 しばらくぼんやりと眺めていて「あれ? こいつは……」と、一颯は眉間にシワを寄せた。

 焼死体であるが、幸い遺留品からこの被害者の身元は割れて、それが昨日ボヤ騒ぎを起こした男性だったということに一颯は驚いた。名前は、樋口一郎というらしい。



「まさか……あそこで出会った人が次の日には死んでるなんてな……」



 不意に、一颯は男の言葉をふと思い出した。


 ――奇妙な女が蒼い炎・・・で家を燃やしたのを俺は確かにこの目で見たんだよ!


 と、あの時の発言は紛れもなく男の本心だろう。

 きっと男は、嘘は吐いていない。

 しかし誰も蒼い炎・・・はおろか奇妙な女・・・・を目撃していないのが現状だ。


 幽霊の正体見たり枯れ尾花――【現代の神隠し事件】によって生じた恐怖が、あるのはずのないものを見てしまった……とこのように錯覚した可能性も完全否定するには、今はまだ時期尚早である。これが一颯の見解だった。


 何かと怪異の所為と結びつけがちになるが、【衛府人えふびと】として物事は冷静に見定めて迅速かつ的確に行動する責務がある。


 ピンポーン――いつものチャイムが室内にこだました。

 時刻は午前7時ちょうど。相変わらず朝早い来訪者に、一颯は小さな溜息を吐いた。



「あれっ? 今日はすんなりと開けてくれた……」

「俺の方から来いって言っておいて、追い出すとかありえないだろ」

「それもそうでしたね。それじゃあ改めまして、おはようございます一颯さん」



 親友を失ったのに活気ある様子の細川みことは、学校指定のものだろう。ジャージに短パンという、大変学生らしい恰好だった。彼の言いつけをしっかり守っていることに、一颯も「ちゃんと言った通りにしてきたな」と感心した面持ちだ。



「てっきりアニメのコスプレみたいな恰好をしてくると思ったぞ」と、揶揄する一颯に、

「あっ! 今創作界隈を愚弄しましたね!?」と、まことは大変ご立腹な様子である。


 まことは、かなりのオタクである。

 一颯がどうでもいい事実を知ったのは彼女がいきなり自宅を訪ねてきた日のこと。

 よもや一介の女子高生に尾行されるなどとは夢にも思わず、挙句住所特定までまったく気付かなかった己に、当時に一颯は激しく驚愕と羞恥心にもだえた。

 同時に彼女の操作能力と尾行技術については痛く称賛もしている。


 ――お金を払いますから私も協力させてください! あ、でしたらこの限定フィギュアでも!


 と、どこから取り出したさえもわからないアニメのフィギュアから、延々と如何にアニメやゲームがすごいかと数時間にわたって熱弁されたのは、今となっては良くも悪くもない思い出である。



「美香子を探して助けたら、今度絶対に一緒にアニメ鑑賞会やりましょうよ! きっと一颯さんもドハマりするの間違いないですって!」



 ぎらぎらと目を輝かせて熱弁するみことに「いやぁ、俺はいいかなぁ……」と、一颯はやんわりと断った。

「えーどうしてですか!?」と、みことが頬をむっと膨らました。


「いやぁ……」

「絶対に面白いですってば!」

「いや、別にアニメとかは面白くないとは俺も言わないぞ? ただなぁ……時間が圧倒的に足りないんだよ」



 一颯がそう答えると、みことも「あ、そっか!」と納得した様子を見せた。

 一颯の回答に嘘偽りはない。最近のアニメは表現による規制強化などで、大抵が深夜帯となっている。そして一颯にとって夜こそが【衛府人えふびと】として本格的に活動する時間帯だ。一般人と同じように夜更かししてアニメのリアルタイム視聴というのは、現時点ではどう足掻いても不可能である。


 それこそ録画機能があるだろう、と確かに手段としてはなくもない。

 だが、心身共に疲弊していては、否が応でも休息は必要だ。特に年中無休でハイリスクハイリターンの仕事ともなると猶更である。



「うぅ……でも、落ち着いたら絶対に一緒に見ましょうね? 私、布教用のDVDも漫画もたくさんありますから!」

「あ、そう……」



 諦める姿勢がまるでないみことに、一颯は内心で匙を遠くの方へ投げ捨てた。



「……とりあえず、話を戻すけどお前にはこれから俺と一緒にきてもらう」

「ホテルじゃないんですよね?」

「だから違うっての。お前本当はお嬢様学校の生徒じゃないだろ?」

「むっ! 失礼ですね、これでも歴とした【聖オルトリンデ女学院】の生徒ですーこの生徒手帳が証拠ですー」

「……なんだかお前、写真と随分と違くないか?」



 生徒手帳に映る細川みことの方が、優等生と呼ぶに相応しい。

 凛とした顔立ちに、まっすぐと正面を見据える姿は雄々しささえもある。



「あ、ひどい! 女の子にそういうのは言っちゃだめなんですよ!」

「いや顔がどうこうじゃなくてだな……はぁ、もういいや」



 これ以上は疲れるだけだ。朝はまだ来たばかりで、夜まで時間はたっぷりとある。

 一颯はコーヒーを一気に飲み干した。



「――、それじゃあ早速行くぞ。時間は有限だからな」

「はいっ! でも、どこにいくんですか? 後、それは?」



 みことが指摘したのは、長方形の木箱だった。

 長さからしてゆうに100cmはある。箱も、もうずっと古いものなのだろう。ボロボロの外見は今にも朽ちてしまそうな雰囲気がひしひしと放たれる。

 興味津々と言った様子の彼女に、一颯は答えない。



「――、とりあえず山行くぞ」と、淡々と言った一颯に、

「え? 山、ですか?」と、きょとんと小首をひねるみこと。



 彼女が「どうして山なんですか?」と問うも、一颯はすたすたと先に出て行ってしまう。



「あ、お、置いて行かないでくださいよ一颯さん!」

「ほらほら、さっさとしないと置いていくからなー」



 ぱたぱたと追いかけるみことに見向きもしないで、一颯はさっさと歩いた。

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