魔のカーブ

車は時速80キロで進んだ。

I縦貫道の指定最高速度である。


K氏は、助手席に座った『幽霊』をちらりと見た。


『幽霊』はニコニコと微笑み前を向いている。


計器盤の淡い光が、『幽霊』の顔を青く照らし、薄気味悪さに拍車をかけている。


もし、話すと死ぬ運命にあるならば…。

もう、どうせ死ぬ。


K氏は最後に、この奇妙な『幽霊』と会話を試みた。


「N市に行って…どうするんだい?」

 

「あの…あの…、お父さん…見せた…芸…」

 『幽霊』は前を向いたままたどたどしく応える。


「芸?」


「芸の…終わり…家帰る…僕…帰りたくない…分かってた…でも…他には…」

『幽霊』はたどたどしく言う。

K氏も何を言っているのか分からなかった。


「他には?」


「だめだった…見ても…何回も」


K氏は、『幽霊』の言わんとする所が理解できなかった。


何かを考察するには、あまりに時間がなさすぎる。



間もなく「魔のカーブ」だ。



K氏は緊張のあまり手汗がにじむ。


次第に助手席の『幽霊』から唸るような声が聞こえてきた。


気になって、K氏が『幽霊』を見た。


K氏は悲鳴を上げた。


『幽霊』は恐ろしい形相でK氏を睨んでいた。

眉を釣り上げ、歯を食いしばり、目は血走っていた。

そして、いたるところに青筋が立っていた。


「落とす!落とす!落とす!危ない!危ない!危ない!」

信じられないほど、甲高く強い声で『幽霊 』は叫ぶ。


K氏は、一瞬、車から突き落とされるのかと思った。

前回の犠牲者、女性運転手は運転席窓から抜け出そうとした姿勢をしていた。


止まらないと危険だ。

いや、今の速度で急ブレーキをしたらスリップしてしまうだろう。

それこそ一巻の終わり。


「落とす!危ない!」『幽霊』の叫びに、K氏はハッとして速度計を見た。


いつの間にか120キロを越していた。

すぐにK氏はブレーキを踏み、減速した。


速度が落ちる。


そして、「魔のカーブ」に進入していく。


瞬間、『幽霊』が叫んだ。


「シカ!」


K氏がハッとして前方を注意すると、黒々とした獣の影が、K氏の車の前に飛び出した。



K氏は咄嗟にハンドルを切る。


K氏の車はスリップし、滑るように進んで行く。

だが、減速していたのが功を奏した。


車は左の路肩へ滑っていき、止まった。

制御不能にはならなかった。


K氏は呆気に取られた。

死ななかった。


だが、間違いなく、『幽霊』の助言がなければ、猛スピードでスリップし、重大な事故を起こしていただろう。

そう考えるとK氏は身震いした。


K氏は助手席を見た。

そして愕然とした。

『幽霊』は消えていた。

シートベルトのタングも外れていた。


私は助かったのか…K氏は思った。


K氏は無事だった。


それから、K氏は『幽霊』を探し、酒頭や警察が来てから延々と探したが、ついに見つからなかった。

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