第壱章 第肆節:怪しい女の影

 時刻はちょうど午後五時を差したところ。

 青かった空もいつしか、色鮮やかな茜色へと移り変わり、遠くの方で烏が鳴いている。

 本日の成果は、これと言ってめぼしいものは何もなし。

 蒼い炎・・・奇妙な女・・・・……今日の成果はこの程度で、しかしそれさえも【現代の神隠し事件】にはなんら関連性がない。

 今日はスカだ……、それが一颯が下した結論だった。



「――、というわけだからもう明日から来なくていいぞ」

「なんでですか!?」と、不満そうに頬をムッとするみこと。

「当たり前だろ。今日は特別に連れてきてやっただけだ。いい勉強になっただろ、明日から元の生活に戻れ」

「嫌です!」

「お前な……」と、一颯は疎ましそうにみことをじろりと睨んだ。



 こいつはまだ怖い思いをしないと理解しないってのか? 人間とは皮肉なことに、痛みや恐怖があってはじめて学ぼうとする生命体だ。

 先日の一件で懲りた様子が、彼女にはまったくない。

 もう一度、みことには恐怖を憶えてもらう必要がある。

 少々手痛い躾にはなろうが、あくまでも細川みことのため。

 光の中で生きた人間が、わざわざ影に身を投じる必要はないのだから。

 特にみことのような、年端も行かぬ子供ならば尚のこと。



「……それじゃあ明日、もう一度俺の家にこい」

「もちろんです! あ、先に言っておきますけどエッチなことは駄目ですからね?」

「こいつ……まぁいい。あぁ、もう一つだけ――明日は少し体を動かすから、動きやすい恰好はしておけよ」

「おぉ、本格的に調査するってことですね!」

「……俺からは以上だ。だから今日はもう終わり、終了、はい解散」

「わかりました。それじゃあ一颯さん、今日はお疲れ様でした!」



 ぱたぱたと元気よく走り去っていくみことを一颯は見送って、姿が完全に視界から消失したの同時に盛大に溜息を吐いた。みことと出会ってからというものの、溜息の回数が異様に増えた。一颯はそんな気がしてならなかった。



「――、さてと……」



 一颯の足取りは、帰路からどんどん離れていく。

 調査はまだ、終わっていない。寧ろここからが一颯の本格的な調査だった。

 夕刻から、怪異は活発に行動を始める。

 【現代の神隠し事件】の被害者は、夕刻を最後にぱったりと消息を絶っている。

 つまり調査は午前ではなく、午後から始めるのが基本となるのだ。

 余談ではあるが、一颯はみことに怪異の情報を完全には開示していない。

 彼女の性格を考慮すれば、きっと夜遅くだろうとみことは行動を共にしようとする。

 それだけは成人している一颯としても、是が非でも避けたかった。



「…………」



 行く当てはなく、ぶらぶらと一颯は町を徘徊する。

 今回の事件は情報があまりにも少ない。例えるならば広大な砂漠から1カラットにも満たない宝石を探すようなもの。正しく絶望的状況なのだが、【衛府人えふびと】の一員であるからには途中で投げ出すなどご法度もいいところ。

 途方もない時間が掛かろうとも最後まで遂行する。それが【衛府人えふびと】の鉄則だ。



「おー? おっすおっす、こんなところで奇遇じゃんイブキッち」



 進行方向先より、一人の女性がやってきた。

 上下共に黒いスーツに、赤のアンダーシャツと黒のネクタイでビシッと正装している。

 薄桃色の三つ編みが特徴的な彼女だが、にたりとした笑みを終始端正な顔立ちに張り付かせている。何を考えているか、まったく読ませないその笑みは美しいだけにどこか不気味でもあった。



「……俺に何の用だ?」と、一颯はあからさまに嫌悪感を示した。


「ちょっとちょっとちょっと、いきなりその態度はないんじゃないかにゃあ? せっかくウチとこうして出会ったんだから、もっと嬉しそうな顔してほしいにゃんイブキッチ」

「悪いけど、それは無理な相談だな」

「おー怖い怖い。そんなに前のこと、怒ってるの?」

「もういい、その口を今すぐにでも黙らせてやってもいいんだぞ?」と、一颯はついに殺気を露わにした。



 こいつは、やっぱり殺しておくべきだ! ふつふつと胸中で殺意を燃やす一颯に、女性は依然としてにたりと笑ったままだ。



「でも、あの時はしょうがなかったじゃん? だって、あぁでもしないと被害がどんどん拡大するだけだったし。それにぃ、他の先輩や同僚からは非難の声は上がらなかった――つまり、君だけ。君だけが未だにぎゃあぎゃあと喚いている」

「……っ」

「ん~でも、まぁいっか。大事なのは昔もだけど、現在いま現在いま。ずるずる前のこと引きずったって、なぁんにもいいことないんだから」

「……よくお前はそれでヘラヘラとしていられるな、舞姫」



 スーツの女性……舞姫は「えへへ、それがウチの長所だもん」とあっけらかんと答えた。

 彼女……杵島舞姫きしままきという女性は、組織内からも極めて変人という認識で通っている人物だ。変人たる由縁は、その常に浮かべるにたついた笑みにある。

 面白いことがあったわけでもなく、人を見下すわけでもなし。

 言葉良くして言うなればいつもニコニコとして愛想がいい。


 だが舞姫は、例え怪異との戦闘中であろうとニタニタとした笑みを崩さない。

 死にそうなぐらい重症だろうと、いつもニタニタと。人間が持つ四つの感情――喜怒哀楽の内、楽以外の感情を目にした者は誰一人としていない。狂人……舞姫をそう呼ぶ者は決して少ない方ではなかった。

 一颯が舞姫と出会ったのは、ちょうど今から二年前のこと。


 ――おー君が噂の新人君だねぇ。それじゃあウチと一緒に頑張るにゃん。


 と、初対面からこれである。

 普通ならば、常識から逸脱した彼女にいい印象は抱くまい。

 そう言う意味では一颯は、常識からほんのちょっとだけ感覚がずれていた。

 人間にはいろんな人種がいる。

 肌の色や性別はもちろん、性格についても十人十色なのが人間だ。

 あれも彼女の、いわば個性のようなもの。

 自分と異なるからと差別していい理由にはならない。

 ありのままを受け止める。なによりも舞姫の方が数か月先とは言え先輩で、これから共に仕事をする仲間でもある。一颯は一風変わった同僚兼先輩として舞姫に接した。


 ――二人ってさ、よく一緒にいることが多いけど、実は交際したりしてるの?


 と、ごく普通に接していただけの彼からすれば、周囲の認識は酷い誤解にも程がある。

 交際の事実はない。一颯はそう、はっきりと周囲に断った。



「……特に用がないのなら、俺はもう行くぞ」

「あぁ、ちょっと待ってよイブキっち。せっかくこうして会ったんだしさぁ、一緒にデートしようよぉ」

「お前……それマジで言ってるのか? 冗談なら悪質だし、本気だったら失笑ものだぞ?」

「マジだけど?」と、不可思議そうに舞姫は小首をはて、とひねった。



 こいつマジで言ってるのか……!? 一颯は怪訝な眼差しで彼女の方を見やった。



「だってウチ、君のこと好きだしぃ?」

「……そうか。でも、悪いけど俺はお前のことは好きじゃない。寧ろ嫌いだ」

「ぶーぶー。冷たいにゃあ。そんなに毛嫌いしなくてもいいんじゃない?」

「……悪いけど仕事中なんだ。俺はこの辺りで失礼するぞ」



 一颯は踵を返した。

 今日はもうさっさと帰ろう……。舞姫との邂逅によって、もはや調査する気は一気に一颯から失せてしまった。コンディションが万全でない状態で調査ほど、愚行なものはない。


 ――ぜっ……に……のも……す……らね。


「……まだ何か俺に言いたいことがあるのか?」

「ううん、なんでもないよぉ。それじゃあおっ疲れさま、またあっしたね~」と、その顔は案の定、ニタついた笑みが張り付いていた。

「できれば二度と関わらないでくれ」



 終始冷たい態度をもって、一颯は今度こそその場を後にした。

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